6.「彼女の遺書」


 この文章は、羽村倫音の遺書です。


 私は、事故でも、他殺されたわけでもなく、自分の意志で自らの命を絶つ決意をしました。それをハッキリさせるコトが、この遺書を書いた理由の一つです。


 もう一つの理由は、懺悔になります。生きている間はだれにも告白するコトができなかった私の罪を、この遺書に綴ります。


 私には親友がいました。名前を久我山くがやま紗智さちと言います。彼女は今から約一か月前、自宅で手首を切ってこの世を去りました。理由は、高校でいじめを受けていたから。本人から直接聞いたワケではありませんが、同じ高校のクラスメートだった私の目から見て、一学期の間、みるみる憔悴していく彼女の様子から、そう考えて間違いないと思います。そして、彼女のコトをいじめていたのは、私でした。


 最初は、私がサチにいじめられていました。彼女を中心に、内部進学組のクラスメートから悪質な嫌がらせを受けていました。嫌で嫌で、辛くて辛くて、でもその時の私は、自殺をしようとは考えていませんでした。何故なら、私には何の罪もないから。いじめなんて、幼稚で頭の悪い人間がする行為だと考えていたから。頭の悪い彼女たちのために、何の罪のない私だけが不幸な目に遭うなんてバカげている。屈してやるものかと、そう考えていました。


 私は復讐のチャンスを狙っていました。ある日、誰もいない教室で二人きり、サチがうちのクラスの担任教師に猫撫で声で喋りかけているのを目撃しました。担任教師もまんざらではなさそうな、気持ちの悪い笑顔を浮かべていました。次の日の放課後、私は部活動を終えたサチを尾行しました。


 彼女は校舎の門を抜けて、サチの自宅とは逆方向、駅前の方面に向かって歩き始めました。彼女が公園の公衆トイレに入ったので、少しの間待っていると、彼女は服装を着替えて再び姿を現しました。学校の制服姿ではなく、高校生とは思えないような派手な恰好をしていました。彼女はそのまま駅に向かって歩みを進め、人通りの少ない裏通りに隣接する駐車場の前で足を止めました。しばらくすると青のコンパクトカーがその駐車場に停車し、車の中から現れたのは例の担任教師でした。サチは彼の腕に抱き着いて、そのまま身を寄せるように二人で歩いて、彼らはラブホテルの中へと消えていきました。私は、その一部始終をスマホのカメラに収めました。


 私は急いで家に帰りました。スマホのカメラのデータをパソコンに転送して、ネットプリントを使って拡大した写真を何十枚もコンビニで印刷しました。その日の夜中、私は学校に忍び込んで、私のクラスの教室のいたるところにその写真を貼りつけました。次の日、私がいつも通り登校すると、教室は大騒ぎになっていました。


 担任教師は懲戒免職になりました。サチは数日間だけ学校を休みました。久しぶりに彼女が登校すると、クラスメートが好奇の目で彼女のことを見ていました。元々サチと仲が良かった内部進学組の子達がサチに声を掛けていましたが、どこかよそよそしい態度でした。それに気づいているのか、サチが発する言葉も上滑りで、彼女の笑顔は作りもののようにぎこちなかった。彼女たちの関係性は表面上は以前と同じに見えましたが、よく観察してみると、サチがグループ内で腫物のように扱われているのがわかりました。サチは必死に平静を装っていたけど、時折、苛々しく声を荒げることがありました。精神が不安定になっていたんだと思います。サチは私にかまう余裕など失い、私はいじめから解放されました。でも、私はサチに対しての復讐を続けました。


 サチは出会い系アプリを使って援交を繰り返している、とか、二つ返事で性交を許諾する稀代のサセ子である、とか、ありもしない話をでっち上げ、学校裏サイトを使って広めました。効果はてきめんでした。暇を持て余し、あまつさえ腐らせている高校生にとって噂話は恰好の肴。真偽の程なんてどうでもよいのでしょう。サチの悪名は、みるみるうちに全校に知れ渡っていきました。他学年の生徒たちがサチの顔を見ようと、うちのクラスにやってくるような始末でした。内部進学組のグループは、いよいよサチのことを切り捨てました。サチが彼女達に話しかけても、露骨に無視するような態度をとりました。やがてサチは内部進学組の子たちに話しかけることもしなくなり、一人自分の席で机につっぷして一日を過ごすようになりました。


 一度だけ、サチが私に声をかけたことがありました。ぎこちない笑顔を浮かべながら、震える声で、「あのさ、前みたいに、一緒におひるご飯食べない?」と私を誘いました。私は彼女の声を無視しました。彼女の目を無表情で見つめたまま、返事を返しませんでした。やがて彼女は今にも泣きだしそうな顔になって、逃げるように私に背を向けました。ざまぁみろ、私はそう思いました。自分は簡単に私のコトを切り捨てたクセに、同じ状況になってから助けを求めるなんて、都合が良いにもほどがある。どれだけ頭が悪いんだろう。当然の報いだ。私の心は昂っていました。サチが落ちぶれいてく様を見るのが、楽しくてしょうがありませんでした。徹底的に彼女のコトを追い詰めてやろう。私は歯止めがきかなくなっていました。


 私は再び夜中の学校に忍び込みました。ヤリマン、ビッチ、ブス、ガバガバ、思いつく限り低俗な悪口を、彼女の机に油性ペンで書きました。複数人による犯行に見せかけるために、少しずつ筆跡を変えました。今回のいじめが、クラス中で行われているものだと、サチが錯覚するように仕向けたのです。次の日の朝、自身の席の前で茫然とする彼女の姿がありました。彼女に声をかけるクラスメートは、もちろん一人もいませんでした。サチはもはや泣き顔を隠そうともせず、そのまま教室を飛び出していきました。私は笑いをこらえるのに必死でした。次はサチをどんな目に遭わせてやろう、そんなコトを考えていました。でも、サチはその日から学校に来なくなりました。一学期が終わり、夏休みが過ぎ、二学期が始まっても彼女は学校に来ませんでした。ある日の朝のホームルーム、学校の先生からサチの自殺を知らされました。


 私は混乱していました。まともな思考が働いていませんでした。事実を、うまく認識できていませんでした。フワフワした意識のまま、彼女の通夜に行きました。当たり前ですが、そこにはサチのお母さんがいました。サチのお母さんの顔は知っていました。昔は、お互いの家を行き来するくらい仲が良かったから。サチのお母さんはやつれていました。茫然とした表情で、人に声をかけられても、力なく首を振るが精いっぱい、といった様子でした。私は、人が大切な何かを失った時の顔を、初めて見ました。サチのお母さんからは、「人に見られている」という意識をまるで感じられませんでした。何かをとりつくろうことを、一切していませんでした。ただただ、虚ろで、目は開いているんだけど、何も見えていないようで。私はサチのお母さんから目を背けました。まともに顔を見るコトができなかったから。急に怖くなりました。私は、自分がしてしまったコトの大きさに、その時になってようやく気が付いたのです。


 私は、久我山紗智という一人の女の子の心をボロボロにして、自殺に追いやった。

 私は、サチを大切に思っている人たちから、彼女の存在を奪った。


 いじめなんて、幼稚で頭の悪い人間がする行為だと考えていた。そう考えていたはずなのに、私はサチと同じコトをしていた。いじめられる辛さを知っていたはずなのに、そのコトに気づけなかった。サチの心が簡単に壊れていく姿を見るのが、快感だった。自分が優位な立場に立てている気がして、気持ちが良かった。結局、私もサチと同じだったのです。自分がひどい目に遭っていた時は善人のような顔をしていたクセに、自分だけが正しい心を持っているとか考えていたクセに、立場が逆転すると、相手の気持ちなんてまるで考えなくなる。自分の見ている世界だけが全てだと錯覚する。人には心があるし、心の傷が大きくなるとやがて壊れてしまうって、そんな当たり前のコトすら忘れていました。


 私は通夜の会場から逃げ出しました。家に帰って、自分の部屋に飛び込んで鍵をかけて、着替えもせずに布団にくるまりました。全身が震えていました。どうしようどうしよう、その日は、心臓の脈打つ音が耳の中でずっと響いていました。


 警察がやってきて私を逮捕するんじゃないか。最初はそれが怖くて仕方がありませんでした。自分のやったコトが明るみになって、学校の先生、クラスメート、親、あらゆる人たちから責め立てられる想像が頭の中に広がりました。私は通夜の日から、一週間ほど家から一歩も外に出ませんでした。それどころか、自分の部屋にずっとこもっていました。警察が私の家にやってくるコトは結局ありませんでしたが、学校の先生が何度か私の家に訪問しました。私は一切の応答をしませんでした。


 夢を見ました。自殺したサチが息を吹き返す夢。病室のベッドに横たわる彼女に私は抱きつきました。彼女は快活な短髪ではなく、昔の、やぼったいおさげ髪をしていました。私は泣きじゃくりながら、ごめんね、ごめんね、と必死に謝りました。サチは力なく笑いながら、「いいよ」と言ってくれました。夢から醒めると、腫れぼったい目の周りに、目やにがいっぱいついていました。なんて都合の良い妄想なんだろうか。私は自分という人間が心底イヤになりました。フラフラと立ち上がって、机の中からカッターナイフをとり出しました。自分の手首に刃先をあてがって、でもそれ以上力をこめるコトができなかった。私は、死ぬ勇気すらないのか、再び涙がこぼれて、床のカーペットにカッターナイフを何度も突き立てました。


 私は、どうやったら死ぬコトができるんだろう。そればかりを考えるようになりました。現実世界から目を背けるように、私は過去の記憶を思い返していました。高校生になる前、サチと二人、好きなアイドルの話をしたり、クラスでいばっている女子の悪口を一緒に言い合ったり、私の好きな音楽をサチに聴かせたり。思い出の中のイメージがきっかけとなり、私はあの場所に行ってみようと思い立ちました。


 駅から少し離れた場所、閑静な住宅街でひっそりとたたずむ無人のアパート。私とサチが以前に住んでいたあの場所。私の家は四階、サチの家は三階。小学生の時は夕ご飯の時間になるまで、お互いがどちらかの家に入り浸っていました。私たちが高校に上がったあと、そのアパートの取り壊しが決まりました。耐用年数を超えるから立て直す必要があるのだとか。私たちの家は同じ吉祥寺だけど、別々のマンションに引っ越すコトになりました。私は新しいサチの家に、一度も訪れたコトがありません。


 私は夜中の三時ごろに家を抜け出して、一週間ぶりに外に出ました。誰もいない道路を歩いて、目的地である廃アパートの前で足を止めました。取り壊しはまだ始まっていませんでした。工事の開始が二週間先に迫っている事実を、アパート前のお知らせ看板で知りました。入り口はもちろん施錠されていましたが、鍵の開いてある窓を発見した私は中に侵入しました。埃くさい屋内は真っ暗で、私はスマホのライトを使って中を歩きました。元々自分の家だった部屋と、元々サチの家だった部屋に、それぞれ行ってみました。間取りや広さはもちろん当時のままでしたが、がらんと何もなく、暗闇に包まれたその部屋は、記憶の中に残っている自分の家とはまるで別物。懐かしさを感じることなんて一切なくて、私はすぐに部屋から出ました。そのまま階段をあがって屋上に行きました。だだっぴろいその場所を静かに歩いて、屋上を囲う鉄柵に手をかけました。首を伸ばして、道路に向かって視線を下に落とすと、誰もいないコンクリートの地面を街灯が照らしていました。ここから飛び降りれば、自分は死ねる。死ぬコトが、できるんだな。そう思った瞬間、通夜の夜、サチのお母さんの顔を見てからずっと不安定だった私の心が、ふいに軽くなりました。


 その日は、朝になるまでその場所にいました。屋上の鉄柵にもたれかかって、ボーッと街の景色を眺めていました。家に帰って、泥のように眠って、昼頃に起き出して、また廃アパートの屋上を訪れました。そのまま朝になるまで、ボーッと街の景色を眺める。その繰り返し。その気になれば、いつでも死ぬコトができる。私は、私とサチが昔住んでいたその場所、廃アパートの屋上にいる間だけは、自分の罪から目を背けるコトができました。毎日、毎日、雨が降っても、私はその場所にいました。でも、タイムリミットが迫っているコトも同時に理解していた。取り壊し工事が始まるまで、あと三日。私は、工事が始まる前日の夜に、屋上から飛び降りようと決めていました。その前に、私の罪について告白しなければ。でも、面と向かって誰かに伝える勇気はなかった。だから、文章に残します。


 許してほしい、なんて言いません。告白するコトが、贖罪になるとも考えておりません。

 罪を償うために何かをするべきなのかもしれません。でも、何をしたらいいのかもわからない。


 罪悪感を抱えて、辛い思いをしてまで、私の生きる理由が見つかりません。

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