第二層

 冒険者の大多数が口をそろえて言う。『迷宮型(ラビリンス)』にだけは足を踏み入れるな、と。

 複雑に張り巡らされた坑道やトンネル。狡猾な罠。襲ってくる魔獣の数にいたるまで、迷宮型が冒険における屈指の難易度を誇ると云われる所以である。反面、迷宮型には無数の遺物が眠っている。中には魔具の上位互換である『神器』相当の代物が発見されることもある。

そのため、一獲千金を夢見た者や、借金で進退窮まった者たちが危険を承知で挑み、迷宮型の未生還率を上げる要因になっていた。

 それほどまでに危険な迷宮型が此処、第二層には無数に存在している。

 『夜の明けぬ世界』―――大地は雪のように白い砂漠に覆われ、所々に小さな門が佇んでいた。その全てが迷宮へと通じる扉であり、その中のどれかが第三層へ続いている。そして、隠し扉を通じて第二層へと足を踏み入れて今日で二十日目。その間、ギンとレイが攻略した迷宮の数は四つ。だが、依然として三層へ通じる扉どころか鍵すら見つけられていなかった。

 「大丈夫ですか?」

 ここまで攻略の大部分を担ってきたギンを慮ってレイが訊ねた。

 「心配ねぇよ。それより急がないと他の奴に先を越される」

 事も無げに首を振り、踵を返したところで徐に腕を掴まれた。 

 「いえ、大丈夫ではありません!」

 「‥‥‥放せよ」

 「放しません!」

 「おい、いい加減に‥‥‥」

 「いい加減にするのは、ギンの方です!」

 「‥‥‥‥‥‥」

 「どうしてそこまで協力を拒むのですか?」

 「その方が確実だからな。それにお前を守りながらじゃ闘い難い」

 「いえ、仮にそうだったとしても、それだけじゃないはずです。違いますか⁉」

 「何が違うって?」疲労のせいか、眉間に皺をよせ不快感を隠そうともしないギンを前にして尚、レイは一切臆した様子もなく毅然と言い放った。

 「アナタが一人で闘うのは、アナタが弱いからです」

 そんなもの唯の詭弁に過ぎぬと、一笑に付すことも出来た。

 しかし、レイが言い放ったそのひと言は、ギンにとって看過できるものではなかった。

 「‥‥‥俺が‥‥‥弱い‥‥‥だと?」

 言葉の意味を咀嚼し、理解するまでに数秒を要した。

 盗まれる方が悪い。奪われる方が悪い。騙される方が悪い。力がなかったことが悪い。

 その結果、殺されたとしても殺された方が弱いから悪い。

 家族だと、兄弟だと言っていた子供たち。一緒にゴミを漁り、冒険者として共に戦い、そして死んでいった者たち。だがギンはその事についてこの世界を恨んだことなど一度もない。

いや、死んだ者たちの弱さを呪いすらした。弱いくせに無理をするから命を落とす。弱いから弱みに付け込まれ簡単に騙され金をとられる。そして残された者の心に深い傷跡を残し、自責の念から心が病む。後はその繰り返しだ。

弱いから誰も守れず、騙され、搾取されていく。

強くなるしかなかった。そうする他に生きる術などなかったから。

ギンは確かに強くなった。奪われる側から奪う側になった。

だからこそレイの放ったひと言はギンに衝撃を与え、同時に容認することは出来なかった。

認めてしまえば、今まで積み上げてきたことが無駄になるという予感がギンを蝕んでいた。

最早、隠そうともしない殺意が庇護すべき相手へ容赦なく向けられる。

殺すつもりはない。が、それは同時に死ななければ何をしても構わないとも受け取れる。

強すぎる殺意が極度の集中力を生み出し、時の流れがひどく緩慢に感じられた。その中でギンは意識を研ぎ澄ませ、彼女の返答如何によっては腕の一本くらいは貰うと決意した。

 「はい、アナタは弱い」レイは迷うことなく言った。

 瞬間、ギンの中で膨れ上がった殺意は半ば条件反射的に刀を抜き―――だがそこでギンは動きを止めた。

 彼女の瞳から一筋の涙が頬を伝っていた。

 涙など、弱さの象徴に他ならない。そう信じて疑わないギンであったが、レイの流す涙が自らの知る涙と違うことは容易に察せられた。不意に脳裏にサクラの姿が蘇った。そしてこれは彼女が時折、独り部屋で声を殺しながら流す涙と同じものでもあった。

 「誰よりも強いアナタが、他人を信じる事ができない。いえ、信じることを恐れている」

 「――――ッ‼」

 心臓を直接鷲掴みにされたような衝撃に言葉を失い固まるギンに、レイは更に言葉を重ねる。

 「だけど私が一番許せないのは、アナタが、アナタ自身のことすら信じていないことです」

 「俺が、俺を信じていない?」

 「アナタを見ていると、私も痛くなるんです」

 悲痛に声を震わせ、レイは銀色の鎧に覆われた胸の上においた手をきつく握り締める。

 「だからお願いします。どうか―――独りになろうとしないでください」

 涙に濡れた青玉の瞳が真っすぐにギンの瞳を射貫いた。

 その姿が、外界で帰りを待つサクラの姿と重なり―――。

 突如、胸の奥底が熱くなり頬を伝う馴染みのない感覚に襲われた。怪訝に思い触れてみると指先が薄く濡れていた。それが涙だと、ギンが弱さの象徴として、自分には必要のない感情だと切り捨てていたモノだと気付くのに更に数秒を要した。

 「何で、こんな‥‥‥⁉」

 「これまでずっと、そうしたかったのではありませんか?」

 「‥‥‥ありえねぇ…‥‥俺は‥‥‥」 

 その続きは言葉にならなかった。

 彼女の瞳に映る少年の姿があまりにも脆く、触れれば砕け散りそうに思えたからだ。

 先程までの意気を削がれたギンは、レイの手を振り払うと踵を返すと、逃げるようにその場を後にした。


 迷宮から脱出する間、二人の間には重い沈黙が広がっていた。

 長く続く迷路を抜け、数日ぶりに第二層『開けぬ夜の世界』地上への生還を果たした。

 広がるのは無窮の曠野。雲一つない夜空を見上げれば冴々とした光を放つ満月が大地を照らしていた。石造りの扉が墓標のように立ち並び、開いた扉の先には月明りすら届かぬ常闇が広がっていた。既に最深部を守る魔獣が討伐された扉は固く閉ざされ、それ以上の侵入者を拒んでいる様だった。その中から第三層へと続く扉と、第二層を守護する番人をみつけ倒さなくてはならにない。

 ここに至るまで他の冒険者は誰一人見ていない。だが第一層で見かけた番人の骸。あれ程の魔獣を傷一つ負わずに仕留めた者がこの世界に足を踏みいれている。その事が二人から精神的な余裕を奪っていた。冒険者にとって焦りは禁物。だが悠長に構えて先を越されては元も子もない。だからこそ第二層進出以降、一見無謀にも思えるギンの行動をレイは黙認していた。

 しかし。

 「一度、安全圏に向かいましょう」

 『安全圏』は、各層に複数存在する、罠や魔獣の侵入を拒む安息地である。

 それは此処、『開けぬ夜の世界』においても同様である。第一層『迷いの森』のように豊富な植物や水の確保が難しく、安全地帯に実る果実や水を補給してから迷宮に臨まなければならない。どんなに屈強な冒険者でも空腹では真面に動くことは出来ない。

故に、レイの提案は受け入れざるをえなかった。

 「体力と魔力をある程度回復させたら直に出発するぞ」

 「それで構いません」

 その時、突如として激しい地鳴りが第二層を襲った。

 「じ、地震⁉」

 「いや、違うこの揺れ‥‥‥、この下からだ!」

 足元から伝わってくる揺れ。その後から何かが崩れる音が聞こえてくる。音はしだいに大きさを増していき、周囲の砂が生き物のように波打ち始める。

 「チッ‥‥‥!」舌打ちを洩らし、レイの元へと一瞬で駆け寄ったギンはそのままレイの肢体の下に手を伸ばし、持ち上げる形でその場から全力で離脱を開始した。

 直後。先程の震源地。二人が元いた地面が内側より爆ぜた。

 高々と舞い上げられた砂塵が滝のように降り注ぎ、その下から巨大な石塊が姿を現した。

 「こ、氷⁉」

 砂漠のど真ん中に現れた全高三十メートルを超える巨大な氷柱。

須臾の間、ギンはこれが匣に仕掛けられた罠かと訝しんだ。

 「うぇ、ぺっぺっ! 最悪だな、服の内側にまで砂が入ったな」

 濛々と舞い上がる砂塵の中から若い男が姿を現した。

 繊細な造りの整った顔立ち、身に纏う長衣越しからでも体の線が細いことが窺える。

黒髪黒瞳、黒を基調とした服装は華美でもなく貧相でもない。よく言えば特徴のない装いである。そんな凡庸な見た目とは裏腹に、男の目鼻立ちには不思議な色香が漂っていた。大人びているようで大人ではなく、子供のようでありながら子供ではない。本来その同居するはずのない矛盾を、絶妙なバランスで保っている。

油断なく男を見据える二人に、男の方が先に気付いた。

男はしばらく驚いた様子だったが直に表情を和らげると、数年来の友と再会したような気安さでコチラに向かって手を振ってみせた。

「知り合いか?」

「いえ、知りません」

冷静沈着な彼女にしては珍しく当惑した様子で、小さく頭を振った。

「‥‥‥おい、アイツ。こっちに近づいてくるぞ」

「一応警戒は緩めないでください」 

男の正体、心意を推し量ることの出来ない二人の当惑を嘲笑うかのように男は弾むような足取りで、二人から五メートルほど離れた地点で足を止めた。

徐に両手が動く。二人はそれを攻撃の予備動作と見咎めそれぞれ得物を抜き放った。

それを見た男が慌てて両手を振る。

「待ってくれ! 俺は敵じゃない!」

「武器を捨てろ、じゃねぇとお前は敵だ」

「悪いが、それは出来ない」

「なら――――」

交渉が決裂した以上、やるべきことは一つ。

眼前の男を、正体不明の冒険者から斬るべき敵として認識を改める。

隠そうともしない殺意に男は更に狼狽を露わに、早口に弁明する。

「いや、武器を捨てないんじゃなくて、捨てられないんだ!」

訳の分からない答えに眉間に皺が寄る。チラリと隣のレイを見やる。彼女もまたコチラを横目に見ていた。「任せてください」と言外に頷いて見せると、質問権をギンから引き継ぐ。

「この国の冒険者ではありませんね?」

「そうだ」男は質問者がレイに代わったことに安堵の溜息を吐くと、鷹揚に頷いてみせた。 

「俺の名はテオ。一応、ルナで聖騎士をしている」

「ルナ?」一瞬レイの横顔に懐疑の気配が過る。

「‥‥‥ルナは二百年前に、滅びたはずでは?」

「くっくっ、可笑しなことを言うな。冗談ならもっとマシなのにしてくれ」

その振る舞いに嘘の気配は感じられない。少なくともテオ自身はそう思っている様子だ。

「一つお聞きしたいことがあります」

「いいよ。だけどこれ以上俺の祖国を侮辱する発言は、たとえ冗談でも控えてくれよ?」

「判りました」レイは頷き、短い前置きの後に質問を口にする。

「アナタはこの世界に足を踏み入れて一体如何ほどの時間をお過ごしでしょうか?」

その問い掛けに、テオだけでなくギンまでも怪訝気に眉間に皺を寄せた。

「三か月かな」

質問の意味を図りかねた様子のテオは、それでも馬鹿真面目にも返答を口にする。

その答えを受けたレイは、苦虫でも噛んだような渋面を作り沈黙した。

その様子からただ事ではないと見抜いたギンが、ボソリと訊ねる。

「おい、急に黙り込んでどうした?」

「私たちはもしかしたら、とんでもない勘違いをしていたのかもしれません‥‥‥」

「勘違い?」

「この匣は、もしかすると――――」

突如、先刻を上回る地鳴りが奔った。

立っていることすら困難な激しい揺れ。三人は中腰の姿勢で倒れないように姿勢を保った。 

不意に視界が翳った。

月が雲に隠れたのか? ふり仰いですぐに月明りを隠したのが雲でないことを悟った。

ゆらり、と影が動き。次いで衝撃が曠野に波響した。

「巨人種(タイタン)⁉」

全高三〇mに迫ろうかという巨躯。並みはずれた生命力をほこる化け物。

冒険者にとって『触れてはならぬ存在(アンタッチャブル)』のひとつ。

視界に映るもの全てを捕食する悪食ゆえに人間、魔獣からも敵と認識される存在。

動く天災。それが巨人種である。

唖然と立ち尽くすレイの体を抱え上げ、そのまま脱兎の如く疾走する。耳元で何やらレイの叫び声が聞こえてきたが、構わず全力で走り続けた。巨人種と人間とでは、一歩の歩幅が違いすぎる。故に補足されてからでは逃げ切ることがほとんど不可能になる。

と、そこでテオの姿が何処にも見当たらないことに遅まきながら気付いた。

逃げ遅れたのか? 肩越しに振り返ったギンは驚愕に瞠目した。

黒衣の騎士は逃げ遅れたのではない。その足は、巨人種の方へと向かっていた。

「あの馬鹿、一体何を‥‥‥⁉」

思わず、見知らぬ騎士の愚行を諫めるべく足を止め、「早く逃げろ」そう叫ぼうとした。

しかし、テオは歩みを止めることなく、徐に右手を宙にかざした。

途端、テオの右手に何処からともなく黄金色に輝く長剣が現れ、テオはこれを握り締めた。

遠目からでも長剣の周囲が陽炎のように揺らいでいるのが解る。

「まさか――――神器っ‼」冒険者ならば知らぬものは言わぬ、匣に眠る秘宝の一つ。

古の時代。神々が地上にもたらした恩恵『魔力』、『権能』、『神器』。

しかし神器はある程度の訓練をつめば体得できる魔力とは異なり、区分としては権能と同じ扱いになる。通常の魔具と異なり神器には意思が介在しており、それ故に持ち主を神器自らが選定する。

岩に突き刺さった聖剣。槍の形をした雷。異界の獣を随える角笛。命中が約束された弓矢。その他にも過去無数の神器が匣より発掘されては、持ち主として選定された者はすべからく英雄として、歴史にその名を刻みつけた。

だがその裏で大勢の者が選定されることなく、選定者を喪った神器の多くは、今や各国の蔵にしまわれ無用の長物と化し埃を被っている。

「『我が王道を示す光(カリブルヌス)』‼」

気合一閃。巨人種まで二〇m以上離れた地点から、黄金の剣が上段から振り下ろされた。

二人の眼には、テオがただ素振りをしただけに映った。

しかし――――。突如、巨人種の体が音を立てて崩れ始める。よく目を凝らすと、巨人種の体、その中央線に縦に真っすぐ一本の亀裂が奔っていることが見て取れた。何が起きたのかまるで解らず呆然と立ち竦んでいると。

 「今すぐここから撤退してください!」

 レイのそのひと言で正気を取り戻した。

 「どういうことだ?」

 「説明は後です! 今はとにかく撤退を‥‥‥ッ!」

 レイの叫びが続く最中。視界の端で巨人種の体が大量の灰となって四散するのが見えた。そして、その中にこれまで見たことのない色をした魔石、の中に入った鍵が視界に飛び込んだ。

 「ギン、何をしているんです⁉ 早く逃げないと!」

 「待て、鍵を見つけた」

 「え⁉」これにはレイも意表を突かれてか、間抜けな声を洩らした。

 「撤退はなしだ。鍵を回収する」

 そしてレイの制止を振り切り、ギンは鍵の落下地点へと急いだ。

 だが無情にも鍵は、巨人種を打ち倒したテオの元へ舞い降り。

 「おっ! もしかして、これ鍵か⁉」

 無邪気に喜ぶテオの背後。気配を殺して忍び寄るや勢いよく刃を振るう。

が、寸前の所で奇襲に気付いたテオは、驚異的な反射速度を以て躱してみせる。

 「二度は言わない。黙って鍵を渡せ」

 「断ったら?」

 「殺す」

「盗人猛猛しいな」

 「馬鹿が、欲しい物は力尽くで奪いとる。それが冒険者だろう?」

 「野蛮だね―――」フッと微笑を浮かべるテオ。

 「―――それじゃあ、俺もそれなりに抵抗させてもらうとしよう」

 そう口にしたテオは長剣を正面中段に構えた。

 その姿を凝然と見据えるギンは、言葉とは裏腹に冷静にテオを分析していた。実のところ、ここで危険を犯す必要はなかった。巨人種を軽く一蹴してのけるような手練れから力づくで鍵を奪うよりも、多少の時間と労力が必用となるにせよ自力で鍵を見つけた方が安全だった。

 自力を見誤り無茶をしたところで、その先に待っているのは『死』だ。

それ故に冒険者に求められる素質とは臆病さと冷静な状況判断力。そして、一握りの運。

ギンは現状、その三要素をすべて満たしていると判断した。

とどのつまり、眼前の騎士テオをこの場で始末すべき脅威と判断したのだ。

 生憎、勝算は十二分にある。二対一の数的有利、周囲に身を隠すような遮蔽物はない。

依然とテオの魔力は判然としないが、それでも巨人種を一刀両断してのける魔力、あるいは神器の性能、そのどちらであったとしても発動までに一瞬の隙が生まれるは間違いない。その隙を見逃さなければ、先刻披露してみせたテオの技は必要以上に畏れる必要はなかった。

 「『全注入』」

 自身の魔力を媒介に魔力を増幅させるギンの固有魔力。本来、血液同様に全身の魔力回路を巡る魔力がギンという器から溢れ、可視化できる程に高まっていく。その光景を目にしたテオから笑みが消えた。そこで生まれた驚愕がギンの初撃に対する反応をわずかに鈍らせた。

 迸る魔力がギンの類稀な魔力制御により刀へと収斂されていく。薄い帯状に伸びた魔力が刀を覆い、レイの破軍、テオの長剣にも引けを取らぬ光輝を放ち始める。

 「第一秘剣―――絶華!」

 彼我の間合いを一瞬にして詰め、裂帛の気合とともに横薙ぎの一撃を見舞う。

 しかし―――。

 それ故に、直後起きた結果を現実のこととして受け入れるのに短くない時間を要した。

 結論、テオは逃げなかった。

躱すでも、長剣で防ぐでもなく、ただ真っすぐに迫る刃を見据え、長剣の柄を握っていた手を放すと、そのままギンの一撃を指先で掴み取ってみせたのだ。

 白刃取り。言葉にすればそれだけで済む。

 だが、渾身の一撃を防がれたギンの衝撃は尋常ではなかった。

 真紅の双眸を驚愕に見開き、刀を振るった姿勢のまま動きを止めてしまった。

 それは一秒が、刹那が、命取りになる剣士にとって致命的な隙になる。

 眼前で起こった非現実にギンの意識は緩慢になっていた。その為、テオが右手の長剣を振り下ろす段になっても反応どころか、視線すら向けていない。

 その時。死角から一条の光矢が飛来した。

 残り僅かな所まで迫っていた長剣の腹を正確に捉え、軌道を大きく逸らした。

 この瞬間にテオの指先が刀から離れた。

 「ギン! 避けて!」

 それと入れ替わる形で無数の光矢がテオを襲う。

だがテオはその全てを軽々と弾いてみせる。

「なっ‥‥‥⁉」

死角。意識の外からの正確無比な射撃を難なく防がれたレイが驚愕に低く呻いた。

「おそろしく正確な射撃だな。だけどその所為で狙いがバレバレだよ」

 不意にテオの視界が翳った。振り向くと、そこには刀を上段に振り上げ間近にせまったギンの姿があった。先程より更に高濃度の魔力を刃に纏わせ。

 その時、ギンはテオの左手に生まれる奇妙な現象を見た。

 陽炎にも似た空間の揺らぎ。そして振り下ろす刃は導かれるように、歪みの方へと吸い寄せられていく。まるで目に見えない力に引き寄せられていくかのように。

 次いで、二度目の斬撃を、テオは片手で掴み取ってみせた。

 一見摘まんでいるだけのようにも見える。だが動かない。

そのまま止められた刀を支点に宙で無防備に停まったギン目掛け、テオは残る右手の長剣を振るった。回避はおろか防御すら間に合わず、長剣がギンの脇腹を捉えた。

しかし斬られる寸前に大きく身を捩じり、辛うじて致命傷を免れた。が、勢いまでは防ぎきれず、そのまま後方に控えるレイと激突。もつれ合いながら大きく後方へと吹き飛ばされた。

 「が‥‥‥あぁ‥‥‥」砂上に転がったギンは、食い縛った歯の間から苦悶の呻きを洩らす。

 致命傷は逃れたものの、斬られた腹からは、夥しい量の血が零れていた。たちまち砂漠に赤い染みが拡がっていく。レイが身を起こしギンの元へにじり寄った。

腰の亜麻布から急ぎ小瓶に入った回復薬を取り出し、栓を開けて中身を傷口に浴びせかける。

焼けた鉄で直接傷口を炙られるような激痛に意識が急激に遠のきかけたものの直に意識は鮮明になり、痛みが和らいでいく。未だ出血は収まらないもののヨロヨロと身を起こし。

 「ギン、撤退を! これ以上は―――」

 「放せ、アイツから千怒を取り返す!」

 レイの制止を振り切り、徐に足元に落ちていた破軍を拾い上げる。

 途端、手にした破軍から伸びる光を弓から刀へと変化させてギンは疾風の如く駆けだした。

 「勇気と蛮勇はまったくの別物だぜ、少年」

 左手の長剣を逆手に持ち替え勢いよく地面に突き刺し――――。

轟然と溢れでた氷塊が、波となってギン目掛けて押し寄せた。

「舐めんな!」

走る速度は緩めず、手にする破軍を今度は剣から楯へ瞬時に換装させる。

二秒後。氷波に呑み込まれるも『全注入』により硬度を増した楯は、冷気すら通さなかった。

―――抜けた!

すかさず楯から刃へと換装し、ギンは猛然と地を蹴る。

それと同時に、左肩に衝撃が走った。

勢いが削がれ、ギンは大きく体をよろめかせた。

驚愕に目を剥くと、左肩を千怒が貫いていた。

そこへ追い打ちをかけるように冷気の第二波がギンを襲う。

全身を鋭い刃物で切り付けられるような激痛に、溜まらず崩れ落ちた。

 「終わりだ」

 首筋に冷たい感触が添えられる。

 ゆっくりと、顔を上げれば、長剣の切っ先を喉元に突きつけるテオの姿があった。

 これまでにも『死』を意識したことは何度もある。

 だがこの時を超える逃れようのない『死』は、これまで一度として体験したことがなかった。

 地下街において、敗北は『死』を意味し。

 弱さとは悪であり、罪である。

 今日まで頑なに力を求め続けてきたギンにとって、ここで敗北を認めてしまえば、その瞬間に、これまで信じ続けてきたもの全てが崩れ去るという確かな予感があった。

 「‥‥‥俺は‥‥‥俺は‥‥‥」

 「ん? さっきまでの威勢はどうした?」

 怪訝に眉根を寄せるテオは、やれやれと小さく嘆息を洩らし。

 「白けたな。もう少し骨のある奴かと思ったが――――」

 テオは小さく頭を振り、「―――悪く思わないでくれ」と呟くや、長剣を高々と振り上げる。

 その時、足元に転がる破軍から突如、直視できない大閃光が迸った。

 「「ッッッ⁉」」

 一瞬にして視界が白く染まる。

混乱の最中、焦りを孕むレイの声が耳朶に響いた。

 「摑まって!」

 直後、二人は迷宮へと続く扉の中へ飛び込んでいた。

 


 迷宮の中は薄暗く、数メートル先すら見通せなかった。

破軍が放つ光を篝火の代わりに、暗く湿った石造りの回廊を進んでいく。

レイはいつ何所から襲ってくるとも知れぬ魔獣や罠を警戒していた。本来ならば後方から援護射撃を生業とするレイにとって、負傷者を伴っての進行は不慣れで、二人の歩みは遅々として進まなかったが、レイは不満も愚痴も漏らさなかった。

 回廊を半刻程進んだ頃、ギンは足を止めていた。怪訝に思い立ち止ったレイが「どうかしたのか?」と小首を傾げる。そこに、ギンを非難する気配はない。元々、こんな暗い穴倉を足音、気配を殺しながら恐る恐る進行するハメになったのも元を辿れば原因はギンにある。レイの制止を振り切りテオと闘うことを選んだ結果がこの様だ。

散々、レイを非難しておきながら、助けられ、おめおめと生き永らえている。そんな情けない自分を嘲笑うように、口元に乾いた笑みを浮かべ、ボソリと諦念交じりに呟く。

 「もういい。俺を置いて先にいけ」

 「え?」

 「俺はここで降りる」

 「何で?」

 「このまま俺を連れていったところで生き残れないからな」拗ねた子供のようなに呟く。

それを聞いたレイはたっぷり数秒黙考した末、逡巡を振り払うように踵を巡らせ、大股でギンの方へ歩み寄り。次いで乾いた音が回廊に響き渡った。

 「しっかりしなさい!」

これまでの隠密行動を台無しにする叫び声は、回廊に長いエコーとなって反響した。

頬に痺れるような痛みが広がる。平手打ちにされたと気づくのに数秒、怒りが再燃するのに更に数秒を要した。

 眼孔を命一杯に開き、額が触れそうな距離から射殺すように睨みつける。

 だがレイは、怯むことなく凜然とギンを見据えていた。

 その姿に意気を削がれ、思わずたじろいでしまう。

 「本当のことだろうが! 俺じゃ、アイツに勝てない!」

 「だから諦めるんですか?」冷徹な声が返る。

 「ッッ! ああ、そうだ。俺は負けた! 負けたんだよ!」

 声を荒げた所為で胸の傷がひどく痛み、さらに表情が険しくなる。

 「負けたから、それが何だっていうんですか?」

 「‥‥‥‥」

 「確かに負けはしました。ですがそれは、アナタの弱さを証明するものではありません」

 「そんなの詭弁だ」

 「いいえ」レイは迷いなく頭を振る。

 「たった一度の敗北で全てが終わってしまうと、アナタは本気でそう思いますか?」

 直には答えられなかった。ギンも頭の奥底ではレイの言葉の正しさを認めているが故に、何の反駁も出来ずにただ固まっていることしかできなかった。

 「負けたのなら、また挑めばいい。命の続くかぎり何度でも」

 そんなものは唯の綺麗事だと、一笑に付すことはできなかった。

 諦めなければ必ず夢は叶う、そんな寝言のような台詞を吐く奴をこれまでにも大勢見てきた。でもそれは今までの努力を、夢や願いを無駄にしない為に、己自身に諦めないことが正しいと暗示をかけているだけに過ぎない。だがレイの瞳の奥に宿る光は、それらの自己欺瞞とは一線を画すものに思えた。

 レイは出来ると信じている。

 当然のように。鳥が空を飛び、魚が水の中で呼吸出来るのと同じように。

諦めなければ不可能なことなど何もないと、レイの瞳の奥に宿る光はそう物語っていた。 

 生きている限り不可能なことは幾らでもある。儘ならぬことも、悔しさに歯を食い縛ることもある。だが、出来ることを出来ないと思い込んだ結果、不可能になることはある。あと少し手を伸ばせば届くという所で、自分には無理だと自身に蓋をすることで可能は不可能に変わる。

 だがそれは容易なことではない。 

 不条理な現実を前に多くの者が心を折られ、それが現実なのだと眼を反らす。

 地下での暮らしの中で、ギンは何度もそのような光景を目にしてきた。

 何も望まず、何も省みず、ただ無為に日々を浪費していくだけの人生。  

 傷つくことを恐れ、進み続けることを拒んだ者たち。

 その行き着く先が、どういうモノなのかはもう知っている。

 そして、気が付けばギン自身もすっかり同じ色に染まっていた。

 途端、胸の中に広がっていた霧が晴れていくような気がした。

 変わらず一寸先も見通せぬほどの暗闇の中で、視界が鮮明になっていくようだった。

 「少しは落ち付きましたか」

 コチラを見透かしたような物言いに、憮然とレイを睨みつける。が、それもほんの束の間。

眉間に寄った皺がとれ、幾らか表情を柔らかくしたギンは内側に溜まった邪気を払うように長く息を吐き出し、努めて意識を切り替えた。

 彼の聖騎士に必ず勝てる、いや―――勝ってみせると。

 それと同じく、冒険者としての冷静な部分が、テオに勝つのは不可能だと告げていた。

 いくら意識を切り変えたところで、彼我の戦力差は何も変わっていない。

 ギンの思考を察してか、徐にレイがある提案を口にする。

 「私に、策があります――――」


 レイが提案した作戦には十分な勝機と危険度が含まれていた。

一か八かの賭け。失敗が死に直結する。それでもギンにとっては十分だった。

一度は敗れ、諦念の海に沈みさえした。それを想えば、いまさら死ぬことを恐れ、躊躇う必要などなかった。

 「それで勝てるなら、何だってやってやる」迷いなく告げる。

 これを受け、レイは驚いたような反応をみせた。

 「‥‥‥少し以外です」

 「何が?」

 「あ、すみません! 何でもないんです」 

 慌てて誤魔化そうとするレイであったが、ギンの無言の圧に屈すると、不承不承といった風に口を開いた。

 「私の話を信じてもらえるとは思っていなかったので」

 確かに、これまで必要最低限の情報交換はするものの、それ以外は頑なにレイとの協力を拒み続けてきた。ギンにとって、レイは守るべき保護対象でしかなかったからだ。それ故に、レイを戦力に含めなかった。劣悪な地下街で育ってきたギンにとって、地上の、しかも王女など、利用することはあっても、共に手を携えて戦う相手ではなかったからだ。

でもそれでは、テオに勝つことは不可能だと、認めるだけの冷静さは残っていた。

 「勘違いするなよ? あくまでも一時的に協力するだけで、俺はお前のことを認めたわけじゃないからな」

 皮肉交じりに、そう嘯いてはみたものの、先程の醜態を思うといつものように一笑に付すことは出来なかった。その為、強い言葉で自身の羞恥心に厚い鎧をまとい強引に誤魔化そうとした。だが、レイはそのわずかな感情の機微を鋭く察知し、やれやれという風にため息を零す。

そのことが余計にギンの羞恥心を刺激した。逃げるように明後日の方角に顔を背ける。

 「作戦の前に、話しておかなければならないことがあります」

 今更向き直るのも気恥ずかしいので、体の向きは変えぬまま、横目でレイを見やる。

 「この匣は、これまで私たちが体験してきたどの匣とも違います」

 今更何を言い出すのか、と怪訝な眼差しをレイに向けながらも、ギンは話の腰を折るような真似はせず、最後まで聞き手に徹するべく努める。だがそれも、直後レイが言い放ったひと言によってあっけなく打ち砕かれた。

 「現在、匣舟の中を流れる時間と、外界を流れる時間との間に大きな差異が生じています。その差は少なく見積もっても五十年ほど」

 「は? 五十年?」思わず呆けた声が漏れた。

 無意識に体ごと向き直る。遅れてその事に気付いたものの後の祭りである。ギンは誤魔化すように小さく咳ばらいを一つ挟むと、レイの表情から虚偽の可能性を探った。しかし真剣な光を湛えるレイの瞳からは、悪戯や虚偽の気配は微塵も感じられなかった。

 「驚くのも無理はありません。私がその可能性に思い至ったのも、彼が二百年前の大英雄『聖騎士テオ』その人だと確信したからです」

 「二百年? 大英雄?」

 レイの云わんとすることの意味を図りかねる。

 「二百年前。初代女王パンドラが生きていた時代の話です。当時、異民族の進行に苦しみ、貧困に喘ぐルナという小国が大陸の西にありました。周囲を列強諸国に囲まれ、いつ滅びの道を辿ってもおかしくないルナでしたが、他の国々はルナに攻め入ることが出来ませんでした。それもたった一人の騎士を恐れてのことです。騎士の名をテオ。聖剣に選ばれた彼は、その力を以て侵略する異敵をすべて討ち払い、周辺諸国と手を結びルナに平和を導いたとされる大英雄です。その名は今でも伝承として世界中で語り継がれるほど」

 あまりに飛躍した話についていけず、狼狽を露わにギンが口を挟み込む。

 「じゃあ何か? アイツがその二百年前の英雄だとでも言うつもりか?」

 冗談だろう? 同意を求めるようにレイを見つめるが、レイは無言で首を横に振った。

 「ギンもみたでしょう。彼の実力を。あれは紛れもなく本物でした。そして伝承には続きがあります。ルナに平和を取り戻したテオは、その後歴史上から姿を消しています。その証拠にテオという守護者を失ったルナは、それからわずか数年で異国からの侵略により滅びています。そして彼はその事実を知らなかった。そこから導き出される答えはひとつ。この匣を流れる時間が、私たちの知る匣よりもずっと遅く流れているということです」

 第七地下街にある匣では、匣内部の数日が外界の一時間にも満たない。その為、冒険者の中には匣の中で一生の大半を過ごす者もおり、噂では十代の若い冒険者が匣内部で罠にはまり、脱出できぬまま、匣の中で歳を重ね衰弱死したという。

勿論、これは単なる噂、法螺話の類だろう。しかしその噂が冒険者たちの間に流れるほどには匣の中を流れる時間は、外界より早く流れていた。

 そして今回も御多分に漏れず、数か月、最悪一年近く潜るハメになったとしても外界では一週間にも満たぬはずであったが。もし本当にレイの話が本当だとすれば、匣の外ではこうしている今も目まぐるしい勢いで時が流れていることになる。

それは外界に残した大切な人との永遠の別れを意味していた。 

 あまりに途方もない悪夢のような話に、絶句し固まっていると徐にレイが頭を下げた。

 「本当にごめんなさい」

 「何でお前が謝るんだよ」

 「私が、アナタを巻き込みさえしなければ、こんなことにはならなかった‥‥‥」

 顔を伏せるレイの肩は小さく震えていた。

 しかし、赦すことはできなかった。

 レイを許せないんじゃない。レイに要らぬ世話を焼かれている自分自身が赦せなかった。

 「顔を上げろ」努めて自然に聞こえるよう声を掛けた。

 おずおずと頭を上げたレイはきつく眼を閉じていた。まるで何かに耐えるように、十字架を背負う咎人のように。ギンが告げるである罰を誤魔化し、逃げる事もなく神妙に待ち続けていた。その姿に思わず口元に笑みが零れた。それは自然と声音からも相手を糾弾する気配を排斥していた。

 「自惚れんな」楚々と持ち上げた手刀をレイの頭頂部へ振り下ろす。

 突然のことに今度はレイが呆然と眼を見開き、立ち尽くした。

 「ギン?」

 未だ状況が呑み込めていないレイに、ギンは敢えて不敵に笑ってみせる。 

 「勘違いするな。俺はお前のことを恨んでないし、ましてやお前に巻き込まれたとも思ってねェ。俺は、俺の意思でここにいる。まぁ強いてお前に思うところがあるとすれば、隠れ家がバレて、溜め込んでた遺物のほとんどを失くすハメになったことくらいだよ」

 最後に冗談めかしてそう告げると、レイは口元をきつく引き締め、小さく息を吐き出した。

 「ありがとう、ございます」花が綻ぶような笑顔がレイの相貌に浮かぶ。

 「大切なのは、何処で生きるかじゃなく、どう生きるかだ」

 ふと脳裏に過った言葉を無意識に口走ってしまい、レイから怪訝な眼差しを向けられる。

慌てて顔を反らし、咳払いで誤魔化すものの、レイはえらく真剣な表情でジッと見つめてくる。そんな瞳をする者を、サクラ以外に見たことがなかった。途端に胸の奥底に郷愁にも似た思いが湧き起こり、ギュッと締め付けられるような感覚に襲われる。

 「今のは、俺の‥‥‥家族の言葉なんだ」

 「素敵ですね」

 自分のことよりも家族のことを賞賛されるのがこれほどまでに誇らしく、嬉しい事だとギンはこの時初めて知った。

 真っすぐにレイと視線を見交わし、今度こそ意図せず柔らかく微笑む。

 「ああ、自慢の家族なんだ」

 宝物を自慢する子供のように、屈託ない笑顔を浮かべてみせた。



 二人を見失ってから、既に三日が経とうとしていた。

その間、テオは近場の迷宮にも潜らずひたすら二人が現れるのを待ち続けた。夜の砂漠が舞台の第二層の随所に設置された安息地(オアシス)。その一つにテオはいた。ただし三日前、二人が脱出先に選んだのであろう迷宮が見通せる場所に、偶然にも安息地があったので、其処を当座の寝床と定めていた。鍵を手に入れた以上、残すは第三層へ続く扉を見つけるのみ。しかしテオは頑としてその場を離れようとしなかった。

 その理由は、名も知らぬ襲撃者。金髪碧眼の少女が零した言葉が気になっていたからだ。 

 ルナが滅んでいる。少女はそう言った。

 無論、敵の言葉を鵜呑みにする訳ではない。

だが聞かなかったことにする訳にもいかない。

もし仮に、彼女の云う通りルナに何らかの危険が迫っているのなら攻略を早々に諦め、一刻も早く国に戻らなくてはならない。しかし匣舟は従来の匣と異なり、完全攻略する以外に外界に出る術がない。それ故にテオは闇雲に動けなかった。

 名も知らぬ少女の真偽も定かでない話を、はいそうですか、と信じる訳にはいかないからだ。

もしコチラを騙す目的で虚偽の作り話を口にした可能性もゼロとは言えない。その為、もう一度少女を見つけ話の真偽を確かめる必要があった。しかし三日も動きがないことに少なからず焦り始めていた。何はともあれ、このままでは時間を浪費するだけだ。

 腰掛けていた灌木から立ち上がり、テオは二人が逃走した迷宮へと歩み寄る。

 石造りの扉の奥には濃い闇が広がっていた。

 刹那、闇の奥で閃光が瞬き。

 「――――ッ‼」

 弾かれたように聖剣を構え飛来してきた光矢を弾く。

無数の火花が飛び視界を白く埋めつくした。 

 「く‥‥‥っ!」堪らず大きく後退する。

 眼を眇め、第二射を警戒するテオは闇の中から一直線に駆けてくる銀髪の貴影を捉えた。

 「第一秘剣―――絶華!」

 紫電一閃。横薙ぎの一撃がテオに迫った。


 迷宮内にて―――

 「伝え聞く伝承と先程の戦闘から推理すると、氷の聖剣と空間操作、それが彼(テオ)の手札です」

 「空間操作?」

 「ギンの攻撃を無力化したのも、巨人種を一撃で切断したのも全て空間操作の魔力によるものです。正確には、『空間の固定化』というほうが正しいでしょうか。物体の位置を固定することで発生する運動エネルギーを相殺。加えて空間そのものを固定化することで、その空間内に入った物体にズレを生じさせる」

 「ズレ?」

 怪訝な表情のギンに、教師然とした仕草でレイが解説を加える。

 「簡単に言うと、絶対に動くことのない鋭利な刃物に飛び込む、ということです」

 「じゃあ、あの時巨人種が両断されたのも、それが理由だったわけか」

 「それだけではありません。テオの魔力は、空間の固定化以外にも、運動ベクトルの誘導も含まれます。これについて説明は不要でしょう?」

 「嗚呼、全くだ」と、先刻のことを思い出し、渋面をつくる。

 先の戦闘の際、ギンの攻撃が悉く塞がれたのも斬撃の軌道を操られていた所為だ。

どこを斬ろうとしても必ず相手の掌に吸い寄せられ、空間の固定化により技を止められてしまう。まさに攻防一体の魔力であり、一対一の状況ではほとんど無敵に近い状態だ。

 「ですが、弱点はあります」確信を込めてレイは断言する。

 「具体的にはどうする?」

 「空間操作の魔力は、その強力さゆえに一度に大量の魔力を消費します。その為連続での使用は出来ません。加えて一度に複数個所に魔力を展開できず、二度目の発動にはほんの一瞬時間差が生じるはずです。狙うとすればソコです」

 「つまり俺を囮にする、そういうわけか?」

 皮肉交じりの一瞥を向けられレイは、ニッと悪戯っぽく微笑んで見せる。

 「怖いのなら私がやりますよ?」

 挑発するような物言いに、ギンは小さく鼻を鳴らし、口元を薄く綻ばせる。

 「ほざけ。弓兵が剣士に勝てるかよ」

 「では、頼みましたよ。―――ギン」 

 「嗚呼、任せろ。今度こそ俺たち(・・)が勝つ」

 「‥‥‥‥」呆けたように眼を丸くするレイ。

 その態度に、何か不満でもあるのかと言外に訊ねる。

 「いえ、少し驚いただけです」慌ててレイが頭を振る。

 「まぁ、お前が外しても俺が一人で倒すから別に構わねぇけどな」

 不敵にそう嘯いてみせる。だがその声音には今までのような剣呑な響きは含まれていなかった。その事にレイも気付き、愉し気に微笑んでみせた。


 前回同様、ギンの一撃がテオの左手へ吸い寄せられたその瞬間。

 「今だ、やれ―――レイ!」

 作戦開始を報せるギンの叫びが曠野に響き渡った。

 遅れてレイの放った第二射が、テオの左手に吸寄せられ宙に停止した。

 「何―――ッ⁉」これまで余裕の笑みを崩さなかったテオが、初めて狼狽を露わにする。

 慌てて右手に握る長剣で迫る刃を阻もうとするも―――。

 「一秒おせぇよ」

 左下段から跳ね上がった斬撃がテオを捉えた。

 斬られた胸から血が飛沫き、テオの体が後方へ吹き飛び地面を大きく跳ねる。

しかし地面の砂が衝撃を吸収したためか、大きな損傷もなく、テオは難なく起き上がった。

 「チッ、仕留め損ねた」己のツメの甘さを呪うように呟く。 

 「驚いたな。まさかこんなに早く対策を立てられるとは‥‥‥」

 長剣を杖代わりに起き上がったテオの口元には笑みが浮かんでいた。だがそれはこれまでのような余裕から生まれているのではなく、むしろその逆であることをギンと迷宮奥から姿を現したレイは正確に見抜いていた。

 「ふふふ、してやられたよ」

 「残念ながら詰みです。大人しく投降してください」

 矢を番えたまま投降を迫るレイに対し、テオは涼し気に微笑んでみせる。

 「お前の負けだ。大人しく鍵を渡せ。そうすれば殺しはしない」

 本音を言えば弱っている今のうちにトドメを刺すべきなのだが、空間操作の魔力を操るテオを相手に迂闊に懐に飛び込むわけにはいかなかった。故に油断はしない。窮鼠猫を噛む、という言葉通り、追い詰められた相手、レイの話を信じるなら二百年前の大英雄ならば猫どころか虎すら食い殺しかねない。

 慎重に、油断なくテオとの間合いを図る一方。レイとテオは会話を続けていた。

 「一つ訊きたい。君はルナが滅んだと言うが、それは僕を騙すための嘘か? それとも―――」

 「事実です。そしてルナが滅んだのは百年以上も前の話しです」

 「俄かには信じられない話だが、ここで君たちがそんな下らない冗談や嘘をつく理由はないよな…‥‥。ということは、その話は真実だということになる」

 コクリ、躊躇うようにレイが首肯を示す。

 「‥‥‥そうか。その話をすべて信じる訳じゃないが、とりあえずは―――君たち二人を倒さなくてはならないようだ」

 刹那、テオの顏から笑みが消えた。

 すかさずレイが速射するも、矢はテオが振るった一振りで全て叩き落とされてしまう。

 「巨人種を仕留めた技ですね? させませんよ」

 「違う」テオはレイの推測を否定すると、右手に握られた長剣から白い冷気が広がり斬られた傷口を薄く包み込む。やがて煙が薄れ、血を凍りつかせることで無理やり止血を済ませる。

 「君たちは一つ勘違いをしている」

 「勘違い?」

 「俺の魔力の弱点を見つけたからといって勝利を確信するのはまだ早い、ということさ」

 「来るぞ!」テオの放つ気配が変質したことをギンは見逃さなかった。

 長剣を右下段に構えテオが動いた。

地面の上を滑空するように、ほとんど足をつけず一直線に彼我の間合いを詰めにかかる。

すかさず矢の雨が錯綜するも、テオは僅かな体捌きで矢を躱していく。だが無傷とはいかず、髪や頬、外套の下の肌から血飛沫が宙を舞った。それでもテオは速度を緩めず、更に彼我の間合いを詰めにかかった。地を這う長剣が勢いよく跳ね上がる。渦を巻く冷気が一瞬にして巨大な氷塊と成り二人を襲った。

 「第六秘剣―――白蓮華!」

 『全注入』による身体能力の強化された回転連撃。

刃圏に捉えた氷塊を次々と粉砕し、月光に中てられ妖しく光る氷粉が宙を舞う。

その陰から忍び寄るテオが技後硬直により身動きのとれぬギンを襲う。

 しかし、テオの一撃は、死角から飛び込んできたレイによって阻まれた。

 破軍の形状を弓から刀へと変化させている。

 「後方支援だけではありませんよ!」

 体勢を崩しながらもテオの一撃を阻んだレイと入れ替わる形で、すかさず反撃に移る。

 「よくやった!」

 短く賞賛の言葉を残し、ギンは猛然と刃を振るった。 

 刀と剣。二つの刀身が激突する度に発生する衝撃、火花、剣戟音が曠野に響き渡る。

 三十合以上にも及ぶ撃ち合いは。 

 徐々に、しかし確実にギンの優勢に傾きつつあった。 

 千怒が纏う高魔力が、テオの聖剣の放つ冷気を相殺していく。

加えてテオは背後のレイを警戒し、空間操作の魔力を行使できず、守勢に転じる他にない。氷結させた傷口からは溶け出した血液が零れ始めていた。

このまま押し切れる。春風駘蕩としたテオの顏に焦りと疲労が滲む。

 後方から放たれた光矢を迎撃したことで生まれた一瞬の隙を衝き、必殺の一撃を見舞う。

 しかし、刀の剣尖は大きく狙いを外れ、テオの左手へ引き寄せられた。

 運動ベクトルの固定。このままでは動きを封じられる。

 直後に起きるであろう光景が脳裏をよぎり、刹那、ギンは足を止めかけた。

 「そのまま行って!」

 レイの声に背を押され、ギンは最後の一歩に踏み切った。

 「第五秘剣―――瞬光!」

 上段からの一撃。それと入れ替わるように光矢がテオの左手へと吸い寄せられていく。

 固定化できる空間は一方向のみ。その特性―――弱点を衝く、正確無比な射撃が、テオに敗北の二択を突きつける。

 「舐めるなよ―――小僧ども‼」

 叫ぶや、秀麗な顔を獰猛に歪め。

 飛来する光矢を、躱すことなく受け入れた。

 寸前で細かく分裂した光矢は、無数の針となってテオの総身を差し穿った。

 代わりにギンの一撃を防ぐと、お返しとばかりに無防備に空いた脇腹に鋭い蹴りを放つ。

 肋骨が折れる鈍い音がした。

 苦悶に顔を歪め、それでも意識の手綱だけは手放すわけにはいかぬと、どうにか堪える。

 だが折れた骨が内臓を傷つけたのか、喀血し、数秒動きが止まった。

 マズい。追撃がくる!

 感覚が研ぎ澄まされ、見るもの全てがゆっくりと動く世界の中で、ギンは気付いた。 

 颯爽とギンの横を駆け抜け、テオが後方で矢を構えるレイ目掛け突っ込んでいくのを。

 ――――そっちが、狙いかよ⁉

 運動ベクトルの固定化により、単純な物理攻撃が通用しない以上、テオ攻略の鍵は常に二対一の数的有利の状態を保つことにある。もしこの前提が崩れれば、単独でテオに勝つことはほぼ不可能になる。それも、刃物による近接戦闘を不得手とするレイでは、とても防ぎきれない。

 遅れること数秒。体勢、呼吸を立て直し、ギンは『全注入』によって生まれた膨大な魔力のすべてを脚力へと変換し、――――解放した。

 暴力的なまでの風圧に晒されながらも、瞬く間に開いた距離が縮んでいく。

 と、そこで突如、テオが踵を巡らせた。

 「ッッッ‼」

 瞬間、ギンは己の失態を悟った。 

 テオの狙いは、初めからレイではなく、コチラにあったのだと。

 二対一の数的有利を保とうとするコチラの意識を、逆手に取られた格好だった。

 それでも直に止まることはできない。

冒険者としての本能が、この突っ込んではならぬと警鐘を鳴らしていた。

 一か八か。このまま斬りかかるか。それとも回避すべきか。

 その時だった。テオの背後。光剣を構えるレイと視線が交錯する。

 「そのまま突っ込んで‼」と、声にならぬ叫びが聞こえたような気がした。

 仮に回避に成功したとしても、テオは攻撃対象をギンからレイに移してしまう。

 無論、レイもそのことを理解している。それでもレイは逃げない。

 否、彼女(レイ)は信じている。

 幼子が両親を無条件に信じるように、唯ひたすらに俺(ギン)のことを信じている。

 ―――上等だ! やってやる!

 ―――戦って死ぬのは構わない。

―――だけどアイツにだけは負けるわけにはいかない!

 ―――冷静さなんぞ捨てろ!

 ―――闘志を燃やせ!


 「来るか――――」

 その勇気ある選択に、テオは人間として尊敬の念を抱くとともに、同じ剣士として深く失望していた。前回、頑なに仲間との連携を拒み、無謀な攻撃を繰り返していた少年が、このわずかな時間でこれ程の成長を遂げていたことには素直に驚かされた。

己が矜持すら曲げ、仲間の手を取り、ひたすらに勝利を欲するその姿勢は悪くない。

だが、最後までその姿勢を貫けなかった。

前回同様、怒りに我を忘れて突っ込んでくるだけの猪武者に逆戻りだ。

勇気と蛮勇は紙一重。少年は再び後者を選択した。

後方から弓を番える少女への警戒は続けたまま、テオは聖剣とは逆の手に、空間の揺らぎ――運動ベクトルを誘導。同時に、少年の刀を魔力領域内に捉え、運動エネルギーを固定する。

 「――――ッ‼」

 顎先を衝撃が駆け抜けた。

 一瞬何が起きたのか理解が遅れたが、直に少年が走ってきた勢いそのまま頭突きしたのだと判った。顎先を打たれ軽い脳震盪におちいりかけ蹈鞴を踏む。

 その際、拘束が緩んだ。

 追撃を恐れ、どうにか防御姿勢を取り戻すも。

 「~~~~~~‥‥ッ!」

 顔を険しくする少年が体を折り激しく咳き込んだ。口と足元を紅く濡らしている。

 どうやらここまでの闘いで負った傷が影響しているらしい。

 だからといってコチラが手を抜く理由はない。

 「終わりだ!」

 『我が王道を示す光(カリブルヌス)』―――空間の固定化によって生ずる物質のズレ。あらゆる物質が完全に制止することは有り得ない。その為、『我が王道を示す光』発動時点で対象は両断される。その為、『我が王道を示す光』を防ぐ手立ては発動前に潰すより他にない。

 確実に仕留める。それが此処まで戦った好敵手に対する最大限の返礼だ。

 上段に掲げた聖剣。その周囲を空間の揺らぎが覆った―――刹那。

 少年と視線が重なる。

 少年の眼に、絶望の色はなく。

 「ああ、これで終わりだ」

 その瞬間、テオは己の失策、敵の狙いを悟った。

 「本命は―――そっちか⁉」

 即座に発動寸前だった技を中断し、弾かれたように背後を振り返った。 

 「破軍最大出力‼」

 刀身のない、柄だけとなった破軍を掲げる金髪青眼の少女。

 その頭上に、無数の光―――否、帯状になった魔力が収斂され夜空に巨大な十字を描き出す。

 「『星架剣(サンダルフォン)』」

 号令一下。光り輝く十字剣が地上に向け――――放たれた。

 「『我が王道を示す光(カリブルヌス)』」

 再度、聖剣を空間の揺らぎが覆い―――。

 互いの技が中空で激突した。

 

 鬩ぎ合いは早々に決着を迎えようとしていた。

 徐々に、十字剣が押し返される。

 僅かながら敵の魔力総量がコチラを上回っている。

 「‥‥‥っ、このままじゃ」

 ―――押し切られる。脳裏に敗北の二文字が過ったその時だった。

 「『全注入(フルチャージ)』‼」

 怪我と疲労の蓄積により、戦線を離脱していたギンの体から膨大な量の魔力が溢れ出す。

 その狙いは、敵であるテオではなく―――。

 威力が衰えていく星架剣が、再び勢いを取り戻した。

 「「――――ッ‼」」

 『全注入』により増幅された魔力が星架剣に譲渡されたのだと、レイは悟った。

 これならいける!

 意気を取り戻し、残る全ての魔力を星架剣に注ぎ込む。

 絡みあう二つの技が生み出す衝撃波が、戦場を―――世界を蹂躙した。

 大気は震え、衝撃の余波で迷宮へと続くいくつもの扉が粉々に砕け散る。

 どちらが競り勝とうとも、直後に生まれる衝撃でお互い無事ではすまないだろう。

 それでも、退くわけにはいかない。

 今、出力を弱めれば押し切られるという確かな予感があったからだ。

 その時。誰もが予想し得なかった現象が起きた。

 二つの大技が鬩ぎ合い、融合した結果、膨れ上がった力の激流が、空間への干渉を始めた。

 宙に一条の亀裂が奔る。

やがて罅割れは見渡す限りいっぱいに広がり、次いで甲高い音をたてて砕け散った。

 「「「―――――ッ‼」」」

 星が、大地が、そして空間が割れた。

 割れた先に広がるのは、無謬の暗闇。

 第二層の空気が、裂け目の向こう側から吸い出されていく。 

 突如、激しい突風に襲われ、全身を浮遊感が包み込んだ。

 深い暗闇に吸い込まれていく中、レイは死を覚悟した。

 その時―――。

 「‥‥‥イ―――ッ‼」何処からか声が聞こえてきた。

 目を凝らすと、自ら裂け目へ飛び込んできたギンが、必死に手を伸ばしていた。

 「レイ――――ッ!」 

 「ギン!」レイも叫んだ。

 互いに伸ばされた手が触れた瞬間、視界の片隅から光が押し寄せそのまま二人を呑み込んだ。

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