218 【GW企画】ロッジ『小説の技巧』みたいなやつ②「一人称小説の豊穣:人物描写」

◆「一人称小説の豊穣:人物描写」


久生十蘭『だいこん』(1949)部分

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 うちの賢夫人は丑年うしどし生れの大人物で、覚悟をきめて坐りだしたら、背筋をおッ立てたまま、まる一日でも動かずに坐っていることができる。娘時代はひどい物臭さで、お琴も、お花も、ピアノも、手芸もうるさいことは一切やらず、一日中、居間でしんとおしずまりになっていた。パパは懶惰の美とでもいうようなのろのろの魅力にひっかかって結婚を申し込んだが、コセコセした才女型が外交官のお嫁さんの定型だった時代なので、法王庁におけるルーテルのように各方面から非常なヒンシュクをかったということだ。

 パパ説では、妻君というものは、いるようないないような、たとえば雨とか虹とか、そういう自然現象のように、なんとなくまわりにトーヨー(たゆたい、漂うこと)しているのが理想なんだそうだが、新婚早々、二人で旅行したとき、汽車が東京駅を出て神戸へ着くまで、ママが姿勢を崩さずに悠然と坐っていたのにはおどろいて、こいつは馬鹿でないのかと心配したそうだ。

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「かしこまりました、夫人おくさま」

「ふざけるのはいい加減にしておきなさい。あなたっていったいどういうひとなんでしょう。こんな特別な日に平気な顔でいられるというのは」

 平気な顔ってどんな顔のことか知らないけど、あたしの顔は生れつきこんなベティさんみたいな顔なんだ。頭の鉢はうんとおっぴらき、眼はびっくりしたようにキョロリとし、鼻は孫の手みたいにしゃくれている。おかあいらしいなんていってくれるひともあるけど、それはフロイドのれいの〈言いちがい〉というやつで、じつのところは〈変っている〉というつもりだったのにちがいない。夕陽があたると、火がついて燃えあがるかと思わせるかのふしぎな赤毛は、年頃になるとすこし下火になったが、脛のほうは時代とともに太くなって、どう見てもスラリとしていますなんていえない。

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●「だいこん」青空文庫

https://www.aozora.gr.jp/cards/001224/card46105.html


↑幸い全文公開されていますので、気になる方はこちらへ。


 この通りの饒舌な一人称小説です。ほとんどこのまま一人芝居にできるんじゃないかという。ちょっと引用すると長くなるので選ぶの苦心しました。


 ラノベの一人称も饒舌なものがありますが、われらが饒舌な語り手の「だいこん」はこの通り、豊かな教養と観察眼と毒舌を持ったやんごとなきご令嬢です。この通り家族にも自分自身にも辛辣な客観性を発揮させるような知性があります。〈面白い子だなあ〉と思わせつつ、玉音放送の8月15日から9月2日までの、政治と外交、虚飾、恋と友情が渦巻く社交界での彼女の日々が描かれます。油断できない時局を彼女がどのように駆け抜けたのか、そちらはお読みいただくとして、引用部分のご家族と自分自身の描写を会話も含めご堪能ください。

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