第10話 残り五日 古墳の中へ

 残り五日 火曜日


 もうすぐ夜が明ける……


僕は、テーブルの椅子に座り白んでいく空を窓越しに眺めていた。


 寝苦しい夜だった。萌の事が頭から離れず、何度も目が覚めてしまった。僕は、冷蔵庫から麦茶を取り出し、コップにそそぐと一気に飲み干した。漸く頭が動きだした気がした。


「おはよう。尊人君」


 僕の目の前に突然現れた萌は、少し照れくさそうな顔をしている。そして、いつものようにコップを取り出し蛇口を捻る。コップに半分ほどの水を入れるとそれをゆっくりと口に含む。


「昨日は、ごめんな。なんか一人で勝手に盛り上がってしまって……。なあ、大丈夫だった?」

「うん。大丈夫。萌はとにかく頑張ると決めたし。もう泣かない。残り五日をしっかりと過ごしていく」


 彼女の強さは一体どこから来ているのだろう?僕が、もっともっとしっかりとしなければならないのに……。


「よし、早速、動き出そう!」

「えっ、どこ行くん?」

「行ってみようよ。佐紀陵山古墳に!」


 萌は驚いているようだが、一秒でも無駄に出来ない。まずは、あの本の舞台となっている佐紀陵山古墳を見ておかねばならないと僕は考えたのだ。

玄関の鍵を閉める。七月になり気温も30度を超える日が多くなっているので、みこの為にクーラーは付けっぱなしにしていこう。


「ほら、行くよ」

「ちょっ、ちょっと待って。ほらスニーカーやからヒモ結ぶのにちょっとかかるし」


 まさか、幽霊がスニーカーを履いているなんて誰も思いもしないだろう。だが、片膝を立てながら蝶々結びをしている幽霊が実際に僕の隣にいるのだ。


「はい。お待ち。いこう!」


 萌は僕より少し前を歩いている。

どうやら、目的地には何度か行ったことがあるようだ。踏切を渡って、小さな六差路になっている南東の細い道を上っていくと蝉の声がだんだん大きくなってきた。まず右手に成務天皇陵が見えて来る。そして、さらに歩いて行くと左手に鳥居が見えてきた。ここだ。ここが佐紀陵山古墳。スマホのマップで見るより大きく感じる。こんもりとした山に木々が茂っていて、山の周りには壕があり、とても綺麗な水が溜まっている。


「ここには何度も来てるんだろう?何か見つけたこととか分かったこととかない?」


 僕は、萌に小声で話しかける。


「えっ?何?もっと大きな声で言ってよ」


僕も普通の声で話をしたかったのだが、向こうから歩いてくるおばさんが僕を見ているのに気がついたのだ。あのおばさんからすれば、いい歳した男が平日にぷらぷらと歩いてしかも、まるで横に人がいるように独り言を言っているのが不思議なのであろう。


「あのさ、ごめん、ちゃんと聞いておけば良かった。萌の声は僕にしか聞こえないんだよね?」


 僕は、さっきよりさらに小さい声でつぶやいた。萌もおばさんに気がついたらしい。


「そうやった。ごめんごめん。そうやねん。萌の事が見える人しか萌の声も聞こえないんやて。柴田のおばちゃんから聞いたから間違いないと思う。なんなら大声出して実験しようか?」


 もしも聞こえたらそれこそ面倒臭いことになる。


「あー、わかったわかった。わかったからやめろよー」


 おばさんは、ますますいぶしがり、僕を睨みながら横を通り過ぎていった。



「うーん。正直、ここには何度も来てるけど、ヒントらしいものは何も見つけられてへん。古墳の周りもくまなく探したけどなんもなかった。しいていえば、壕の水が来る度に綺麗になっているような気がするくらいかな。他の古墳の壕は来る度に、水が減って、それに濁っていってる気がする。そう、ここの水だけが凄く綺麗やねん」


 萌が言うとおり、他の古墳の壕とは明らかに違った。ここは水がとにかく綺麗で、底の石や折れて沈んでいる枝などもとてもクリアに見える。


「この古墳には外周というのはないみたいだな」


 スマホをみながら僕がいうと萌が「任せとき」と自信満々に歩き出す。一メートルくらいに伸びた雑草をかき分けどんどん古墳の方へ近づいて行くとちょうど人が通れそうな隙間がある。網の壁がここだけ外れているのだ。萌は慣れたようにしゃがんでその隙間を通り抜けていく。僕も萌の真似をしてかがんで通り抜ける。昨日の夕立で、草の根本がまだ濡れているようだ。


「大丈夫?付いて来てる?」


 振り返った表情がとても素敵だった。

僕は本当に幽霊と一緒にいるのだろうか?現実とは思えない時間を過ごしているのに、何故、こんなにも心が躍るのだろうか?ちょっと顔を赤らめた僕は、「勿論大丈夫に決まってるやんか」とつい大きな声を出してしまった。


「おい、君。そこで何しとんのや」


 いきなり厳しい声が背後から聞こえる。管理事務所に管理人がいたのか。どうやら僕は見つかってしまったらしい。


「こっちに来なさい。ここは宮内庁管轄で立ち入り禁止の場所やぞ。ほら、早く出てこんと大事になるで」


 萌はずっと先に進んでいるのか姿が見えない。僕は諦めて元の場所にゆっくりと戻っていく。背は低いが体格の良い管理人が仁王立ちしている。


「おい。駄目やないか。ここは何かわかってるよな?お墓にこっそり入るとバチが当たるのはアホでもわかるやろ?名前は?どこに住んでるんや」


 僕は動けないでいた。何の気なしに管理人さんが言った言葉、そう「バチが当たるぞ」というフレーズがふと気になったのだ。こんなことは、子供でも分かってることなのだが、僕は過敏に反応し、あの本に書かれていたことを思い返しているうちに、目の前が真っ白になっていった……。





「あんた熱中症やったんか?急に倒れてほんま驚いたわ。もう大丈夫なんか?」


 どうやら僕は、管理人さんの前でぶっ倒れたらしい。そして、今は事務所のソファーで横になっていた。思い返せば昨夜は徹夜で本を読んでいたし、そこにこの唸るような夏の陽射しを受けて意識が遠くなったのだろう。


「本当に申し訳ありません。もう大丈夫です。昨夜、余り寝れなかったので、ちょっと目眩がしたんだと思います」


 僕は、平然を装ったものの、不安で一杯だった。


「ところで、なんであんな所まで入っていってたんや?ここは立ち入り禁止なのは兄さんもわかってるやろう?」


 すごく優しい声のトーンだった。小さい子供に問いかけているようなそんな気がした。立ち入り禁止の場所に何故入ったのかと厳しく問われるのではないかと思っていた僕は、少し落ち着いていた。そして、僕はこの管理人さんに思い切って言葉を投げかけていた。


「あの……。本当に申し訳ありませんでした。実は、僕は、ある件にてこの古墳を調べていたんです。決して悪気は無いですし、何かを盗もうとか、そんなことではないんです」

「ん?ある件?それってなんや?」


 ある件ということで、管理人さんの温和な顔が一瞬で無表情になったような気がした。だが、僕はこの人に出会うのは予め決められていたのではないかと感じ始めていた。


「あの……。聞いてもいいですか?バチが当たるってのはどういうことなんですか?」

「そりゃ、バチってのはほら、わかるやろう?兄さんも小さい時に悪いことしたらおかあちゃんから言われへんかったか?」

「勿論、それはわかります。ただ、僕が聞きたいのは、ここに入ったら何か大きな罰を受けるんですか?ということです。例えば、死んでも天国にいけないとか……」


 僕の質問は、管理人さんの心を閉じさせてしまったようだ。その後、何も言わなくなった管理人さんに丁寧にお詫びをし、僕は事務所を後にした。

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