第6話 子猫
「ええか!前回の反省を活かさなあかん。今日はみんな、頼むから思い切った案を出してや」
水木課長の声にも力が入っている。ここで僕らの班が落第の印を押されると、推薦した課長の立場も悪くなるだろう。
この緊急ミーティングでも、誰もが課長を唸らせるような代替案は出せていない。
「次、神谷」と少し尖った声で指名された僕は、イラストレーターのソフトを立ちあげ、説明を始める。前回はシックなアイボリーに二十四色を使った蝶をデザインし、マットブラックの文字を添えたものだったが、今回は明るいグリーンに寝転ぶ女性、ホワイトの文字というデザインだ。
「そよ風が吹く草原のイメージ。これがアーティストの持っている……」
「駄目だ。駄目駄目。普通過ぎるわ」
課長の声で僕のプレゼンはあっという間に終わった。その後、最後のスタッフのプレゼンでも課長からの合格は出ず、結局明後日、再度会議をすることになった。
会議室からスタッフが出て行く際、課長から、「今日は残業してもええから。アイデアをひねり出していこ」というハッパがかけられた。だが、僕は、残業したとしても良いアイデアが出るとは到底思えなかった。
僕らは、一体何処に向かえばいいのか?それさえわかれば何か突破口が開くと思うのだが、それがわからないからこうして彷徨ってしまうのだろう。
結局、会社には二十三時時過ぎまでいたが、何の収穫もなく帰路についた。この時間の電車はほろ酔い気分のサラリーマンが多く、車両も少し酒臭い。なんだか酷く疲れた。僕は、吊り革に捕まりながら、ぼんやりと萌のことを考えていた。
家に着くと日付けが変わっていた。靴を脱ぎ、無造作にカバンを置く。部屋の蛍光灯のスイッチを入れると暖色の光が部屋を照らした。
僕は、テーブルの上に置いてある銀縁眼鏡を付け、辺りを見渡す。木製の椅子にもいない。二階へ上がり部屋を見渡してもやはりいなかった。今日は、あの不思議な幽霊と無性に話をしたかったのだがどうやら諦めるしかなさそうだ。
それからというもの、僕らの班は最終プレゼンに向け、毎日残業することになった。それと同時に萌と会うこともばったりとなくなってしまった。ただ、水が少し残ったコップが毎朝テーブルに置かれているということは、萌はこの家のどこかにいるということなのだろう。
休日出勤をした土曜日。結局、最終電車の時間まで粘ってペンを走らせてみるも良いアイデアは浮かばなかった。
休日ダイヤの最終電車はガラガラで僕は椅子に座って窓を流れる街の明かりをただぼんやり眺めていた。平城駅で降りたのは僕一人だったようだ。疲れた身体を引きずるように歩き出した僕は、ショップ柴田のシャッターの隅に置かれた小さな箱から、か細い声が出ていることに気がついた。覗いて見ると、そこには、一匹の子猫が僕の方を見つめ鳴いている。こんなに小さいのに捨てられたんだな。可愛そうにと思いながら、僕は必死で訴えている子猫を見つめていた。ただ、一軒家とは言いながらも借家で会社勤めの僕には到底世話が出来そうに無い。僕は、思いを断ち切るようにその場から走りだしたのだが、結局踏切を渡ったところで引き返してしまった。
子猫はお腹が空いていたのだろう。皿に載せたキャットフードを一心不乱に食べている。あの後、子猫を連れて家に戻った僕は、自転車に乗り、数キロ先のコンビニへキャットフードを買いに走ったのだ。
明日は日曜日だが、午前中やっている動物病院を探して診てもらおう。キャットフードを食べて落ち着いたのか、すぐに丸くなって眠ってしまった子猫を抱え、二階に上がった僕は、子猫の顔を見ながらいつのまにか眠りについていた。
子猫の鳴き声で目が覚めた。時計を見るとまだ五時になっていない。大きめのダンボールにタオルケットを敷いていたのだがどうやらそこを飛び出してしまったらしい。僕のカバンをくんくんと匂っていた子猫を抱え、1階に降りていく。棚からキャットフードを取り出し小皿に入れると「ニャァー」と鳴いた。
「そうか、お腹空いてたんだな?ほら、沢山お食べ」僕は、子猫に向かってつぶやいた。
このところ仕事で疲れ果てていたが、自分でも驚くほど優しい気持ちになっていた。
子猫は、ひとしきり食べた後、毛繕いをしている。その横に水をなみなみに入れたカップを置くと、最初、右手で水をかくような仕草を続けた後、漸く顔をカップに近づけ、水を飲み出した。
「ベロを何回も出してすくってるのにほんま少しずつしか飲まれへんのやなぁ。可愛いなぁ」
久しぶりに聞いたその声に驚き振り返ると萌がいた。ぺこんと座り込んで子猫を眺めている。「なあ、この子ずっとおるんよね?可愛いなぁ」とさらに近づいて頭をさすっている。ただ、子猫の頭に触る寸前に萌の手は半透明になり、触り追えると普通に戻っているのだ。
前に萌が言った命あるものを触る事は出来ないというのはこのことなのだろう。子猫の感触を感じる事が出来ていないはずなのに、萌はいつまでも子猫から離れなかった。
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