ワナビちゃんがみんなの足を引っ張るだけの話

よしお

第1話

「わなびちゃーん、こっちこっち」

 食堂の隅から声がした。私はそこに友人を見つけ、小走りで駆け寄る。

 どこのサークルにも所属していない私たちにとって、唯一日常的に大学で集まれるスペース。それがこの食堂だった。

「えしちゃーんお待たせ-。昨日ツイッターに上げてた絵すごくよかったよー」

「本当にー? わなびちゃんのふぁぼ、爆速過ぎて条件反射で押してるだけに見えるからなー」

 皮肉っぽく笑うけど、それが照れ隠しなのは分かってる。

 彼女はイラストレーター志望の女の子で、本名をもじって私たちは「えしちゃん」と呼んでいる。絵師をやっているえしちゃんだ。

「わなびちゃんは? 次の投稿作、書けた?」

「うぅっ」

 いつもながらあっさりめの問いに、返答を躊躇する私。

 本名は大和奈美。後ろの三文字をもじって『わなびちゃん』。

 大学に入ってから付けられたあだ名は私のアイデンティティそのものだ。

「ツイッター見てる前にすることがあるんじゃなーい?」

「だってぇ、書いてるうちにどんどんつまらなく感じてきちゃって……」

 ワナビ。

 今更説明しなくたって、わかるよね?

 そう、私は小説家志望。

 もっと細かく言うと、新人賞受賞を狙うライトノベル作家志望。

 I wanna be a writer. 要するに私はなりたいんだ。ラノベ作家に。

 大学に入ってから二年とちょっと。新人賞には五戦全敗。最近はラノベといってもレベルが高くて、ちょっと文章が書けるぐらいじゃ一次選考を通るのも結構難しかったりする。

「そ、そういえばっ、うたちゃんが話したいことってなんだろねっ?」

「ん? 今日はぴーちゃんの招集でしょ?」

 私たちはお互いの言葉に首を傾ける。そんなとき、都合よく二人は現れた。

「今日はうたのために集まってくれてありがとーっ」

「うるさい、ふざけるな」

 可愛いアニメ声でポーズを決めるうたちゃんと、それに対して冷静にツッコミを入れるぴーちゃん。

 二人は共に音楽関係の業界を志望しているだけあって、一緒にいることが多い。うたちゃんは歌手、ぴーちゃんは作曲家だ。どうにも音楽性の違い? とかなんとかで一緒に曲を作ることはないけれど、端から見る分には息ぴったり。

「……今日は真面目な話」

 ぴーちゃんはいつも無表情だけれど、そう言う顔は引き締まっている。

 どうしたんだろう、改まって。

「チャンネル登録者が二百超えたとか?」

 私の解答にぴーちゃんは首を振る。この前ようやく百を超えたとかで喜んでたからイイ線だと思ったんだけど、違うみたいだ。

 弱小クリエイター(志望)の私たちにとって、重大な発表のほとんどはフォロワーやチャンネル登録者の数、リツイートやふぁぼ、そして新作が新人賞にカスりもしなかった報告などなど。

 チャンネルじゃないとすると、新作の発表とかかな? でも今更それだけでみんなを呼び出すほどぴーちゃんは初心じゃない。

 とするとなんだろう。運命共同体に近しい存在である私たちだから、やっぱり良い報告だと嬉しい。そうだっ、内容次第ではお祝いの飲み会を開いてあげよう。先週のえしちゃん二十リツイート記念は焼鳥屋だったから、今度は……

「デビューすることになった」

「ん?」

 耳慣れない言葉だった。えしちゃんが聞き返す。

「大学デビュー?」

「……違う」

「すごいのよ、うたとぴーちゃん、二人でインディーズのCDデビュー!」

 うたちゃんが両手が広げる。ふりふりした洋服の生地が私の横顔をかすめた。

 その後、二人は自分たちのデビュー内容について詳しく教えてくれた。有名な地下アイドルの事務所が目を付けてくれただとか、プロデューサーが敏腕だとか、女子大生ユニットとして売り出す計画があるだとか。

 そんなことよりも私は、ぴーちゃんの口調がだんだんと早くなっていくことばかりに気を取られていた。


「すごいね?」

 打ち合わせがあるからと二人が帰った後、えしちゃんに向かって呟いた。なんで疑問形になってしまったのかは、わからない。

 えしちゃんは何度か口ごもってから、こう言った。

「すごい……っすね」

「なんで敬語?」

「あ、いや、プロには敬意を示さないと」

「まだプロじゃないよ、インディーズって、同人みたいなものでしょ?」

「……わなびちゃん詳しいね」

「それほどでも」

 私は机の下で光るスマホの画面を消しながら、えしちゃんに笑いかける。

「それに今話してるのは私だよ。わなびちゃんだよ。まだまだ全然、プロでもなんでもないワナビの私だから、大丈夫だよ」

「そっか……万年一次落ちのわなびちゃんにならタメでも許されるかぁ……」

「い、一回は二次までいったもん!」

 必死に誤解を訂正する私に、えしちゃんはようやくいつもの笑顔を見せてくれた。

 皮肉屋だけど、どこか飄々としていて、それでいて絵を描くのが大好きな女の子。そんな彼女と出会えたのが大学に入って一番の幸運だ。

 その日、私たちは二人で居酒屋をハシゴした。


     ◇


 しばらくの間、うたちゃんとぴーちゃんは集会に現れなかった。

 私たちはというと、毎日のように食堂へ集っていたけれど。

「なにがそんなに悪いのさ?」

 若干の棘が立つような口調で、えしちゃんが言った。一瞬それが自分に向けられたもののような気がしてぎくっとする。

 ……や、別に思い当たる節はないけどね?

「どうしたの?」

「昨日上げた絵、自信あったのに」

 えしちゃんはスマホの角で机を叩く。画面に映ったツイッターの通知欄は真っ白だった。

 彼女の絵は、決して下手ではない。と、少なくとも私は思う。その割にフォロワーやリツイートが少ないのは、きっと他に理由があるのだ。

「……ウマとか、書いてみたら?」

「やだよ、そんな同人ゴロみたいな真似、死んでも嫌」

「でもぉ……数字、すごいよ?」

「うるさい」

 明らかに苛立っているときの声だった。なんだか私は怖くなった。

「大丈夫。えしちゃんの絵、私は好きだよ」

「一人に好かれても意味ないんだよ……」

 それ以上、私はなにも言えなかった。


 あの後もえしちゃんの様子はおかしかった。私が話しかけてもうわの空っていう感じで、ずっとスマホと睨めっこしていた。夕方頃に解散するとき、彼女がいつもみたいに手を振ってくれることはなかった。

 お家に帰ってからパソコンの電源をつけ、ちょっとだけ迷った。

 小説を書くか、アニメを見るか。

 私が狙っているラノベレーベルの新人賞は年に二回の締め切りがあって、次の締め切りは三ヶ月後。本当ならそろそろプロットを完成させている予定だったけど、最近はサボり気味でまだ半分も出来上がっていない。

 迷った末、ベッドに寝転がってツイッターを開いた。

「……ん?」

 現実逃避の果てに見かけたのは、えしちゃんのツイート。


『ウマ娘始めました!』


「あんなに嫌がってたのに」

 どんな心境の変化だろう。孤高のオリジナル派で二次創作嫌いのえしちゃんが人気コンテンツに乗っかるだなんて。もしかして、私の言う通り数字の魔力に惹かれて?

 つい昨日まで百前後だったえしちゃんのフォロー数は二倍に膨れ上がっていた。どう見てもフォロバ狙いだ。

 ちなみにフォロー先を確認すると、どの人もウマ娘の二次創作絵を描いている絵師さんだった。しかも全員フォロワー数一万人以上。

 えげつない! 露骨すぎるよえしちゃん!

 そんな叫びを込めて、彼女のツイートにハートマークを押し付けた。餞別である。


 しかし数週間後、えしちゃんからLINEが届いた。

『案件が来たからこれから忙しくなるかも。しばらく会えないから、ごめんね!』

 意味不明だった。

「あん……けん……?」

 辞書で調べてみると、問題になっている事柄、と書いてあった。

 なるほどなるほど……

「大問題だよ!」

 私は大慌てで大学の講義室から飛び出た。必修の単位よりも数少ない友人の方が大切だった。

だって私にとって、えしちゃんは……

 えしちゃんは……

「……なんで問題なんだろ?」

 そうだ。全然問題なんかじゃない。辞書アプリをもう一度見ると、案件の項目の続きには、取り扱っている商談、とも書いてあった。

 商談。ビジネスだ。えしちゃんがお仕事の依頼を受け取ったのだ。

 会えないぐらい忙しくなる案件だ。きっと大きなものなんだろう。

 私は、震える指で、スマホを操作した。「よかったね。頑張って」。そう送るだけのことに一時間ぐらいはかかったと思う。

 体力を使ったせいか、やたらとお腹が空いて食堂に寄った。

 席を探して、私は自分が一人であることに気が付いた。いつもの四人掛けのテーブルに一人で座る勇気はなくて、窓際のカウンター席に、座った。


     ◇


 さて。

 私はパソコンの前で腕を組んだ。

 画面にはテキストエディタのまっさらなページ。『大賞を狙う』と題されたそのファイルには、未だ一文字もテキストは打ち込まれていない。

 この前途中までプロットを進めていたあれは、没になった。あれは自分の趣味を題材にしたアイデアで万人受けするタイプではないからだ。

 早くみんなに並ばないと。

 そのためには、手っ取り早く万人受けする作品を作るべきだった。わかりづらいシリアスよりわかりやすいラブコメ。重厚なファンタジーより軽快な異世界転生だ。

 ……よし!

 気合を入れて新作ラノベのページを開いた。

「まずはアイデア収集かな!」


     ◇


 新人賞の締め切りまで、あと二ヶ月だった。

 本文はまだ書けていない。でも大丈夫。良く出来た小説は、プロットでほぼすべてが決まる。良い設計図さえ出来てしまえば、あとはそれをなぞるだけ。

 まあ、そのプロットも半分しかできてないんだけど。

 私は現実逃避をするために、アニメを見ながらポテチをつまみ、ストロングゼロを片手にツイッターのタイムラインをスクロールした。

「学校サボって飲むお酒おいしーっと。あ、誤字った、まあいっか」

 酔った手が変なところをタイプするけど気にしない。酔ってるときは何をしても許されるのだ。学校をサボっても、誤字をしてもいい。

 お酒のおいしさを教えてくれたうたちゃんに感謝しよう。天に向けて両手を擦り合わせた。うたちゃんナイス。

 あーあ、ほんとは一人じゃなくて、みんなと一緒に飲みたいのにな。

 私は初めて四人で飲み会をやった日のことを思い出した。

 浪人生だったうたちゃんが勝手に人数分のビールを頼んで、嫌がるぴーちゃんに無理やり飲ませて、えしちゃんは苦いのが無理だった私に代わって二人分を飲んでくれた。

 結局みんなで甘いお酒を頼みなおして、慣れないアルコールをちびちびやりながら将来のこととかを話したんだ。

 えしちゃんは有名イラストレーターになって、アニメのキャラデザをやる。

 うたちゃんはアニメのOPで一躍大人気になって、アイドル歌手としてソロでドームを埋める。

 ぴーちゃんは売れっ子作曲家になって、カラオケの印税だけで暮らす。

 そして私は、ラノベの新人賞を取ってデビュー作がアニメ化。そのまま二期、三期、劇場版が出て大御所ラノベ作家として業界のご意見番になるんだ。

「げふ」

 アルコール味のげっぷを噛み締めながら、昔を懐かしむ。

 あのときは楽しかったなぁ……

 そんな感傷に耽っていると、タイムラインをスクロールする指が止まった。

 ぴーちゃんが上げた、短い動画だった。

 恐る恐るそれを開くと……どこだろう。広くて、明るくて、スタジオみたいなところで汗を流すうたちゃんの姿が映っていた。

 なにかを口ずさんでいる。歌? 聞いたことない曲だった。アニソンとボカロの中間みたいな、でも、どこか聞き覚えのあるメロディで。

 ……あ、そっか、ぴーちゃんが作った曲なんだ、これ。

 ツイートは動画だけで、特にコメントはついていなかった。彼女がどういう意図でそれをアップしたのかはわからない。

 二人とは、あの日以来会っていない。

 えしちゃんも、あのLINEが来てからは連絡を取っていない。

 私だけが、何も変わっていない。


     ◇


 締め切り一週間を切っていた。

 進捗は残り二割。文字数でいうとあと二万文字くらい。

 私はモンエナの缶を握り潰しながらキーボードに向き直った。

 さっきまで書いていた文章をチェックして、思わず漏れるため息。プロット通りに作っているはずなのに、全然思ってたような面白さじゃない。というかむしろ……

「……大丈夫、大丈夫」

 自分に言い聞かせて不安を押し殺す。ここまできたんだ。やるしかない。大丈夫。きっと何度も読み返しすぎて感覚が麻痺しちゃってるだけなんだ。それに今回の応募を逃したら、次は半年後。修正なんてどちらにしろ入れてる余裕はない。

「やるぞー」

 動悸が速いのは、きっと取りすぎたカフェインのせい。緊張なんてするはずがない。

 大丈夫。私は今までやる気がなかっただけで、その気になればみんなと同じところにいけるはずなんだ。

 だって同じ大学なんだから、頭の出来は一緒のはずでしょ?

 文章を書いた。

 何度も立ち止まって、見返して、文字を書いた。

 エンターキーを叩く音が、一人暮らしの部屋に、響いた。


     ◇


 ――半年後。

 私は食堂のテーブルについて、出版社からの封筒を開けた。

 中の紙を確認して、目を閉じる。なかば予想はしていた。たしかにショックだけど、覚悟していただけあってダメージは少ない……ということにしておこう。

 それよりも練習の方を優先した。私は空席に向けて言葉を発する。

「久しぶり、えしちゃん。あのね、私……ええと、新人賞、いいとこまでいったんだけど」

 ここで息継ぎ。そして苦笑を浮かべる。

「最終選考で落ちちゃった。でも次からは編集者さんがついてくれて、他の人より有利な条件で応募できるんだ。あともう一歩だから、遅くとも来年には――」

「わなびちゃんっ!」

 懐かしい声がした。

 結果通知を封筒に仕舞って、私も彼女と同じように手を振った。

「えしちゃん、こっちこっち!」

 数ヶ月ぶりに会ったえしちゃんは、前に見たときより痩せているような気がした。案件が思っていたより忙しいのかもしれない。それなのに会いに来てくれるだなんて。

 四人掛けの席でえしちゃんを迎え入れ、私は練習通りに口火を切る……予定だった。

「うたちゃんとぴーちゃんの話、聞いた!?」

「へ……?」

「ニュースにもなってたじゃん!」

 なにそれ。全然知らない私にえしちゃんは教えてくれた。なんでも二人がスカウトされた事務所は倒産寸前の赤字経営で、複数の業界志望者からレッスン料として金銭をだまし取っていたそうだ。もちろんデビューなんてできない。なんなら人によっては風俗店でデビューさせられかけたとかで、事務所の社長が逮捕されたらしい。

「じゃあ、うたちゃんたちは……」

「インディーズどころか、CDすら作ってないよ……」

 酷い話だった。二人はどれだけ時間を無駄にしたんだろう。教えてくれたときはあんなに嬉しそうにしてたのに。本当はただ騙されて、お金まで取られて。

 可哀想に。

「あ、でも、えしちゃんは」

「それ……なんだけど」

 彼女は頭を下げた。テーブルに額がくっ付きそうになるほどだった。

「ごめん!」

「え?」

「私……本当は案件なんて受けてない。仕事なんてしてない。ただ、別のアカウントを作って、それで自分の実力を試してただけなの」

「ど、どういう……?」

「だから要するに……全部、嘘っていうか」

 えしちゃんは絞り出すような声で告げて、ツイッターの画面が開かれたスマホをテーブルに乗せた。

 そこには、ウマ娘を始めとした流行りのコンテンツの二次創作絵ばかりをアップしているアカウントが表示されていた。フォロワー数は前のアカウントより多かったけど、絵に付いたリツイートの数は前とあまり変わらなかった。

「結局さ、実力がないんだ」

「そんなこと……」

「あるよ。十分にわかった。私、センスないみたい」

 憔悴しきった彼女に対して、何もかけてあげる言葉が見つからなかった。

 皮肉屋で、志の高かったえしちゃんが、こんなにボロボロになって帰ってきたのに。

 私はいったい、何をしてるんだろう?

「そういえばわなびちゃんの話したいことって?」

 えしちゃんを呼び出したのが自分だったことを思い出す。

 でも……

「えしちゃんとまた会えたから、どうでもよくなっちゃった」

「わなび……ちゃん?」

「ね、大丈夫だよ。うたちゃんとぴーちゃんも呼んでさ、また飲みにいこうよ。数字とか、デビューとか、どっちでもいいよ。私はえしちゃんの絵も、うたちゃんの歌も、ぴーちゃんの曲も、みんなと遊ぶことも、全部好きだよ」

「っ……ごめん、本当に、ごめんねっ……」

 ぐずぐずと泣き出すえしちゃんの肩を叩きながら、私は優しく声をかけた。

 これでいいんだ。

 大学の食堂の、隅のテーブル。ここには四人分の席がある。

「うたちゃんとぴーちゃんが来るまで、待ってよっか」

 そう言って私は、一次選考落選の結果通知が入った封筒を手の中で握り潰した。

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