「それから、すでに知っているだろうが今そなたを案内したのが王室近衛隊隊長ルドルフ・リンゲン。特に信頼できる騎士だ。……そなたらの名前を聞いても?」

「……美祢……朝桐、美祢です。この子は弟で朝桐陸です」


 美祢たちに苗字があることに、国王たちは興味を示した。聞けばアクララン王国では王族か貴族階級の者しか苗字は持たず、どんな豪商であっても平民は全て名前しかないのだという。同じ名前も多いから、区別するために必ず両親の名前と併せて名乗るのだ。


 王の指示を受けてダレス宰相が小さな手帳に走り書きをした。聖女に関する過去の書簡が極めて少ないので様々な事柄を記録したいのだという。重々無理を承知で「どのようなことを書き留めたか正式にまとめる際には必ず確認させてほしい」と美祢が要望してみると、あっさりと承諾された。それどころか、なるべく正確な記録を残したい、協力は惜しまないから是非ともよろしくと頼まれた。

 どちらかというと国王としての立場というよりクレイオス・アクララン個人による判断のようで、美祢は肩の力が抜けるような心地になった。


「申し訳ないが『言葉』については答えられない。我が国で保管されている書簡にはその疑問に答えられる記述がないのだ。恐らく、そなたが『聖女だから』というのが現時点の答えとしては妥当ではないかと思うのだが、どうだろうか?」

「……妥当かは分かりませんが、とにかく分かりました」


 聖女召喚の最終的な責任者として、国王は美祢に対してなるべく真摯に対応しようとした。途中でダレス宰相の補足も挟みつつ、次々湧いてくる疑問には可能な限り答えた。答えられない疑問については文献を漁り、魔術師たちの叡智を総動員して答えを用意するとも約束してくれた。


 何故美祢たちがアクララン王国に招かれたのか。

 国として彼女たちに何を期待しているのか。

 今後の生活はどうなるのか。


 それらの説明はあまりにも美祢たちの事情を考慮しておらず、時に声を荒げそうになったが、今更怒っても仕方ないのだ。美祢は早くも諦めの境地に達していた。

 聖女だの、召喚の儀式だの、魔術師だの。

 あまりにも理解の範疇を越えた『この世界の常識』を押し付けられて眩暈がする。美祢には少し整理するための時間が必要だった。


「……国王様、実はまだ混乱しています。私たちの国……世界では聖女や魔法なんて存在しないし、いきなり『召喚の儀式』が如何こうとか言われても頭が追い付きません。……まるで、自分が不思議な夢でも見ているような気分なのです」


 国王たちは理解を示した。

 前回の記録によれば、異世界から召喚された聖女は少しの間混乱期に入ると書かれていたらしい。そこから運命を受け入れ、聖女としての務めを果たした、とも。


「部屋を用意しよう」

「できれば陸と同じ部屋にしてください。起きた時に一人きりにしていたら絶対に混乱するから……そばにいたいのです」

「しかし成人した男女を一緒の部屋になど」

「何を心配されているのか分かりませんが、この子は私のたった一人の弟です」


 国王と宰相は困ったように顔を見合わせたが、美祢の気持ちが変わらないと理解すると首肯するしかなかった。



 陸が目覚めるまでには少し時間がかかった。

 翌日には目覚めるだろうと思っていた美祢は取り乱しかけたが、急遽部屋に寄越された医師や魔術師たちによれば、命に別状はなく単純に召喚魔法の強力な魔力に体が耐えられなかったためだということだった。

 目覚める見込みは約五日。

 この間、ただただ陸の目覚めを待つのも辛いだろうという国王の配慮で美祢の部屋には文官が遣わされた。


「まずはこの世界の成りたちと、我がアクララン王国建国伝説をお伝えいたします」


 初めて部屋に訪ねてきた日、文官は美しい装飾が施された一冊の分厚い本を持参していた。


「我が国は約千年の歴史がございますが、千年より前のこの地には苦しみと恐怖と無秩序が満ち満ちておりました。さらにその前には、神ウリテルが漆黒より深い闇から大地と海、それから生命を創造したのです。

 神ウリテルはいくつもの生命の中から、神に祈るための手と御前にかしずくための膝を持つ人間に、大地を治めよと命を下しました。世に生み出された最初の人間たちは、はじめこそは純朴に神の言葉に従っておりましたが、悪いモノたちに唆されて次第に欲を覚え、互いに争うようになりました」


 皮張りの表紙と前書きを手早くめくると、最初の絵は真っ黒に塗りつぶされ『無』を表現していた。次のページでは褪せた色合いで、茶色一色の大地と荒れ狂う海が描かれていた。

 更に紙をめくると、神ウリテルが植物や動物たちを創造した場面になった。躍動感あふれる絵の中には犬、ウサギ、シカ、イノシシなどといった正体が分かる動物以外にも人間の顔の猫のような奇妙な動物もいる。それらは伝説上の聖獣たちなのだと説明された。


 初めて出てきた人物画を見て、美祢は古代ギリシア絵画とローマ絵画を足して二で割ったようだと思った。伝説上の人類の歴史が始まった最初の絵は神に祈り、供物を支える姿であったが、次のページでは布を体に巻いた人々が炎に焼かれて悶えていた。

 その次では、今度は胸当てをつけた男たちが槍と刀を持って戦争をしている。矢が飛び交う戦場の片隅では、女と宝石を強奪していく強盗が描かれていた。

 さらにめくると今度は一面に肌色が描かれていた。よく見れば人々があられもない恰好で絡み合っている。それは男も女も関係なく、ただひたすらに肉欲に溺れた人間たちの姿だった。


「神の命令に背き、傍若無人に振舞う者たちが溢れる世界となりつつある中で、これを憂いた者に一人の若者がおりました。名をアクララン、この国の初代国王となる英雄で、今の国王様の祖先にあたります」


 青く澄んだ背景の中心に後光を背負う金髪の男がいた。刀と盾を身に着け、全身の筋肉を見せつけるように全裸だ。どうやら英雄という者はどこの世界でもこのような描かれ方をされてしまうらしい。

 きりりと力強い目力に厚い唇、過剰に描写された戦士の筋肉。勇猛果敢な戦士の姿をありとあらゆる要素で表現しようとしている努力が見られた。

 一度だけ対面した今世の国王にはこのような猛々しさはないのだが、それは執務室にいたからで、ひとたび甲冑を身に纏い戦場に立てば、千年前の英雄の面影があるのかもしれない。


 神ウリテルは勇壮で信心深いこのアクラランに祝福を与え、混乱極まる人世を統一させた。

 自らの名を冠した国の王となった英雄アクラランは神に感謝し、神を称えるための神殿を王都に間近な山の上に据え、その神殿を守り祈るための聖女を置くことを約束した。

 以来約千年、アクララン王国にはある一定の周期で聖女となるべき女児が生まれ、何百何千と代替わりをしながら神殿を守り続けてきた。


 しかし、長い歴史の中で何度か聖女不在という国家存続の危機が生じたこともあった。


「現在確認できる記録では、過去に四回の聖女不在がございました。長らく聖女不在の原因が不明でしたが、現在ではその原因は、あなた様のように別の世界に聖女の魂が生れ落ちてしまうためと考えられております。

 最初の二回の聖女不在では『召喚の儀』が確立されておらず、次の聖女が生まれるまでの数年間何とか耐えたようです。魔術師たちが努力を重ねて儀式を確立してからは、聖女様を呼び戻すことができました。あなた様は三回目の『召喚の儀』でお帰りになられた聖女様となります」


 しかし困ったことに、長い歴史の中で初回の聖女召喚の儀式の史料は失われ、二回目の儀式に関しても断片的な記録しかないのだという。それらを繋ぎ合わせ儀式を成功させた魔術師たちは相当に優秀なのだとうかがい知れた。


「これからも王国を存続させるためにも、あなた様に関する記録をなるべく多く残しておきたい、との国王陛下のご希望です」


 恭しく頭を下げられて、美祢は複雑な気持ちになった。

 聖女には何が求められるのか文官に聞いてみたが、「次の聖女様がお生まれになるまで、神殿を守り平和を祈ることがお勤めです」と回答になっているようでなっていなかった。あまりにも抽象的だ。ただ祈ると言っても、一年中朝から晩まで国家の安泰を祈るだけが義務というのは疑わしい。

 家族を支えるために娯楽を切り詰めてきた美祢でも聞きかじったことのある知識と言えば、聖なる力で国を浄化して回るとか、魔王と戦うとか、そんなものだ。

 しかし文官は首を振った。


「……神聖な神官より貴いお方に、そのような危ない真似はさせられません」

「そう、ですか」


 美祢はすこしがっかりした。

 どうやら『かっこよく戦う』という見せ場は求められていないらしい。

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