ついてる日③

ついてる日③



 これが果たして、三ツ木のような充実した人生への布石なのか。

 彩子とは実家に帰ってきた直後から知り合った仲だ。

 それが今年の春頃で、彩子に家へ呼ばれるのは初めてだったし、伸夫の認知症が果たしてキューピッドになったのかは、わかる由もない。

 インターホンを押し、彩子が出て来た。顔を綻ばせて、孝道を部屋へと入れてくれた。

 玄関から見て、前と右が別の部屋へと繋がっており、彩子は右の部屋に案内した。

 キッチンと居間があった。居間の奥には伸夫の寝る寝室が、右は浴室で左は玄関から見て前方の部屋に繋がり、当然ながら、造りは孝道の自宅と同じだった。

 浴室にそっと横目をくれると、洗濯機の前に洗濯かごがあった。

 彩子に案内されるがまま、居間のソファに座らされ、テーブルの下に子供が隠れているのを発見した。

「こんにちは……」

 挨拶をした孝道はそれが誰だか知っていた。

 子供は六歳くらいの女の子で、きょとんとした顔で、こんにちはと挨拶を返してくれた。

「娘の璃子です」彩子の言葉に孝道は、「この間言ってましたよね。お子さんいるって」

「はい」と彩子はにっこりと笑った。


「ダーマンスパイ……」

 彩子がキッチンで調理している最中、璃子の面倒を見ることになった孝道は、璃子の妙な言動に内心驚いていた。

「ダーマンスパイ?」

 孝道が聞くとツーサイドアップに結った髪をした璃子は、

「ママの好きなもの……」

「ダーマンスパイが?」

「うん」と頷く璃子の顔は少し笑っていた。

「もう。また変な言い方して……」

 キッチンで耳をそばだてていた彩子が、軽い調子で叱ると、

「スパイダーマンでしょう?」

 続けて言う母親に、璃子はなぜか同じようなことを口走って見せた。

「トマンバッ」

「トマンバッ……、バットマンね」

 璃子の作り出した独特な法則を理解した。璃子はまだ何か言うようだった。

「ケオラカ……」

「カラオケもお好きなんですか?」

「ええ。たまに行くんですけど、今はお父さんがああだから、滅多に行かなくなりましたね」

「げしりも……」

 璃子のこの言葉はやたらと奇妙だった。

「もりしげ?」

「うん」璃子は小さく頷き、

「同じクラスの嫌いな男子……。わたしが嫌がっているのに何回も嫌なことをしてくる……。だからクラスでは、げしりもって言われてる」

「璃子ちゃんだけじゃなく、みんなげしりもが嫌いなんだ?」

「そう」等と話していると、彩子が鍋を運んできた。

「すき焼き風鍋です……」

 すきやきと言うも、見た目はただ、肉や豆腐、野菜などを煮込んだ鍋だった。

「璃子、箸持ってきて」

 彩子の言葉に璃子はせっせと動いて、食器棚から箸を持ってくる。璃子の背丈でも取りやすい位置にあるようだ。

「親父さんは……?」

「今起こします」言って彩子は目を細めた。


 伸夫の分を小皿に分け、彩子が伸夫の口へ持っていく。伸夫は咀嚼が覚束ず、一度口に入れた食べ物を垂れ流す。彩子は黙ってそれを布巾で拭いている。そんなやり取りを横目に、璃子の好きだというペリクアという少女向けアニメの話を聞きながら、孝道の心の隅っこがほっと温かくなるのを感じていた。

 やがて、すき焼き風鍋を四人で平らげた。

 璃子は眠くなったのか、うとうとと舟を漕いでいる。

 孝道も今日は張り切って食べた。味は可もなく不可もなく、母、文枝の作るものと比べても美味しい方だった。いつもならこういう場では遠慮がちだが、彩子の快活な様子に頑張って応えようと、満腹という体でお礼を返した。

 明日は日曜日か。璃子は自分の部屋へ行ったきりで戻ってくることはなかった。多分眠っているのだろう。

 伸夫も寝室に戻って、ベッドに横になっているようだった。

 食器や鍋を彩子と洗いながら、孝道は彩子の次いで出た台詞に目を丸くした。

「お父さんと璃子を風呂に入れるので、孝道さんもご自宅でお風呂に入ってきていただけませんか? この後、居酒屋とかはちょっと無理なんですが、私たちだけの時間を作りません?」

「えっとそれは……」

「お酒買って来てあるんです。色々とお話したいなって……」

 食器を片付け、孝道は彩子の誘いに乗ることにした。

 自宅に戻ったのは、十時過ぎだった。

 入浴し始めた孝道は、彩子の誘い方に種々、思いを巡らせていた。

 誘っているのだろうか……。だが今まで孝道は、東京にいる頃、職場の人間とも付き合いが希薄で、同性や異性の友人もいなかったため、女性との付き合い方も知らず、それが彩子のかどうか見極めるのも難しかった。

 それにしては、入浴を促した彩子が言っていた台詞に、裏があるような気もするのだった。

 その裏とは……。

 浴槽に浸かりながら、孝道は腕を組み、頭を項垂れさせた。

 ……これはチャンスなのではないか?

 文枝の言っていたチャンスであり、三ツ木が手に入れたものの一部を、自分も手に入れられることのチャンス――

 迷っている場合ではないのかもしれない。

 彩子は誘っている……。

 と確信したい思いだった。だが、女や恋愛慣れしていない孝道には、自分の勘違いではないか、という思いの方が強かった。

 それでも何かに期待するように、孝道は風呂から出たあと、風邪を引かないよう服を着こんで柴舘家へと再び赴いた。


 彩子と缶ビールを開けながら、様々な話をした。

「小説家を目指してたって話ですが、どんなの書いていたんですか?」

「ラノベ……。中高生向けの、ファンタジー小説ですかね……」

「ああ、ラノベですかあ。涼宮ハルディンホテルとか、とある魔法の黙示録なら私も若いときにアニメで……」

「そこら辺は有名ですよね。僕も読んでましたよ」

「もう目指すのは止めちゃったんですか?」

「完全に諦めた訳じゃないんですけどね……。ただまあ今のままだと小説家にも何もなれないなって思ってまして。ネット上には載せてるんですけど、上には上がいて、十万とか百万PVとか、普通に行ってる人もいて。ネットで地道にファンを増やすのはめんどいなって思って、評価シートくれる出版社に投稿するんですけど、点数も低くて、キャラに個性持たせなさいとか、文章はそつなく書けてるが物足りないとか、そういうこと言われて、それを踏まえてじゃあ書き直そうって思って書くんですけどね。次第に何のために書くんだろうとか考え始めちゃって……」

「元々の目的って何だったんです?」

「それこそ、『涼宮』とか『とある』とかみたいにアニメ化目指してたんですけど、ここ数年アニメも見なくなってしまって、書き始めてから十年経つんですけど、何も進歩してないなって……。自分に嫌気がさしてしまいまして」

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