あるお客様

私誰 待文

あるお客様

「それでは、私の番ですね」


 しんと静まり返った夏の夜。とある喫茶きっさ店内にて、数名の男が集まっていた。店内の電灯は消され、代わりに一本の蝋燭ろうそくの火が、テーブルの上で静かに揺れている。男たちはテーブルへ円状に、蝋燭を囲むようにしている。

 その内の一人、黒いひげをたくわりの深い顔立ちの男が、沈むような声を発した。


「マスター。とっておきのやつ、頼みますよ?」

 別の男。長い髪を後ろで結んだ中年が、愉快ゆかいそうにマスターとやらを見る。それに呼応するように、男は滔々とうとうと語りだした。


「あれは、つい先月の出来事でした」


 ○ ○ ○


 私は仕事柄、多種多様なお客様の接客を担当します。通勤時刻におとずれたサラリーマンにはコーヒーとトーストを、お昼時に訪れたOLの団体様には苦味の少ないものに小腹をたすことのできるサンドを。夕暮れの時刻に訪れた若い男女のカップルには、デザートをサービスしたりもします。おかげで、中々経営がかんばしくならないのですが、これも性分です。


 その日は夕暮れもえ、夜に差し掛かろうとしていました。すでに街の果てには夜のとばりが広がっていましたし、私は最後のお客様ももてなしたため、今日は店じまいにしようと準備し始めました。


 店の入り口に立てかけたプレートを「CLOSE」に返し、後は店内清掃、在り高の集計、明日のモーニングの仕込み等々、ルーティンに取り掛かります。そうです、深沢ふかざわさんがいつも頼んでくださるカレーライスも、昨日の内に準備していますよ。

 

 私は裏方の厨房に入り、カレーの仕込みを始めました。鶏肉とりにくを小口に切り、玉ねぎはうすすぎずあつすぎない大きさに。ジャガイモは溶かすようと触感を楽しんでもらうようで分ける。それから、皆様が気付いていらっしゃるかは存じませんが、当店のカレーにが隠し味として、きたてのコーヒー豆を少しだけ入れているんです。


 おぉ、流石は清水しみずさん、まさか気付いていらしたとは。調理師の舌の上で隠し事はできませんね。何です? 「美味しい」。あぁ、それはよかった。


 本題かられてしまいましたが、私はその隠し味の準備に取り掛かるため、ミルに豆を入れて挽こうとグリップに手をかけた時。


 鳴ったんです。


 入退店を知らせる入口のベルがリンと鳴りました。

 ですが、それ自体ではあまりおどろくものでもありません。一応、営業時間は張り紙で外に知らせているのですが、時々その知らせや「CLOSE」の文字に気付かず入店してしまう人はいます。そういえば木原きはらさんとの初対面も、営業時間外でしたね。


 とにかく、そのまま接客するわけにはいきません。時間外労働はきらいですから。説得し丁重にお帰りいただくよう、私は店内へ足を運びました。


 いませんでした。


 誰もいなかったのです。ただ私が店の中を見に向かった時、開かれていたであろうドアがゆっくりとまった音が聞こえました。

 それとほぼ同時に、カウンターの一席からパタと何かを開く音。見ると、カウンターに取り付けられたテーブルの上に、何故かメニュー表が開かれた状態でかれていたのです。


 裏へ向かう前に店内清掃をしますが、その段階でお客様がメニュー表などを放っておかれた物は元の位置に必ずもどします。見間違いの無いように、二回三回と巡回した上で裏方へ向かうので、天井をあおぐように開かれたメニュー表を見逃すはずは、まずないのです。


 しばし、この状況をどう対処すべきか考えあぐねていました。まどの奥はすでに日も落ちきり、街灯と家々かられる光がほたるのように光っていました。


 私は数分、思考のために足を止めました。

 これはつまり、かと。

 それからカウンター席へ静かに歩くと、メニュー表が開いた席に向けてつとめた微笑で対応しました。


「ご注文はお決まりでしょうか?」


 〇 ○ ○


 そこまで話し、男は一呼吸をおく。

 夏には似つかわしくない店内の涼やかさ。蝋燭ろうそくだけが、男たちの強張こわばった顔をぼうっと照らしだす。


「その時なぜ私が姿すがたの見えないお客様の接客をしようと決めたのか。その真意は断定しかねます。もしかしたら、一重ひとえに好奇心から始まった行為だったのかもしれません。私が大の怪談話好きというのは、こうして常連の皆様をまねきいれて〈怪談愛好会〉を開催している時点でお察しでしょう。その意味でも、経験を積むという意味で受け入れた面はありました」


 やや自嘲気味な頬笑ほほえみを残し、またマスターは続きを語りだす。


 ○ ○ 〇


 注文を聞くと、不思議なことにナプキンホルダーに立てかけてあったボールペンが超能力でも使われたかのように、勝手に動き始めました。


 それから風にった羽のようにぼボールペンは宙をおどり、ある箇所でその自由運動を停止しました。

 ボールペンの先は"オリジナルブレンド"。常連である皆様方は必ずたのんでくださる、私直々にブレンドしたコーヒーです。


 果たして当店の味はお客様の口に合うのでしょうか。そもそも、合う口をお客様は持ち合わせているのでしょうか。そんな疑問を持つもなく、私はテーブル下に仕舞われた椅子の方に向けて一礼しました。


「かしこました。少々お待ちください」


 厨房に戻り、ミルに入れたままにしていた豆を新たに取り換えた上で、細心の注意をはらいながら注ぎました。私は作業に従事している間、たびたび店内へ耳をまし何か声が聞こえないかと思いました。店内および外界の奥からは空気をでる微風の音しか聞こえません。通用口より遠くにはドリップしたコーヒーよりも暗いやみが広がっており、私が今行っている行為は正しいのかいなか、そんな不安にも駆られました。


 ですが、一度った注文には答えなければいけません。私はメニューで示されたオリジナルブレンドを、日中姿すがたが見えるお客様に提供するように、すでに閉店した薄闇の中で開かれたメニュー表の側へ差し出しました。不定形の湯気は行き場を失った迷子のようにらめいていました。


「当店オリジナルブレンドでございます。冷めないうちにお召し上がりください」


 その後、ついくせで裏方へ戻ってしまいましたが、そこで「あのようなお客様は、どのようにして召し上がるのだろう」とまたしてもある好奇心が浮かびました。

 それから私は足元に注意しつつ、諜報ちょうほうの任を受けた忍者のような足取りでカウンタードアに身を隠し、段々と視野をとびらの上にしながら、例の席へ視線を向けました。


 最初はただ姿の見えないお客様がコーヒーをたしなんでいるだけ。そう思い光景の問題点に気付けませんでした。

 ですがよくよく注視した上で見ると、その異端さ加減にようやく納得がいったのです。


 湯気がえている。


 私が提供から席を外したのはわずか三分ばかり。その間、店内からは静寂をやぶるコーヒーを召し上がる音など、一デシベルたりとも聞こえなかったのです。

 状況を飲み込めないままに、私は例の席へ足を運び、さらなる不可解な出来事の事後を見つけました。


 コーヒーカップに入っているはずの飲み物は忽然こつぜん姿形すがたかたちを消していました。それどころか、開かれていたメニュー表は元の位置に立てかけられ、ホルダーから抜き取られたであろう紙ナプキンが一枚、無造作に卓上へ置かれていました。念のため椅子やゆかなども確認しましたが、み一つ見つかりませんでした。


 数分、私は椅子の側で立ち尽くしていました。

 初めての体験でしたが、如何せん事の起こりがゆるかったためか、実感はそれほど湧きませんでした。それどころか、営業時間におとずれてくださる方々や、今ここに集まってくださる常連の皆様と同じ、当店の大事なお客様の一人だと最終的に位置づけたのです。


 不思議なこともあるものだ。その言葉を結論にしてお客様がのこしておかれたナプキンを片付けようとした時、黒線が引かれているのに気が付きました。


 何だろうとナプキンを広げ確認しますと、線は文字になっており、簡潔な文でこう書かれていました。



「ま たき ま す 」



 ○ ○ ○


「以上で、私が実際に体験した話はおしまいになります。印象がうすくて申し訳ありません」


 うやうやしく頭を下げる男に対し、まばらで小さな拍手が暗い店内にひびく。


「それで、以降その"お客様"はここへいらっしゃっるのですか?」

 集まった男の一人、眼鏡に蝋燭ろうそくの火をうつした男がマスターに問いかける。


「えぇ、閉店後に何度か」

 一言でざわつくテーブルの男たち。


「ただ、あの日以降固定のメニューを注文されることはないですが。いつかあのお客様がお食事なさる姿すがたを見たいと思うのは、流石にぎた願いでしょうか」


 八の字にまゆを動かし微笑む男。その表情に呼応するように、場の男たちもけわしくした顔の筋肉をく。


「では、お次はあなたの番です。どうぞ」

そうしてマスターが五線譜のように指をそろえた先には、




 誰もいなかった。



                                  〈了〉

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あるお客様 私誰 待文 @Tsugomori3-0

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ