第43話 勇の過去 その3

 抗議してから一ヶ月が経った頃。


「ぶ、部長。これ、資料です……」

「どれどれ。おお、よく出来ているじゃないか! よくやった!」


 以前は部下のやることなすこと全てに言いがかりを付けていた日同も、今ではすっかりと人が変わったかのように優しくなった。

 そして、女性社員に対するセクハラも目に見えて減った。

 きっと性欲由来ではなく、単に嫌がらせ目的だったからなのだろう。


 しかし、この変化は決して改心したからではない。

 部下達を懐柔かいじゅうすることで、勇を孤立させようという心理から来る行動だ。


 そして日同から集中砲火を受けている勇は、早くも限界を迎えてしまっていた。


 最初は我慢できた。

 顔に覇気がないと言われたり、ほんの些細なミスをネチネチと長時間責められたりするだけだったから。


 しかし、つい一週間前から嫌がらせの方法が変わった。

 日同はあろうことか、『部下の育成』と称して勇が受け持っていた担当を全て部下に回し、勇には雑務のみを振るようになったのだ。


 営業の仕事が好きで、自分の能力に自信を持っていた勇にこの仕打ちはこたえた。

 おかげで勇のメンタルはもうボロボロだ。


(こうなったら、ダメ元で……)


 やがて勇は常務に『相談したいことがある』とメールを送った。

 そこで部長の暴挙ぼうきょを告発してやろうという考えだ。


 常務は社長の友人であり、社長夫人の弟である部長は言ってみれば身内であるため、部長の肩を持つのは明白。

 故に当てにはしていなかったが、自分も会社にはそれなりに貢献してきたつもりだ。

 だから、少しは力になってくれるかも。

 限界を迎えた勇は最後の希望として、その可能性に賭けた。



 それから二日後。

 常務に時間を作ってもらえたことで、勇は面会に臨んだ。

 そこでこれまで日同がしてきたパワハラ・セクハラについて、包み隠さず全てを伝えた。


 すると、常務から返されたのは『彼はそんな人間ではない。きっと思い違いだ』という心ない言葉。


 予想通りではあったが、実際にその発言を聞いた瞬間、勇は心がポキっと折れた。

 これまで残業や休日出勤もいとわず、身をにして会社に尽くしてきた。


 対し、会社はそんな自分をほんの少しも気遣わず、サボってばっかで何の成果も出していない日同を擁護ようごした。

 その事実に、勇はそれまで持っていた会社への愛着を完全になくしてしまった。



 その後、いつも通り生産性のない雑務をこなした勇は、日同の嫌みを背中に浴びながら定時で退社。

 愛する彼女が待つ家に帰宅した。


「ただいまー!」

「あ、お帰りー! 今日も早かったね!」

「……うん、まあ!」


 出迎えてくれた由香に、勇はぎこちない笑顔を浮かべて答える。

 そのままリビングに移動し、話しながら晩御飯を食べている最中――


「……ねえ、勇君。何かあった?」


 由香が話の腰を折って、唐突に尋ねてきた。


「ん? いや、別に何もないよ?」

「嘘。勇君、最近元気ないもん。それに最近はあれだけ楽しそうに話してた仕事の話も全くしないし」

「……そ、それは」

「勇君、私は彼女なんだよ? 辛いことがあるなら話して。そして私にも一緒にその辛さを背負わせて」


 その愛に満ちた言葉に、ずっと抑え込んできた感情が爆発。

 心配を掛けまいと、これまでは話してこなかった会社での出来事を全て由香に話した。


「――よしよし。勇君は頑張ったね」

「……うん」

「大変だったね」

「……うん」

「もう会社辞めたいんでしょ?」

「……うん」

「よし、じゃあ辞めちゃえ!」

「……えっ?」


 その言葉に、勇は目をパチクリとさせながら由香を見た。

 すると、由香は笑顔を浮かべて口を開いた。


「私もこれ以上、勇君に辛い思いはしてほしくないもん。それに勇君にはもっと相応しい会社がある! だから辞めちゃえ!」

「い、いいの?」

「うん! そーれーにー、転職してくれたらもっと一緒に居られる時間増えるかもだし!」


 勇は常務との面会後に、心の底から会社を辞めたいと感じた。

 しかし、由香との将来を考えたことで退職は決心できなかった。


 そんな中、他でもない由香が会社を辞めることを勧めてくれた。

 その後押しにより、勇は迷うことなく退職することを決意した。



 その翌日。

 出社した勇は直属の上司である課長に、退職願いを手渡した。


「……そうか。うん、わかった。……助けてやれなくてごめんな」

「いえ、そんな。課長はお子さんも産まれたばかりですし、仕方ないですよ。むしろ、こちらこそすみません」

「いや、多井田君が謝る必要はどこにもないよ。……これは確かに受け取った。残り一ヶ月、よろしくね」

「はい、こちらこそ」



 ☆



 一ヶ月後。

 勇は皆に惜しまれながら会社を退職。

 同時に日同は海外支店に異動となった。


 常務もまさか勇が退職するとまでは思ってなかったようで、日同は営業部のエースを失ったことに対する責任を取らされたらしい。

 とはいえ、表向きは本部長として栄転えいてんという形になっているのだが。


 何にせよ、部下や課長にパワハラの矛先が向かないことがわかって、勇は安心しながら会社を去った。


 その後、これまで働き詰めだったこと、由香からも「しばらくはゆっくりして」と言われたこともあって、勇は少しの間無職生活を満喫することにした。

 そうして友人達と遊んだり、久々に実家に帰ったりと充実した日々を過ごすことおよそ一ヶ月。


 ある日、勇のスマホに警察から着信が入った。

 電話に出るとそこで聞かされたのは、先日までピンピンとしており、仕事を辞めた自分に優しい言葉を掛けてくれた最愛の父と母。

 その二人が交通事故に遭い、亡くなったというものだった。

 その訃報ふほうを聞いて勇は膝から崩れ落ちた。



 ☆



 葬式を終えた日から勇は抜け殻のようになり、家に引きこもるようになってしまった。

 会社に裏切られたことでダメージを負っている中、突然両親が亡くなってしまったのだ、無理もないだろう。


 そんな勇を由香は懸命に支えた。

 その甲斐あって、三ヶ月が過ぎた頃にはすっかりと元気を取り戻した。

 が、勇は一向に社会に復帰しようとはしなかった。


 そう、心の療養中に送っていた怠惰たいだな生活につい慣れてしまい、そのまま堕落してしまったのだ。


 元々あった結構な額の貯金に退職金、そこに両親の遺産が加わり、金に余裕があったことが最大の原因だ。

 その上、由香が発破はっぱをかけるのではなく、優しく接しすぎたことも逆効果に働いてしまい、勇はすっかりとダメ人間になってしまっていた。


 もちろん、由香との将来のためにも仕事を探さなきゃという考えはあった。

 あったが、明日から探せばいいや。来週から探すぞ。来月からは必ず。と、ついズルズルと後回しにし続け、だらしない日々を送ることさらに三ヶ月。


 ある日、由香は『私が居たら勇君はダメになっちゃう』と書き置きを残して家から出ていった。


 本来ならここで由香に連絡し、すぐに呼び戻して反省の後に社会復帰するのが道理どうりだろう。


 しかし、勇はそうしなかった。

『由香は俺なんかと居るより、他の男を見つけたほうがいい』と自分に言い訳し、そのまま無職生活を続けようとするところまで勇は堕ちてしまっていた。

 人は堕ちる時は一瞬なのだ。


 その上、友人達とは引きこもって以来、自分に引け目を感じて連絡を遮断している。

 そんな中、唯一関わりがあった彼女も去ってしまい、勇は完全に孤立。


 誰とも話さない日々が続き、日に日に勇は卑屈になっていった。



 ☆



 気付けば引きこもってから早三年。

 家族・恋人・友人・仕事。全てを失い、生きることに意味を見出せなくなった勇はただぼんやりと日々を過ごしていた。


 そんなある日、新世代のゲーム機が発売された。

 現実と変わらぬ仮想空間でゲームをプレイできるVRハードだ。


 ここ最近はプレイしていなかったが、ゲーム自体は幼い頃から好きだったこともあって、勇は興味本位で購入。

 いくつか遊んでみたところ、その中の一つであるVRMMOにたちまち夢中になり、やがてゲームに生きがいを見出した。


 そうしてゲームに明け暮れること一年。

 由香が出ていってからボロアパートに引っ越したり、食費を削ったりと節制してはいたものの、とうとう金が底を尽きそうになった。


 そこで勇はVRMMOを続けるため、重い腰を上げてようやく就職活動を始めた。

 しかし、空白期間が影響して再就職は難航。


 全く仕事が決まらずにいよいよ金が尽きかけたところで、勇は腰掛けとしてひとまず近所のコンビニでバイトすることにした。


 若い学生達に囲まれるのは、卑屈で暗い中年の勇にとっては居心地が悪かった。

 が、それで何とか食っていけるようにはなった。


 それにより安心してしまい、勇は就職活動を辞め、そのままズルズルとバイトを続けてはVRMMOに現実逃避した。

 

 これが一人の男の転落記。

 ドリームファンタジーを始める前の勇であった。

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