五章 火竜の騎士 第一話
――ふう
王宮内殿、小さな執務室で、王は一つ溜息をついた。もう外は暗い。まだ執務は残っていたが、切り上げて明日に回すことにした。
「お疲れ様でございます」
傍らに控えた宰相は言った。
ふふ――と王は笑う。
「寄る年波には勝てんの」
「なんの、陛下におかれましては年波などと言う言葉はまだまだ早うございます」
入り口のそばに座ったアリノが茶化して言う。
「お前の故国には百まで生きる年寄りがいるというな。だが、こちらでは五十を超えれば長老よ」
王の言葉に、アリノは、たしかに、と返して笑う。
「それに、今日は若者をいじめてしまったからな。若者いびりは心が痛む」
「あの少年は……」
宰相が口を開いた。
「なかなかよく考えておりましたな――」
その言葉にアリノが頷く。
「あちらの少年が、あれほどしっかり受け答えができるとは思いませんでした」
まだ幼くも見えたあの異界の少年――
「あの者なりに考えたのだろう。母が死に、異国に飛ばされたというのに、健気な事よ」
王は自嘲気味に嗤った。
「……陛下はあれでもご不満ですか?」
宰相が王に向かって訊く。
「十六であれなら……上々だろう。故国で剣も学び、なかなか賢そうでもある。しかし――」
王は天井を見上げた。
「まだ若い。竜騎士は皆優しいが、あれもそうだ。優しい騎士は早く死ぬ」
「火竜公が選ばれたのも……確か十五の時でしたでしょう」
宰相は思い出しながら言う。
「あれとは違う。エスリオスは十三の頃から既に父に附いて戦場に出ていた。戦場に生きるという事を理解し、あそこは王もまだ若い」
「戦場経験のある者が選ばれれば……と?」
アリノが訊いた。
王は短く溜息をついた。
「欲を言えばな――本来、竜が選んだ者を叙任せぬなど有り得ぬ。しかし、やっと孵った竜をすぐに失うわけにはいかぬ」
短く、緩い沈黙が流れた。
宰相が口を開く。
「――ですが、この十四年で志ある若騎士は多くが散って行きました。騎士も、官も、残ったのは腑抜けと我々年寄りばかり」
かつて国を守るため、死んで行った騎士たちの顔が王の脳裏に浮かぶ。竜に選ばれても不思議のなかった若者たち――彼らは傾く国を支えるため、若い命を野に散らした。
「確かに、竜が異界から選んできたのも止むを得んかもしれぬな……」
自分が守れなかった命を思い、自然ため息が出る。
「わしも、あと何年玉座にいられるか分からぬ。後に残すは娘しかおらず、二人ともまだ子供だ」
「それは陛下がなかなか身をお固めにならなかったからと記憶しておりますが?」
宰相がちくりと王に一言言った。
「まあ、そうだが……、それを言うなら三十年早く言え」
この生真面目な宰相の小言に思わず、苦笑が漏れる。
「お前たちも、あと何年働けるか……。国の中にはわしらが倒れるのを手ぐすね引いて待っている輩もおるだろう。若い女王と未熟な竜騎士では国はまとまるまい」
再び、部屋にわずかな沈黙が訪れた。
次にその沈黙を破ったのは、アリノだった。
「もし、今、陛下が倒れるような事があれば、国は荒れるでしょうな」
アリノは静かに言う。
「国欲しさに諸侯が動くか……、権欲しさに官が争うか……」
その言葉に宰相は頷き、口を開いた。
「しかし、先の風竜公が斃れて十四年。民には苦しい時代でしたが、それでも最悪だったというわけではない。普通、十年も竜を欠けば、国はもっと荒れるもの。それは陛下が魔族を打ち払い、諸侯が圧政を布かぬよう睨みを利かせていたからです」
宰相は王を見た。
「雛は孵りました。五年もすれば、未熟な少年も精悍な騎士となる。田畑の恵みも戻り、若い王女も継承の準備が整うでしょう。ここまでなんとか来たのです。あと五年くらい何とかなりましょう」
王はうんざりした顔で宰相を見返した。
「お前はわしにあと五年も戦場に出よと申すか」
「はい、我が主は八国一の武勇の王であらせられますゆえ」
宰相はすまして言った。はあ、と王は息をつく。
「ならば、お前もあと五年は隠居を許さぬからの。骨と皮になるまで働け」
恨みがましく言う王を見て、アリノはほっほと笑う。
「アリノよ、お前もまだ隠居は許さぬ。お前にはあの子供を一人前にしてもらう」
「御意に――。老骨に鞭打ち、尽くしましょう」
十四年――深い、冬の夜のようだった。竜が孵ったなら、夜明けは近い。願わくば、長く穏やかな昼にならんことを――
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