三章 王、帰還す 第二話

 スレイベンと王都を結ぶ空路上、王と百の鷲騎士隊、それに一際目を引く真紅の竜の一団は前方に層積雲の群れを見つけた。雲はその高さによって形を変える。うろこ雲のような薄い雲ほど高い場所にあり、層積雲のような厚い雲塊は空の低い場所にある。層積雲は大量の水分を含みながら、気圧の低い方へと次第に集まり、やがて上昇気流にぶつかると一気に積乱雲へと成長する。


 積乱雲は巨大な雲の城と言っていい。この城は空の最も低い場所に土台を作り、上昇気流によって上空高くまで塔を築く。一定の高さまで成長すると、その身に雷を孕み、落雷を起こす。空を飛ぶ鷲騎士達にとって積乱雲は天敵である。竜ならば雲上を抜け、雲を無視して飛ぶこともできるが、雲上飛行ができるほどの鷲獅子は稀であり、迂闊にも巨大な積乱雲に突っ込めば、大抵は雷に打たれて死ぬ。空騎兵にとって雲の見極めは初歩にして、欠かせぬ技術であった。


 飛ぶにつれ、次第に分厚くなっていく雲を見て王は思った。スレイベンからしばらくはうろこ雲が続いていたが、この季節、ここで層積雲を見つけたということは、この先で積乱雲に出くわすだろう。既に湿度は高く、空気は重くなっている。重い空気の中、鷲獅子を飛ばせれば、疲労も大きい。王は迂回する事も考えたが、竜の主が異界の少年である事が心に引っかかっていた。補佐官に飛べるところまで飛び、積乱雲をやり過ごした後、飛行を再開すると指示を出し、そのまま飛び続けた。


 竜が騎士を選ぶ基準は明確ではない。竜は性別、身分、年齢に頓着せず、資格ある者を主を選ぶ、と言う。しかし、王はこれまでの経験から、竜騎士にはある共通点があるように考えていた。王はこれまでの治世において、国の内外問わず、既に十五人ばかりの騎士達と会ったが、竜騎士は老若男女関係なく、全て優しい者たちであった。民を思う心強く、義侠心に溢れ、自己犠牲の精神が強い。また、竜騎士には何らかの才能に長けている者もおり、その才を民のために使う。


 しかし、その才能を見せぬまま早死にする騎士が多い事もまた事実であった。特に若い騎士ほど、その自己犠牲の精神から戦場で儚く命を散らす。翻って思えば、自らは既に老齢にさしかかっており、男児はなく、後を託すのは二人の王女のみである。王はこの黄昏の国を次の時代に手渡すため、王国の守護者たりえる良い竜騎士を見つける事こそ老いた自分に残された最後の使命であると考えていた。


――異界の子は戦に向かぬ


飛びながら、王は思った。異界はこちらでは考えられぬほど進んでおり、平和であると聞く。稀にやってくる異界人達は皆一様に、戦とは無関係な穏やかな民であった。過去、異界から竜に選ばれた者もいるにはいたが、数百年の昔の事である。自分が倒れれば、この国は若い女王の国となる。竜騎士がその務めを果たせねば国が荒れる事は必定。もし、異界の少年が騎士の務めを果たせぬようなら……


――殺すという選択肢もある


竜はその主と強い魔法によって結ばれている。主が死ねば、竜も共に死ぬ。雛が成竜となって次竜の卵を産むまでは約二年。卵を産むまで待てば、竜の血脈が絶える事はない。二年ならば、自分が玉座にいる間に次の竜騎士探しを始める事も可能だろう。


 しかし――と王は思った。この国は新たな竜騎士が見つかるまで、十四年もの月日がかかった。その間、度重なる魔族の襲撃と魔素の害で、人口を減らし続けた。新たな竜騎士の誕生は国中が待ちに待っていたのである。なにより、王の竜騎士殺しは禁忌である。王は竜とその主の庇護者であり、だからこそ王権を担保されている。人と竜は古い魔法による契約で結ばれており、この契約に違反すれば竜が次の主を選ぶ保証もない。人と竜が手を取り合ってから、この千六百年の歴史の中で王が竜騎士を殺した例は過去数度しかなく、そのいずれも王に大義があった。


――いずれにせよ、産まれた雛を保護せねばならぬ


王は曇天の中、鷲を飛ばした。




 帰還の報せから三日、王宮内プロスゲロッシ庭園に王と火竜の騎士が降り立った。ここは王宮内における王の私邸である。予定では約ひと月後に国王軍の帰還に合わせ、凱旋式が行われるはずであるが、火急の用にて先行して帰還した王は王都直前で鷲騎士隊と離れ、王都の一般市民の目を避け、火竜公と共に雲上から私邸に降りた。


 物見から報告を受け、数名の下官と共に待機していた宰相はまずは馬人族撃退を寿ぎ、下官に火竜公を客間へ案内するよう命じると、王には留守中の報告を行った。長身痩躯、鼻の下には髭を蓄え、やや怜悧な印象を与えるこの男は、長年王宮に勤め、王の右腕として辣腕を振るってきた。度々、遠征で王都を離れる王に代わって、王不在中の政務もこなす。今回の遠征中も概ね問題なく国務を遂行したが、今回は一つだけ、彼の裁量を越える事態が起きていた。


「雛が孵りました」

宰相は人目をはばかるようにやや小声で言った。


「スレイベンで伝令を受けた。主は異界の子供であると」

「は、日本国の少年とのことです」


――日本か


かつて日本は戦士の国であったが、今は異界でも特に平和な国であると聞く。


「家臣達は既に知っているのだろう?」

「はい、主立った家臣は既に知っておりますが、異界の主への不安を口にする者も多く、まだ外部へは漏らさぬよう箝口令を布いてあります」

「それで良い。いずれは市井にも伝わるだろうが、家臣に不安のある状態で民に噂が回るのはまずい。儂が戻るまでよくやってくれた」


宰相は、は、と一礼した。


「それと雛が孵った時、たまたまステラ様が居合わせまして、以後、主にステラ様が対応なさっております」

「ステラが?」

「は、殊の外、竜の誕生を喜んでおり、アリノも王のご帰還まではステラ様にお任せしてよいだろうと」

「――ふむ」

「今も竜卵宮におられると思いますが、使いをやりましたので間もなくこちらにおみえになるでしょう」


王は頷き、自室へと向かった。




 王が着替えて私室に戻ると、既に第二王女が待っていた。


「国王陛下、ご無事のご帰還なによりです」


かつては自ら竜騎士になろうとしていたおてんば娘の一人前な物言いに王は髭の下で僅かに口元を緩ませた。


「お前も一人前の挨拶ができるようになったな。アリノが白髪を増やした甲斐はあったとみえる」

「あら、私も国王陛下の娘ですもの。当然の作法ですわ」


ステラはすました顔でおどける。


「メリダはまだ戻っていないのだろう?」

「お姉さまは予定通り、数日後の到着になるそうです」


王は頷く。


「本来ならひと月後に戻るつもりだったが、雛の件を知り、鷲を飛ばして帰ってきた。大臣から、お前が対応してくれていたと聞いた。まずは礼を言う」


ステラはカーテシーを返して、王の礼を受けた。


「アリノを呼んだのもお前の判断だろう。よく気が付いた。竜の誕生は国の慶事であるが、主に異界人を選ぶのは異例の事。慎重に動かねばならん」


その言葉にステラは不可解そうな顔をした。


「私はてっきり祝宴を開きにお帰りになられたのだと思っていましたが……」

「祝宴もいずれ開くが、軍を置きざりにして鷲を飛ばしたのは酒を飲むためではない。まずは竜とその主の保護を十分にする必要がある。そして、件の少年が騎士に相応しいかを見極めねばならん」


父王の言葉に微かな不安を感じ取り、ステラは言った。


「竜は彼を選びました。竜は彼には資質があると判断したのではないのですか?」


王はその問いには答えず、あらぬ方を眺めた。


「――竜が選ぶ騎士の半分は十年と持たずに死ぬ。竜が間違うのか、王の力が足りぬのかは分からぬ」


言って、王はその翠の瞳をまっすぐに向ける。


「お前も覚えておけ。王は民ではない。民は竜騎士を崇めるが、王にとっては諸侯の一人にすぎぬ。竜騎士には国の安寧がかかっている。王が民と同じく、盲目に竜騎士を信ずれば、その騎士は遠からず命を落とす。民が新たな竜騎士にどれだけ浮かれようとも、王は騎士の資質に疑念を持ち続けねばならん。王は竜と騎士を守ると同時に、騎士に不足があるのならば、補うように努めるのも竜の庇護者としての役目なのだ」




 父の部屋を出たステラは王として放たれた父の言葉を頭の中で思い返していた。父は必ずしも竜の誕生を喜んでいない。むしろ新しい竜の主に不安を抱いているようだった。


 ステラが物心ついた頃、既に先竜は斃れ、竜卵宮の卵には次竜の命が宿っていた。命が宿った卵は光沢を持ち、美しく光を反射するようになる。ステラは毎日、部屋を訪れては真珠のようにまろやかな光を放つ次竜の卵を眺めていた。


 先の風竜公は慈悲深い方で、民への施しを欠かさなかったという。特に子供に優しく、彼の名がついた孤児院は国内にいくつもある。反面、戦を不得手としており、ある戦場で馬人族の襲撃の波に取り残された村を救おうとした風竜公は馬人族の罠に嵌り、そこで命を落としたと聞く。それから十四年の間、父は竜騎士の不在を埋めようと努めていた。父は一年のうち半分は戦場に出ており、幼い頃は姉と共に帰りを待っていた思い出しかない。父はたまに外交の場で会う他国の王たちの誰よりも日に焼けており、誰もが父を八国一の武勇の王だと言う。父がいない夜は寂しかったが、その身を以て、国を守る父をステラは誇らしく思うと同時に、尊敬していた。


 父が王として身を削っているのを知っていればこそ、竜が生まれた事は嬉しかった。確かに彼は何も知らない異国の少年ではあるけれど、竜がいるというだけで魔族たちは襲撃を手控える。この国の土地も竜の恵みによってまた豊かになっていくはずだ。


――そうよ、あいつに足りないものがあるのなら、私が補ってやればいいんだわ! 私はそのためにいるんじゃない!


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