第2話 『酒の肴はお説教』

 「痛い痛い!! 待ってくれ、ほんの出来心だったんだ!」

 「……」

 「ちょ、調子に乗ってすいませんでした!」

 「……」


 キリキリと締め上げられる右腕を無理でも引き抜こうと足掻く。

 俺も死に物狂いで無駄な抵抗を続けるが、どうやらシャルロッテも慈悲の心は聖職者らしく兼ね備えてるらしく、案外すんなりその手を放してくれた。

 

 「ふっ、人の腕を折る事に一切の躊躇が無い胆力。加え、それを如実に実行しうるだけの腕力。やはり鬼神の名前は伊達ではないな。痛ててて……」


 世界観に合わせた口調で強がりを述べる自称大人。

 感情を殺して落ち着きを装う俺だったが、ごまかしようのない痛みで年甲斐もなく双眸が潤う。


 「全く。顔に似合わずとんでもない怪力だな。薔薇には棘があるという事か」

 「あら。これでも手加減したつもりでしてよ?」

 

 『近接距離での戦闘で負けた事がない』という設定――簡潔これ以上ない記述ですら界隈なく忠実に再現してしまうのがこの世界の恐ろしいところ。


 そんな美少女の皮を被った教会の権威(物理)、シャルロッテ。

 彼女は呆れたとばかりにため息をつくと、


 「マスター、もう一杯同じの」

 「畏まりました」


 ここに来てようやく姿勢を起こし、ひじをカウンターにつきながらボサボサに乱れた髪を掻き揚げる。


 ようやく見えたその顔容は、普通に生活していても生で拝める機械など皆無と断言できる程に整っていた。五官は日本人では生物学的に実現が難しい彫の深い物を有しており、それぞれのパーツが絶妙位置で配置されている。


 肌は雪原の上に雪解け水が伝う様な純白さと透明さ――化粧水のCMだけでも一生食っていけると憶測できる程に美しいもの。

 美人画さえも霞むようなその美貌とプロポーション抜群な体つき。端正じゃない所を探す事の方が難しい見た目をしているが、むしろ完璧すぎて全体的にこの世のものではない違和感の方が俺には強かった。


 既に何回か吐き散らかしたであろう泥酔姿ですら愛嬌と思える見てくれをしたシャルロッテは、再び自分の胃を追い込むかのように出された追加の酒を一気にグラス半分ほどまで飲みと、

 

 「それで、なに、オジサン。さっきから訳の分からない事をピーチクパーチク」

 「オジ……ふっ、ようやく俺の話に付き合ってくれる気になったか。で、さっきまでのお嬢様口調はどうした?」

 「別に酒の場でまで猫被る必要ないでしょ」


 ちなみに俺はおじさんと断言される程に老けてはいない。

 これはお子様が年上を見ると中学生であろうが高校生であろうがオジサンに見えてしまう現象――数々の学説を脳内で思い返しながら俺は再びグラスを手に取ると、シャルロッテもグラスを手に取り、


 「ここにアタシ以外の客が来ること自体が『日課』にはないからね。まぁ、酒のツマミくらいの話は期待しても良い?」

 

 俺の方に向けて掲げてくる。

 ガキの癖にやけにませた仕草ではあったが、俺は返礼するように小さく彼女のグラスに自分のグラスを当てると、そのままもう一口。

 割ってあるとはいえ喉が焼けるような感覚に襲われながら、なかなかハイペースな飲みで潰される前に本題を切り出す。


 「最初に断っておくが……これは俺が大冒険の末、龍を倒して世界に平和をもたらしたとか、そんな心躍る様な話じゃない――これから始めるのは単なるお説教だ」

 「……オジサンって昔の武勇伝とか好きらしいから、鼻で笑ってやろうと思ってたど、そりゃ残念」

 「若い女の子に自分が強く見える様な話をするのが嫌いな奴なんて少ないだろうが、そりゃまた次の機会にでも聞かせてやるよ。とりあえず、今はお叱りが先だ」

 「ふーん。じゃあ、一人前の淑女として、オジサンからどんなお叱りを賜れるのか、拝聴してみようじゃないの」

 

 カウンターに置かれたナッツを一口そのふっくらとした口へと運んでは、ポリポリと魅力的な音を奏でてくる。

  俺も釣られる様に「マスター俺も一つ」とお願いすると、彼女はすかさず「ここのは美味しいわよ」と、すっかり常連のそれ。

 お説教と切り出しつつも、完全に彼女のペース。これ以上呑まれまいと、


 「 単刀直入に言おう、なぜ君はこの時間にこんな場所で飲み耽ってるんだ? 君が言う所の『日課』――いま執るべき行動がコレじゃないのは分かってるだろ」

 「別に良いじゃない。今日はそんな気分じゃないだけ。たまにはゆっくり羽を伸ばしたいのよ。明日にはちゃんとやるわよ」

 「本来この時間なら、君は街の外壁にある平原で警備をしていている筈。そこで偶然、変異種のゴブリン……いや、この世界では『鬼』っていうんだけっけな? まぁ、それが街に夜襲を仕掛けてくるのを未然に防ぎ、街の平和を守る――」

 

 言いぶり自体は学校をサボってカラオケに行く女子高生を咎めるのと、何ら変わらない。親御さんが延々に帰ってこない子供を心配するのも同じ。唯一違うのは、


 「『偶然』にしろ『必然』にしろ、だ。お前が蔓延る鬼を倒さないと、普通の人間が山ほど死ぬんだぞ?」


 彼女がこうして堂々と酒とサボりを満喫している傍ら、『彼女のせい』で壁の向こう側では既に血の海が出来上がっているだろう。

 最も、そんな責任感やら負い目やらで彼女が自発的に動く様で有れば、そもそも俺みたいな奴の厄介にはなっていないのも事実で、


 「鬼が郊外にいる点まで把握済み、か。そこまで詳しく知ってるならオジサンが行けば良いじゃない、大好きな武勇伝がまた一つ増えるわよ」

 「俺が出る幕じゃないだろう? あれは『白無垢の聖剣女』が手柄を立てて、初めてこの世界に意味をもたらすんだ。パッとでのしがないリーマンが出て良い話じゃない。どう辻褄合わせると思ってるんだ」

 「はぁ……今となっちゃ、その名前で言われるだけでも虫唾が走るんだけどね。この衣装も、そろそろ目立たない奴の方が良いし」


 バーテンが客の話に聞き耳を立てないのはその職業における一種の鉄則だが、一市民として、彼もこの話への興味は隠せないようだ。こちら側に背を向けてはいるが、黙々とグラスを拭く音量が明らかに小さくなっていた。

 そんな摩擦音だけが響く中、シャルロッテは再び一つまみのナッツと酒を同時に口へと運ぶと、


 「アンタも『知ってる』側の人間なんでしょ、アタシたちと同じでさ。 だったら別に動こうが動かまいが結果は変わらないって事くらい、今更じゃない? 別にほっとけば明日元通りなんだし、誰も死にはしないわよ」

 「変わらない、か」


 その言葉は正しくない。もしこの世界が彼女の思っている通り、最大限の力を注いで、頭を捻りに捻っても理不尽なものであれば、そもそも俺はこんなアプローチの鹿はしない――だが俺は知っている。この世界の理が決して理不尽じゃない事を。

 

 「本当に、君は一度でもこの世界を思った事があるのかい?」

 「アタシの力で世界が変わる……!?」


 シャルロッテは一瞬目を大きく見開くが、またすぐ視線を伏せケラケラと笑いだす。


 「――なーんて、言うとでも思った? 生憎だけど、もうそういうお年頃じゃないのよねぇ。アタシは好きだなー、こうやって幾ら酔いつぶれても二日酔いにならない世界。出来れば永久に変わらないで欲しいとさえ思ってる……ゴメンね、可愛げなくて」

 「そうやって不貞腐れて拗ねてる所を見ると、まだまだ可愛い女の子だってのは分かるよ」

 「……」

 「あと、大人のお説教としてもう一点。酒はオレンジジュース感覚でぐびぐび飲むもんじゃねぇぜ。もっと味わって飲め」


 かくいう自分も到底味わっているとは思えないペースでぐびぐびと残りのウィスキーを腹の中に流し込む。口直しとばかりに再びタバコを加えて火をつけると、


 「マスター、チェックを」

 「……不要にございます。当店、『今夜』は皆さまを無料でご案内しております故」

 「ふふ、『明日』もそれを言えるかな? 今度こそ、一晩でそちらのお嬢様に酒棚を空っぽにされてしまいますよ」

 「これはご冗談がお上手な様で」


 俺はポケットからこの世界で使われている金貨を2枚カウンターの上に置く。

 そしてまだ半分と吸ってないタバコを灰皿に落としてから、スーツのジャケットを正すと、


 「まぁ、精々『今晩』を楽しむことだな。変わらぬ毎日が明日もやってくるって思っちまうのは、君がまだ子供である何よりの証拠だ」

 「……ふふふ。オジサンも寂しかったら明日も来ると良いよ? 正直、アタシもマスターとだけ話すのは飽きたから。話し相手は多ければ多いほど楽しいし」

 「ふっ、考えてみるよ」


 俺は扉に手を掛け、そろそろ風鈴の様なドアベルが鳴り始めるか否かの半分程度まで引くと、


 「シャルロッテ。もう一度だけ、君の信じる『神』とやらに頼ってみてはどうだ? 信ぜよ、さらば道は開かれる――ってな」

 「……」


 それだけ言い放ってから、そっと扉を閉めた。

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