第9話 夢を見ていたの
あれから……あの撮影が終わってから、私はどうやって自分の家に帰ってきたのか覚えていない。
ただ、こうしてベッドの上で朝を迎えているんだから、普段通りに行動したんでしょう。
今日は学校がある。
だから、いつも通りに朝ごはんを食べて、身だしなみを整えて、登校の準備をしなきゃいけない。
それは、わかっているはずだった。
(……いきたく、ない)
小さく、思わず零れてしまった言葉。
口から出てしまったからか、余計に私の身体は動くのを拒否しているように感じる。
体調は悪くない。
……
「し、しふぉんー……? 朝よ……?」
母親が私の扉を少し開けて、部屋の中を覗いていた。
視線だけ動かして、壁に掛けた時計を見れば、目を覚ましてから10分も経っていた。
目覚めが悪い方ではなかったはずなんだけど……
「し、しふぉん……?」
「今日は、行かない」
「そ、そうなの……? 体調悪い? 看病とか」
「いらないから、どっかいって」
「そ、そう……」
母親は私を気遣うような目をしながらも、扉を閉めたことで、カーテンも閉めたままの部屋は、また暗くなった。
もう、休むことは決めたし、動きたくもないし、もう一回寝よう。
きっと、自分自身では気づけないくらいに疲れてたんでしょ……
☆☆☆
「ぼ……いや、オレと付き合ってください!」
あぁ……これは夢だ。
今までに何度も見た夢。
小学生の頃の、私がこんな風になったきっかけの出来事。
何て名前だったのか、もう覚えていない。
当時も、覚えていたのかは確かじゃない。
読書が好きで休み時間も本を読んでいたような私と、見るからに運動が好きそうな男子。
昔も接点はなかった。
だから、答えは決まっていた。
「ご、ごめんなさい……その、えっと……」
今では慣れてしまっているけれど、告白されたのはそれが初めてで、相手に気をつかって返答を迷った。
「も、もしかして、好きなやつ、とか……」
「そ、そうじゃ……ないんだけど」
「じゃ、じゃあ!」
「え、えっと……」
今だったら、断りの言葉を言って、すぐに会話を終わらせる。
昔のことを後悔したところで、仕方がないのは分かっている。
「オレと、付き合ってくださいっ!」
「……ご、ごめんなさい!」
そう言って、幼い私は空き教室から飛び出ていった。
自分の言葉を伝えて去るというのは、正しいと思う。
ただ、あの私が間違えたのは、はっきり断らなかったこと。
その男子の
☆☆☆
クラスメイト達が、教室に入ってきた私をみて、ひそひそ話をし始める。
その様子を感じ取った幼い私は、周りをきょろきょろと見渡すけれど、誰にも話しかけることなく、床を見るようにして歩いて、自分の席へと座った。
ただでさえ幼く小さい体を更に小さくして、できる限りの注目を逸らそうとしているけれど、教室内を包むクラスメイト達の小声は、教師が教室に入ってくるまで止むことはなかった。
いや、正確には、ただ聞こえなくなっただけで、近くの生徒同士での会話は続いていた。
☆☆☆
「ねぇ、――君に告白したってホント?」
時間は放課後へと飛ぶ。
まだ夏だったからか、放課後と言ってもまだまだ明るいが、その教室の空気は張りつめていた。
「……」
「ねぇってば!」
肩を押され、尻もちをつく。
それを見て、周りにいた数名の女生徒が笑う。
「して、ないよ……」
「――ちゃんが見たって言ってた。嘘つき!」
「そうだよ! ――ちゃんが先に好きだったんだよ!」
「本当に、空気読めないよね。いっつも本なんて読んでるし」
私を突き飛ばした女子も、それに同調して、私を責めてくる人たちの顔もぼんやりとしている。
「し、しらない……」
「何してるの!?」
そこに入ってきたのは、一人の女の先生だった。
当時の、確か隣のクラスの副担任だったと思う。
その人がやってきたことで、私と女生徒たちは表面上の仲直りをさせられ、家へと帰された。
私は、『いじめ』というものに鈍感だった。
いじめがあるというのは知っていたけれど、その対象に自分がなるなんてことは、想像もしていなかった。
☆☆☆
トイレから帰ってくると、数人のクラスメイトが私の筆記用具入れをキャッチボールのようにして遊んでいた。
それを見て、私は、悪ふざけの一つでしかないと思っていて、たまたま私のものを使っていただけで、そのグループが遊んでいるだけだと思っていた。
「あの、返して……」
「え~、どうしよっかー、なっ!」
話しかけた女子が別の人へと投げる。
私は返してもらうために数人の間をうろうろと回っていたのだった。
結局返してもらえたのは、先生が教室に入ってきてからだったけれど、それでも戻ってきたことから、当時の私はいじめだとは思っていなかった。
私がようやく、いじめられていると分かったのは、上履きがどろどろになっていたのを見つけた時だった。
いや、実際は気づいていたはず。
教科書や机に落書きもされていたし、話しかけても無視されたりもしていた。
いつもと行動は変わらないから、良かったんだと思う。
でも、上履きが履けなくなったことで、先生にその日のサンダルを借りるために、事情を話すことになり、そして、同時に相談のようなものをしたのだった。
その日の1時間目の授業は無くなった。
「皆さん、机に顔を伏せてください」
先生のその言葉に幼い私も従った。
「皆さん、そのまま顔を伏せたままにして……このクラスでいじめがあると思う人は手を挙げてください」
衣擦れの音がした。
誰が手を挙げているのか気になってしまって、バレないように顔を少しだけ上げて、周りを見た。
数人だけだったけれど、手を頼りなさそうに挙げていた。
「じゃあ、手を挙げた人は、一旦下ろして。顔は伏せたままにしてください。……この中でいじめをしてしまった、という人は手を挙げてください」
その先生の言葉に、手を挙げる人は、一人もいなかった。
もしかしたら、私の後ろの方にはいたのかもしれないけれど、私をいじめていた人たちは、一人も手を挙げていなかった。
その様子に、先生は、私の方を見て、私と目が合ったけれど、何も言わなかった。
「……手を挙げている人は、手を下ろしてください。……じゃあ、皆、顔をあげて」
その言葉に、皆、顔をあげた。
すぐにざわざわと、周りが騒がしくなった。
その後は、特に珍しくもない、いじめに対する先生の言葉があり、その時間は終わった。
私をいじめていた人たちは、私を何か言いたそうに見ていたけれど、先生は教室に残ったままだったので、話しかけては来なかった。
☆☆☆
その日は何も起こらずに済んだ。
上履きも、水溜まりに落としたと言って、お母さんに洗ってもらった。
次の日、私は、私をいじめていた人たちに空き教室に連れていかれた。
「先生にチクったの?」
壁に押し付けられ、腕を強く握られる。
「い、痛いよ……」
「こっちが聞いてるんだけど?」
「もう、やめてよぉ……」
なんでこんな目に合うのかと、泣きそうになっていたのを覚えている。
涙で霞む視界の中、教室の廊下にあの男の子がいて、こちらを一瞬見た後、逃げるように走り去っていったのが見えた。
「は? 私がいじめてるみたいな態度やめてくんない? そっちが悪いんでしょ」
「じ、事実、だよ……」
「ッ!」
そして、私は頬を叩かれた。
その瞬間に、今から考えれば遅すぎるとは思うけど、ようやく、怒りを覚えた。
そんな理不尽なことがあるか、と。
だから、そのまま、私は走って教室を出た。
周りにいた人たちは、流石に顔を叩くとは思っていなかったのか、驚いた様子のまま、私を止めようともしなかった。
そのまま、職員室に行き、先生に報告したのだった。
☆☆☆
後日、保護者が呼ばれた。
私の両親と、私を叩いた子とその母親。
そして、私に告白した男の子の父親。
私が、先生に、私がいじめられるようになった原因は男の子にあるとだけ伝えたから。
その後は、今でも笑えてしまうくらいにうまく立ち回った。
私が男の子に告白され、それを断ったこと。
私を叩いた女の子がその男の子を好きだったこと。
私から告白したと勘違いして、他の人たちと一緒にいじめを始めたこと。
女の子はいじめていたことや自分が好きな人をばらされたことで、顔を青くしたり赤くしたりと忙しそうだった。
男の子の方は、ずっと気まずそうな顔をしていた。
親にまで話が伝わったことで、女の子はすぐに謝った。
その後は、先生がうまいこと対処してくれたのか、他の人からも謝罪を受け、いじめはなくなった。
私を叩いた子は、しばらくして転校していった。
それがいじめのせいなのか、家庭の事情なのかは分からない。
また男の子から告白され、こっぴどく振ったせいで、その男の子が泣いてしまい、先生と話し合いをした。
その後は、一切、話した記憶がない。
☆☆☆
そのまま、中学に入学して、暫くは平和に過ごすことができた。
しかし、中学2年から3年にかけて、周りがませてきたこともあって、告白されることが多くなった。
私は、それらすべてを断っていた。
あんなことがあったので、適当に誰かと付き合ってしまおうかとも思ったけど、視線が気になり過ぎて嫌だった。
もうこの頃は、胸も大きくなってきていたので、視線を集めるのも仕方がないとも思っていたけれど、そこばかり見ている人と付き合って、どうなるかと考えたら、告白を受け入れようとは思えなかった。
そんな私をよく思わないのは、同級生の女子たち。
小学生の元同級生たちは、どうなったかを知っているので、こちらに関わってくることは無かったが、中学から新しく同級生となった人たちはそんな事情は知らない。
普通にいじめが始まった。
私が『和』を乱す存在だったから仕方がないのかもしれない。
その頃には、自分が人より容姿が優れている事にも気づいていたし、私の周りに女子がいなかったことで、代わりに男子が寄ってきていたから、それが鼻につく人もいるだろうと、思っていた。
中学生はまだまだ子供とはいえ、小学生のころと比べれば、多少、物事を考えられる割合も増えてくる。
だから、いじめといっても、無視されたり、小学生の頃は無かった名前を馬鹿にされる程度の事で、大したことはなかった。
そう思って過ごしているうち、またいじめが酷くなった。
何故かを探れば、また知りもしない男子が私の事を好きになったらしい。
それを理由に分かれることになった男子の彼女が怒っているそうだ。
無視していたら、私がいつの間にかビッチになっていた。
そのこと自体は、本当にどうでもよかった。
小学生の時の成功体験は、私を油断させていた。
いじめをされたのなら、正しく訴えれば、私の主張は通るのだと、そんな風に。
☆☆☆
「というわけでして、私どもとしても事情を聞かないわけにはいかず……」
いじめをするような頭の足りない人達であっても、口裏を合わせることはできるようで、一方的に私が悪いことになっていた。
私が弁明したところで、私が男を食い漁っていない証拠も無ければ、主犯はその男子と別れてしまっているから、嫉妬が原因だともはっきりさせられない。
つまり、お互いへ注意のみ。
それは、実質私の『負け』だった。
教師からすれば正しい判断を下したと思えるのかもしれないが、私に対する誹謗中傷を行った生徒が重い処分を下されていない、ということから、その一部に事実があったからではないか、と予想されても仕方が無かった。
そんな風にして、以前よりも居心地が悪くなっていった。
そもそも他人と関わらない私であっても、授業などで関わらなくてはならない場面は出てくるが、そんなときに、面倒ごとが追加されたということだ。
そして、そんな日々が続き、もう進路を考え始めている頃。
私は、ふと、学校に行きたくなくなり、ずる休みをした。
学校に行かなくていいという解放感から、町へ繰り出し、一人で気ままに遊び歩いていた。
ほとんど学生がいない町を歩いているというだけで多少の優越感を感じ、足取りは軽かった。
そんな様子が目立っていたのか、いきなり会ったことも無い男の人に話しかけられたのだった。
「こんにちは。お時間よろしいでしょうか」
「え、まぁ……」
普段なら即座に忙しいと言って、会話をやめるだろうけど、その日は気分が良かったからか、話を聞いてもいいかという気になった。
「私、こういうものでして……」
「あっ、ど、どうも……」
名刺を手渡されるなんて、今まで無かったから、緊張してしまっている。
震える手の中の名刺に書かれた内容を理解した瞬間、名刺を落としてしまった。
「あっ、す、すみません!」
名刺を拾い上げ、もう一度確認する。
そこには、私でも聞いたことのあるアイドル事務所『BSJプロダクション』の名前が書かれていた。
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