11.「彼の遺書①」
今から一時間ほど前か、死神と名乗る怪しげな少女が僕の目の前に現れ、言った。アタシは死神です。あなたはあと二十四時間の命です。アタシはあなたの死を見届けにきました。運命には逆らえません。異論は受け付けません。残念無念。などと。何を世迷言を、と斬り捨てるコトはしなかった。僕は彼女の言葉を信じた。何故なら、とある女性が死神の存在を肯定していたから。彼女は、突如現れた幼い少女に死を宣告されたと言っていたから。彼女が言葉通り、一日も経たずに息を引き取ったから。
この遺書は、誰に向けて書いたものでもない。どうしても伝えたかった大義があるワケでもない。死ぬまでの、僕の暇つぶしだ。天狗の分際で人間社会に身を置いたはぐれ者の奇行録を、形として現世に残しておくのも一興とは思わんか?
僕が自我を自覚したのは、おそらくこの世に産まれ落ちた直後だったと思う。思いつく限り最も古い記憶、眼前で広がる木々が橙色の光に照らされていた。轟々と、僕の周囲に火炎が盛っていた。本能的に命の危険を察知した僕は、本能的に雲を操り雨を降らせた。火はすぐに鎮火され、眼前にしゅうしゅうと煙を吐き出す巨大な岩石がお目見えされる。巨石はパックリと大きく二つに割れており、僕はこの中から這い出てきたのかな、想像するも真実は今もわからない。周りを見渡してみる、深淵の闇夜と、湿った緑の匂いが広がるその場所は、いわゆる野山だった。
今でこそ人の為りをしているが、本来の僕は全身が硬い毛で覆われており、衣服など身に着けておらず、四足歩行で歩く獣のような姿をしている。自我を自覚した時から、移動や食事などの生命活動のやり方は既に把握できていた。適当に雨水を飲み、適当に狩りをして腹を満たす。生命を維持するだけの活動がしばらく続いた。
ある時、山のふもとにある人里を発見する。長い時間を使って、僕は遠くから人間を観察してみた。彼らの会話を耳に入れるコトで人語を理解していった。同時に人間という生物について学んだ。どうやら彼らは、この世界の支配構造において頂点に立つ生命体らしい。しかし、どうだろう。僕は彼らに比べてあらゆる点において優れている。知能が高く、空を飛翔することができ、神通力も持ち合わせている。彼らは非力で、徒党を組まなければ何もできず、自然災害や病で簡単に死ぬ。僕は思案した。支配構造の頂点に立つべきなのは、彼らではなく力を持つ僕なのではないかと。
僕は人里に降り立ち、彼らと接触した。獣のような為りをしている僕が人語を宣う。神通力を披露し、辺り一帯に嵐を巻き起こす。彼らが恐れおののくのは必然だった。彼らは、僕と自分らの力の差を瞬時に理解したようだ。僕は彼らに言い放つ。この世界の支配構造において、僕は君たちよりも上に立つべき存在だ。その日から僕は、山のふもと、人里一帯に生息する人間たちから神のように崇められる存在となった。
天からやってきた狗のような姿をした物ノ怪、という由来から僕は天狗と呼ばれるようになった。僕は彼らに農作物を奉納するように命じ、代わりに僕はあらゆる天災から彼らを守ってやった。そのたびに彼らは僕のことを崇め称えた。天狗様、天狗様、僕は幾千の賛美歌に満足していた。力を持つ僕が力なき彼らを支配する。力を持つ僕を力なき彼らが祭る。至極単純な方程式から導き出される道理だ。人間が使う時間軸で言うところの百年以上もの間、僕と彼らの支配構造は変わらなかった。力関係が逆転することありえない、それこそ、天地が逆さまになろうが僕と彼らの間を繋ぐ公理は永劫変わらない。僕はそう信じて疑わなかった。そう、僕は盲目で、ありていに言えば彼らのことを侮っていたのだ。
出し抜けに、彼らは僕に要求した。天狗様、お国からの命で、この山を切り崩し開拓する運びとなりました。あなた様の棲み処はなくなります。我々は、あなた様なくして生きていく力を身に付けました。天災から自衛する術を身に付けました。天狗様、どうか違う地へと移住してください。僕は虚を突かれ、呆気にとられ、憤慨した。ふざけるな、お国だか何だか知らないが、僕は天狗だ。この世界の支配構造において頂点に立つ存在であるぞ。貴様ら人間の言うコトなど聞くものか。しかし彼らは怯まなかった。無色透明な顔つきで、淡々と返した。天狗様、確かにあなたは怖い。我々よりも力を持っている。ですが今となっては、我々は天狗様よりお国の方が怖いのです。天狗様には逆らえても、お国には逆らえません。彼らは喚き散らす僕を置いてその場を去った。怒り心頭の僕はあらゆる神通力を用い、何日もかけて人里を荒らした。ホレ見たコトか、僕の言うコトを聞かないからこうなるのだ。逃げ惑う人間たちを眺めながら、僕は高らかに笑う。しかし笑っている場合ではなくなった。武装した数多の人間たちが山狩りを始めたのだ。僕を見つける度に銃を発砲する。いくら追っ払っても有象無象に襲撃を重ねる。キリがなかった。一切の休息を与えられない僕は、自身の神通力が徐々に弱まっていくのを感じた。ついに致命傷を負い、空を飛翔するコトもままならなくなった。限界だ。僕は悟った。このまま抵抗を続けていては、いずれ死ぬ。僕は山を降りる決心をした。野犬に化けるコトで彼らの目を眩ませ、唯一無二の牙城から退散した。コレはあとになって知った事実なのだが、その山々は俗に多摩丘陵と称されており、大掛かりな都市開発計画がいたる地で施行される時代だったとか。
長きにわたって続いた支配構造はあっけなく崩れ落ちた。僕は弱っていた。得意の神通力で天候を操る力など失っており、つむじ風を起こすのが関の山。ただ、生き長らえるためだけの生活が続いた。僕は餌を求めてさまよい続けた。人間が住む街に紛れ込み、ゴミ袋を漁って空腹を満たす始末。本性を隠して野犬に扮しているものの、僕は自他共に認めるノライヌに成り下がっていた。餌を探す時以外はただジッと身を縮こませ、移りゆく風景を水晶体に流していた。
人間が作る世界は急変していった。かつて見下していた彼らの文明が目覚ましく発展していく様を、僕はまざまざ見せつけられる。にょきにょきと高層ビルが生え散らかし、一瞬のうちに緑と青が灰色に変わっていった。ただジッと身を縮こませ、僕は思案に耽る。彼らは、人間たちは非力で、徒党を組まなければ何もできず、自然災害や病で簡単に死ぬ。だがしかし、彼らは徒党を組む才においては、他の生命体の追随を許さぬほど秀でている。徒党を組んだ彼らは実に始末が悪く、実に手に負えず、僕一人では到底敵う相手ではない。だからこそ、この世界の支配構造の頂点に立ち続けるコトができたのだ、と。
悟った僕は、もう彼らを従えようなんて考えは持ち合わせていなかった。支配構造の頂点に立ってやろう、などとは露ほども思わなくなった。ただ虚しさだけを覚え、自分は何のために生きているのだろう、僕に存在価値なんてあるのだろうか。そんなコトばかり毎日考えていた。やがて、餌を探すのも億劫になっていた。ただジッと身を縮こませている僕の全身に虫がたかる。腐臭が漂う。しかし僕は決して動こうとはしなかった。腹が減っているという感覚すらなくなっており、死んでいるのか、生きているのか、自分でも判別がつかない。妙に頭が冴えた。だが何をする気にもなれなかった。雨が降る。茶褐色の硬い毛に水がしたたる。ぼうっと、自意識すらままなくなる。ああ、僕は死ぬのだな。ポツリ思い、目を瞑ろうして、やめた。僕の瞳に、しゃがみこんだ一人の女性の姿が映る。時代錯誤の黒髪おかっぱが揺らいだ。
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