間章②
地獄と化したその場所で、少女は呆然と立ち尽くしていた。
足元に広がる夥しい量の血が、この場で起きた惨劇のすべてを物語っていた。
ついさっきまで一緒だった幼馴染の少女は、今や物言わぬ骸と化して血の海に沈んでいる。
苦悶に引き攣った表情はまさに断末魔のそれだ。
死んでいる。考えるよりまず先に、その認識が頭を過った。これまでにも多くの人の死を目の当たりにしてきた。戦争に巻き込まれ、故郷を焼かれ、捕まった村人たちは皆、捕虜にされるか、兵士たちの慰め者にされるか、もしくは見せしめのために殺された。
両親や二人の兄と姉たちも皆、大人だからという理由で殺された。それほどの悲惨な経験を経ても、これ程の地獄は見たことがなかった。
奴隷として売られ、何が起きているのかもわからぬままに連れてこられた『白い部屋』。
そこで同じように集められた子供たちと部屋の中央に座す異形の血を呑むように促された。
勿論、奴隷として買われた少女に拒否権など初めから存在しない。
それを拒むことは即ち、死を意味するからだ。故に吞んだ。その結果がどうなるかなど考えるより先に渡された杯に注がれた赤黒い液体を一滴残らず飲み干した。
直後、全身を燃えるような痛みが襲った。部屋は、たちまち子供達の悲鳴で埋めつくされた。
やがて、悲鳴は止み。朦朧とする意識の中、少女は起き上がり辺りを見渡し―――慟哭した。
他にも少女と同じように生き残った子供は何人かいたが、その全てが少女と同じ反応を示した。気が狂い泣き叫ぶ者。呆然と立ち尽くす者。中には虚ろな眼をして笑っている者もいたが、そのどれもが正気を保っていなかったことは明らかだった。
しばらくすると、白衣を纏った大人たちから盛大な拍手が起こる。
「おめでとう! 諸君は、神に選ばれた特別な存在へと生まれ変わったのだ!」
何の反応も示すことの出来ぬ子供たちに構わず、大人たちは続ける。
「そしてこれから、王国の守護者として、世界に平和と秩序を齎してもらいたい!」
その後も延々と訳の分からない話が続いたが、その場に居合わせた誰一人としてその話を真面に理解することはできなかった。
『白銀』。少年は自らをそう名乗った。
無論、本名ではなく執行者に与えられる識別名(コードネーム)だ。
自分たちとそう歳は変わらないだろう。雪のような銀髪と血のように紅い瞳をした小柄な少年だった。一見しただけではとても強そうには見えなかった。だが監督官から、少年の指揮の元、任務に当たれと命令を受けた以上、少女以下数名の子供たちに拒否権はなかった。
でもそれは拒否できないだけで、不安や不満を隠す必要はなかった。
少女を含め、他のメンバーから懐疑の念を向けられても少年は眉一つ動かさず泰然自若とした態度を貫いていた。その様子に他のメンバーは毒気を抜かれたようで、司令部から発せられる命令に意識を向け直す。
『聖別』に選ばれた子供たちは皆一様に、常人離れした身体能力、生命力、魔力を有している。そうでなければ『聖別』に耐え抜くことは出来なかっただろう。そうして生き残った子供たちは、王国にとって都合の悪い人間を始末する『執行者』としての教育を受ける。
其処に自由や人権といった、人間なら誰もが持つ当たり前の権利は存在しない。
いや、そもそも少女たちは人間ですらなかった。
神の血である『聖血』を呑み、生きている時点で子供たちは人ではなくなり、『神兵』と呼ばれる高位の存在へと生まれ変わったのだと教育を受けていたからだ。
話を聴いてしばらくは信じられなかったが、『聖別』以降、世界の見え方は大きく変わった。
研ぎ澄まされた五感により数キロ先の針が落ちる音や、遠くの獲物を肉眼で捉えられるようになった。他にも身体能力が飛躍的に向上し、魔力と呼ばれる潜在能力にまで覚醒した。そのことを実感するにつれ大人達の話を信じるようになった。
自分達は神に選ばれた存在であり、世界の守護者たる王国に仇なす罪人を裁くことが神から与えられた使命なのだと。故に、正義の執行人である自分達の指揮官が同じ子供、それも自分たちより弱そうな少年に従わなければならないことに誰もが程度の差はあれ不満を懐いていた。
結論―――自分達は、神に選ばれた存在でも、ましてや正義の執行人でもなかった。
匣の未開拓領域調査。それも執行者にとっての重要な仕事のひとつだ。
前人未踏。それ故に危険であり、また莫大な利益を生む可能性を秘めている。
ハイリスクハイリターン。しかし、冒険者とは違い執行者が手に入れた情報、遺物の利益はすべて王国の財となる。どれだけ命懸けで働こうとも執行者が得ることの出来る益など欠片もない。それでも子供達に不満はなかった。
王国の運営には莫大な資金が必要になる。その為、未開拓領域の調査で得た遺物は多くの利益を王国に齎し、その結果国は潤い、民は幸せになる。それは神に選ばれた自分達にしか出来ぬ役目なのだと誰もが信じて疑わなかった。
だが、匣へ侵入してしばらく。第三層へ足を踏み入れた直後、部隊が散り散りに分断された。
匣に仕掛けられた罠で足を踏み入れた瞬間に階層の何処かへ強制的に転移させられた。これにより部隊は四散し、各自で深層へと続く扉を探し出さなくてはならなかった。だが単騎で攻略できるほど匣は甘くない。ましてや経験、知識、実力の全てにおいて未熟な子供達では尚更。
三日と経たずに部隊の半数が命を落とした。少女は合流した仲間と共に深層を目指したが、その途中で強力な大型魔獣と遭遇し、少女以外の仲間は無惨な最期を遂げた。あっという間の出来事だった。何が起きたのか理解する間もなく、たった独りになった少女は必死に抵抗を続けたが、それも風前の灯火である。
逃げた先の袋小路に追い込まれ、逃げ場を失った少女は迫りくる死を前にただひたすらに涙し蹲っていることしか出来なかった。神に選ばれた存在等と傲慢にも思い上がっていた自分自身の愚かしさを激しく呪いつつ、今更詮無い事だと諦めてもいた。
その時だった。少女を背に庇うように銀色の髪をした少年が現れたのは。
「邪魔。下がってろ」
ひどく億劫そうにそれだけ告げると、そのまま魔獣の方へと向き直る。
「‥‥‥駄目、勝てる訳が‥‥‥ッ!」その続きは声にならなかった。
可視化できるほどの魔力が視界を埋め尽くした。吹き荒れる砂塵に溜まらず腕で顔を覆った。おずおずと瞼を持ち上げ少女は見た。
迫りくる魔獣を一刀のもとに斬り伏せてみせる少年の姿を。
魔獣の血に赤く濡れた谷間で、少年がゆっくりと振り返る。
「俺についてこい」
それだけ呟き、少年は再び歩き出す。
遠ざかっていく背中を見つめながら少女は思った。
彼こそが神に選ばれた存在である、と。
少女は起き上がるや、少年の後を追いかけた。
未だ体の震えは止まらない。でもそれは、先刻までの死を前にした恐怖ではなく。
本物の、特別な存在に対する、憧憬からくる震えだった。
この時に少女―――識別名『暁』は誓った。
彼に―――『白銀』の為にならこの命を捧げてみせる、と。
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