第9話 『訪れない死と避けられない終わり』

 目を瞑りつつ死を覚悟していたシャルロッテだが、小鬼たちの放った矢はいくら待てど彼女に届かない。

 走馬燈を見ている間は時間が遅くなるといった話は広く聞くが――いや、実際この『一日』だけで何回か死を体験して彼女は、経験則上そんな物は起こり得ないことを身をもって理解している。

 違和感を前に恐る恐る目を開くと、


 「……!」


 異様な光景に思わず息を呑む。

 今にも自分を射抜かんとする無数の矢、それは変わらず目の前に迫り寄ってきている。だが、その何れもがまるで凍り付いたように、自身に触れる一歩手前で翔を止めていた。

 弾道的には間違いなくシャルロッテを捉えている。一度その動きを取り戻せば、間違いなく彼女の華奢な身体に目も当てられない程の風穴を開けるだろう。


 「ったく、本当に何なの、これ。何が起こってるっていうのよ。時を止める魔法なんて習った記憶は無いけど……」


 シャルロッテはふと視線を辺りに向けてみるが、止まっているのは矢だけでは無い。家屋の隙間から揺らいでは覗いていた火柱も、直立不動的に広がっているだけ。


 今日はやけに『時』に関する世界の不具合ばかり目にするシャルロッテ。

 何十、何百年と眠り着いた一日が動き出したかと思うと、糸が切れたようにフツりと足を止める。そんな理不尽を前にしても、


 「まぁ、なんにせよ――」


 理解するよりも先に動け。

 己が行動原理の元、僥倖にも与えられた生存のチャンスを無駄にしまいと体を動かそうとするが、


 「どんだけ強いのを仕込んだって言うのよ」


 手足を運ぼうとしても、まるで辺りを石膏で固められた様に微動だにしない。

 首から上は動くので、時の流れ関係なく恐らく矢尻に塗られた毒によるもの。


 「動きなさいよ……動け……!」

  

 本人の意思とは無関係に体は命令を無視。矢尻に毒を仕込むのは人間にしろ亜人にしろ変わらないが、まさかここまで強い物とは――頬を掠めただけでこれなので、恐らく直撃していれば即座に絶命に至っていただろう。

  

 いつまた時が動き出せば、今度こそ針山。そんな恐怖を前に逃れる事も出来ず、いつ自身に対する刑が執行か分からないまま座らせられているだけ。

 これほど酷な事もないだろうが――


 「ふっ、君が身構えてる限り、時は動かさないよ。ちょっとしたお仕置きさ」


 俺はシャルロッテの背後から歩み寄る。

 一応首から上は動くらしい。咄嗟に振り向いては声を掛けた主で有る俺の、どこかで見た事ある外観である事に気づかれると、


 「おいおい、そんな見つめてくるなよ。照れちゃうじゃないか」

 「はっ、ゲロ以下の煽りね。口から汚物しか出ない辺り、見かけに違わずお似合いの台詞だわ」

 「……君は大分人の心を抉る言い回しが得意なようだね」


 年頃の女の子と遠慮ない一言を前に、思わず双眸に涙を浮かばせる俺。

 もっと生まれてこの方、自分の殺し文句で女性を落とせた事が無いのだが。

 既に彼女に生理的に受け付けられてない事実を前に、会話を続けるのも億劫になってくるが、


 「――それで? 今この時も、止めてるのはアンタでしょう? あと、なんか『日課』を狂わせてきたのも」

 

 幸いにもシャルロッテの方から切り出してくれた。

 図らずも本題に移れたことに安堵しつつ、


 「まぁ、そう言う事になるな」

 「なんで?」

 「仕事なんでな」

 「はっ、まさかアンタみたいなのが神とはねぇ」


 その口調は揶揄ってる訳でも無く、本心から俺の様な人間が神で有る事と認識し、失望し、嫌悪した上で吐いた感想であるのは見て取れた。

 ただ俺はそんなシャルロッテに対して、


 「……生憎ながら俺は神じゃない。無理やり言うならば、そいつの代行みたいなもんさ」

 「そりゃ幸い。若気の至りとは言え、アンタなんかを崇めていたなんてなった暁には、この矢が届かなくたって、自分の舌を噛み切って死んでやるわ」

 「代行イコール天使っていう思考にはならないか? 天使だって、アンタが崇めるべき対象だろ?」

 「はっ。地獄に叩き落されたクソ以下の天使なんて山ほどいるんだし、アンタだってその端くれなんでしょ、どうせ」


 彼女の中で俺がどれだけ嫌われているのか、既に想像に至る範疇を超えているのは間違いない様だ。

 ただ、これも仕事――アッサリと自害を切り出してきて貰っては俺の方が困る。


 「君は、本当に死を怖い物とは思わないのか?」

 「誰のせいで恐怖を感じることすら出来ない歪んだ人間になったと思ってるの? アンタとその上司でしょうが」

 「……自身の心に悪魔が宿るなら、神もまた同じだと思わないか?」

 「はぁ? 何言ってんの?……はぁ、なんでアタシ、こんな奴と会話なんてしてるんだろ」


 俺も別に会話の脈略を無視した発言でも無く、淡々と事実を述べたまでなのだが、


 「まぁ、なんだっていいわよ。これ、何とかして」


 シャルロッテはそう言って、辛うじて動く顎をクイっと矢の方へと向けては俺に指示してくる。大分口の悪い小娘に言い返す機会とばかりに、


 「おっと、それは出来んな。もともと君はこの場を体験する事もなく、死にゆく予定だったのだから」

 「あのさ、要点って分かる? 一々こっちが『そういう事?』って聞き返さなければ、ロクに会話もできないの?」

 

 街の住人やマスターに向ける優しさの100分の一でも分けて貰いたいところだが、


 「あー、簡潔にまとめるとだな。俺がこうして時を止めたのは、君にまだ善の心が――あ、言い方を変えよう。まだ現状を打開しようと多少なりとも思ってたことに足して、少しは認めてやるって伝えたかったから」

 「……何が言いたのよ、さっきから。時を止めては進めて、貴方はアタシに何をしてほしいの?」


 彼女も一々リアクションを取るのも面倒としか思ってないのだろうが、


 「……君が為すべきことをやれ。君が街の人たちに対して言った通りに」

 「じゃあさっさと目の前のコレを何とかしなさいよ。こんな所でくたばってたら善行もクソもないでしょ」


 シャルロッテは顎で迫りくる矢を指す。

 しかしながら俺は、

 

 「君は今の状況に至るまで、『成すべき事をやってきた』といえるのかい?」

 「どういう意味よ。これ以上に何しろっていうのよ。ちゃんと市民だって助けてたじゃない」

 「違う。そもそも君が本来与えられた役割を全う出来ていれば、街の人たちは財産も家族も何もかも投げ出してて逃げ纏う様な事にはならなかった」


 自分なりにも思う節はあるらしいのか、シャルロッテはため息をつくと睨みつけてくるばかり。暫くの間、止まった時の中で互いに無言の状態が続くが、


 「――君が誰より、それを良く分かっている筈だろう?」

 「……!」



 「一つ聞いても良いかしら。なんでアタシなの? 別にアタシじゃなくたって良くない? 」

 「人の選択に絶対ってのは無い。だが、君の行動に限っていえは常に『必然』を伴う必要がある」

 「無理やり死んでは生き返らせて、アタシがアンタの言う所の『成すべきこと』を成すまで延々と同じ一日に閉じ込めれる――それが『必然』とでも?」


 神を信じてた者の発言としては相当に厭世的な考えではあるが、個人的には同意する。もし自分が彼女の立場であれば、生死さえ世界に弄ばれている状況――人としての希望など見いだせなくなるのは容易に想像できる。

 彼女の場合、これに至った原因が自身にある訳ではないので殊更だ。


 「別にアタシ的にはそーいうのどーでも良くて、自由気ままに死にたいんだけどね」


 シャルロッテは一端息混じりに天を仰いで、次いで目の前の矢を見つめてしばし沈黙。最後に俺の方に視線を向けると、


 「勿論、今すぐにでもこの時間を動かして、この矢で針山になったとしても別に構わない。二度と目を覚まさないって事を保証してくれるんならね」

 「悪いがそれはできない」

 「その理由が聞きたいんだけどね」


 答えを教えるだけでは人は成長しない。

 その一方、俺は別に彼女の指導役でも無いし、彼女が心境的に大きく成長するのを見て喜ぶ訳でも無い。

 だが、藁にも縋るシャルロッテの気持ちを汲んでやる事も出来ないのは、俺も多少なり歯痒い気持ちは感じていた。


 「神の代行なら、アンタの上司から何か聞いてるんじゃないの? なんでアタシがこんな目に遭わなきゃいけないのか」

 「無理やり解釈するなら、これは神が君に与えた試練――」

 「もう、いいわよ」


 ピシャリと遮ってから、シャルロッテはただため息だけつく。

 ただ、


 「何が為の『必然』か、もう一度考えてごらん」


 俺はそうとだけ呟くと、指を鳴らして時を動かす。


 途端、先ほどからシャルロッテの身体を捉えたまま目の前でくすぶっていた矢が次々と彼女へと収まっていった。

 ドスドスと生々しい音を奏でつつ、身体の随所から紅い液体が噴き出す。

 衝撃で何回か様々な方向にのけ反っては最終的に仰向けになり、ピクリと痙攣して絶命するシャルロッテ。


 「……さて、あと何回で終わるかな」


 血の海で横たわりながら、輝きの消えた深紅の双眸は死後なお瞑る事なく、虚ろに空を――いや、彼女が信じる神を睨み続ける瞳に語り掛けると、俺はその場を去った。

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