「……それから、……あれも面白かった……あと……」


 薔薇園に到着してからも、陸の語りは止まらなかった。

 本人は自覚していないようだが、美祢には彼がはしゃいでいるのがよく分かった。言いたくても飲み込んだ考えもあったのだろう。久しぶりに日本語で思い切り喋ることができるというのもあって、これまで溜めこんできたものを一気に放出するように、あれもこれもと話題が出てくる。美祢の「言葉の壁が大きなストレスになってしまわないか」というのは杞憂だったようだ。

 たった二週間という短期間で、陸が理解できるようになった数少ない単語を駆使して、いったいどれだけの知識を叩き込んでもらったのだろうか。

 特に本物の魔法に心動かされたらしい陸は、これまでヤンが実践して見せた事象を細かい描写まで言葉にした。


 薔薇園の中心にある東屋に辿り着いても陸の静かな興奮は冷めやらず、ついには身振り手振りを交えて説明しようとしたところで、はたとその動きを止めて静かになった。


「……ごめん、なんか、喋り過ぎた」

「えぇー、いいのに。陸の話、すごく楽しいよ。もっと聞きたい」

「いや、ハズイだろ。なんかガキっぽい。……みんな見ているし」

「あ……」


 陸の視線の先には、甲冑を身につけた近衛隊所属の騎士が二人。美祢と陸の警護のため、朝食の間からずっと後をついてきていたのだ。


 アクララン王国の近衛隊は王族の警護と王宮内の巡回を担っている、王国が誇る数ある騎士団の中でも別格の精鋭部隊だ。普段は王族や各国使節の周りを固めているが、王命により朝桐姉弟が王宮内を出歩く際にも付き従い些細なことにも目を光らせていた。

 国の中核を警備する立場上国家機密にも深く関わることもあるため、古くからある貴族家の者たちが隊員として選出された。王家と国家に鋼よりも固い忠誠を誓う隊員のそのほとんどが、爵位を継承できない次男以下だ。

 さらに近衛隊に所属する騎士たちには、城内警備といった任務以外にも『国家の装飾品』としての役割も求められていた。国内外の使者を招いて行われる式典などでは、年齢問わず顔立ちの整ったものが並べられ、身に着ける甲冑は芸術品としての価値も高い。

 現に彼らの甲冑も華やかな彫金と絵付けが施され、ガラスケースの中で飾っておきたいほどだ。


「……俺、食事以外は部屋から出ないからさ、こういう護衛みたいなのって慣れてないんだよね」

「無理して慣れなくていいのに」

「でもさぁ」


 低く唸って隣に座り込む弟の様子に、美祢は彼がまだ義務教育を受けるべき年齢なのだと改めて認識した。


 全体的に落ち着いた雰囲気と高身長に目が行きがちだが、朝桐陸はまだ十五歳を半年ほど過ごしただけの中学生である。

 もうすぐで高校受験と中学の卒業式を迎えるはずだったのに、姉の聖女召喚の儀に巻き込まれてアクララン王国に飛ばされてしまった。異世界の神様からチート級のスキルを授けられるどころか、言葉さえ分からない環境に放り出された彼は、この不運をむしろ肯定的に受け止めていた。


 その理由は彼の家庭環境にある。

 会社の不正に巻き込まれて酒に逃げついには心を病んだ父親と、そんな父親を裏切り家族を捨てた奔放な母親の存在は、幼い陸の心を大きく傷付けた。母親が出て行ってからも長く続いた父親との同居は、まるで命綱無しで綱渡りをするような危うさがあった。

 そんな環境にあっても彼が妙に捻くれた性格にならずに済んだのは、姉の美祢が身を挺して幼い弟を守り育てたことと、陸が唯一心を許した大人である山野辺のおばあちゃん一心に愛情を注いでくれたからだろう。


「……陸、髪型変えたんだね」

「ん? ……あぁ、『ワックスが欲しい』ってまだ言えなくて」

「そっか。でもその髪型もすごくいい。よく似合っているわ」

「ん、そっか」


 姉は幼い頃のように弟の頭を撫でようとした手を彷徨わせて、膝の上に置いた。

 以前の陸は、校則に触れない程度で染めた暗い茶髪を整髪剤で無造作にセットしていたが、今は自然のままに流していた。この世界で無造作ヘアは好まれないのだ。目尻に向かって上がり凛とした両眼にはこげ茶の瞳が輝いている。以前はどこか憂いを帯びていたのが、今は溌溂とした光があった。


 陸は不器用であるが、優しく思いやりのある性格だ。そして少々詰めが甘い。

 自分のために苦労した姉のためにそれとなく配慮しようとしていることなど、すでに九歳年嵩の姉にはバレバレなのだが、本人はうまく隠せていると思っている。

 それが美祢の密かな自慢でもあり、まだまだ経験値の低い弟を微笑ましいと思う点でもあった。


 暫くの間、誇らしげに花弁を張り、いっそ重々しい香りを漂わせる薔薇をぼんやりと眺めてから、二人は薔薇園を後にした。どこに行こうとも決めずにただ広い王城を歩き回る。道に迷いそうになると護衛の騎士がさり気なく誘導してまたぶらぶらした。


 やがて辿り着いたのは図書館だった。

 入ってみると二階分の空間を突き抜ける吹き抜けがあり、壁には十四段に区切られた本棚が埋め込まれ、棚の高さに合わせて下から上に大小様々な本が納められていた。あまりに壮大な造りに呆気にとられる。

 図書館の形は漢字の「用」に似た形をしていて、真ん中の縦線部分にあたる廊下から入室し、両側の縦線の先には小さな個室が設けられていた。吹き抜けのせいで二階だけかと思ったら、中央部分の広間の片隅には地下に続く階段が備えられていた。護衛の騎士にここは何階まであるのかと問えば、王宮図書館は誰もが閲覧可能な開架部分が三階、貴重な資料や禁書が納められた閉架部分が五階という、想定外に巨大な設備であることが分かった。さらに聞けばここは第一図書館で、別の場所には閉架図書がメインの第二図書館もあるという。


 資料は全て魔法で管理されているので司書はいない。調べたい事柄があれば壁の魔法石に手を置き、どんな資料が欲しいか思い浮かべれば、光の玉がその資料があるところまで案内してくれるらしい。

 陸のリクエストを受けて、美祢が試しに魔法に関する資料を調べたいと思い浮かべて、姉弟揃って驚嘆の声をあげた。


 さらにいろいろ歩き回ってみれば図書館には、おびただしい量の書籍だけではなくこの世界の天球儀や地球儀、天体の計測器も飾られていた。


「ねぇ陸、これを見て。この大陸の地図みたい」


 二階に上がって吹き抜けから下を見下ろせば、床には大きな地図が描かれていた。大理石や玄武岩のような石材で、各国を色分けしている。地図の片隅には見覚えのある方位磁石のマークが四方八方に角を突き出していた。


「すげぇ。これ、一枚岩かな?」

「そうみたい。継ぎ目が見えないもの」


 護衛の騎士のどちらかに解説を頼んでみるかと二人で相談していると、地下に続く階段から二人の人物が現れた。


「あ」

「これは、聖女様と陸様。ご挨拶申し上げます」


 宰相と近衛隊隊長リンゲンだった。彼らはそれぞれに敬意を示した。そして美祢と陸が二階の手すりから身を乗り出して下を見ている様子に、その視線の先を辿って納得した表情を浮かべた。


「これは我が王国とその周辺国の地図です。ご入用でしたら解説をしますが、いかがされますか?」

「ありがとうございます、宰相様。丁度今、陸とどなたかにお願いしようかと相談していたところだったのです」


 美祢の返事に、宰相は「そうでしたか」と少々大げさに相槌を打つと、彼女たちに気付かれぬよう隣の長身にちらりと目配せしてから再び上を仰いだ。


「差し支えなければ、この私が解説したいところですがこの後も予定があるため、この隊長を置いていきましょう」

「しかし隊長様にも別の御用があるのでは?」

「差し支えありません。リンゲン卿、頼めるな?」

「……畏まりました」


 リンゲンは二人の護衛の片方に宰相についていくよう指示を出すと、足早に階段を上って美祢たちの元にやってきた。


「改めて、近衛隊隊長ルドルフ=クルト・リンゲンが聖女様とその弟君にご挨拶申し上げます」


 騎士として最上級の敬礼を示す男に、美祢たちもそれぞれに返礼した。

『返礼』といっても、国王より上の立場になる聖女は軽く頷くだけなのだが、その弟の陸にはややこしい礼儀作法が付きまとった。偉すぎても駄目だし、礼を尽くしすぎても駄目なのだ。だから腹のあたりに手を当て、左足を軽く後ろに引いて腰を下げる陸の姿に、リンゲンは感心したように片方の眉を動かした。


「……以前お住いの場所でも、同じような礼を?」

「いいえ、弟は王室付き魔術師ヤン・ノベ様のご指導を受けました。それが?」

「失礼しました。我が国のしきたりをご存じなのかと思いまして」


 第三者からこれまでの努力を褒められたと知った陸は、にやけそうになる口元を真一文字に結んで変な顔を晒した。

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