深層

 魔力は世界のあらゆる理に干渉し、事象を改変する。

 それには当然、限界がある。例えば手で触れずに物体を持ち上げる魔力の場合、持ち上げられる物体の重さや種類如何によって持ち上げられる物量には限りがある。片手で持ち上げられる石礫ならば術者の膂力により総量が決定される。反対に火や水といった生身の体で触れること、持ち上げる事が困難な物体や、物理的に触れる事の出来ない概念的存在は持ち上げることが出来ない。正確には出来るのだが、その為には膨大な魔力と術者に多大な負荷がかかるため結局のところは持ち上げることが出来ない。

 このように魔力は万能ではなく、その能力には限度がある。

 遵って、複数の生物、無機物を操作する遠隔操作型の魔力の場合、操れる数には限りがあり、数が増すにつれて術者に掛かる負担も相当なものとなる。

 しかし、眼前の紅髪褐色の女剣士アカツキは、その原理、原則から大きく逸脱していた。

 無数の死霊兵を随える、という遠隔操作型の魔力。しかしその数は優に千を超え、見渡す限り隙間なく包囲網が敷かれている。それだけでも並みの術者から大きく逸脱した力量、魔力量の持ち主であることは明らかだった。だが何より特質すべきはそれだけの死霊兵を随えながら尚、術者自身までもが戦線に加わり闘えていることだろう。

 第一層『迷いの森』にて会敵した槍使い・ディックスは、幻惑系の魔力使いだった。

 術者が展開した魔力領域に侵入した者の脳や精神に直接影響を及ぼし、自らの傀儡とする。しかしその代償として術者本人の動きが大きく鈍り、真面な回避行動をとることが出来なくなっていた。それ故にギンの一撃を躱しきれず、結果それが致命傷となりディックスは敗北した。

 それほどに遠隔操作型の魔力は、緻密な魔力制御技術を必要とする。その為、術者本人は操る対象の量に比例し動くことが困難になるのだがアカツキは動き続けた。

死霊兵を楯にしながら彼我の間合いを詰め斬りかかってくる。

 右を向いている時に、左を見るような、常識では有り得ぬ動きを繰り返すアカツキに対し、ギンは驚愕すると同時に、その技量に素直に感心していた。

 ――――強い。

 魔力を抜きにしても、アカツキの剣士としての技量はギンが知る中でも三本の指に入る使い手である。

 単純な膂力、技の多彩さにかけてはコチラに一日の長がある。だが、アカツキはそれを補って余りある技の鋭さを備えていた。気配を遮断しての死角からの一撃は、一撃で敵の命を絶つためだけに訓練された者の動きである。

 「滅茶苦茶だな、お前ェ‥‥‥」皮肉交じりに賞賛の言葉を洩らす。

 開戦からここまでギンは苦戦を強いられていた。

 死霊兵による圧倒的物量差にではなく、ギンの技がすべて見切られている所為である。

 三年前、地下街で目を覚ましたギンは自身の名前を含め、全ての記憶を失っていた。

しかし、剣技だけは忘れていなかった。否、体が覚えていたという方が正確だろう。

 『絶剣』と自ら命名した技は、全部で十ある型から構成されている。

 先刻のテオのように魔力によって『絶剣』を防がれたことはこれまでにも経験がある。だが単純な身体能力、剣技だけで、『絶剣』をここまで防がれたことはこれまで経験したことがない。

 「第一秘剣―――絶‥‥‥ッ!」

 再度、死霊兵の影から飛び出してきたアカツキによって技を阻まれる。

 「無駄だ。貴様の技はすべて見切っている!」

 無表情に嘯き、巧みな剣捌きでギンの体勢を崩すとアカツキが大きく跳び退る。

 「圧殺しろ」冷厳に命じるや、周囲の死霊兵が一斉にギン目掛けて押し寄せてくる。これまでの波状攻撃ではなく、数に物を云わせた物量差で呑み込むつもりだろう。

 「――――ッ‼」

 体勢を崩したことで攻勢に転じられず、死霊兵に呑み込まれかけた、その時。

 「グラアアアアアァァァァァァァァ~~~~‥‥‥ッ‼」

 死霊兵の包囲を破って壬生狼・ユキが現れた。ユキは更に押し寄せる死霊兵に喰らい付き、強靭な二対の爪によって死霊兵を蹂躙していく。そこへ体制を立て直したギンも加わり押し寄せる死霊をわずか数秒で片付けていく。

 「ユキ! 助かった!」

 「ガルゥ‥‥‥」気にするな、とでも言うようにユキが唸る。 

 敵の包囲を抜けだし、十数秒ぶりの酸素を貪るように吸い込む。

 「無様だな。以前の貴様なら、そのような無様は晒さなかっただろう」

 嘲笑交じりに包囲の奥から現れたアカツキは更に言葉を重ねる。

 「最後に、これだけは答えろ。三年前、貴様は如何なる理由で我々を裏切った?」

 「あ?」

 本心から何を云われているのか解らず怪訝に眉根を寄せるギンの姿を、返答拒絶と捉えたのかアカツキの体から迸る殺意が更に深く、濃くなる。

 「‥‥‥信じていたんだ。‥‥‥心から、お前のことを‥‥‥」

 声を詰まらせながら、コチラをみつめる。

そこには信じた者に裏切られ、深く傷ついた少女の姿があった。執行者としてではなく、今にも泣きそうな程に悲痛に顔を歪ませながら。

 「‥‥‥それなのに‥‥‥どうして‥‥‥貴様は‥‥‥皆を殺した?」

 現実を受け入れられず、ありもしない答えに縋る思いでアカツキは訊ねた。

 しかし、それを受けてギンが口にした答えはひどく淡泊で、怪訝に満ちていた。

 「さあな」

 ギンにとっては全く身に覚えのない話であり、アカツキの問い掛けに対して出来る限り誠実に答えたつもりだ。しかし、アカツキはそうは受け取らなかった。話す気はない、謝罪や釈明すら必要ない、と言われたように感じたことだろう。

 何らかの事故や誤解によって生まれた悲劇。という一縷の望みを絶たれたアカツキは、悄然と項垂れ「そうか‥‥‥」と一言小さな呟きを洩らした。 

 「―――いいだろう。これ以上貴様と語り合うことなど何もない」

 その声を聴いた者を心胆から底冷えさせるように非情な呟き、紅髪褐色の少女(アカツキ)の体から陽炎にも似た暗い瘴気が迸った。それはギン同様、可視化できるほどの高濃度な魔力であった。それに伴い辺りを包囲していた死霊兵の気配が薄れていく。ギンはそれを死霊兵に回していた余剰分の魔力を全て自身に注ぎ込んでいるのだと判断した。

 その判断は概ね正しい。アカツキの魔力は死霊を操る遠隔操作ではない。実際には自らの精神状態により魔力量が変化する稀有な魔力使いだった。特に強い負の感情に影響されるが、事ここに至りアカツキの魔力総量は、『全注入』により魔力を増幅させた時のギンを凌ぐほどに膨れ上がっていた。無論、ギンはそのことを知らない。しかし、膨れ上がる魔力量と向けられる殺意から、それに類する魔力の可能性に思い至っていた。

 その中でギンは冷静に分析を続けていた。

 膨れ上がる魔力と数が激減したとはいえ未だ油断ならぬ数の死霊兵を従えるアカツキと自らの力量を、ここまでの戦闘と過去の経験から照らし合わせる。

 結論―――このまま戦えば勝てる、ギンはそう判断した。

 その為には長期戦は避けられない。

 だがそれでは駄目だ。この場合最悪なのはアカツキに殺されること。その次に長時間ここで足止めされることだ。ここでの遅れはレイの危機と直結している。

 仮面の男―――マクベスと呼ばれていた男は、直接戦闘よりも搦め手を得意とするタイプに思えた。そしてレイはそのタイプと相性が悪い。如何に魔力が強く、精神的にも問題が無かったとしても、それだけでは十全ではない。何よりもレイには人を殺すという経験が圧倒的に不足している。その経験の浅さは必ず隙を生み、仮面の男がその隙を逃すとは思えなかった。

 そのためにも、最短で敵を倒さなくてはならない。

 だが『絶剣』が通用しない以上、長期戦は避けられない。

 もし短期決戦を望むのであれば、そこには相応の危険が伴う。

 その事を十分に理解した上でギンは傍らで低く唸るユキへ問い掛けた。

 「雑魚どもを頼めるか?」

 無論、魔獣に人間の言葉が通じるとは思っていない。が、想いは通じると信じた。

 いらえはなかった。

 だがユキが反転、死霊兵を見据えた。

 その姿に口元を薄く綻ばせ、改めて意識をアカツキへと向ける。

 「お互い多忙の身の上だ。さっさと決着つけようぜ」 

 「いいだろう。貴様を殺し、死んでいった同志たちへの手向けとしよう」

 

 初代執行部隊総隊長・識別名『白銀』によって創始考案された剣技『絶剣』は、全十の型で構成されている。だが白銀以外に絶剣を使いこなせた者は現役執行者を含め未だ誰も存在しない。その中の一人、アカツキは絶剣の内、一から九までの型を会得している。最後の終ノ秘剣に限ってはアカツキですらそのような型があると人づてに聞いたことがあるだけで実際に見たことはなかった。

 だがそれで十分だった。どういう理由かは解らないが、眼前の少年―――アカツキ等執行者が『白銀』と称し、畏れ、崇拝していた相手は三年前と比べ明らかに弱くなっていた。

 否、実際にはアカツキの力量は三年前と比較にならない程に成長していたが、三年という短くない月日のなかで膨れ上がった理想の相手との比較が自分の力量ではまだ足りぬと謙遜を越えて卑屈に捉えていた。それ故に、マクベスの魔力探知が白銀と王女の気配を捉えると同時にアカツキは大量の強化薬を服用していた。一時的に身体能力、魔力量を底上げする類の代物で効果が切れればしばらくは真面に動けなくなる。その事を留意した上でアカツキは今回の決死行に臨んでいた。だが蓋を開けてみれば何のことはない。

 かつて崇め、その背中に取り残されぬよう追いかけていた存在が今は随分近くに感じられた。

 白銀の手の内をすべて知り尽くしているが故に、絶剣はアカツキには届かず、反対にアカツキがこの三年間で錬磨し続けた技の数々が、かつての憧憬を圧倒していた。

 加えて、対白銀用に準備した魔具『百血切』による死霊兵の創造。およびアカツキの固有魔力『不倶戴天』により、アカツキの魔力総量は白銀のソレを軽く凌駕している。

 だが大量の強化薬服用と妄執に近い憎悪による戦意高揚で冷静な判断が出来なくなっていた。それでも、数的にも、能力的にも敵を圧倒しているという状況から、アカツキは勝てると判断した。

 それがアカツキにほんの僅かな驕りを生んだ。

 数が激減したとはいえ未だ十分な数の死霊兵が残っている。あとは圧倒的物量差で白銀の体力を削り、疲弊したところを討つ。―――と、勝ち筋が生まれたその時。異変が起きた。

 白銀から立ち上る銀色の光輝―――魔力が不意に途絶えた。

 「――――――ッ⁉」

 その奇怪な行動にアカツキは瞠目する。

 魔力切れ? 有り得ない。白銀の魔力『全注入』は術者自らの魔力を媒介に魔力を増幅させる。

故に、魔力切れになることはあり得ない。では何故、魔力を解いたのか、その理由が解らなかったが、白銀の口元に浮かぶ嘲笑を視界に捉えるや、残っていた理性が黒く塗りつぶされる。

 「ふざ――――っけるなッ‼」

 激しく激昂し、猛然と駆ける。

 

魔力解除を挑発と見せかける為に、ギンは敢えて冷笑を浮かべてみせた。

 結果―――効果は絶大だった。

 ギンに対する深い憎悪。加えて自らの優勢を疑わないが故にアカツキは戦闘の最中に意図的に作られた隙を、それが挑発であると理解していながらも無視することが出来ないはずだと。

 アカツキの心情をギンは正確に見ぬいていた。

 正面中段。剣尖を斜にした奇抜な構え。『絶剣』の中にここから始まる型は一つもない。それ故にアカツキに僅かな迷いが生まれた。だがそれも一秒にも満たぬ刹那の逡巡である。どういう思惑があるにせよ、魔力解除をしている以上、そこから新たに魔力を練り直せば一瞬の隙が生まれる。その隙を見逃すアカツキではない。だからこそ刺さる。

 魔力『全注入』は、ギン自身の魔力を媒介に、魔力を増幅させる。それは裏を返せば魔力を減衰させられるという事でもある。無論、そんな事をする意味はない。魔力量が足りずに困ることはあっても、多すぎて困ることなどないからだ。

 ギンはここで逆転の発想を試みた。

 魔力量の多さは術者自身が貯蔵しておける量を表す指標となる。そして常人をはるかに凌ぐ魔力貯蔵量を持つギンならば、貯蔵量を一時的に空にすることで他の魔力―――敵の魔力を取り込めるのではないかと考えたのだ。

 だがそれには突破すべき幾つかの難問がある。

 まず一つ目に、敵の魔力を吸収するために自身の魔力を解除しなくてはならない。そうしなければ術者自身と吸収された魔力が反発し、上手く取り込むことができずに体内の魔力回路が暴走、決壊する恐れがある。

 そして二つ目に、魔力を吸収するタイミング。

 敵魔力を吸収するために一時的にせよ魔力を完全解除するということは、何の武器も、防具もせずに裸一貫で闘うに等しい自殺行為に他ならない。故に吸収するタイミングは一瞬。これに失敗すれば確実に殺される。

 それでも不思議と恐怖はなかった。

 勇気と無謀は紙一重。その判断を誤り死んでいった同業者をこれまでに何度も見てきた。

 生き残るために必要なのは慎重すぎるほどに臆病なことだと理解もしている。それでもギンは危険を冒すことを選んだ。一刻も早くレイの元に辿り行くために、自らの命を金貨(チップ)に変えて、この敗北濃厚な賭けに投じてみせる。

 やめろ。何度も頭の中で冷静な声が響く。

 しかしその全てを意識的に頭の中から締め出す。

 できる! そう自分自身に強く言いきかせた。

出来ないという思いが集中力を妨げ、失敗の危険性を高めるのなら、自分には出来ると自分自身を信じることで成功の確率を一パーセントでも上げた方がいい。

 以前までならこんなこと考えもしなかった。だが、テオとの戦いを経てギンの認識は変わった。誰のことも信じられなければ、結局の所は自分自身さえ信じることは出来ないのだと。

 故に、ギンは信じる。

 自分自身を。

 その結果、頭の中からネガティブな情報が遮断され、これまでにない集中力を生み出していた。眼前に迫る脅威を前に、ギンの意識は極度に圧縮され世界が非常にゆっくりと流れていく。

そしてアカツキから漏れる魔力を己が刃圏に捉えた。

 瞬間。自らの勝利を信じて疑わないアカツキの双眸が怪訝に見開く。

 続いて、剣戟音。そして火花。

 結果だけを見れば起きた現象はそれだけ。

 しかし忽然と自身の魔力が消失したアカツキが受けた衝撃は尋常ではなかった。

 「な⁉」

 驚愕の声を漏らしつつ、アカツキが大きく跳び退る。

 「貴様、一体‥‥‥何をした?」

 そう尋ねながらも、少しずつ冷静さを取り戻していくにつれて先程の怪現象の正体を理解し始めていた。同時に、信じられぬと壊れた人形のように頭を振る。

 そんなアカツキの疑問に応えるように、ギンが口を開いた。

 「陰ノ秘剣―――『喰羅魔(クラマ)』」

 次いで、ギンの体からこれまでと比較にならない量の魔力が閃光となって迸った。

 呆然自失に目を丸くしながら立ち尽くすアカツキへと歩み寄る。

 「‥‥‥馬鹿な‥‥‥魔力を吸収するなど‥‥‥」

 「終わりだ。武器を捨てろ。お前に勝ち目はない」

 冷厳と告げられる勧告に、アカツキの相貌が一際大きく歪んだ。

 「ふざ‥‥‥けるな。貴様にだけは‥‥‥負けるわけにはいかない!」

 小さな肩を震わせ、挑みかかってくるアカツキの剣を受け、数合やりあった末に軽々と弾き飛ばした。それでも尚、懸命に抵抗を続けようとするアカツキだったが突如、糸の切れた人形のようにガクリと崩れ落ちた。同時に残っていた死霊兵たちが次々と動きを止め、次いで崩壊し、やがて塵となって四散した。

 「‥‥‥クッ、こんな時に」

 「どうやらお前も相当無茶してたみたいだな」

 「黙れ! 全ては貴様を殺すためだ!」

「そこまで俺の事が憎かったのか?」

 「当たり前だ。世界中で誰よりも貴様が憎い!」

 「そうかよ。でも悪いな。俺にはお前に恨まれる理由が解らない」

 「くっ‥‥‥、貴様ッ‼」

 「俺にはここ三年の記憶しかない」

 「―――ッ⁉」

 「記憶喪失なんだ。だからお前のことだけじゃなく、それ以外の事も何も覚えてない」

 「‥‥‥本気で言っているのか?」

 「当たり前だ。こんな嘘をつく理由が他にねぇだろ」

 真偽を確かめるように懐疑の眼差しを向けてくる。

 「だから教えろ。三年前、俺は何処で何をしていたのか? そして俺が何者なのか?」

 突きつけていた刃を降ろす。危害を加えるつもりはないと行動をもって示した。つい先ほどまで殺し合っていた相手を前にさすがに無防備すぎるかもしれぬという懸念は、続くアカツキの言葉で杞憂に終わった。

 「いいだろう。私の知る限りのことを全て話してやる。だが勘違いするな。それで貴様の犯した罪が消える訳じゃない。必ず報いは受けてもらうぞ」

 「嗚呼、解ってるよ。だけど詳しい話はまた今度だ。今はアイツを追いかけないといけない」

 それだけを言い残し、その場を立ち去ろうとすると。

 「変わりませんね」

 「あ?」突然、アカツキの口調が変わったことに驚き、肩越しに振り返る。 

 しかし直ぐに顔を俯け「何でもない。さっさと行け」と、元の口調に戻ってしまう。

 その姿に思わず笑みが零れた。それを見たアカツキから憮然とした視線が向けられる。

 「何だ、笑うと案外可愛いんだな」

 「な‥‥‥ッ‼」顔を赤らめ口籠る。その姿は年相応の少女そのものに見えた。

 そして、踵を返し城へと続く橋を目指しギンは雪を蹴り上げる。その後ろからユキが追い付く。わずか数分と云えどあれだけの死霊兵を独りで押しとどめていたユキの体には無数の傷痕が奔っていた。だが傷の痛みも、戦闘による疲労も一切感じさせず隣を並走するユキから、背中に乗れ、という無言の意思を受け取りギンは薄く微笑むと遠慮なく背に飛び乗った。


 地獄絵図と化した城の中を駆け抜け、最上階。深層へと続く扉の前で止まったギンはユキの背中から降りると、労うようにユキの柔らかな毛並みを指間で梳くように撫でてやる。

 「ここからは俺一人で行く。お前はここで待っていてくれ」

 「ガルゥゥゥ」一緒について行く、とでも言うようにユキが唸る。

 「ありがとな。だけど駄目だ。お前を一緒には連れて行けない」

 元々、第一層相当の潜在能力しかないはずのユキは、三日にも渡って階層を横断し、その直後に死霊兵との戦闘で、体力のほとんどを使い果たしていた。如何に魔獣と云えどここまで共に戦った仲間にこれ以上の無理はさせられない。

 そんな思いを察してか、ユキが哀切な声を洩らし鼻先を悄然と俯けた。

 「だからお前はここで休んで体力が戻ったら、また俺たちを助けに来てくれ」

 「クゥゥン――――」了解したのか、頬を摺り寄せてくる。

 「じゃあ、行ってくる」

 ユキとの別れを済ませ、ギンは扉の方へと歩みよる。

 「‥‥‥そう言えば、鍵ってどうなるんだ?」

 各階層間を渡る際に必要となる鍵は、各階層の番人を倒さなくては手に入らない。加えて鍵の使用は一度に数分しか効果がない。レイが扉を潜っているとすれば数十分前になるはずだ。鍵の効果がなくなっていても不思議ではない。ユキと湿っぽく別れておきながら今更戻るのは余りにも恥ずかしい。藁にもすがる思いで扉前へと進む。その思いが実ったのか鍵の機能はいまだ失われてはいなかった。扉の中には一面暗闇が拡がっていた。おずおずと手を伸ばすと触れた部分から不可視の力に引き寄せられ、吸い込まれていく。

 一秒が永遠にも、永遠が一秒にも感じられる奇妙な浮遊感。

 そして気が付くと、白い大理石が敷き詰められた石畳の上に佇んでいた。

 「ここが、深層?」

 そこはギンが思い描く戦争遊戯と大きくかけ離れていた。

 各階層に広がる空間に果てはない。外界と同じく何処までも続く世界が広がっている。それ故に冒険者は広大な世界を旅し、魔具や遺物を見つけて凶悪な魔獣や番人と闘う。だがこの世界に広がるのは無限の暗闇と真っすぐ続く道と階段だけ、という簡素な創りだった。

 第二層『明けの夜の世界』とは異なり、空には黒く染まった太陽が世界を照らしていた。

 振り返り、恐る恐る外周部へと歩みより、そこから下を眺めた。そこには扉の中同様果てのない暗闇が拡がっていた。誤って落ちれば助かるのか、それとも死ぬまで落下し続けるのかは分からなかった。間違っても試す気にはならない。落下だけは避けようと認識を強くし、ギンは永遠にも思える長い道へと振り返る。

 「さて、走るか」

 ユキも一緒に連れてくればよかった、という邪念は頭を振って払い落とす。

 意気を新たにギンは駆けた。そして最初の階段に足を踏みかけると同時に、ギンは階段の上に探し人であるレイの姿を見つけた。

 コチラに背を向けている所為で表情を窺い知ることはできない。しかし遠目からは目立った外傷も見当たらない。そのことでギンは僅かに気を緩めた。すると段上のレイがコチラに気付いたのか身を翻した。目が合うとレイは嬉しそうに微笑んだ。釣られてギンも相好を崩した、その時、奇妙なものを見た。それはレイの頭上―――炭をぶちまけたように黒い空に、燦然と輝く光点があった。星と思っていた点は次第に大きさを増していき。

 「――――――ッ‼」

 接近する飛来物を認めると同時に、ギンは大きく飛び退いた。

 直後、先程までいた場所に無数の光矢が降り注いだ。

 「破軍⁉」

 巧みな受身で落下の衝撃を最小限に抑え、身を起こしたギンは段上に佇む金髪の佳人を凝視する。黒い太陽が背後に重なっている所為で表情が翳り窺い知ることが出来ない。

 もう一人、先行していた執行者マクベスに魔力により操られている、という可能性が脳裡を過る。そうでなければレイがコチラを攻撃してくるわけがない。ならば術者が必ず近くに潜んでいるはずだ。そう考え周囲に意識を向けるが、何も感じなかった。

 「操られているわけではありませんよ」

 鈴を転がすような玲瓏な声が響き渡る。

 「何?」

 じゃあ、何故破軍で攻撃したのか? その心意は直後、本人の口から語られた。

 「アナタにはここで、この戦いから退場してもらいます」

 そう呟くと同時に足元から無数の蔓が伸び上がった。

 「コイツは⁉」

 凝然と見つめるその先。レイの隣にいつの間にか仮面を被った男が佇んでいた。

 「紹介します、彼はマクベス。三年前から密偵として執行者に潜入させていた、同志です」

 「同志?」

 「ええ、そして今回で、見事その役目を終えてくれた」

 「話が見えないな。そもそも何で、俺を殺そうとする?」

 仲間じゃ、相棒じゃなかったのか? という言葉は寸前で呑み込んだ。

レイから向けられる殺意は、仲間に対して向けるもとしてはあまりにも冷たすぎた。

 「我々が目指す理想郷を実現させるためには、アナタという存在は邪魔なのです」

 声音こそは記憶にあるレイと一寸違わなかったが、そこに宿る冷たさはギンの知るレイとは似ても似つかなかった。

 「ですが、アナタのこれまでの活躍は評価に値します。その点を踏まえ特別にアナタの質問に答えて差し上げましょう」ニコリと柔らかく微笑みつつ、ギンを睥睨する彼女の瞳からは人間らしい感情が何も感じられない。ゾワリと全身が総毛立つ。気圧されていることを気取られぬよう、ギンは敢えて不敵に微笑んでみせる。

 「なら教えろ――――お前、誰だ?」

 この問い掛けに対する答えを持ち合わせていなかったのか、レイは一瞬キョトンとした顔を浮かべるが、直に怜悧さを取り戻すと、何が可笑しかったのかクツリと微笑する。

 「酷いですよ、ギン。ここまで共に苦難を乗り越えてきた仲間ではないですか」

 「ぬかせ。その仲間を殺そうとしたのはお前だろうが。さっさと答えろよ」

 「私はレイ。レイ・アーカディア以外の何者でもありません。ですがそれはアナタが望む答えとは異なる。‥‥‥仕方ありませんね、語るとしましょう。三年前に起きた―――真実を」

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