第61話 愛した人

 正社員になってから約二週間。

 本格的に稼働し始めた勇は、今日もチュートリアルおじさんとして初心者達にレクチャーを行っていた。


「――時間になりましたので、これでレクチャーを終了します。最後に何か質問はありますか?」

「いえ、ないです!」

「私も大丈夫!」

「僕も!」

「そうですか。では、僕はこれで失礼します。ぜひ楽しんでいってくださいね!」


 こうして本日三回目。

 14時の部を終えた勇は、15時スタートのレクチャーに備え【始まりの街】に戻った。


 そのまま真っ直ぐ待ち合わせ場所であるスタンドに向かうと、既に六名のプレイヤーが集まっている。


(よし、四回目も頑張るぞ!)


 心の中で気合いを入れてから、勇は彼らのもとに駆け寄る。

 そしてスタンドの中に立ち、集まったプレイヤーの顔を見た瞬間――


(……えっ?)


 勇は目を剥いた。


 視線の先には、サラリとした長い黒髪に大きなタレ目。

 キュッと上がった口角が可愛らしい、清楚という言葉がピッタリと当てはまる女性が立っている。


 勇のかつての恋人――七沢ななさわ由香ゆかだ。


 向こうもこちらに気付いたようで、口に手を当てながら目を大きく見開いている。

 そんな由香に友達と思しき、隣の同年代の女性が不思議そうな顔で何か話し掛けていた。


(な、な、何で由香がここに……)


 その一方で勇はまさかの再会にパニックに陥り、固まっていた。


「――あ、あの……まだですか?」


 少しして、先頭に立つボブカットの少年が申し訳なさそうに声を掛けてきた。


 勇はハッとしてメニューウインドウを開く。

 時刻を確認すると15時ちょうど。

 レクチャーを開始する時間だ。


(と、とにかく今は仕事に集中しないと!)


 勇は深呼吸をし、無理やり心を落ち着かせる。

 そして心の中で「よしっ!」と気合いを入れてから、口を開いた。


「すみません、お待たせ致しました! 本日、皆さんにゲームのレクチャーをさせて頂く、チュートリアルおじさんことジークと申します。では早速、ドリームファンタジーの遊び方について――」



 ☆



 諸々の説明を終えた勇は初心者達を引き連れ、【駆け出しの森】にやってきていた。


「すみません。さっき覚えた雷の魔法を使いたいんですけど、そのための言葉を忘れちゃって……」

「雷の魔法ってことはライトニングですね。それなら『紫電しでんよ、落ちろ。ライトニング』ですよ」

「『紫電よ、落ちろ』ですね! わかりました!」

「ええ。魔法を発動するのに必要な言葉はこのページに書いてあるので、また忘れてしまった時はこちらを見てみてください!」

「はい、ありがとうございます!」


 ボブカットの少年はそう言い残して、他のプレイヤー達のもとに走っていく。


 そんな彼の背中を目で追っていた勇は、途中で視線を由香のほうに動かす。

 すると、友達と楽しそうにコウテイバッタとの戦闘に励んでいた。


 久々に見た由香の笑顔に癒され、勇も思わず頬が緩む。


「――すみません。名前を変えたいんですけど、どうすればいいですか?」


 その後も由香の様子を横目でチラチラ確認していると、先ほどとは別の少年が質問しにきた。

 勇は視線を少年に移し、実際にメニューウインドウを操作しながら、プレイヤーネームの変更方法について丁寧に解説する。


 それが済んだところで時間を確認すると、時刻は15時50分になっていた。

 16時の部のレクチャーに備え、そろそろ【始まりの街】に戻らないとならないので、これで15時の部は終了だ。


(結局、由香とは話せなかったな……)


 単純にレクチャーで全て理解できたからか、それとも自分と話したくないからか。

 理由はわからないが、由香が質問してくることは一度もなく、直接話す機会がなかった。


『何かわからないことありますか?』などと理由をつけ、自分から声を掛けることもできなくはなかったが、その勇気が勇にはなかった。


「……はぁ」


 決して何かを期待していた訳ではない。

 ないのだが、勇は落胆の溜め息を吐いた。


(まあ、でも由香が元気そうでよかった。それがわかっただけでも十分だ)


 そうポジティブに考えることにし、気持ちを切り替えた勇は明るい表情を浮かべて口を開いた。


「では時間になりましたので、これでレクチャーを終了します。最後に何か質問はありますか?」

「……はいっ!」


 ひと呼吸おいて、一人の女性が手を上げる。

 由香だ。


 まさかの行動に勇が目を瞬かせていると、由香がトコトコと駆け寄ってきた。


「勇君が元気そうで安心したよ。……よかったら、また落ち着いたら電話して?」


 そして耳元でそうささやくと、友達のもとに戻っていった。


(……えっ?)


 予想だにしない発言に、勇は頭の中が真っ白になった。

 必死に言葉の意味を理解しようとするも、突然のこと過ぎて思考が追い付かない。


 そんな勇をレクチャーを受けていた初心達達が囲んだ。


「今日は色々とありがとうございました!」

「丁寧にサンキューな!」

「あざっした!」


 その感謝の言葉に、ようやく勇は我に返る。


「あっ、いえいえ、どういたしまして! 皆さん、お疲れ様でした! では、僕はこれで失礼します。楽しんでいってくださいね!」


 そうして初心者達に別れを告げると、【始まりの街】に繋がる転移の魔法陣に急いで向かった。



 ☆



 何とか無事に本日分のレクチャーを終え、木村にフィードバックを済ませた勇はベッドに寝転がり、スマホを見つめていた。

 画面に映っているのは『七沢由香』の名前と電話番号。


「……よしっ!」


 大きく深呼吸をした勇は、意を決して『発信』のボタンに触れた。


 軽快な呼び出し音が流れる。

 心臓の鼓動がさらに激しくなる。


 少ししてプツっと呼び出し音が止まった。


『もしもし、勇君?』

「あ、う、うん。……久しぶり」

『うん、久しぶりー! って、さっき会ったばかりだけど!』


 由香が明るい口調で返してくる。

 アイスブレイクのつもりだろう。


「……そ、そうだね」

 

 対し、勇は過度な緊張と不安により素っ気ない返答しかできなかった。

 それを察してか、由香がさらに明るい口調で話し出す。


『いやー、ほんとビックリしたよー! まさかゲームを教えてくれる人が勇君だったなんて!』

「えっ、ああ、うん。その、色々あって。……実はさ――」


 勇はある時から、チュートリアルおじさんとして名が知られるようになったこと。

 その結果、イベントにゲストとして呼んでもらえたこと。

 さらには運営からスカウトされ、それを受けたことで今は仕事として初心者にレクチャーを行っていることを話した。


『――へえ、そうだったんだ! 勇君、凄いね! おめでとっ!』

「あ、ありがとう! ……それで、由香は今もあのパン屋さんで?」

『あ、ううん! 去年、新店舗ができてね。今はそっちで店長してるよ!』

「へえ、店長になったんだ! おめでとう!」

『ありがと! あ、そういえばね――』


 それから二人は互いの近況報告に花を咲かせた。

 由香のほんわかとした話し方も手伝って、この時にはもう勇も普通に話せるようになっていた。

 そうしてお互いに一通り伝え終え、話が途切れたところで――


「えっと……あっ、そうだ! ドリームファンタジー、どうだった?」


 沈黙を恐れた勇が切り出した。

 本当は他にもっと聞きたいことがあったが、それを尋ねるほどの勇気はまだなく、結局無難な話題を振ってしまった。


『すっごく楽しかったよ! でも、もうやらないかも』

「えっ? ……な、何で?」

『あの後、あそこに居た子供達と一緒に遊んでたんだけど、その時に他のゲームの話になってね。それを聞いた恵梨えりちゃんが……あ、恵梨ちゃんは私と一緒に居た友達ね! それで、その恵梨ちゃんが別のゲームに興味を持っちゃって、そっちをやるみたい』

「ああ、由香も一緒にそのゲームに移らないとならないからってこと?」

『ううん、そのゲームは一人用みたいだから私はやらないよ。ただ、このまま一人でゲームするのも寂しいなって! ほら、こういうゲームってみんなでやってこそって感じじゃない? だから!』

「なるほどね。そういうことなら俺と一緒にやる?」


 つい昔のノリで勇は何気なくそう口にしてしまった。


(……って、ヤベっ! 俺は何言ってんだ!)


 そしてすぐさま自分の発言を後悔した。

 一気に汗が吹き出し、動悸が激しくなる。


『えっ、でも勇君、忙しいんじゃないの?』

「い、いや、俺は全然……」

『そっか! それなら一緒に遊んでもらおっかな!』


 焦りながら答えると、由香から予想外の言葉が返ってきた。

 五年前のことがある以上、当然断られるものだと思っていたが杞憂だったらしい。

 どうやら由香は、もう自分のことを一人の友人として思ってくれているようだ。


 勇はホッと胸を撫で下ろし、話を続けた。


「……うん、ぜひ! じゃあ、いつやる?」

『夜ならいつでも大丈夫だよ!』

「そっか! だったら明日はちょっと用事があるから、明後日の夜とかどうかな? えーっと、21時とか!」

『明後日の21時だね! うん、大丈夫! またログインする前に連絡するね』

「あ、うん。よ、よろしく!」

『はーい! じゃあ、明日も朝早いからそろそろ切るね。電話くれてありがとう!』

「……こちらこそ! また、明後日!」

『うん、また!』


 そう言うと、由香は通話を終えた。


「……ふぅ」


 ひと呼吸おいて、勇は大きく息を吐く。

 そして何気なくスマホに視線を落とすと、時刻は22時を少し過ぎていた。


「って、ヤベっ!!」


 今日は22時からカイト達【アグレアーブル】とシュカ達【はぴねすとろんぐ】の2ギルドが合同で遊ぶようで、そこに勇も呼ばれている。

 既に遅刻だ。


 勇は急いでヘッドギアを装着すると、再びドリームファンタジーの世界に旅立った。

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