二章 少女と老人 第二話

 翌朝、目が覚めると既に部屋は明るかった。今、何時だろう?と考えたが、こちらはあちらと同じ時間ではないかもしれない、と気づく。とりあえず用を足そうと思い、扉を出ようとすると、幼竜がそれに気づいて目を覚ました。いつの間にか正行のベッドに潜り込んでいた幼竜は眠そうな目でよちよちとベッドを降り、ついて来ようとする。


「お前も来るのか?」

と声をかけると、そうだ、と言うように翼をばさりと動かした。まあ、いいかと思い、扉を開けると、そこにはジェインが立っていた。


「一晩中ここに?」

と驚いて問うと、

「いえ、夜中は交代してお休みを取らせていただきました」

と笑顔で返された。


「おはようございます。ご用でしょうか?」

ジェインは改めて、用向きを聞いた。

「いえ、用を足そうと」


正行が言うと、手洗いまで連れていってくれると言う。ありがたく付いていくと、長い廊下の端にそれはあった。扉を開けて入ろうとすると竜がついて来ようとする。待っていろと言ったが、聞く様子はない。


――生まれたてでは分からないだろうか?

しかし、神社では言葉で語り掛けてきた事を思いだし、怪訝に思った。結局、幼竜はトイレの入り口まで入り、正行が用を足すのを待っていた。トイレを出て、再度ジェインさんの後をついて部屋まで戻ると、幼竜は自分の寝床に飛び乗った。ふと正行は竜の排泄はどうすればいいのだろうと思い、聞いてみた。


「私も聞いただけなのですが……、幼竜は排泄をしないのだそうです。幼竜のうちは肉と月竜草という草を食べ、排泄をせず、その分、早く成長するそうです。そして、成竜に近づくにつれ、肉を食べなくなり、代わりに宝石や金銀などの貴金属を時々食べるようになると聞きました」


正行はそうなんですね、と返したが、心の中でこれは困った事になったと思った。主という事は飼い主になれという事だろうが、こいつはとんでもない食費がかかるぞ。このままこっちにいることになれば、こいつを食わせていかなきゃならない―― 


 正行が考えていると、ジェインが朝食を運んできた。パンと卵料理という昨日の夕食に比べれば、見た事があるような平凡なメニューだったが、量はたっぷりとあり、味も満足のいくものだった。


 面白かったのは、食後にジェインが歯ブラシを出してきたことだ。日本で見る歯ブラシと違い、木でできた小さな棒の先に毛が植え込んであり、それで歯を磨き、爽やかな香りのするハーブが入った水で口を濯いだ。よく物語で見るような異世界は中世的で文化も発達していないが、この世界は現代により近いかもしれない。少なくとも、トイレや歯ブラシを見る限り、衛生面はかなり発達しているように思われる。ただ、部屋には電灯がなく、ランタンが備え付けてあるところを見ると、電化製品等の発明は為されていないだろうと推測できた。


 歯を磨き終えると、ジェインから白いシャツと黒のズボンを差し出された。素材やデザインはやはり日本のものとは違うが、着方はなんとなくわかる。まあ、こんな感じだろう、と、渡された服を着終えると、扉を叩く音がした。はい、と返事をすると、扉が開いて、ステラが現れた。昨日の彼女の様子を思い出し、正行はやや緊張したが、朝だからだろうか、昨日ほど不機嫌ではないように見えた。


「おはよう、よく眠れた?」

「うん、ありがとう。おかげさまで」

「メイスターは朝のお仕事があるから、昼頃に伺うと言っていたわ。竜はどう?」

「こいつもぐっすり眠って、たっぷり食べたよ」

ステラは頷くと、寝床に収まって彼女を見上げている幼竜を興味深そうに見つめて言った。


「本当に美しい。想像していたよりもずっと」


ジェインが椅子を二組運んで来て、竜の寝台の傍らに置く。ステラはその一方に腰を下ろし、幼竜に見入る。愛おしげに竜を見る美しい少女を正行は不思議な気分で見ていた。


 正行ももう一方の椅子に座りながら、幼竜を見つめるステラに聞いた。

「君は竜を見たのは初めてなの?」

ステラは首を振った。


「他国の竜ならあるわ。竜は国によって姿が違うの」

彼女は竜を見ながら、言葉を続けた。


「この国の前の竜は私が幼い頃に亡くなったから、この国の竜を見たのは初めて。この国の竜は透き通るような薄い水色の鱗で長い首を持つと聞いて、どんなに美しい竜だろうと想像していたけど、想像よりもずっと綺麗ね」


 正行は確かに美しいと心の中で同意した。白縹色の鱗は竜が動くたびにきらきらと光を反射し、碧い宝石のような瞳は好奇心に満ちている。正行は聞いてみた


「竜が好きなの?」


その質問にステラは虚を突かれたような顔をした。はっとした表情が美しく、正行は焦った。

「いや、昨日はあまり歓迎されていないようだったのに、今日はなんだか楽しそうだから……」


言って気づいた。

――しまった


余計な一言だったかもしれない。正行の心境を察してか、ステラはくすりと笑った。

「昨日はごめんなさい。不審者が卵の部屋に入り込んだと思ったものだから」

と言いながら、正行の顔を見て笑う。


「それに、竜があなたを選んだ事に嫉妬して、少し冷たかったかもね」

「嫉妬?」

「うん。次の竜騎士には私がなりたいと思ってた。剣の鍛錬も軍の勉強もしてきたけど、この子は私では不満だったみたいね」


そう言って、ステラは少し寂しげな顔をした。


「毎日、卵を見に行っていたんだけど、昨日は部屋に入るとあなたがいて驚いたわ」

正行はそうだったのか、と理解した。

「驚かせるつもりはなかったんだけど……。竜騎士って何?」


ステラは微笑んで首を振った。

「いいのよ。竜騎士は竜に選ばれた騎士。竜と共に国を守る者。軍に入れる女は少ないけど、竜騎士になれば別。竜の力がもらえるから……」

そう言ってステラは幼竜を一撫でした。


「竜の主は王族から選ばれることも、平民から選ばれることもあるし、武勇に優れた騎士もいれば、学問に秀でた騎士もいる――」

その翠の瞳は愛しそうに竜を見つめている。


「今の氷竜候なんて、女なのに武勇に優れ、北部では並ぶものがないとされているわ。私じゃ氷竜候ほどにはなれないかもしれないけど、ずっと竜に乗って空を飛ぶ日を夢見てた。この国の竜は他のどの竜よりも速く飛ぶのよ」

竜の話になると饒舌に話すステラに正行は驚いた。

「他の国にも竜がいるんだね」

ステラは頷いた。


「昔はたくさんいたみたいだけど……今は八頭の竜の血統が残っているわ。卵から孵っていない竜が二頭いるから、今はこの子も含めて六頭がいることになるわね」

楽しそうに話すステラを見て、つい愚痴がこぼれた。

「こいつも君を選べば良かったのに……」

あら、とステラは言った。


「竜に選ばれるのは栄誉ある事よ。国にただ一人しかいない王国の守護者。守るのはあなたの生まれた国じゃないのは確かだけど……」

「ああ、そこが問題だ。いきなり知らない国に連れてこられて、主になれとか守れとか言われても困る」

正行はただ本音を言っただけだったが、その言葉に少女が驚いたような表情を浮かべた。


――しまった、別に八つ当たりしたいわけじゃないのに

正行の言葉を聞いた彼女は俯いた。

――謝らなくては……

「ご……」

「異界には――」

空中で言葉が衝突した。彼女は、いいわよ、とでも言いたげにくすりと笑い、そのまま続けた。


「異界には竜も王もいないと聞いたことがあるわ。こっちとは随分違うんでしょう?」

「――うん」

と答え、正行は考えながら、続けた。


「向こうでは竜は物語の中にしかいない。人の味方か敵かは物語による……かな。王の代わりに天皇陛下って方がいらっしゃるけど、多分、こっちの王様とはかなり違うんじゃないかな」

「身分の上下や男女の区別もないと聞いたわ」

「う~ん、年齢や立場で上下の意識はあるけど、生まれ持った身分や性別は平等ということになってるかなあ?」


平等……とステラは呟いた。


「誰もが村の子供たちのように上下分け隔てなく、仲良く暮らしているという事かしら?」

「誰もが仲良く、というわけでもないけど、多分こっちよりは気さくかもね」

ふふふ、とステラは笑った。


「どうりであなたは物おじせずに話すのね」

正行は笑われた理由が分からず戸惑った。

「え? 普通に話してるつもりだったけど……」

「だって、私はこの国の王女よ?」

いたずらっぽい目でステラは言った。

「は?」

ステラは固まった正行を見て、あははははと笑う。


「私はこの国の第二王女ステラ。ここは王宮よ」

「君、王女様なの!?」


正行は驚いて思わず立ち上がってしまった。王女なんて生き物をこの目で見るのは生まれて初めてである。いや、王女などより竜の方がよほど珍しいのだが、王女様が日本の平民である自分とまるで同級生のように話していた事に驚いてしまった。


「え……え~と……、王女様がなぜワタクシなどと気安くお話をなさっていたのでしょうか?」

なんとか絞り出した言葉はぎこちなかった。正行は王女なんていう生き物にどう接すればいいのか分からなかったが、とりあえず丁寧そうな言葉を選んで話す努力を試みた。


「そうねえ~……面白そうだったから?」

彼女はにやにやしながら、正行の反応を楽しんでいた。何をどう言えばいいのかわからず、固まった正行をたっぷりと観察した後でステラは笑いながら言った。


「私の事を知らない子に会うのが珍しくてついからかっちゃったのよ。どうせあなたのいた世界じゃ身分なんて気にしないんだし、いいでしょ?」


 いくら日本が平等社会とはいえ、どこかの王女様と会う事があったらがちがちの敬語で話すに決まっている。異世界の王女様にはそんな事言っても分からないだろうが――ぱくぱくと反論するように口を動かす正行にステラは呆れたように続けた。

「別にいいじゃない。それに王を除けば、王族と竜騎士に身分の上下はないわ。あなたはまだ叙任されていないけど、そのうち竜騎士になるんだから、拘らなくてもいいわよ」


そう言ってステラは立ち上がった。


「それに、あなたは私から竜を盗ったんだから、代わりに友達くらいなってくれてもいいんじゃなくって?」

 ステラは呆けて固まった正行を見て、満足げに笑うと、またね、と言い、口を開けたままの正行の代わりに竜がクエ、と鳴いて彼女を見送った。

 正行はステラが去ってからしばらく椅子に座って呆けていたが、次第にその衝撃も和らいできた。あの不意打ちには確かに驚いたが、よくよく考えれば、異世界に飛んだり、目の前でドラゴンが生まれた事に比べれば、大したことではない。


――それに


と部屋の隅の骨壺をちらりと見た。彼女に明るい気持ちを分けてもらったような気がした。



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