第10話【初見】


 「……!」


 ふと目が覚める。

 意識こそ朦朧、霞む視界の中とりあえず手をあちこちに当てて状況を探る。

 まず自身の首・肩・胸・腹・足――思い返しただけでも吐き気を催すが、ポッカリと空いた筈の穴は何事も無かったように埋まっている。

 次いで自分が横になっているベッド。これは背中から伝わる感触だけで、自室のものであるとすぐに気づく。

 シャルロッテはゆっくりと体を起こすと、


 「もう目覚めなくても良いのに……」


 数々の死を経験してきた彼女からしてみても、間違いなく一番凄惨なものだった。

 神の代行を名乗る男に『もう目覚めさせないでくれ』とは懇願したが、いざ無事である事に安堵――が、潜在意識的にやはり『終わり』を怖がっていた事を認識すると、今度は自己嫌悪に襲われる。


 「戻って……きたのかな」

 

 やり場のない苛立ちを抑えつつ、時計を見ると時刻は午前5:00。

 日付こそ確認できる手段はこの部屋に無いが、二日酔いになっていない事から直感的にいつもの『昨日』に戻ってきたことを察する。

 次いで再び自室を確認するが、壁の一角に純白のままの礼装が掛けられている事もその裏付けとなった。

 

 「……もう使う機会ないとか思ってたんだけどね。流石に粗末にした罰でもあたったからな」


 少女は礼装の方へ歩み寄ると、壁に立てかけられたレイピアを手に取り、皮肉交じりに苦笑いを挙げた。


 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 

 礼装に着替え、まだ太陽の灯りが薄っすらと辺りを照らし始めた街中を歩く。

 普段目を覚ましてもそのまま二度寝と洒落込むシャルロッテからしてみれば、見慣れぬ早朝の街の姿は新鮮に感じるが、


 「幸か不幸か、って奴?」


 炎と悲鳴に包まれていた街は、一夜にして往年の輝きを取り戻していた。

 早い時間帯とあってか街道に人の姿は無く、静寂一辺倒――美しく寝静まった景観を前にして、再び同じ『一日』に閉じ込められる日常が戻ってくるのかと思うだけでも倦怠感に襲われるが、

 

 「おや、これは聖女様ではありませんか。こんな早朝から礼拝ですかな?」


 近所の商店のオヤジが店前を箒で掃きながらシャルロッテに声を掛ける。

 礼拝だと推測されたのは恐らく腰に差した宝器のせいだが、シャルロッテは「えぇ」と小さく頷いてから、


 「まずこの素敵な朝に、そして貴方との邂逅の機会をくださった主に感謝を述べなくてはなりませんからね」

 

 あくまで醜態をさらすのはPoporloの中でのみ。

 半ば業務的な笑顔を完璧に浮かべては聖職者たる落ち着いた声で言葉を返す。

 この辺はまだ街の西側――即ち小鬼襲来という惨事の起点になった様な場所。恐らく昨日の時点でこの辺は漏れなく火の海に沈んだであろうし、気さくに話しかけてくる商店のオヤジも死んでいたかもしれない――それも概ね自身の怠慢のせいで。

 シャルロッテは朝日から逃れる様に路地裏へと入っていくと、


 「だから街に出るのは嫌いなのよ」


 自分の不甲斐なさを思い出しては襲ってくる嫌悪感。

 合わせて吐き出すように小声で呟くと、彼女は奥へ奥へと進んでいく。


 時刻としては定刻より5時間以上も早いが、


 「意外ね、こんな時間に空いてるとは」

 「ほっほっほ。今日は朝から愚痴を聞かされる一日になりそうですな」


 変わらずカウンターの中でタバコをふかすマスターの姿。

 代わり映えしない光景も今日はどこか懐かしさと安心を感じられた。

 

 もはや実家同然のPoporloの扉を開いて、いつもの指定席――カウンターの入り口から3つ目の椅子に腰を掛けると、

 

 「今日は牛乳にしといて」

 「これはこれは。どんな心境の変化ですかな」

 「うっさい。二日酔いが地獄って事を理解したまでよ」

 「ほっほっほ。また一つ成長なされた様で」


 茶化しつつもマスターが牛乳を瓶ごとカウンターの上に置くと、シャルロッテは薄い紙で出来た蓋を取り外しては一気に腹の中に牛乳を収める。

 寝起きで乾いた喉には甘露、まだ瓶に口をつけているというのにマスターに人差し指を立ててお代わりを促す。

 コトンと瓶をおいては満足げに声を上げると、


 「やっぱりここは落ち着くわー。人には誰しも無くなってはならない場所ってあるモンだよね」

 「それは店主冥利に尽きますな。が、私の店に武器の類は持ち込み厳禁とさせて貰った筈では?」

 「こりゃ礼装の一部よ。別に他の客と喧嘩となった時に滅多刺しにする為じゃないわよ」

 

 腰に携えたレイピアを細い指先で艶やかに撫でる。

 勿論彼女もPoporloの暗黙のルールは重々承知していたし、実際破った事はない。

 第一、普通の人間相手で有れば素手でさえ過剰すぎる怪力を持ち合わせている少女だ。


 そんな彼女の変化。

 最後の最後までに待ち続けてなお、死ぬまで顔を合わせる事が出来なかった――マスターもあの時外にいたシャルロッテに何が起きたのか知る由もなかったが、大事に抱えられたレイピアから、如何に彼女が身体だけではなく心まで深く傷つけられたか察せられた。

 どこか悲し気な視線を送るマスターに気づいたか、


 「なによ、その落ち武者を憐れんでいる様な目」

 「ほっほっほ。そう聞く限りは完膚なきまでに叩きのめされたという事ですかな。よもや貴方ほどの方が」

 「まー、驕っていたってのは否定しないわ。屈辱以外の何物でもないからね」


 一方、その後相手がどうなったかを知らないのはシャルロッテも同じであり、


 「で、結局、マスターは逃げ出せたの?」

 「間一髪、駄目でしたな。他にあなたが導いた方々も同様です。だからこそ、私もこうして再び貴方と出会えたのかもしれませんが」

 「そりゃ申し訳ないわね」

 「よもや、生きながら小鬼に解体される日が来ようとは思っておりませんでした」

 「……そう」


 一息入れてから二本目の牛乳に口をつけるシャルロッテ。

 現世の報いがそのままマスターの身に降りかかったのであれば相当な不幸だが、どうやら昨日の出来事が自分の夢でない事は確からしい。

 生きながら針山扱いされるトラウマで体中のあちこちが痒くなってくるシャルロッテだが、


 「今夜も――時間は動くのかしらね」

 「それむしろ貴方が慕う神にでも聞いていただきたい」

 「神……か」


 牛乳瓶の首元を掴みながら、昨日の『神の代行』を名乗った男を振り返る。

 シャルロッテにとっては二回目の邂逅ではあったが、スーツに身を纏っていたその男は、時間を操ってはこの世の理を無視した力を発揮――それこそ神にも等しい奇跡を起こして見せた。


 一体、この世界からして奴はなんなのか。そして奴は何を知っているのか。

 考えなど纏まる筈もなかったが、

 

 「ねぇ、マスター。一昨日この店にきたあのスーツの男覚えている?」

 「あのどこか不思議な雰囲気を纏っていた方ですな。覚えていますが、どうかいたしましたか?」

 「いや、なんでもないんだけどさ……単に怪しい感じだったじゃない? もしかしてまたなんかこの店に立ち寄ってたりしてないかなーって思っただけ」

 「そもそもこんな時間帯に遠慮せず入ってくるのは貴方くらいですよ」


 もしかするとマスターの方にも表れたかもしれないという推測からの問いだが、どうやらその線はない様だ。となるとなぜ自分の目の前に現れたのかという疑問に行き着くわけだが、


 「ねぇ、『アタシがやるべきこと』って何だと思う?」


 ふと、昨日スーツの男に投げかけられた言葉を思い出す。

 普段は口を開けば愚痴や俗っぽい話しかしないシャルロッテが、突拍子もなく切り出した話題に思わず笑いを漏らす。

 割と真面目に悩んでいたなか茶化すようなマスターの態度を前に、思わず頬を膨らませるシャルロッテ。


 「なによ」

 「いやはや失敬。よほど何かあったものだと思いましてな。……それにしても『何をすべき』ですか。私の様な老骨からすれば、そんな物は一生かけても分かるものではない、とは思いますが」

 「……まぁ、アタシも一々そんなこと考えて生きてきた訳じゃないしね」


 再び牛乳を口にしてはため息をつくシャルロッテ。

 マスターは彼女の意図を理解できないままに、タバコに火を灯すと、


 「目標を他人に与えられて、それを行動原理にする人生に意味などあるものですか。毎日酒を飲んでは暴れる一日とて、貴方がそこに価値さえ見出せば『やるべきこと』に当てはまるものですよ」

 「まぁ、そうなんだけど……ちょっと違うんだよなー。それが許されないって言うか」 

 「ほっほっほ。神の御導き、という奴ですかな。そこまで来ると私も宗教家ではない故……むしろ貴方の方が私よりも詳しいのでは?」


 確かに客観的に見ても意図が分からない相談――マスターの言っている事も決して間違っている訳でも無く、むしろ頷ける道理。

 いずれにせよ、自身に与えられた試練は自力で何とかするしかないらしく、


 「とりあえず今できる事って言えば――」


 そう言ってシャルロッテは剣を携えて立ち上がった。

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