二章 少女と老人 第一話
目を覚ますと、どこかの部屋の寝台に寝ていた。神社ではない。教室くらいあるだろうか。広い、洋風の雰囲気がある部屋。窓の外は暗く、部屋の壁にはランタンがかけられている。寝台の隣にはベビーベッドのような台があり、中では先ほどの生き物がすやすやと寝息を立てていた。中央にはテーブルが一つ。壁際には高級そうな調度品が並んでいる。そのうちの一つには自分の服と正行の母のバッグ、そして、母の骨壺が置かれており、それを見て正行はほっとした。
疑問はいくつもあった。夜の神社にいたのに、一瞬の後には昼の見知らぬ部屋にいた。そこにいた女の子は外国人かのように見えたが、彼女は明らかに日本語を話していた。それと、この謎の生物。
正行はもう一度、その生き物を見る。大きさはニワトリくらい。全身を覆う、淡白な水色の鱗。爬虫類なのだろうか。しかし、先ほど触れたその体には犬や猫のような温かみがあった。ヘビやトカゲとは、顔の印象も違う。それに前足、後ろ足と四本の足がついている上、背中にはコウモリに似た形の翼を持っている。
「……ドラゴン?」
まさに物語に出てくるドラゴンのように見える。しかし、彼らは物語には出てくるが、図鑑に出てくる事はない。
こんこん、と扉を叩く音が聞こえた。正行が返事をする前に扉が開く。入ってきたのは、老人と先ほどの女の子だった。おや、と老人は言った。
「お目覚めでしたか」
「はい」
「倒れられたとお聞きし、勝手ながら、部屋にお運びいたしました」
老人の言葉は流暢な日本語で癖もない。長髪に白髪交じりの頭で六十代くらいだろうか、背はしゃんと伸びており長身だった。着ている服はイギリスの歴史物の映画で見るようなローブらしきものをまとっている。出で立ちは異様だが、顔は日本の老人のように見える。
――しかし、傍らの少女は……
淡い金髪と綺麗な緑色の瞳、肌は透き通るように白く、服は裾の広がった高そうなワンピースで全身を包んでいる。一見、ヨーロッパ系のような印象を受けるが、顔の作りは白人のように立体的ではない。アジア系のような面差しに、金の髪と緑の瞳。それがなぜだか均衡が取れていて、それが強く印象に残る。美人――なのだろうが、今の彼女はどこか不機嫌そうな雰囲気をまとっていた。
「私はステラ」
彼女は短く言って、会釈をした。
「こちらはメイスター・アリノ。異界の出ながら、現在は王宮の相談役をなさっています」
――王宮?
横にいた年配の男が会釈した。
「アリノと申します。三十年以上前に日本からやってまいりました。お客人は察するに日本から来たのではないかとお見受けいたしますが……?」
――日本?
老人からよく知った国の名前が出て、正行は思わず身を乗り出した。
「はい。鷹見正行といいます。ここには来たくて来たわけではなく、いつの間にか気づいたら来てしまっていて……」
少女と老人はちらりと視線をかわした。
「竜に呼ばれて異界を超えられたのですな。さぞ戸惑われた事でしょう」
「竜?」
正行は聞き返し、はっと気づいて傍らで眠るドラゴンを見た。
「はい、稀に異界から人が来ますが、来てすぐにこちらの言葉を話せる者はおりません。例外は竜に呼ばれた者のみとされています」
言われて正行は神社での不思議な現象を思い出した。悲しみに沈んでいた正行に語り掛けてきた声、正行にこちらに来いと呼びかけていた……。
「お年はおいくつですか?」
「……十六です」
混乱を抑えながら、正行は答えた。
「私と同じね」
ぼそり、と少女が言う。
「ここはイエロス大陸にある風竜国という国。あなたのいた世界とは違う世界にある国です」
――違う世界
正行は愕然とした。あの声は「コッチニ来テ」と言っていた。異世界物語はゲームでもアニメでもありふれている。正行もそういった話を楽しんでいた。しかし、それは物語の中だからこそ受け入れられたが、いざ自分の身にそんな事が起こると信じられないとしか思えなかった。
じっと見つめる二つの視線に気づいて、正行は言葉を絞り出した。
「竜……というのは、この生き物のことですか?」
「はい、神聖な獣です。あちらの世界では伝承が残っているのみですが、お聞きになられたことはあるでしょう」
その竜はまだすやすやと穏やかに眠っている。
「竜は国を守護する存在とされています。国土を豊ませ、王国と王権を守ります」
アリノと名乗った老人は言葉を続けた。
「竜は生まれる時に自らの主を選びます。竜は主にその力を分け与えます。あなたは竜に選ばれた。あなたがこちらの言葉を理解できるのもその力の一端です。主は大抵、その国の国民から選ばれますが、稀に異界の者を選ぶことがあり、あなたのように次元を超えて呼び寄せる事があると聞きます。過去にも異界人が竜に選ばれた記録は残っています」
正行は混乱を続ける頭でゆっくりと言葉を反芻しながら、質問を紡ぎ出した。
「……この竜にこちらに連れてこられたということですか?」
「はい。伝承では竜は資格ある者を選ぶ、とされています。あなたは選ばれ、こちらに喚ばれた、という事です」
「アリノさんも選ばれてこちらに?」
老人は小さく首を振った。
「いえ、私は事故で偶然にこの世界にやってきました。向こうからこちらに来ることはそれほど稀な事ではありません。大抵の場合は、来てすぐに亡くなりますが、私は運良く生き延び、こちらで暮らす事になりました」
最後に正行は一番気になっていた事を聞いた。
「向こうに帰る事はできるんですか?」
アリノは少し考え込み、そして、首を振った。
「昔、私も考えたことがあります。来ることができる以上、帰る事もできるのではないかと。……向こうの世界に残る竜の伝承はこちらから伝わったものではないかと。そう思って、何年も調べましたが、過去、こちらから向こうに行ったと思しき例は見つかりませんでした」
正行はそれを聞いて、心が重苦しくなるのを感じた。それを察したのか、ステラが口を開いた。
「メイスターとはいつでも話せるわ。落ち着いてまた話すとして、今日は夕食を食べてもう休んだら?」
正行にはまだ聞きたい事があったが、腹が減っている事にも気が付いた。そういえば、丸一日(本当にそうか?)何も食べていない。今までそれどころではなかったが、空腹に気づいたら、途端に何か食べたくなってきた。正行が頷くと、ステラは言った。
「食事を運ばせるように言うわね。扉の外には人をつかせているので、何か用があれば、その者に」
そう言って二人は立ち上がり、部屋を出ていこうとした。
「あの……、ありがとうございます」
正行が二人の背中に投げかけると、二人はちらりと振り返り、老人が一礼してから、扉から出ていった。
正行は今聞いた話を整理しようとした。――横で眠るこの生き物は竜だと言う。どんな魔法か知らないが、この竜が正行をこちらに呼んだ。正行を自らの主とするために。神社での声は乗せてやると言っていた。姿を見せろとは言ったが、主になると言った覚えはない。それでも、こちらに来て卵からこいつが生まれたという事は、既に自分は主になったということだろうか?
――ふざけるな
勝手にわけのわからないところに連れてきて、主だなんだと言われても受け入れられるものではない。さっきの老人はひどく丁寧に自分に接していた。アリノという老人の話では帰る方法はなさそうだったが、竜とやらが言葉を話せるのなら、こいつに頼めば帰れるかもしれない。正行は傍らで眠る生き物を見た。こいつがこっちに連れて来たんだ。連れてくる事ができるのなら、帰すことだってできるに決まっている
そこまで考えて正行は思い出した。
――帰ってどうする?
帰っても母は既にいない。今頃、誰かが病院から抜け出した自分を探しているだろうか? それとも、自分がいなくなった事には誰も気づいていないだろうか?
その時、誰かが扉を叩いた。失礼いたします、と声がして、女性が入ってきた。
「お食事をお持ちいたしました」
彼女は車輪のついた食事台をベッドの横に運んできて、一礼した。
「主様の身の回りのお世話を仰せつかりました、ジェインと申します。何なりとお申し付けくださいませ」
柔らかな雰囲気の女性はそう言って、また一礼し、部屋の入口まで下がっていった。
ジェインと名乗った女性が運んできてくれたその料理は、料理名は分からなかったが、ひどく豪華で美味しそうに見えた。正行はまだ自分の置かれた状況に納得は行っていなかったが、とりあえずは、ありがとうございます、と声をかけ、手を付けることにした。胃は空っぽでぎゅるぎゅると鳴き出し、口の中にはつばが湧いてくる。さっきまで働いていた脳みそは既に回転を止め、目の前の料理にのみ集中している。そこに慣れ親しんだ箸はない。が、横に添えられたナイフとフォークくらい使う事はできる。とにかく今は食べたくてたまらなかった。まずは一番美味しそうな肉の塊にフォークをぶっ刺すと、そのままがぶりとかぶりつく。
「うまい……」
噛むとジューシーな油と共に旨みがどばっと口の中に広がった。
――鶏肉かな?多分……
そう思いながら、次はつけあわせの野菜らしきものを口に運ぶ。これもうまい。人参を甘く炒めた料理のようだが、人参特有の臭みがなく、軽い甘さとさわやかな香りが鼻に抜ける。どの料理も抜群に美味しく、食材もさぞ高級だろうと思わされる。
無心になって空っぽの胃に料理を放り込んでいると、目の端でもぞもぞと何かが動いた。そちらを見ると幼竜がこっちを見つめている。
「すみません!」
声をかけると、ジェインは心得た顔で扉の外からもう一台の食事台を運んできた。
「竜様のお食事もご用意ございます」
そういって、生の肉を一盛りと見たことのない野菜を竜の前に差し出すと、竜はがつがつと食べ始めた。二人は皿が空になるまで一心不乱に食べた。竜は食べ終わると、満足げにぐるるると喉を鳴らし、寝床に戻って丸まった。正行も腹が満たされて、また猛烈な眠気が襲ってきたので、一旦、考えるのはやめにして、もう一度寝ることにした。ジェインに「とりあえず寝ます」と声をかけ、返事も聞かぬまま横になると、沈むように眠りに落ちていった。
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