-結- 事後報告
あの後、多く見積もっても数時間、黒鋼壁の穿孔は修繕される事なく壁の内外を繋ぐ道として在り続けたのだが、幸いな事に、一体すら街中へ侵入する神屍は見受けられなかったようだ。
加えて今回の一件に伴って決して少なくない数の負傷者は出たものの、結果として誰一人として死者は出ておらず、事態の危険性を踏まえれば奇跡に等しいとまで言われたらしい。
とは言え、機士の出撃が遅れなければ負傷者の数ももっと少なかったのではと言う意見も当然の如く存在し、その件に関しては
それら全ての報告を、病院内に設置されている電話で以て李夏から受けていた鷹音は、やがて安堵のものとは言えない複雑な息を吐いた。
「今回の事で、いかに監理局とか機士が一般市民から盲目的な支持を受けているのか思い知ったよ。あれだけの被害を出しておいて、一度画面越しに頭を下げただけで殆どの人が留飲を下げたんだろう? 人類を守る最後の砦とはよく言ったものだけど、もう少し不満や批判なんかをぶつけてくれたって良いのではないかな」
『まぁ、それについては私も同意見ですけれど』
受話器の向こうで、李夏は苦さを込めた笑みを浮かべた。
『でもこうして、市民の方々が下手に暴動を起こさずに済んだ理由の半分は、雪村さんのお陰みたいですよ』
「……紗夜の?」
怪訝な様子を見せる鷹音の背後で、点滴のスタンドを持った老人や病院食を運ぶ為のワゴンを押す看護婦が通り過ぎて行った。
その瞬間だけ意図して会話を途切れさせた鷹音は、周囲に誰もいない事を感覚だけで察知してから、受話器を耳元に戻した。
「どういうことかな?」
『何でも雪村さんが助けた方々の中に、この街の出資元である枢機電力の関係者がいたみたいです。名前は
「……それは何というか、こういうのを怪我の功名って言うのかな」
『雪村さんが無断で出撃した件は、鷹音くんが自分の名前を使って封殺してくれたので、監理局としてはもう雪村さんの行動を咎めるつもりはありません。なので特に気にする必要はないかと』
何があろうと紗夜は単身で第二特区へ向かっていただろうと思うが、少なくともあの場に於いて最後のきっかけを作ってしまったのは鷹音だ。
あそこで彼が紗夜のお願いを素直に聞き入れ、大人しく規則に従って出撃していれば、事態はもっと早くに収束したかも知れない。
だが事実、こうして紗夜が身を賭して行動してくれたからこそ、事後処理の面に於ける鎮静化は恐ろしくスムーズだった。
鷹音としては複雑な気持ちにもなる。
『さて、これで前置き……もとい私からの報告は以上ですね。次は鷹音くんの番ですよ』
「……、」
途端、受話器越しの声が有無を言わさぬ圧を孕んだものに変わり、少年の顔に苦い色が浮かぶ。
言わずもがな、彼女は鷹音が制止の声を聞かずに独断で戦闘に及んだ事について詰めているのだ。
「いや、そう言われても、こうして無事に戻って来れたんだし良いじゃないか。この入院だってあくまで検査目的のもので明日には退院でき――」
『黙らっしゃい』
ぴしゃりと言葉を遮られる。
『死廃領域のど真ん中で、生身の身体で倒れていたと聞かされた時の私の心労と驚きが鷹音くんに分かりますか? 射葉さんが引き留めなければ、監理局を飛び出してすぐに鷹音くんの所へ行ってたでしょうね』
「そこまで?」
『当たり前でしょう! もしも鷹音くんが彩乃ちゃんと同じような目に遭ってたりしたらって、そう考えただけで泣きそうになったんですから……。どんな経緯があったにせよ、あまり無茶な事はしないで下さい。私の心臓がもちません』
「……いや、その……すまなかった」
機士になりたての頃、同じように彼女から何度も心配されていた時の事を思い出し、気まずさを感じつつ謝る。
すると李夏は一つ息を吐いた後に声色を元に戻し、呆れと共に言った。
『まぁ、鷹音くんは昔もよく無茶をしていましたものね……こうしてお小言を言うのも懐かしいです』
彩乃が『弟のどんな行動も咎めず、ただ微笑んで見守る姉』だとするならば、李夏は『過保護なあまり弟が少しでも危ない事をしていたら即刻注意する姉』であったろう。
かつて自分が持っていた認識をも思い出して、鷹音は小さく苦笑した。
『――では、事前に頂いていた戦闘記録に関して、詳しくお話を聞いても宜しいですか?』
「……あぁ」
仕事モードに戻り、粛然とした物腰で問うてきた李夏に、鷹音もまた、穏やかな声音で応じた。
『……ちょっと待ってください。片目を潰しても動きに変化が見られなかったからと言って、それで「
「いいや」
説明の最中、疑問を抱いて怪訝な様子で訊ねた李夏に、鷹音は迷いの無い声で答えた。
「あの神屍は視覚を通じて世界を認識していないのは確かだし、だからと言って獣種型のように嗅覚が特別優れていると言う訳でもない。これは俺が実際に奴と戦って、その行動パターンを至近距離で観察して、その末に得た確実性のある情報だ」
『……でも、事実としてあの神屍が目も見えず鼻も優れていないとして、どうして鷹音くんと渡り合う程に戦えていたのでしょうか? 鷹音くんとしても、相手が盲目である事に気付いたのは戦闘開始後しばらくが経ってからだったのでしょう』
「あぁ、それについてはある程度の推測は出来ているよ」
鷹音はあの黒き獅子の異形と戦った記憶を脳裏に思い起こす。
戦闘の最中に浮上した、未だ一つの仮定でしかない、けれど確信に近い考えを、ゆっくりと口に出した。
「あの神屍が視覚や嗅覚の代わりに頼りとしていたものは……簡単に言えば『電波』だ」
『電波?』
怪訝の色を込めた声で聞き返した彼女に、鷹音は要所要所を端折りながら、戦闘中に『
全てを聞き終えた李夏は、考え込むように小さく唸った後、先程よりも呆れの色を強めた声で応じた。
『なるほど。その結果として、鷹音くんは自分で中継柱を破壊したと。……この二年で、自殺願望でも生まれました?』
「な訳ないだろう。あの時点でほぼ確信に近い予感があった。そしてその想定が正しかったからこそ、奴は大人しく退いてくれた訳だけど」
『そんなの都合の良い結果論でしかないでしょうに。……皇木博士に言って、中継柱に防御機構でも組み込んでもらうべきでしょうか……』
はぁ、と溜息を吐いた李夏は、少しの沈黙を挟んでから言葉を続ける。
『けれど確かに、映像収集機器や無線の不具合を考えれば、そう仮定した方が辻褄が合うと言うものですけれど……』
受話器の向こう側で、素早いキーボードの打刻音が聞こえた。
『そんな意味不明な特異技能を持った神屍なんて、データベースの記録にはありませんよ』
「そう言った意味でも丸っきり〝新種〟なんだろうね。ただ愚直に向かってくるこれまでの神屍とは根底から異なる……。もしも今後、同種の存在が確認されるのであれば、現状の機士達では太刀打ち出来ないのではないかな?」
『……、』
押し黙る李夏の返答を待ちながら、鷹音は余剰区域で出会った数名の機士を思い出した。
光希や栞を始めとする部隊の人間を見て、正味、鷹音は練度の低さを感じた。栞の弁では、光希は監理局内でも期待を寄せられてる機士の一人だと言う。〝あれ〟が現状に於ける監理局の期待の星なのであれば、鷹音が思っていた以上に、数年で機士のレベルが堕落してしまっているのだろう。
少なくとも、『神種型』と呼ばれたあの神屍に対抗出来る者はいない。竜種型でさえ相手取れるか不安なところである。
『……機士の方々の実力を底上げしようにも、現状で何とかなっているから問題なんですよね。少なくとも一条光希くんを筆頭とした部隊は、監理局の中でも特に秀でた成績を収めています。部隊長の一条くんに関しては、単独での
「人種型最弱の神屍じゃないか。別に誇れる事じゃないだろう」
わざとらしく嘆息を零してから、鷹音は「あぁ」と言って、不意に思い出した事を告げた。
「それともう一つ。これは報告書には記載していない、完全に俺の推論に過ぎないんだけどさ」
『はい?』
うぅん、と唸りながら思考を巡らせていた李夏は、唐突な鷹音の言葉に気負いのない返事をする。
鷹音もまた、気楽な様子で続きを口にした。
「恐らくだけど……『
『……え?』
軽い調子で告げられたその台詞に、受話器の向こうにいる麗人は呆けたような声を洩らした。
暫しの沈黙が挟まれる。
漸く何かを理解し始めたと思しきタイミングで、少年は再び口を開く。
「特定の電磁波を錯乱させ、機能不全に陥らせる能力を持っているなら、当然、その可能性だってあるだろう。俺は最後の最後で中継柱を破壊し、自分とホロウとの間にあった『ライン』を自ら切断した訳だけど。そしてその後、ホロウとの接続を絶たれた俺を、奴は認識出来ていなかった」
つまり、と言葉が連なる。
「あの獅子の神屍は、常にホロウと繋がっている俺達機士の身体から発せられている微弱な電磁波を察知してこちらの位置を捕捉していたんだ。であれば、ホロウのシステムそのものが奴の制御下に変えられる危険があるって事だ。最悪のパターンを考えるのなら、どれだけ実力のある機士を揃えて総攻撃を仕掛けようとも、奴の間合いに入った瞬間に全員が一瞬で丸腰にさせられるって感じかな?」
『そっ、それは……いえ、いくら何でも流石に……』
困惑の声を洩らす李夏に、鷹音は構わず続ける。
「取り敢えず俺の方も伝えるべき事は全部伝えたよ。てな訳で、そろそろ切ってもいいかな?」
『えっ⁉』
「言っておくけど、俺が使ってるのは病院備え付けの公衆電話なんだ。一、二分ごとに毎度十円入れなければならない俺の気持ちを考えて欲しい訳だけど。これは必要経費として後で監理局に請求させて貰うからね」
李夏の制止を振り切って、鷹音は容赦なく受話器を定位置に戻した。ガシャンという音の後、彼の立っている廊下に静寂が満ちる。
「……さて」
一度大仰に肩を竦めて、少年は身を翻す。
そうしてフロアの端に設けられていたエレベーターに乗り、目的の階層へと向かった。
神種型と呼ばれる獅子型の神屍を退けた後、死廃領域の真ん中で気を失った鷹音は、都内にある病院の一室で目を覚ました。
自ら中継柱を破壊し、神屍の跋扈する領域の中で生身を晒した彼は、しかし無傷な姿で支援部隊の機士によって発見された。発見時の状態や身体に蓄積した疲労を鑑みて、ほんの数日ではあるが、検査入院の名目で病院内での生活を余儀なくされたのである。
そんな彼の生活補助を担当したのは、
そう。
鷹音が搬送されたのは、彩乃の入院する医療機関だったのである。国内に於いても最高峰と謳われる病院であるからして、機士である鷹音が搬送されるのは当然であると言えた。
元気であるにも関わらずベッドに横たわる鷹音の傍で、カルテに色々と書き込みながら都揺ナースはこう言ったものである。
「筱川さんが機士だったなんて驚きました。寧ろ、十代後半の一般的な人よりも細い身体付きでしたので、実は毎週会う度に普段ちゃんと食べてるのかなーって心配してたんですよ?」
そう言われても、鷹音として苦笑を向けるしかなかった。
何にせよ、戦闘の後遺症は一切無く、黒獅子によって喰い付かれた右肩も問題なく動く為、鷹音が自身の入院に意味を見出せないのは当然である。
故に都揺ナースにそれとなく、根気強く意見を通した結果、元々一週間以上はあった入院期間が三日にまで縮んだ。
その二日目。
鷹音は、必ず一度は足を向けようと心に決めていた病室へと向かっていた。
辿り着いたのは九階。長期入院者のみが収容されている階層に辿り着いた少年は、そうして自らの眼前に刻まれた名前に、細めた視線を注いだ。
束の間の静寂。
やがて少年は、この三年間で何度も繰り返してきた行動を反芻するかの如く、その一室へと踏み入った。
自動で開く扉の先に、視線を向ける。
そこには、寝台に横たわる女性を見守る形で、一人の少女が静かに佇んでいた。
音も無く、振り向く。
鷹音の姿を見止めた紗夜は、数瞬の沈黙を挟んだ後、穏やかな微笑みを少年へと向けてきた。
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