第9話

「はぁ……!」


 和くんから離れるようにして、私はトイレの個室に入った。洋式のものであるため、座ることのできる形状だ。腰を下ろして自分の胸を腕で隠した。別に誰かに見られているわけではない。体全体に響くほどの鼓動を抑えたかったからだ。


 バックン、バックン。強く、速く、胸が高鳴っている。心臓が暴れて苦しい。体も顔も熱くて、自分はどうしちゃったんだろう、と戸惑っていたくらいだ。


「はぁ……はぁ……」


 やめてよ和くん……。無意識でも、サラッとあんなことを言うのはびっくりする。『姉さんのことを可愛いと思うのも異性として———』


「可愛いって言われたよぉ〜〜〜……! しかも、私のことずっと女の子として見てたんだぁ……。んふふ……嬉しいなぁ……」


 純粋に喜んだ。トイレで。一人で。確認するために、胸に手を当てた。


 うん、まだドキドキしてる。和くんの言葉一つで、私はこんなにも心臓が激しく動いてしまう。


 私は和くんが好きだ。最初は、『姉としての役割を果たさなくちゃ!』とか思ってて、恋愛感情なんて持ち合わせてなかったけど、年が経つにつれて、体が大きくなっていく和くんに魅力を感じていった。和くんが気にしてることでもある姉弟という関係は、所詮は義理。血の繋がっていない家族であり、男女だ。


 だからこそ、私は考えたのだ。『恋人になれるのでは?』と。両親も反対すると思うけど、そういうことは絶対にダメだと思うけど……。でも、でもね、血縁関係が無く、突然家族になった人たちは、当然以前までは他人だったというわけだ。


 家族の関係? そんなことどうでもいい! バレなければ問題にはならない! 私と和くんは今は姉弟でも、前までは顔を合わせたこともない他人だもん!


 血縁関係がないのであれば、すなわち子作りも可能。まずは既成事実を作って、和くんには悪いけど逃道をなくして……っていうところまでは想像している。その後の親の説得などは何も考えていない。というか、そもそも和くんが私を襲ってこないから、性行為すらも実現できていない。キスすらまだだ。


 やはりこの姉弟という関係が邪魔しているのだろうか。枷にしかなっていないことに不満だ。和くんも、この枷がなければ和くんも自由にできるのに。何がとは言わないけど……。


「はっ!」


 マズい! スマホを確認したら、だいぶ時間が経っていることに気づいた。外で和くんを待たせているのに、何をしてるのよ私!


 手洗い場のところの鏡を見て、身だしなみを整えた。


 心臓も落ち着いてきたし、これならさりげなく和くんにアプローチできるはず! そして和くんの枷を解いてあげるの! そしたら私たちは……。


 幸せな未来を願って、私は笑顔で外に出た。



 ****



 なんかさっきまでと違う。すっごい笑顔になってて、なんか違う。


 僕たちはゲームセンターに来た。知り合いが大勢いるだろうと踏んでいたけれど、全く人がいないことに驚いた。ボックスの中でプレイするゲームを、姉さんと二人でやることになった。


 そのボックスの中に同時に入る。すると姉さんは画面から目を離し、今度は僕の顔を見て言った。


「和くん! お姉ちゃんは思ったの! 和くんが躊躇しているのは、家族っていう関係のせい! だから、和くんにその気があるなら……」


 ニコニコの可愛い顔が近づいてきて、不意にドキッとしてしまう。


「誰にもバレないようにすれば、何してもいいの……。こんなこととかもね! えい!」

「うわぁっ!」


 急にハグをしてきた。


「ぎゅーっ! こんなこと、和くんの部屋でしかしてないことでしょ? でもこの中だと誰も見てないから、してもいいの!」

「ぐっ……で、でも……」

「はいはい、姉弟だからでしょ? 今、私が言ったこともう忘れたの? バレなければいいの!」

「バレなければ、バレなければ……」


 マズい、手が勝手に動いてしまう。


『ぎゅっ』


「え?」

「あ、いや、これは……!」

「やっと分かってくれた……。そう、そうだよ……」


 姉さんのいい匂いがする。姉さんの胸の感触が分かる。姉さんの優しい声が耳元で聞こえる。姉さんの体の熱が手のひらで、体全体で感じる。数分この状態が続いた。


 認めちゃいけないと分かっているけど、僕は今すごく幸せに満ちている。本当に幸せだ。


 そして僕は、自分の気持ちに気づいてしまった。


「ごめんね……。お姉ちゃんがこんなことをしてくるから、和くんはずっと悩んでたんだよね……」

「いや、姉さん。僕は本当は、最初からこうしたかったんだ……。姉さんに抱きついたり、いっぱい一緒にいたいって思ってたんだ……」

「和くん……」

「僕たちは姉弟だけど、どうなっても義理なんだ。姉さんの言ってる通り、バレなければ何してもいいのかな……?」


 姉さんの抱きしめる力が強くなる。僕はこの気持ちがなんなのか、正直よく分かっていなかった。


 するとハグをやめ、姉さんが倒れるようにして僕の唇に目掛けて近づけてくる。


 しかし姉さんがやろうとしていることはできなかった。


『コンコン』


「ッ!?」

「あのー、まだなんですかー? ずっと使用中ってなってるんですけどー? というか入ってるんですかー?」

「す、すみません! すぐに出ますので! ……行こう姉さん」

「そ、そうだね……。続きは……今夜、和くんのお部屋でね……」


 幸い待っていた人は知らない女性だった。だが、中の声は聞こえていなかったはずだよな? 防音設備は完璧だった気がする。


 そのあとは家に向かった。夕暮れ時だったため両親が帰ってきていた。僕はそそくさと自分の部屋に行った。姉さんも同様に部屋に行く。


 そして夜になる。

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