ついてる日

ポンコツ・サイシン

ついてる日①

ついてる日

ポンコツ・サイシン




「すごいだろう?」

 出勤通学の時間帯。孝道は横断歩道で子供たちを誘導する壮年にそう話しかけられた。

 何がすごいのかは、横断歩道を渡った先にある、コンクリートにびっしりと引っ付いた白い点々模様。それが幾重にもなって、アーティスティックな色彩のように見える気もするのだが、これは鳥の糞だった。

「鳥のフンですか?」

「そう……。あの下をなるべく子供たちに通らせたくないねえ……」

 はあ、と孝道は苦笑しつつ相槌を打った。突然話しかけられ少々困惑したが、確かに鳥の習性なんてものは知らないので、いつ誰が糞害にあってもおかしくはない。

 この話しかけてくれた、蛍光色のベストを纏う壮年ともっと話の幅を広げ、会話を盛り上げたかったところだが、孝道にはやらなければならないことがあった。

 自転車に乗っていた孝道は、ペダルをこいで、横断歩道を渡ると堤防の方へと急いだ。

 沢笹川という川が孝道の住む町に流れていた。

 数十年前に大雨で氾濫が起き、百名以上もの犠牲者を出したという。堤防の底上げ工事を施し、決壊するといった被害は災害から今のところないらしいものの、昨今の線状降水帯と呼ばれる降雨の被害をテレビで見たりしていると、心底安心してもいられない。

 堤防に架かる遠山橋の下に、人影を見つけた。孝道は自転車を投げ捨てる感覚でおり、堤防を駆け下っていった。

 孝道はその人影が自分の探している人物であることを確認した。

 八十近い老齢の男性だった。

 色褪せた青色のスエットを来て、足にはサンダル。鼻歌を歌って視線は遠くを見つめている。頭部は大分後退しており、頭皮には茶色の痣があった。

 間違いない。柴舘さんのお父さんだ――。

 柴舘の父、伸夫が今朝から行方不明となり、その娘である柴舘彩子からのお願いで、伸夫を探していたのだ。

 柴舘彩子の家は都営団地で、孝道とは親の繋がりで近所付き合いがあった。

 団地からは歩いて約二十分ほどか。

 認知症を患っていた伸夫が、川岸ぎりぎりで見つけられたのは奇跡といえる。

 何をしでかすかわからない状態であるので、道中、孝道の頭の中は焦りで満たされていた。

 彩子から教えてもらった電話番号をスマホでかけるとすぐに繋がった。

 彩子がそこへ迎えにくるという手はずとなり、孝道は伸夫がこれ以上どこにも行かないよう、伸夫の体を腕で支えながら、

「もうすぐ娘さん来ますからねえ。じっとしてましょうねえ」

「娘さんてだれ?」

「伸夫さんの娘さん……。彩子さん。忘れちゃった?」

 そう孝道が相手をする。伸夫は口をもぐもぐさせて、ぼうっと虚を見つめ鼻歌を歌い始めるのだった。


 一件落着したことで、彩子と孝道との間に貸し借りができた。

 その日の昼過ぎに、彩子からファミレスに誘われ、父親を探し当てたお礼として、コーヒーをおごってもらった。

「コーヒーなんかじゃたいした見返りにもならないですよね……。今度何か贈り物でも……」

 彩子が頭を小さく何度も下げながら言った。

 いえいえ、と孝道は恐縮し、

「騒ぎになる前に、親父さんが見つかってよかった……。お礼だなんてそんな……気にしないでください……」

「ありがとうございます……」

 深く頭を垂れた彩子が、面を上げた。

「私も孝道さんの言うとおりだと思っています。頭真っ白になりましたもん」

 白色の顔は陶磁器のようになめらかで、黒い髪は波打ちながら、肩まで伸びている。整った顔立ちは美人の部類に入るだろう。申し訳なさそうに眉根を寄せていたが、やがてそれが戻り、彩子は手元にあった水の注がれたコップを口に運んでいった。

 孝道は微笑んでから、ストローを口につけいくらかコーヒーを吸い上げた。

「以前から親父さんはあんな感じなんですか?」

 たまになんですよ、と彩子は屈託のない笑みを浮かべ、

「いつもは娘が見張ってる傍ら、私が家事をやるんですけど、今朝はやられましたね。私が寝坊すると、娘も起きないですし、父に関しては起きているときもあれば寝ているときもあるので、今日はそこを突かれましたね。寝首をかかれたようでしたよ……」

 孝道は微かな笑みをたたえ、無言で頷いていた。

 そこで……、と彩子は切り出した。

「孝道さんにお願いがあるんです……」

 はあ、と孝道は彩子の言葉を待った。

「今後、またあのようなことがあったら、探すのを手伝っていただきたいなって……」

「ああ、そういうことですか」孝道は眉を押し上げた。

「孝道さんのご家庭は、その……大変ですか?」

「うちは何年か前に父が他界して、今は母と二人暮らしです。母は元気で今のところ認知症っぽいところもないので、あとは僕がしっかり仕事を見つけることかなと……」

「お仕事探されてるんですね……」

 彩子の台詞に、孝道は若干後ろめたさを感じた。

 無職の息子が母親と二人で暮らしている。表情には出さない彩子ではあるが、内心どう思っているか邪推してしまう。

 無職だと頼りないように見えるだろうか……。社会から外れた人間として、自分がこの女性にはどう映るだろうか……。

 しかし彩子は相好を崩し、

「お互い大変ですね。ずっとこちらにお住まいで?」

「半年前に東京から帰ってきました。夢があったんですがね、小説家になるっていう……。父が亡くなったんで母もかなり老いたから、この際、東京から帰って二人で暮らそうかと……。こっちには高校卒業まで住んでましたね」

 そうでしたか……、彩子は穏やかな顔つきで言った。

「私は、数年前に離婚しまして……。付き合ってから大分ルーズな人だってわかったんで、大変になるのはわかってたんですが、娘だけはなんとか私の元にいさせました。本当にルーズな人なんですよ。傲慢というか……。休日は子供の面倒も見ず、旧い友人たちと遊びに行くし、仕事だけして他は全部私にやらせるんです……。何でこんなのと結婚したんだろうって今でも後悔してるんです……。今は生活保護受けてます。色々と国には助けてもらってるんですよ。あまり大きな声では言えませんけど……」

 孝道はそれを聞き、彩子も社会的には外れた人間であるように感じた。大人になれば、誰彼が離婚した、不倫したなどという話は聞くことも珍しくはないだろうし、女手一つであれば、他所から援助を受けることもあるだろう。

 そんな彩子に、孝道は自分も親元で暮らし、肉親から助けを得ている事実に朧気ながら彩子と相通じるものを見出だすのだった。

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