ついてる日②
ついてる日②
「四十で無職、親と一緒に暮らす……マジであり得ねえわ……」
土曜日に、孝道は友人たちとドライブに出掛けた。
孝道にそう毒突いたのは、高校の時の同級生、三ツ木だった。白の高級外車に乗り合わせた孝道と三ツ木、そして川野という助手席の友人も高校からの付き合いとなる。
孝道は助手席の後ろに座り、留まることのない三ツ木の説教に窓の外を見ながら耳を傾けていた。
「そんなんでお前これからどうすんだよ……。もっと俺みたいに結婚してマイホーム建ててマイカー通勤とかしてみろよ」
執拗に煽っているような気がする。現実的にも自分の方が立ち位置としては下か。孝道にとって三ツ木の言葉群は、悪意がなくてもネガティブな思考にさせるのだった。
川野も昔は無口な方だったが、立場上、孝道とは同じ未婚だったので、三ツ木の言うことに反論して見せる。
「人それぞれだろ? マイカー、マイホーム、結婚とか確かに夢見るけどさあ……」
とその後、三ツ木への指摘を窺わせたが、三ツ木はそれを遮るように、
「そう。夢見るだろう? 当たり前だ。それが人間としての本来の姿なんだ。古い言い方だと勝ち組?」
「別に負けてもいいよ」
悔し紛れだったのは間違いなかった。孝道がぼそっと呟いた一言に三ツ木はさらに畳み掛ける。
「開き直っちゃってるよ。これだから負け組はあ」
と高らかに笑う三ツ木に、川野がようやっと反発する。
「今の時代、そういうこと言う奴が後ろ指さされるんだよな。昔に比べそこら辺、自由になったというか、幅広く受け入れられるようになってきてるんだよ。お前みたいにガッツリ世間体気にして、昔はお決まりだった、マイホーム、マイカー、マイワイフを手に入れる人間の方が少なくなってきてるんだって」
「だからなんだよ!」
三ツ木が語気を強め、
「そんなの単に、できてなきゃいけないことができなくなった奴が多くなっただけだろ。結局勝ち負けで言えば、歴然としてんじゃねえか!」
「勝ちとか負けとかじゃないんだ。お前がなんでそこまでそういうのにこだわるのか、それが疑問なんだが……」
「俺は本能に従っただけだぞ。だって欲しいじゃん。マイホーム、マイカー、きれいなマイワイフ、かわいいマイサンズアンドドウターズ!」
「別にいらないよ。金がかかってしょうがないじゃん。マイホーム、マイカー、マイサンズアンドドウターズなんて負債抱えてるようなもんだろ」
川野と三ツ木のやり取りに、孝道は後ろからそう小声で意見した。
「だから働くんだよ。抱えちまった負債を解消するためにな。無職がそんなこと言ってるとほんと惨めだぞ」
「何とでも言え。負債の奴隷にはなりたくないね……。負債を返さなきゃならないから働くって楽しいのか?」
「僕は自分の趣味があるからなあ……」
川野が唐突に笑いながら言った。
「アイドルだろ? コンビニバイトが親元で暮らして、一回りも二回りも若い女の尻追いかけるとか、キモい」
三ツ木が言うと、川野の笑みのシワが増していき、
「お前だって小さな建築会社の社長とは言え、もう少し身の丈にあった金の使い方しろよ。今まで起こした会社三回くらい倒産してんだろ。こんな高級外車とか、マイホームとか借金まみれが幸せを謳うな!」
そのシワの刻み具合がサイドミラーに映るのを、助手席の後ろから孝道は見ていた。
――もう四十か。みんな老けたよなあ……。
川野がアイドルのよさを力説するのを聞きながら、三人はまる一日ドライブを堪能した。
帰宅後、洗濯物を取り込んでいた孝道は、日中、三ツ木の言っていた言葉の端々が頭の中にまだ熱を伴っているのを感じていた。
……何で俺、あいつみたいに頑張れないんだろ……。
女性と交際し、家を建て、車を家族で相乗りし休日はどこかの公園だったり、ショッピングモールだったりなどで、憩いのひとときを過ごす――
「小説家になって売れたら、そのお金で父さんと母さんに家をプレゼントするから!」
二十歳にもなっていない頃、心配する親を差し置くように、孝道はそう言い残し上京した。
今になって思えば見栄を張っていたし、世の中の厳しさも知らない子供のざれ言だった。
さまよう風が枯れ葉を引き連れる音が外の方から聞こえてきた。
秋の訪れ――。木の葉を散らし、紅葉の色とりどりの景色を町のそこかしこで見かける。
今年ももうふた月ほどで終わる。
日の傾きも大分早くなって、孝道は夕闇迫る薄暗い部屋の隅で、人生のある節目が迫って来ているのを感じていた。
「あんた何やってんの?」
部屋に母、文枝が入りがてら、電灯を点けた。
「いやまあ、ちょっとね……」
「何しんみりした顔してんの?」
「何て言うか……。何を得てきたんだろうなって……」
「何をって?」
「夢を叶えられなかったし、お金を儲けた訳でもないし……。結局何しに東京に行ったのか。何がしたかったのかってね……」
母は立ったまま、腰に手をやり、
「いやあ、小説家とか漫画家もそうかもしれないけど、なれる方の確率が少ないんだよ。結婚しなくても家も車もなくたって幸せを感じられるときってあるんじゃないの?」
孝道は母からそう言われ、心の片隅で納得していた。
孝道が幸せを感じたとき――。
それは具体的にいつだったのかは覚えていない。
しかし東京で暮らしていた頃、自分が好きなものを食べ、好きなときに好きな場所へ出掛け、一人で自由な時間を謳歌する……。それがどことなくあのときの自分の幸せだったような気もする。
「幸せなんてあってないようなものなのかもね。お父さんが生きてるとき、邪魔だなとか思ってたけど、買い物から家に帰って来ると誰もいないって言うのが、すごく心細く感じたときもあってね。ああ、そうか。なんだかんだあの時、幸せだったのかもなんて失ってから気づくもんなのかもねえ……。実際、この団地で知り合った人の中にも家庭が不和だったり、親が元からいなかったり、何億って借金抱えてたりさ……。うちも貧乏だけど、うちより不幸な人沢山いるよ」
母は胸の前で腕を組み、
「幸せなんて得てしまえば、そのありがたみがわからなくなってしまうものなのかもねえ。生まれつき身体の不自由な人から見れば、歩けたり息吸ったり吐いたりすることだって叶えたい夢なんだよ。そうやって人と比べるのもいいもんじゃないかも知れないけどさ。当たり前のものが当たり前じゃなかったりするんだろうね。だからどれだけ今の自分を認めてやれるかどうかじゃないかな……。いつかお母さんだって死ぬよ。それまでこのありがたみをとくと味わっておけ、なんて……」
冗談交じりで言う文枝に、孝道は思わず笑ってしまった。
「お母さんからすれば、あんたはまだ四十だ。チャンスはきっと訪れるさ。東京にいなくても小説は書けるってあんた言ってたでしょ。まだまだ行けるだろうに」
そこで孝道のスマホが鳴動した。
ズボンのポケットから取り出すと、待ち受け画面に彩子の名が出ていた。
電話に出て孝道が彩子から聞いたのは、夕食のお誘いだった。
スマホを切って、文枝に自分で夕食を作ってくれと頼み、孝道は彩子の家へと向かった。
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