第17話 【犠牲】

 「はぁ、はぁ……」


 いつもは剃刀が如く鋭い足もすっかりそのキレを失っていた。

 致命傷にはならずとも十分な深手。

 常人よりかは頑丈で有る身体も、回復魔法も扱えないとあったら結局一様に弱々しいもの。


 「くそ……まだ追ってきてるのかしら」


 行きはものの数秒で駆け抜けていった草原。

 押さえても止めどなく溢れる夥しい鮮血。草原に紅い道しるべを垂れ流しながら、シャルロッテは都度振り返りつつもひたすら街の方へと駆けていた。


 「アイツもアレだけ重症なら、そのままくたばってくれても良いのに……回復魔法を覚えてない事だけを祈る、か」


 視界はぼやけ、少しでも気を許せばそのまま永遠の暗闇に包まれるであろう―今にもプツンと切れそうな意識の意思を必死に抑えつつ、ただ機械的に足を動かす。

 丘を越えて暫くすると街の無駄に荘厳な外壁が視界に映ると、


 「こっちも駄目だったか」

 

 壁の内側から立ち込める黒煙を前に、シャルロッテは一端逃げる足を止めてはすぐさま状況を理解する。

 例え小鬼であろうとそれが大群となれば決定打に欠ける人間側に消耗戦を制する力などない。シャルロッテが抜けた事で懸念した通り、恐らく東側を守備していた連中は全滅だろう。


 「ったく、つくづく使えないわね。住人数万人を一人の手に委ねるってどうなのよ。こんなんだったら陥落するのもどうせ時間の問題だったでしょうね」


 結局のところ自分任せ。そんな事でよく『防衛軍』などと名乗れたものだ。 

 怒りにも似た感情が心の底でくすぶりつつも、

 

 「はっ。アタシもどの口が言うのやら……負けたら尻尾まくって逃げてるのは同じって言うのに、ね」


 自分の弱さに対し責任転嫁していると改めて気づくと、大きくため息。

 改めて感じる非力さ――改めてサイクロプスが追ってきていないか背後へ振り返る。


 「さて……これからどうするか。アイツもいつまでも魔法行使し続けている訳にも行かないでしょうし」

 

 黒煙混じりにオレンジ色に染まる壁内を前に、シャルロッテは冷静だった。

 それは今回の世界はもう捨てても良いという半ば自暴自棄から来る結論であったが、


 「……どうせ全員死ぬんだもの。最後に一杯食わせてやるわ」


 激痛から既に感覚を失いかけている傷口を抑えながら、シャルロッテは再び走り出した。


◇ ◇ ◇


 やはり読み通りサイクロプスも相応の傷を負っていたのだろうか、結局それ以上の奇襲には合うことなく街の入り口までたどり着いた。


 「だれか! 生き残ってるものはいませんか!」


 外壁のすぐ前に広がる草原は存外に沈黙を保っていた。

 ただそこに広がるのは地獄絵図の一言。

 ものの数時間前まで深い緑で覆われていた地面はすっかりレッドカーペットを一面に敷き詰めた様。鬼の物か人間の物かすら判別のつかない肉塊がそこら中に転がっており、歩を進めると踏んでは足の裏に伝わるソレを確認する勇気は流石のシャルロッテにも無かった。

 

 「せ……聖女様……」

 「ひゃっ!」


 途端、右の方から弱々しい声が聞こえてくると、小さく悲鳴を上げるシャルロッテ。

 すっかり生気など消え失せたと認識した上で、サイクロプスの追撃を警戒するため研ぎ澄まされた彼女の耳にとって、意表を突くには十分すぎる音量だった。

 気持ちを落ち着かせ、いつもの聖女の仮面を再びつけた少女は、


 「何が起こったのですか」


 口にしておきながら余りのマッチポンプぶりに思わず失笑してしまいそうになるシャルロット。それをグッと堪えながら、地面に横たわる青年の手を取ると顔を近づけあやす様に囁く。


 見てくれからして防衛軍ではなく、志願した一般市民で有ろう。

 防具ですらない只の麻服は腹部を中心に真っ赤に染まっており、その中心からは腹の中身が覗く。青年は光の消えかかった目をゆっくりとシャルロッテの方へ向けると、

 

 「私を……殺して……ください……」


 彼女の問いに答えるでもなく、混濁した意識の底から単語を拾い上げては紡ぐ。

 それを放つと同時に緑色の双眸から透明な液体がツーと頬を伝っていくと、


 「貴方に、神の御導きが有りますように」


 祈りの言葉を捧げたシャルロッテはゆっくりと立ち上がると、レイピアを引き抜きぬき、一太刀で青年の頭と胴体を分離する。

 心なしか地面に転がった生首はどこか晴れやかな表情。それを前にシャルロッテはギリっと歯を軋ませると、 


 「くそ! こんな奴の相手なんかしてる暇はないのに! こっちだって重症なのよ馬鹿が!」

  

 青年の意識がこの世から消え去った事を確認しつつ、痛みを紛らわす為か小さく絶叫。一瞬とは言え剣を振るという激しい動作から、一旦は小康状態になっていた傷口から再びボタボタと血が滴り落ちては、地上に自身由来の赤色を追加する。

 

 思わず青年だったその生首をけ飛ばしたくなる衝動を抑えつつ、もはや今度こそ生き残りなど双方には居ないその場を離れようとするが――


 「……メインステージからそんなに離れてないみたいね。アレだけ派手にぶっ放せるって事は、アタシの医者役になってくれる輩も混じってるって事ね」


 どうやらまださほど奥には侵入されていないらしく、壁の内壁に程近い場所で内側から爆発。

 その規模は何層にも積み重なった外壁の石を纏めて吹き飛ばす程度には強力で、自重に耐えきれず構造の一部がてっぺんから崩れ落ちる。

 

 門越しに外の草原まで勢いよく巻きだしてくる砂埃。

 開いた草原を薄っすらと茶色に染め上げるには十分で、シャルロッテは目くらましにこれ幸いと、あえてそれ巻き込まれる事で身を隠しつつ壁内に入っていく。


「……あー、なんかデジャブな光景ね。結局燃える事になっちゃうのね、この街」


 中は構造上砂煙も簡単には抜けて行かない――それどころか辺り一面に立ち上がる黒煙も混じっており、視界は五指も見えぬような状況。遠くで何かが揺らめくのは見えつつも、それが小鬼なのか人間なのかは判断がつかない。


 亜人の集団もある程度ばらけており、落伍した個体もちらほら目に付く。そういった小鬼は建物の影に隠れながら前に進むのを迷ってるのか、頭をキョロキョロと左右させている。

 シャルロッテも街の奥へ奥へと進む過程で見つけた落伍個体は、すれ違いざまに背後から最小の動作で首を撥ねていった。


 煙が充満してようと、向かうべき方向は目途がつく。

 なにせ惨状の具合で言ったら壁の外と大差なく、道の傍らには夥しい数の死体が転がっており、小鬼の侵攻していった道しるべと化している。

 視界が悪いなかそれらを辿ること数分すると、ようやく主戦場へと近づいたらしく、


 「思っていたよりも食い止めてはくれてるみたいね」


 前の方から人間の悲鳴や怒号に混じって、合唱にも聞こえる小鬼たちの鳴き声。

 シャルロッテはレイピアを 

 

 「聖女様、こちらです」

 「うわっ!」

 

 前方に広がる戦場を注視していた中、背後から再び意表を突く声。

 この具合で有れば外傷ではなく心臓麻痺で死んでしまうといった所だったが、


 「も、申し訳ありません。ちょっと意表を突かれてしまってもので。頼りない声を発して」

 「……よくぞご無事で、聖女様」

 「あ……えぇ、そちらも」


 反射的に抜いたレイピアを向けつつも、建物の影からにゅっと出てきたのは敵ではなく魔道隊長だった。

 顔には埃か黒煙の煤かがびっしり付着しており、白いローブには鮮血――幸いにも返り血だけで自身の傷ではない様だ。

 一方、後方支援の職種である魔導士が前線に放り出されたが如く、みじめに汚れた風貌からこの場で起きていた戦闘の大きさを察せられる。

 

 魔道隊長は暫くしてシャルロッテが手を腹部に当てている事に気づくと、


 「……けがをされておられるのですか」

 「えぇ、サイクロプスと対峙しておりました故」

 「ここにおられるという事は……討ち取ったのですね! お待ちください、今すぐ治癒させて頂きます」


 手をかざし掌に光を纏う。シャルロッテの体躯を貫通していた傷はこうして瞬時に塞がり、痛みもそれこそ奇跡同然に引いていく。


 「感謝いたします。やはり、治癒魔法とは便利なものですね。羨ましいばかりですわ」

 「――あくまで応急処置に過ぎません。して、サイクロプスを仕留めたのであれば後は目の前の小鬼を殲滅するだけですね」


 統率者を失えば敵も退かざるを得ないのは確かではあるが、


 「……深手は負わせましたが、その場で滅してはおりません。まだ油断できないです――自軍の損害と相手の規模は?」

 「散り散りになってしまった故、全体像は把握しかねますが……人間側は凡そ半数が戦闘不能、小鬼どもはまだ100匹近く残っている状況です。申し訳ありません、場を任された私たちが不甲斐ないばかりに」


 そう言って魔道隊長は目を固く瞑っては歯を食いしばり自身の弱さを嘆く。

 シャルロッテ的には全く持ってその通りと追い打ちをかけてやりたいところだったが、


 「いずれにせよ、この場を打開して集合しましょう。援護を頼みます」

  

 少なくとも身体が正常に動く以上、サイクロプスが再来した所で今度こそ自分が討ち取る賞賛はある。

 シャルロッテはレイピアを抜いては一息つき、ゆっくりと小鬼の集団へと歩み寄って行った。

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