第5話

 翌日。僕は姉さんが生徒会の活動で、家に帰るのが遅くなることをメールで知った。『了解しました』という返信をし、いつものように美術室で部活をした。昨日のように、姉さんが胸を当ててきたり、耳元で囁いたりされないため、その日は活動がしやすかった。


 自分で書いた原稿を読んでみると、ところどころで誤字や脱字を発見した。やはり、手書きだとこういうミスがあって不便である。タイピングの方がよっぽど使えると思うのは、僕だけなのだろうか。


 そんな疑問を頭の中で考えながら、帰り道を歩いていると、ポケットで何かがブルブルと震えているのが分かった。自分のスマホであった。


 画面には『姉さん』と表示されている。僕に電話をかけてきたのだ。普通に出てみる。


「はい、もしもし?」

「私、メリーさん……。今どこにいると思う?」

「メリーさんって自分から位置情報を教えるものなんだけど? 僕に聞いてどうするのさ、姉さん」

「そうなの? じゃあお姉ちゃんが見た記事はガセネタだったということ?」

「おそらくね。というか、お姉ちゃんって自分で言ってるけど、もうこのメリーさんのやりとりはしなくていいんだね?」

「私、メリーさん……。今、あなたの後ろにいるの!」


 まさかの続行かよ。僕の言ったことを、全て無しにしてきた。


 タタタターっと足音がした。背後を向いた瞬間に、僕の背中に大きな胸が当たってきた。人が見ていないとはいえ、外でやるのはもっといけないことなのではないかな? いや、そもそも抱きついてこられるのがダメだ。


「かーずくーん! 遅くなってごめんねぇ……! 生徒会がいっぱい仕事を任せてきたのぉ!」

「僕はもっと遅くなるのかと思ってたよ。だって、こうして僕に追いつけたんだから」

「そうだけど、和くんを一人で歩かせるなんて、お姉ちゃん心配なんだもん! 途中で悪い人に絡まれるかもしれないって思うと……」

「それくらい大丈夫だよ。姉さんって本当に心配性だなぁ……」

「だ、だからね……? その、お姉ちゃんと、一緒に帰ろ……?」


 なんで顔を赤くしてんのか分からないんだけど。分かるんだけど、家庭の関係上分かりたくないというジレンマが発生しているだけか。見てるこっちも恥ずかしくなってくる。


「う、うん。いいよ……」

「やったぁー!」


 義理だけど、僕たちは姉弟である。その関係は今後、何か大きなことが起こらない限りは変わることはない。そしておそらく、そんな大きなことなど、これから先はないはずだ。


 でも僕は、どこかでこの家族関係が終わることを望んでいることに、気づいてはいなかった。気づこうとしなかった。



 ****



「むぅー! 昨日は和くんのお部屋に入らなかったからいいじゃん! 我慢したんだから、今日は入らせてよぉー!」

「ダメだってば! 今からやらなきゃいけないことあるし!」

「やらなきゃいけないことって何なの! もしかして宿題? それならお姉ちゃん手伝うよ!」


 部屋のドアを引っ張ってくる姉さん。力は僕の方が圧倒的に強いのだけれど、この状態をずっとやってると腕が痺れてくるのは当然。しかも夜中だし、ドア越しに姉さんが騒いでいるため、近所にも迷惑じゃないかと思う。


「ねぇー! 開けてよぉー!」

「だからダメなんだって!」

「さては宿題じゃなくて、いかがわしいことをする気なのね!」

「いや、違うけどさ……」

「なら何するの? 教えてよ!」


 姉さんは手を離したのか、引っ張ってくるのをやめた。僕は安心してしまい、力を緩めた。それが不覚だった。


 姉さんはいきなりドアを開け、僕にまた抱きついてきた。まさかあれがフェイントだとは……。僕が油断したのが悪かった。結局部屋に入られてしまった。


「えへへー! 和くん和くん和くーん! 残念でしたぁー、お姉ちゃんのフェイントでしたぁー」

「はぁ……もういいよ……。好きにしてくれ……」

「うん、好きにするね! それより、和くんは何をしようとしてたの? まさか本当に……!」

「違う」

「だ、だよね! そんなわけないよね!」


 いや、僕も年頃の男子だから、一人でやらないこともないけどね。絶対にしないっていうわけではないかな。


「何しようとしてたのかっていう質問だけど、ウェブ小説投稿サイトに投稿するための、新しい小説のプロットを書こうとしててですね……」

「ふーん。ジャンルは?」

「れ、恋愛ものを……」

「和くん、恋愛経験ってあるの?」

「うっ……」

「経験が無いなら、あんまり読者が感情移入できない内容になるかもね」

「た、たしかに……」

「はい、問題! ならどうしたらいいのでしょうか! 和くん答えて!」

「えっ!? だったら、恋愛経験を積むとか?」

「ピンポンピンポーン! 大正解!」


 姉さんはパチパチと拍手をして、正解であることを喜んでいる。


「で、でも恋愛経験を積むなんでどうやって……。だって僕と付き合おうと思う人なんてどこにも……」

「ここにいるじゃん!」

「へ?」

「ほら! ここに! 目の前に!」


 嫌な予感がする。『お姉ちゃんだよ!』とか言わないよね?


「お姉ちゃんだよ!」


 言うんかい。


「ね、姉さんが? いやいや、無い無い! だって僕たち姉弟だよ? ドキドキしたりなんてするわけないじゃないか……」

「それは本当の姉弟だったらでしょ? お姉ちゃんと和くんは、義理だよ……?」

「いや、でも……」

「あー! 和くん今ドキッとしたでしょー! それだよ! その感情!」

「し、してないよ!」

「まあ、とりあえず構想を考えないといけないね。お姉ちゃんがアドバイスしてあげる!」


 やはり現役小説家。僕の考えている設定から、どのようなストーリーが一番似合うかをすぐに教えてくれた。


 でも、これだけは言わせてほしい。『胸を当ててくるな!』と。



 ****



「んふふ……! ちゃんとお姉ちゃんのこと、女の子として見てくれてるんだね……! お姉ちゃん、嬉しいよ……!」

「え? 何か言った?」

「『和くん大好きー!』って言ったの!」


 大好きな和くんの匂いを嗅ぎながら、私は彼と小説の構想について、ずっと話し合ったのだった。

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