第3話 復讐してやる

 寧々は、自分は両親から虐待を受けて死んだのだと語った。虐待、の言葉はわたしの心を深く突いた。わたしと同じだったからだ。


 寧々の両親は二人とも血のつながった実親だが、どちらも自分のことばかり考えている人間だという。


 二人とも働いておらず、働く気もない。寧々を置いて各々勝手に出かけ、たまに帰宅しては泥酔するまで酒を飲み終いにケンカをはじめる。


 寧々はというとその間、住まいであるアパートの三畳ほどの納戸に閉じ込められ、乏しい食糧で一人ずっと過ごしている。もちろん学校には行かせてもらえない。寧々がまだ幼児だったころはたまに祖母らしき人物が世話しにきてくれていたが、どうやら病気を患ったらしく、ある日を境に来なくなった。


 いつものように納戸で弱々しく横になっていると、突然父親に働けと言われ、納戸から引きずりだされそうになり抵抗すると、腹を激しく蹴られ、血を吐き、そのまま放置された。


「そのとき、あたし、死んだんだよ。今でもきっと、わたしの死体はあの家に転がされてる。わたしの死体の横であの二人はふつうの暮らし、してるんだ。ふふ、ふふふ」


 寧々は笑いながらブランコから手を放した。立ちこぎをしていた彼女はそのまま顔から地面に激突した。


「ちょっと、大丈夫?」


 わたしは寧々に駆け寄ろうとしたけど、やめた。すぐに寧々が起き上ったからだ。無邪気な子供のように笑いながら、彼女は起き上った。わたしは思わず後退さった。まるで地獄から復活したゾンビだ。


 そしてゾンビはわたしのほうにくるりと顔を向けると、言った。


「ぐふふ……、あたし、あいつらにフクシュウするんだ。まあ見ててよ」


「ふ、ふく、しゅう?」


「そ。ねえ、あんたもそうしなよ。幽霊になるとさあ、自分は怪我とかしないのに、相手に対してはなんでもできるみたいよ? あんただって、あたしとおんなじなものなんでしょ? 見れば分かるよ」


 わたしは言葉に詰まった。その通りだからだ。わたしの場合、暴力をふるうのは継母だけれど、実の父親はそれを見て見ぬふりだ。幼いころから優しく仲の良かった父親。その父親に助けを求めても無駄だと悟ったとき、わたしは絶望した。継母に抵抗する気も失せた。学校や、別の大人に知らせても無駄な気がした。だれも助けてくれぬまま、ひたすら殴られる。こんな日がずっと続くのかと虚空な心で泣いた。


「じゃあね、あたしは行くよ。成功したら、ホーコクするから。あ、もしかしたらうれしくてジョウブツしちゃうかもしれないから、むりかも」


 わたしの答えを待たずに、テヘ、と今時の中学生のように舌をだして、寧々は夜の空に消えた。




 ある古いアパートで中年の夫婦が何者かに殺される事件が起こってから、一週間が経った。


 その遺体は原形をとどめておらず、無残な有様はまるで何かに食い殺されたかのようだという。


 隣町の老人ホームに入居している、被害者の夫のほうの母親が「寧々という中学生の孫がいたはずだ」と証言しているが、そのような少女はアパートのどこにも見当たらなかった。そもそもこの両親から出生届は出されていなかった。しかしアパートにはいくつもの鍵が取り付けられた不自然な納戸があり、誰かがそこに長い間監禁されていた形跡があるという。


 その納戸は事件発見時、すべての鍵が壊され開いていた。



「またそのニュース見てるの、陽子ちゃん」


「あ、毬絵まりえ叔母さん。は、はい、ちょっと気になって」


 リビングでテレビを見ていると、突然声を掛けられ、わたしは緊張して居住まいを正した。


「怖いニュースね……。でももうよしましょう、陽子ちゃん。あなたは退院したばかりなんだから。安静にしていなきゃ」


 毬絵叔母さんはさりげなくテレビを消すと、わたしを気遣うように微笑む。


 まだ信じられない。これからこの人が自分の母親になるなんて。実感が湧かない。騙されているんじゃないかとさえ思う。わたしは家族みんなに疎まれ、殴られるしか価値のない、そんな人間だったはずなのに。


 わたしは結局死んではいなかった。

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