三 解決篇

 警察から連絡が来たのは、それから一週間後のことだった。

 蘭太郎に直接連絡が行ったようで、僕と匹田さんは蘭太郎から、重要な容疑者が見つかった、と知らされた。応接間のソファーに腰を沈め、脚を組み、僕と匹田さんを目の前にしてそれを語る蘭太郎は、どことなく得意げだった。

 ともかく蘭太郎によると、その最重要容疑者というのは、都内のいくつかの大学でスペイン語を教えている教師だった。警察はまだ逮捕に至っていないという理由で名前を教えてくれなかったので、とりあえずXとしておこう。

 警察は当初、Xと真垣とは顔見知り程度の関係だと把握した。Xは真垣が勤務する大学にも出講していたが、真垣は現代社会学部の教授、いっぽうのXは複数の学部の一年生にスペイン語を教えるだけのアルバイト講師で、二人を知る教員によれば、以前教員たちの飲み会があり、Xを知る教員がXに声をかけ、Xも参加することになり、たぶんそこでXは真垣と顔見知りなった、それだけですよ、ということだったからだ。

 だがXは、一月末から二月上旬までに四回、真垣と電話で話をしている。その直近は二月十日だった。警察はXに説明を求めた。

 するとXは、自分はアメリカのメキシコ人移民について研究していて、二月二十一日から現地調査でアメリカに行く予定である。そこでその前に、やはりアメリカで研究したことがある真垣と相談したのだ、と答えた。Xを知る教員、真垣を知る教員のそれぞれに確認してみると、前者は、Xが二月二十一日からアメリカに行くのはその通りで、だからXの言うとおりだろう、と言い、そして後者も、たぶんそうだろう、と語った。

 それに、真垣にメールを送ったり電話で話したりしていた大学教員、しかもX以上に頻繁にそうしていた教員は他にもいた。

 そんなわけで、警察は、早々にXを容疑者リストから外してしまった。その後は、Xはアメリカに行ってしまい、Xから話をきくことはできなかった。

 だがXは、真垣に対して怨恨を抱いていた――はずである。

 Xは去年の春、突然Y大学の授業五コマを失った。事の発端は真垣だった。

 しかし大学関係者の多くは、それに真垣が関与していたことを知らなかった。だからその事件は、警察の耳には届かなかったのだ。

 真垣には、六年前に彼のゼミを卒業し、それから関西の旧国立大学の大学院に行って博士号をとった女性の教え子がいた。彼女はスペイン内戦を研究しており、スペイン語を教えることができた。真垣は、彼女に仕事を与えたかった。そこで、Y大学のスペイン語主任に連絡し、彼女を採用できないだろうか、と打診した。スペイン語主任は、真垣に何か弱みを握られていたのか、言われたとおりにした。Xには、Xの授業はわかりくい、それなのに評価が厳しすぎると学生から苦情が来ている、と理由を伝えた。Xは、自分は以前から同じように授業をしており、今年になって突然そういうことを言われるのはおかしい、と抗議したが、大学は、学生から苦情が来ているのは事実であり、もう教授会で決定している、と言って取り合わなかった。

 Y大学のスペイン語主任は、後に警察から聴取を受けたとき、真垣からは彼の教え子を採用してほしいと言われただけで、代わりにXを首にしろとか他の誰かを首にしろとかという指示は受けなかった、と供述した。しかもそのような口利きがあったからXを雇い止めにしたのではなく、それは、単にXの授業の評価が悪かったからにすぎない、とも述べた。しかし、本当に真垣は代わりにXを首にしろと指示しなかったのか、かやの外にいるXにはわからない。逆にその雇止めの理由として、学生からの評価が悪かったという説明しか受けなかったので、それがかえってXの猜疑心を刺激したとも考えられる。

 ともかく、翌年度の時間割を見れば、新しく採用された教師の名前はすぐにわかる。さらにその教師の出身大学やかつての指導教官も、調べようと思えば簡単に調べられる。おそらくXは、それを調べた。そして真垣のことだから、自分の教え子に大学の教職を与えたいというのとは別の動機もあった――とXが想像をたくましくしたとしてもおかしくない。

 いや、たとえ真垣の動機が単に教え子に仕事を与えたかっただけだったとしても、この仕打ちはXには許せなかったに違いない。真垣の専門は、非正規雇用労働者の労働環境である。彼は日頃から、非正規労働者を守る制度が必要だ、と訴えていた。そんな男が、きわめて個人的な理由から、非正規労働者であるXから仕事を奪ったのだ。

 それに思い至ったとき、Xの中に殺意が生まれた。――警察はそう見ている。さらに警察は、Xの両親、Xの高校時代、大学時代の友人に聴取し、Xは、見た目は穏やかだが、性格は粘着的、加えて復讐心が案外強いということも突き止めた。

 だが警察がXに注目したのは、Xが巻き込まれたその事件を知ったからではない。それは後からわかったことだ。

 きっかけは、調査の範囲を広げ再度調査したことだった。

 警察がXに少しでも嫌疑をかけていたなら、Xの所有する自動車を調べたはずだ。だが警察は、Xを早々に容疑者リストから外していた。だからXの自動車についても調べていなかった。――実は、蘭太郎の進言もそれだったのだ。つまり、蘭太郎はあのとき、自動車の所有、とくにトラックを所有していないか、あるいはレンタカーの使用、とくにトラックを借りていないか、それを徹底的に調べるべきだ、と進言したのである。

 たしかに警察は、それまでも自動車の所有やレンタカーの使用は調べていた。そしてその自動車には、当然トラックも含まれていた。しかし関係者は誰も犯行時間にレンタカーを借りておらず、自動車を所有していたとしてもそれは皆普通自動車だったので、警察はトラックにさほど注意を向けていなかった。が、蘭太郎の提言もあり、というよりも、手がかりがなければ調査の範囲を広げ再度調査するのは捜査の鉄則だからだが、警察は、関係者の枠を広げ、改めて自動車の所有とレンタカーの使用を調べてみた。すると、これまでまったくのノーマークであったXが、二トントラックを所有しているとわかったのだ。大学の教師がそんなものを持っているのは奇妙である。しかも、Xは、住んでいるアパートから離れたところに駐車場を借りていた。警察は、とにかくその駐車場に行ってみた。

 すると、たしかに、アルミ製の箱型の荷台がついたトラックがとめられていたのである――。

 さて、Xはアメリカに行ってしまっており、警察はまだXに接触できていない。したがってXがどのように真垣を殺し、どのように死体を運んだのか、本当のところはわからない。

 しかしXの所有するトラックが発見されたことにより、警察はおおよその犯行の手口を推察することができた。以下は警察が思い描いたその筋書きである。

 ――Xはまず真垣に声をかけるのだが、もちろん、Y大学での雇止めの発端が真垣だったことには気づいていないふりをする。こんなときに真垣を糾弾したところで、この、もっと重要な計画が早々に頓挫するのがオチだろう。だからXは、真垣に対する恨みはおくびにも出さない。むしろ真垣教授を私淑する、若き未熟な研究者のふりをする。

 そこで、まず真垣に声をかける。――出会い系アプリを使って不倫をしている人妻を探しだし、夫にばらすと脅せば、通常の方法では拒否されるような相手でも、先生のものになりますよ。(実際にこんなことを言ったのかどうかはわからないが。)

 真垣先生は飢えた鯉のようにその餌に食いついた。そして、Xのアドバイスに従って、偽の写真で出会い系アプリに登録する。それから二人で候補を探していくと、格好の対象が見つかった。しかしXが彼女を選んだのは、むろん真垣とは違う理由からだった。彼女の住んでいるマンションが、Xの計画にとって好都合だったのだ。

 次にXは、真垣を女の住むマンションに送りだす。Xにとっては痛快なことに、真垣はにべもなく拒絶された。

 そこでXは、真垣に、だったら彼女をレイプしてしまえばいいんです、犯行が発覚しないようにできます、真垣先生、まかせてください、とそそのかす。彼女の体をどうしても味わってみたい真垣先生は、その口車に乗せられる。

 決行の日は二月十八日となった。

 その二月十八日、真垣がそれまでどこにいたのかは不明だが、ともかく真垣はXのトラックにやって来る。Xは、中を見てみますか、と言って、真垣を荷台の中に案内する。中には、マットレス、布団、毛布、枕、バスタオル、ティッシュペーパー、温風ヒーター、予備のバッテリー、ビデオカメラ、フルフェイスマスク、アイマスク、ロープ、ガムテープ、革製の手枷、ボールギャグ(玉猿轡)、PCV手袋、殺菌消毒液、睡眠薬、コンドーム、それから大人のオモチャと呼ばれる、その名のとおりおそらく子供には使用方法がわからないオモチャ等々、今回の計画に必要なものが入っていた(と思われる)。

 真垣はそれを確認する。Xは背後から忍び寄り、彼の首をロープで絞めて殺害する。死体は寝袋か何かの袋に入れ、そのままそこに置いておいた。(実際袋に入れたかどうかはわからないが、後にトラックから出して運ぶときの便宜を考えて何か袋に入れたと考えらえる。)

 その後Xがどこへ行ったのかはこれまた不明だが――おそらく自分のアパートに戻ったと思われるが――午前二時ごろ、Xはトラックに戻ってくる。トラックを運転し、ヘブンリー多摩に行くのである。もし真垣が生きていれば、女を拉致するために侵入するはずであったマンションである。荷台の中には、皮肉なことにその真垣の死体が入っている。

 やがてそのマンションが見えてくる。まず東側の二車線の道路でトラックを止め、マンションの南側を観察する。部屋の灯りがついていないか、確認するためである。

 幸いなことに、二階の部屋はどれも真っ暗だった。実際、後に警察から聴取を受けたとき、二階の住人たちは、すっかり眠っていたので気づかなかった、と答えている――ただし二〇一号室の住人だけが、どすんと物が落ちる音がした、と証言した――。

 そして再び出発するのだが、ただし、ここからは、低速でトラックを進めていく。このトラックはハイブリッド車であり、低速時にはモーターで駆動する仕様になっているため、低速で運転すればエンジン音がしないのである。

 マンションの北側の道に入り、もう一度トラックを止める。荷台の中から真垣の死体が入った寝袋を出し、荷台の屋根の上に乗せておくためである。

 マンションの駐車場へ向かう道に入り、ゆっくりと進んでいく。

 そして、マンション一階にある駐車場の入口にトラックの頭が少し入ったところで、トラックを停止させる。

 そうすれば、地上から二階の廊下の手すりの上までは五メートルあるのだが、地上からトラックの荷台の屋根までの高さが三・五メートルなので、トラックの荷台の屋根にのぼれば、手すりまでの距離は一・五メートルに縮まるのである。(トラックを後ろ向きに駐車場の入口に寄せる方法も考えられるが、いずれにせよ、荷台の屋根は水平なので、マンションの手すりまでの距離が短くなることに変わりはない。)

 大人ならさほど苦労せずに乗り越えられる高さである。

 運転席側の窓に足をかけ、運転席の屋根にのぼり、そこから荷台の屋根にあがる(荷台の上へのあがり方に関しても、他の方法も考えられるが)。そして真垣の死体が入った寝袋を、まずマンションの手すりにひっかけるようにして置いておき、そうしておいて、自分が先に手すりを乗り越える。手すりの向こう側に渡ったら、寝袋をかつぎあげ、廊下を東へ進んでいく。マンションの東の階段をのぼって三階の踊り場に行き、そこで寝袋から真垣の死体を出し、眼鏡をはずし、死体を階段の手すりから外へ投げすてる。

 次に寝袋は持ったまま階段をのぼって行き、五階の踊り場に眼鏡を置く。ついでに真垣の髪の毛を数本ばらまいておく。

 あとは来た道を戻るだけだ。トラックに戻ったら、真垣のコートをとって西の芝生へ持っていき、運転席に戻ってきて、トラックをバックさせ、マンションから離れていく。やはり低速で進んでいくので、エンジン音はしない。ちなみにこのトラックは、バックする際に鳴る警告音、そしてハイブリッド車が低速発進時に発する電子音が鳴らないように細工されていた。後に警察が確認している。


 話を前に戻すと、警察は、Xが借りている駐車場に行き、アルミ製の箱型の荷台がついた背の高いトラックを発見したのである。

 トラックを取り囲んだ刑事たちは、この銀色の箱の中に、何か重要な証拠が入っているのではないか、と期待した。しかし荷台の扉を開けるにしても所有者はアメリカにいるのですぐに同意を得るのは難しい。だったら、ということで勝手に鍵を壊して扉をあけた。

 何もなかった・・・・・・。

 おそらくXは、証拠になりそうなものを処分したのだろう。刑事たちはそう推測した。

 だが、処分できないものが一つあった。

 この手のバントラックと呼ばれるトラックの箱型の荷台は、外装はアルミだが、内装は、ベニヤ板でつくられていることが多いのだ。

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女狩り 胡桃沢輝子 @kurumizawa

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