第9話 魔牛のローストビーフと聖牛のTボーンステーキ

「これにてジン・カミクラを西欧聖女騎士団に加えることとします。異議のある方、いらっしゃいますか?」


 闘技場の観覧席でアリスが右手を上げながら、周囲に問いかけていた。


「異議なし! 彼ほどの人材が加わってくれるとは、実に心強い!」


「異議なし! ついに西欧聖女騎士団にSSSランカーが!」


「異議なし! ジン・カミクラね。ふふふ。中々、かわいい子じゃない!」


 観衆だった聖女騎士たちも、どうやら俺を認めてくれたようだ。とりあえずはこれで職にありつけそうである。荷物持ちの仕事を失った時は絶望したが、拾う神はここにいてくれたようだな。それもとびきり最高の神様が。


「異議ありー!」


 ほっとして呆けていた俺に、猛烈なまでの抗議が届く。その方向へと首を巡らせると、そこには腕組みをしたリラが不満顔で立っていた。


「あたしは、あんたなんかぜっっったい、認めてやんないんだから!」


 彼女はそう吐き捨てると、踵を返して闘技場から走り去っていった。ほんとに嫌われたものである。


「ジン。心配することはない。リラもすぐに君を認めるさ」


 フィオナが腕を絡めせながら、そんなことを言ってくる。


「この雑魚騎士! マスターに触るな! マスターは我のものだ!」


 いや。俺は俺のものだろ。


「これはこれはデュランダル殿。SSS級と言ってもあなたはドラゴン。ジンは私と結ばれたほうが幸せなのですよ。ふふ」


「きっっっーーーーーーーーーーーー!」


 二人の視線がバチバチと火花を散らしているのが見える。


「あはは。愉快ですね。こんなに楽しいのは本当に久しぶりです」


 観覧席でアリスが優雅に微笑んでいる。まるで絵画のように美しい所作だった。彼女を見ていると、やはり皇女というのは俺とは別種の生き物なのだなと実感する。


「さあ。試験も終わったことですし、みんなでご飯にしませんか?」


 皇女の提案に皆がひれ伏し、「御意」という声が重なった。


 飯か。どんな飯なのだろうか。帝国にいた時は、安月給だったから小麦粉と卵ぐらいしか手に入らなかった。それすらも時折、小隊メンバーに奪われたものだ。三日間食事にありつけないことなど日常だった。その俺が西欧聖女皇国で食事をする日が来るなどとは、露にも思っていなった。


 ぎゅるるる。そんなことを考えていたら、唐突に腹が鳴った。腹が減った!


「なんだジン。空腹なのか。ちょうどよかったではないか。さあ食事へ行こう。私が盛ってやるぞ」


 フィオナが俺を先導すると、すかさずデュランダルが割って入る。


「マスターはお前が盛り付けた飯など食わないのだ! マスターは我と魔牛の丸焼きを食うのだ」


 魔牛の丸焼き。よだれが垂れる。肉を食うのは何ヶ月ぶりだろうか。


「ジンは私と食べたいのですよ。デュランダル殿」


「いいや! マスターは我と食べるのだ!」


 二人の喧騒すら、今の俺には肉への前菜である。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「さあ。どうぞ召し上がれ」


 皇女アリスの号令で、騎士団勢揃いの昼食会が始まった。


 目の前には、Fランク以下の荷物持ちであった俺にはお目にかかったことのない料理ばかりである。うまそうな匂いがそこら中から発生していた。肉、魚はもちろんのことデザートまでと実に多彩である。ビュッフェとかいう形式で好きなものを取っていいらしい。夢のような仕組みである。


 そんな中、俺はやはり肉が食いたい。


「さあ! マスター、この魔牛を食うのだ!」


 デュランダルが俺の前に、どんと肉塊を置いた。ばかでかいローストビーフである。匂いが……たまらない!


「デュ、デュランダル! 流石だな!」


 俺は礼儀も作法も忘れ、魔牛の塊に食らいつく。じゅわりと肉汁が口に広がり、旨味とソースの味がたまらない。


「う、うまい!」


 フォークとナイフがとまらない。無我夢中で俺は突き進む。


「そうかそうか。うまいかマスター。ふふふ。どうやら我の勝ちのようだなフィオナよ」


 横目でデュランダルを見やると口角を上げて、フィオナを一瞥していた。


「竜姫よ。勝負はまだついてはいない。さあジン。こちらも試してほしい」


 今度はフィオナがステーキらしい皿を、俺の眼前に置く。


「おお……。こ、これは一体」


「ふふ。ジンよ。これは聖牛のTボーンステーキさ。年間で数頭からしか取れない希少部位だ」


 聖牛! 大陸中の牛の中から最高ランクの称号を得られた牛の中の牛! それが聖牛だ。まさか俺が口にできる日がやってくるとは!


「ほ、本当に食べてもいいのか」


「無論だ。さあ楽しんでくれ」


 フィオナの答えに、俺は震える手でナイフを入れる。聖牛のステーキは何の抵抗もなく、すっと切れた。よし。行くぞ……。肉片を口に運ぶ。


「こ、これは!」


 別次元! 別次元の旨さだ! 間違いなく今まで食べた料理の中で最高級の逸品である。俺の手は、音速の超えた速さで肉を捉えていく。


「うまい、うまいよフィオナ!」


 俺は泣きながら、咀嚼を続けた。


「そうだろう? ジンに喜んでもらえて、私も嬉しいぞ。これで夫婦生活も円満だな」


 そこにすかさずデュランダルが噛み付く。


「何を言っているのだ、このエロ聖女!」


 その指摘にフィオナは怒ることなく、顎に綺麗な手を添え思案顔になる。


「エロ聖女……なるほど。その手は使えるな」


「きっーーーーーーーーー!」


 美女と美少女が何やらやりあっているが、今の俺には構っている暇がない。肉だ。肉。この肉たちとのふれあいが最重要事項だ。


 ただそれだけではない。わかりあえる人たちと食べる食事だからこそ、うまいのだ。帝国では食べ物にありつくことに精一杯で、味わう余裕もなければ、味わうような素材も手に入らなかった。


 貧しかった日々を思い返すと、自然に手が止まる。たった一人きりで啜った小麦の粥。


「どうしたのだマスター! ほら、もっと食べるのだ!」


「ジン。野菜も食べよう。これから君の栄養管理は私の仕事だからな」


 その声にはっとする。二人の笑顔が、なんだかとても眩しく見えた。


「ようし! 食うぞお!」


 俺は気を取り直して、再び肉たちに立ち向かう。一心不乱に食い尽くす! 


「ふふ。お口にあったみたいでよかったですわ」


 皇女アリスが主賓席でやわらかく微笑む。


 ……しまった。ここは皇女殿下の御前だった。流石に礼儀知らず過ぎだ。俺は咳払いをしてから口を拭く。それからアリスの前に出て跪いた。


「皇女殿下。本日は本当にありがとうございます。これから何卒よろしくお願いします」


 彼女はこくりと頷いてから、小鳥のように美しい声音で答えてくれた。


「ジン。こちらこそ、よろしくですわ。それと、わたくしもあなたを狙っていますので、そのつもりでね」


「へ?」


 思わず間の抜けた声を上げてしまった。アリスは愛らしくウインクをしてから、俺の肩に手を置いて耳打ちする。


「今度、わたくしの宮廷にいらしてくださいね。あ、でも、みんなには内緒だよ。ね?」


 彼女の吐息が耳を撫で、心臓が跳ね上がる。


「あは。ジン、ほっぺた真っ赤ですよ」


 アリスが俺の頬を人差し指でぷにぷにと押している。


 おお。ここは桃源郷か? 意識が白濁とした世界に包まれていく。ああ、もう死んでもいいかも。



 その時だった。


「大変です! 農村地区にゴブリンの大群が発生した模様! すでに大きな被害が出ているそうです!」


 飛び込んできた伝令の声に、その場にいた全員が直ちに行動を開始した。



 ――俺はまだ気がついていなかった。

 リラがたった一人で先行していたことに。

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