三章 王、帰還す 第三話

 正行は竜卵宮の庭で、無邪気に駆ける竜を見ていた。四本の手足で庭を駆け回る無邪気な様はまるで犬や猫のようにも見えるが、その背中には羽があり、いずれは象よりも大きくなって、猛禽のように飛ぶという。そして、馬にも乗った事のない自分がその背中で剣を振り回さねばならないかもしれない。ステラは竜に選ばれた自分を羨ましがるが、果たして自分にそんな芸当ができるのだろうか。


 午を過ぎたころ、父王への挨拶に行ったステラが戻って来た。


「王が帰還なさったわ。まず、不在中の国務を捌いてから、あなたに謁見なさるそうよ」


王との謁見は予想していた。その肩書に緊張しないではなかったが、狼狽はしない。むしろ、気になるのはステラの態度だった。先ほど、喜んで駆けていったわりには彼女の顔は曇っているように見える。


「さっき、久しぶりにお父様に会えると飛び出していったわりには、お顔がお暗いようですけど?」


水を向けられて、ステラはやや複雑そうな表情を見せる。


「お父様はあなたの騎士としての資質に疑問を抱いてらっしゃるようだったわ」

「資質?」

「ええ、あなたは異界育ちで、まだ子供だからってことらしいわ」

「ああ! なるほど!」


正行は納得した。


 こちらの世界では王の次に竜と竜騎士が大事だというのに、何も知らない異世界の子供がやってきました、というのでは不安にならないのが不思議というもの。何より当の正行自身、竜と共に国を守るなどという事に納得は行っていない。


「あなたねえ……腹は立たないの?」


ステラの声には怒りが含まれているように思えた。


「なんで?」


ステラの問いは論理的ではない――正行はそう思った。


「竜はあなたを選んだのよ!」


正行は突如として噴火したステラに驚いた。


 正行からすれば、国王の懸念は全くもって正しい。ステラが怒る理由が分からず、正行は狼狽した。しかし、時に女の子は正論を嫌う事くらい、いくら正行でも理解していた。獅子のように猛る彼女の逆鱗に触れぬよう、慎重に言葉を選ぶ。


「いや、王様がそう思うのも当然だと思ってさ」

「はあ?」

「だって、俺はこっちの事を何にも知らないし、馬に乗った事もなければ剣を振った事もないんだよ? いきなり国を守れなんて言われても困るよ」

「何言ってるのよ! あなたが竜に選ばれたんじゃない!」


慎重に、慎重に言葉を選んだ正行の努力は無駄であった。


「……いいわ。 出来ない事は練習すればいいだけのこと。馬も剣も教えてあげるわ。――ジェイン!」

「はい、ステラ様」


傍らに控えていたジェインが伺いを立てる。


「木剣を二振り持ってきて」

「かしこまりました」


ステラは正行の方に振り返って言った。


「まずは剣からよ」






 ジェインが取ってきた二振りの木剣は短めの直剣を模したものだった。日本の稽古で使っていた木刀よりは短いが、小太刀よりはやや長い。刀身は幅広で、長さのわりに重量感がある。


「ブロードソードよ。主に片手で遣うわ」


そう言って、ステラは木剣を振る。ビュッと空気を切り裂く音をさせ、正行の喉元あたりで切っ先を止める。正行はそれを見て素直に驚いた。素人かどうかは止め方で分かる。彼女の木剣はしっかりと刃筋を通して振られており、片手で喉元にぴたりと止めた。ただの女の子の振り方ではない。正行も同じように木剣を振ってみた。重みはあるが、木刀よりも短い分、片手で扱う事もさほど難しくはない。


「あら? ちゃんと振れるじゃない」


ステラは軽く驚いたように言った。


「向こうには戦争はなかったけど、昔の剣術はまだ残ってるんだ。俺もやってたからね」

「そうだったの」


ステラは感心してみせた。


「あっちの剣とは形が違うけど、慣れれば多少はできると思う」

「じゃあ立ち会ってみましょう」

「え? 君と?」


ステラはいつものように裾の広がったワンピースを着ており、動くのに適しているとは思えない。それに防具もつけていなかった。木剣が当たれば、良くて痣、悪ければ骨が折れる。頭に当たれば、死ぬことだってある。そうでなくとも、女の子に剣を振るのは――


「寸止めにしてあげるから大丈夫よ」


こともなげに言うと、ステラは逆水平に切りつけてきた。速い。が、正行は軽く後ろに跳んで間合いを取る。ステラは間髪入れず、二歩踏み込んで、正行の胸を狙って木剣を突き出す。正行は突きの軌道に合わせて剣先を滑らせ、突きをいなすと、隙ができたステラの肩口を目がけて逆袈裟に切りつけた。ステラはさっと下がって剣をかわした。寸止めにできるよう、全力で振らなかったとはいえ、簡単にかわしたステラに正行は驚いた。自信を持つだけはある。


 ステラもステラで、警戒を強めたのか、間合いをとって構え直す。彼女は右手の剣を脇を締めて地面とほぼ平行に持ち、足を前後に広めに開いて右半身に構えた。左手は身体の後方で自然な程度に上げてバランスを取っている。フェンシングの構えに似ているのに気づき、正行は突きを警戒した。正行は突きが狙いづらくなるよう、右手で水平に構えた剣をやや高く持ち、剣先はステラの右肩あたりに合わせて、揺らす。右足を前に半身をとり、右片手霞に構えた。


相手の構えなら、おそらく上からの切り下ろしはない。こちらが霞に構えれば、相手の表の狙いは、腹突き、水平斬り、下段突きに絞られる。そのどれかで来たらカウンターで仕留め、裏なら一度間合いを切る。正行は瞬時に絵図を描くと、じりじりと間合いを詰め、ステラの選択肢を狭めていく。お互いの剣先が触れ合うほどの距離に詰まった時、ふ――とステラの剣先が動いた。


――突きだ!


正行はステラの飛び込みに合わせて剣先で小さく円を描くように、ステラの突きを上から叩いて軌道をずらし、そのまま自分の木剣をステラの腕の下をくぐらせ、刀身をそっと優しくステラの腹に当てた。鼻先をくすぐるほどの距離でステラの髪が揺れ、ステラは驚いたように正行を見た。


「……やるじゃない……」


ステラは負けを認めた。


「はは、まあね」


正行はほっとして、笑いながら言った。


「なによ……自信なさそうにしてたくせに演技だったわけ?」


悔しいのか、ステラはやや顔を赤らめながら、剣を下ろした。


「自信ないのは本当だよ。真剣を振った事もないし、向こうの剣術は競技になっちゃって、実戦とはかけ離れてるからね」

「でも、上手かったわ」

「俺に教えてくれた先生は、競技以外の剣術も教えてくれたから、応用できただけだよ」


 小学校から通っていた道場ではそもそも剣道ではなく、古流剣術を教えており、正行ら学生もそれを教えられる。先ほどの右片手霞もその一つである。霞と呼ばれる構えには右足前のものと左足前のものがある。左霞は小太刀には向かないが、右霞は小太刀でも応用できる。右霞の構えは現代剣道では上段技への対策としてたまに使われるのみだが、右半身に構え、防御的に振舞い、相手の攻撃手段を限定する事で返し技を狙う。とりあえずは女の子に負けずに済んで正行は安心した。


「向こうでは両手用の剣が主流だったけど、こっちは片手が主流なの?」

「そうでもないわ」


ステラはくるりと剣を回して言った。


「竜騎士や鷲騎士は片手の曲刀か、片手半剣を使う事が多いわね。盾を持たないから」


片手半剣とは、両手でも片手でも扱えるように設計された剣である。打刀を初めとする日本刀も、分類上は片手半剣に入るだろう。片手剣を使う場合は、大抵、空いた手に盾を持つが、片手半剣は片手剣よりも長く、重い分、盾との同時使用には向かない。ただ、映画などで見る西洋の騎士達は確か、剣と盾で戦っていた気がする。


「盾は使わないの?」

「歩兵や馬に乗った騎兵は降ってくる矢から身を守るために盾と片手剣を使うけど、竜や鷲は空を飛ぶでしょ? 空騎兵は上から矢が降ってくる事は少ないし、空騎兵の速度では風圧が強くて片手で盾を支えるのは難しいの」


――なるほど


確かに盾のように空気抵抗の大きいものは飛ぶのには邪魔だろう。


「盾を持たない代わりに、地上に降りた時に両手で戦えるように片手半剣を使うのが主流かしら。騎上では片手、地上では両手で振るの。ただ、女の力じゃ片手で振る事は難しい。だから、私は短身のブロードソードを習ったのよ」


ステラは木剣を構えてみせる。


「私の腕力では相手を鎧ごと叩き切るような戦い方はできないから、片手剣で鎧の隙間を突くように戦えと教わったわ」


正行は驚いた。


「本気で戦場に出るつもりだったの?」


その言葉にステラは正行をにらみつけ、叫んだ。


「当然でしょ!」


その剣幕にわずかに正行はたじろいだが、言い返した。


「女の子が戦争に行くなんて無理に決まってるじゃないか!」

「女だからよ!」


正行は一瞬、意味が分からなかった。


「私は王族よ。民の税金で暮らして、食べるものにも着るものにも困らないわ。でもね、私がこうやって贅沢している陰には、その日の食事が食べられるかどうか分からない人が大勢いるの。命を繋ぐために手を血まみれにして働いてる子達が大勢いるのよ!」


正行ははっとした。


「私だって馬鹿じゃないもの。この国にそういう人たちがいる事を知ってる。じゃあ私はその人たちに何ができるの?」

「何がって――」

「もしかしたら、いつか私が国を継ぐかもしれない。その時は政治で民に返す事ができるわ。でも、私は第二王女よ。お姉さまが国を継ぐなら、私は何をすればいいの? 私が男なら、戦って国を守る事ができる。ただの女の私が戦場に行って何ができるのよ!」


「だから……」

「だから、選ばれたかったのよ。稽古して、強くなって――竜に選ばれて、竜の力がもらえれば、私だって戦う事ができる。女だから守られて、王族だから甘やかされて……誰からも救われずに死んでいく子達がいるのに、王女だからにこにこ笑っていればいいなんて、そんなのまっぴらごめんだわ!」


正行は言葉に詰まった。ステラはおそらく本人も意図せず、強い声を上げてしまったのだろう。きまりが悪そうに目を逸らし、荒くなった呼吸を鎮めながら、庭で蝶を追う竜を眺めた。


「……この国には十年以上竜がいなかったわ。私と同じ年に生まれた子たちは十歳になる前に半分が死んだ」


正行は耳を疑った。


「――半分?」

「そうよ」


ステラは苦々しげにそう返した。


「なんで半分も死ぬんだよ!?」


半分という数は現代の日本に生まれた正行にとって衝撃的なものだった。正行の故郷は日本の中では珍しいくらいの田舎町だった。それでも、中学高校の同級生は百人以上はいた。ほとんど話したことがないような子もいたし、中には嫌いな奴もいた。


「魔族も魔獣も、竜がいない国を狙うもの……。戦争や、病気や、飢え――貧しさに耐えかねて子供を殺す親さえいる……。竜がいれば、全てが救われるっていうわけじゃないけど……死ぬ子供たちは随分減るの」


日本では子供が死ぬことなどほぼない。十六年生きてきて、同級生が死んだという事もなかった。稀に交通事故や、難病で死ぬ子供はいるが、それらは例外中の例外。飢えで死ぬ子供たちも直接の原因は貧しさではなく、親の育児放棄や虐待によるもので、日常茶飯事ではないからこそ、ニュースになる。


「だから、私は選ばれようとした。そのために努力もしてきたつもり――でも、私じゃなくても誰かが騎士になれば、助かる命があるの。竜が孵ったのはこの国にとって大きな幸運だったのよ」


ステラは正行を見た。強い翠の光――


「竜はあなたを選んだ。この国の誰かでも、私でもない。あなたを選ぶべきだって竜は思ったのよ。竜が信じたのなら、私もあなたを信じるわ。だから……」


ステラの強い瞳に耐えかね、正行は目を逸らし、掌でステラの言葉を遮った。


「考えさせてほしい」



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