第18話 素直な気持ち
先輩が帰った後、僕は銀縁眼鏡を掛け部屋を見渡した。
萌がリビングの椅子に腰掛けていた。萌の足下にはみこが横になっている。
さっき先輩が来た時はどこかに隠れてしまっていたのに。
先輩が言っていたことは多分本当だろう。これからどうなるか自分でも全くわからない。
「萌、僕は……」
動揺している僕を制するように萌は淡々と話し出す。
「ねぇ。本当に今までありがとう。だけど、やっぱりこれは萌の問題やからこれからは自分一人でやるわ」
えっ、一体何を言っているんだろう。
弱い自分を見透かされたような気がして口調がきつくなる。
「あのさ、自分一人で何が出来るんだよ。これまで多くの人がこの呪いを解くために動いてきたけど誰一人成功していないのは知ってるだろう?だけど、僕ら二人が力を合わせればきっと上手く行く。僕は萌を暗闇に閉じ込めたくないんだよ。だから僕は……」
「尊人くんには素敵な彼女がおるやんか。あの人は私と違って生きているんや。彼女と仲良くしてればいいわ。同情なんてまっぴらごめんや」
「先輩?彼女? 違うにきまってるやろ」
「もう、ほっといて!」
萌はテーブルの上にあった新聞や雑誌を乱暴に床に落とし、そのまま家を飛び出していった。
残された僕は、呆然と立ち尽くしていた。
僕は、非現実的なものへの好奇心で動いていたのだろうか?それとも萌が言ったように、ただの同情心で動いていたのだろうか?
いや、違う。どれも違う。
この時初めて僕は、自分の気持ちに気がついた。
そう、僕は単純に萌が好きなんだ。ただ好きなだけなんだ。
明日には消えてしまう幽霊の女の子に僕は恋をしてしまったんだ。
今まで萌と過ごしてきた時間がとても愛おしく思えた。
「神谷さんか?すぐに来てくれるか?萌ちゃんが大変や」
柴田のおばちゃんはそう叫ぶと電話を切った。僕は、鍵も閉めずに家を飛び出した。ショップ柴田のシャッターは半分閉まっている。屈みながら入るとおばちゃんが心配しそうに萌を見つめていた。萌はおばちゃんがいつも使っている椅子にぐったりと座っていた。しかも、萌の姿はところどころ透明になっていた。僕は全身が震えていた。このままだと萌が危ない。タイムリミットを待たずして暗闇の世界に閉じ込められてしまうかもしれない。
「おばちゃん、水、水有りますか?」
僕はとっさに前に聞いた小西さんの言葉を思い出していた。
「ペットボトルの水でいいんか?」
僕は、それを奪うように受け取ると店を飛び出し、福松大神に向かった。
「神主さん、萌が、萌が大変なんです。この水を神水にしてください。早く!早く!」
僕は階段を駆け上がりながら、叫んでいた。
神主さんにお祓いをしてもらったペットボトルの水をゆっくりと飲んだ萌は漸く意識が戻っていた。ただ、神主さんからは、これは一時的にしか効かないからすぐに家に帰るようにと言われていた。柴田のおばちゃんは何度も「良かった」を繰り返している。萌を本当に可愛がってくれているのがひしひしと伝わってくる。僕は、萌を抱き上げすぐに家に帰りたいのだが、僕が触ろうとしても萌は透明になるだけでどうする事も出来ない。
「萌はこのまま消えていくのかな。でも、もういいわ。もうなんだか疲れたよ」
目を開けた萌が弱々しくつぶやく。
「ばかっ。僕がそんなことさせない。もう二度とそんなこと言うな!」
僕は無意識に萌が座っている椅子を抱き上げた。萌に触れなくてもこれだったら萌を動かせそうだ。
「おばちゃん、ちょっと椅子を借ります。また連絡します」
僕は挨拶もそこそこに萌が座っている椅子を両手で抱えショップ柴田を後にした。家に着くまでの間、ずっと萌は泣いていた。
なんとか家に帰った後も、リビングの古い椅子に座り、顔を伏せ泣いている。みこがやってきて、萌の座っている椅子の上に飛び乗った。みこは萌の膝の上に座っているつもりだろう。
僕は萌の前で両膝を付いて「萌、正直に言うから聞いて欲しい」と顔を覗き込む。
「僕は、萌の事が好きなんだ」
萌は驚いて僕を見ている。
「萌といると凄く優しい気持ちになれるんだ。そして、なによりこの家で、萌とみこと僕で過ごす時間が一番好きなんだ。本当はこの時間がこのまま永遠に続けば良いと思ってる」
萌は僕に抱きついてきた。
「うん。萌も好き。いつの間にか尊人くんの事ばかり考えてた。ごめんな幽霊で。そしてもう、消えてしまうから一緒にいれない。でも、最後くらい夢を見てもいいよね……」
僕は透明になっている萌の肩を優しく抱き続けた。
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