ありえない確信


 高低差の少ない居住区の屋上をかなりの速度で疾駆していると、不意に無線端末がノイズを拾った。

 それまで一向に繋がる素振りを見せなかったにも関わらず、ここに来て漸く回線越しに女性の声を捉えた。


「華嶋さん! 聞こえるか! 聞こえたら即時応答を‼」


 鷹音が反射的に叫ぶと、驚いたような声が飛び込んできた。


『わっ⁉ たっ、鷹音くんですか⁉ 今まで全然繋がらなかったのに、どうして突然……』

「諸々の事情説明は後にさせてほしい訳だけど。……今の今まで、こちらの回線は遮断されていたと言う事かな? 汎用回線による無線が繋がらなくとも、マニュアル操作での直通回線を繋げば基本的に無線は機能する筈ではなかったか」

『も、勿論それだって試しました……』


 李夏は戸惑うように言った。


『ですが、おかしいんです……現時点で監理局はラスタから発信される鷹音くんのビーコンを捕捉出来ていますが、つい先程まではそれすら確認出来なかったんです。本当に突然、観測エリアを広げていた死廃領域のある一点に前触れなく鷹音くんの現在位置が表示されて、無線も繋がるようになって……。鷹音くん貴方、今どういった状況の中にいるのですか?』


 李夏の問いには答えず、鷹音は疾駆を続けたままに背後を振り返った。

 目算で三〇〇メートルは離れているであろう地点に、まるで鷹音の足跡をそのまま追うかのように巨大な獅子の影が建物の上を軽々と跳躍している。

 彼我に空いた距離をしっかりと確認してから正面へと向き直り、静かな声音で言った。


「……華嶋さん。黒鋼壁に空いた穴の周辺に設置されている映像収集機器は悉く故障してしまったと言う話だったけど、それは今も続いているのかな?」

『えっ?』

「至急確認してくれ、一刻を争う!」


 戸惑いを孕んだ沈黙が数秒あった。しかしそこは流石と言うべきか、鷹音の質問に疑問を返す事無く、李夏は手元のキーボードを操作し始める。

 十秒足らずで答えが返って来た。


『……いいえ! 映像が途絶していた九つの機器全てが、いつの間にか回復しています! 加えて観測班からの調査報告によれば、故障の瞬間、全機器に不可解な電波の混線が見られたようです。恐らくそれが故障の原因になったのだと』

「なるほど」


 死廃領域に、自ら電磁波を放出するような人工物は存在しない。また、映像収集機器は相互干渉による不具合が起きないよう、相応の距離を空けて広範囲に設置されている。そう言った意味でも、機器同士の混線などありえない。


(……だとしたら、もしかして奴は……)


 唐突に押し黙ってしまった少年に対して、李夏が困惑しつつも真剣な声で言った。


『鷹音くん、宜しいですか? ……先ほど、貴方のビーコン反応が補足出来た瞬間、その位置情報を複数の機士に通達しました。現在、十数名の支援部隊がそちらへ向かっていると思います。ですからどうか、後続の方々が到着するまでは絶対に無理をしないで下さい』

「……、」

『分かっているでしょう? 貴方がいま対峙している神屍は、三年前に全くとして歯が立たなかった本物の化け物です。いくらかつての武装と戦闘感を取り戻したと言っても、どうにかなる訳が――』


 そこで言葉が途切れた。

 李夏が自ら口を閉ざした訳でも、回線が断絶した訳でもない。

 彼女の声が掻き消されるほどの轟音が、鷹音の背後に迫っていたのだ。


「ッ‼」


 瞬間、ひと際強く足を蹴り出し、上方へと跳び上がる。

 二階建てのアパートらしき建物へと直後、砲丸の如き何かが激突した。

 それは岩塊だった。凄まじい速度で飛来し、老朽化しているとは言え頑強なコンクリートの建造物を一瞬で破壊したそれの放たれた方向を後ろ目で見やる。

 未だ数百メートルの距離が横たわる遠方で、中層ビルの屋上に佇む黒獅子が、背部の黒剣を扇のようにズラリと並べているのが見えた。……その剣の先端に、地面から直接抉り出したかの如き無数の岩塊を突き刺した状態で。


「なっ……」


 そんなのアリなのか⁉ とは言わなかった。

 言う間も無く、視線の先で追走を再開した『溘焉の担い手ラーヴァテイン』が、点在する廃墟を機敏に飛び移りながら黒剣の先の岩塊を立て続けに投げ付けてきたからだ。

 見るからに適当な攻撃であるのに、その精度は恐ろしく正確。

 鷹音によって左の視界を潰されたにも関わらず、その動きや攻撃の照準に一切の変化、乱れが見られない。

 不可解だとは思った。

 だが現状を思えば、そんな事に思考を割く余裕などない。

 さながら絨毯爆撃の如く次々と降って来る岩塊の群れを、跳躍を重ねる事で躱し続ける。


(近距離中距離遠距離、全てのレンジに対応してくる神屍とか聞いた事ない訳だけど! 竜種型でもあるまいし、数百メートル先の俺を狙うなんて真似、出来る訳がないだろう! 何なんだ、奴は視覚以外の何かでこちらの動きを捕捉しているとでも――)


 回避に徹した事で『溘焉の担い手ラーヴァテイン』が鷹音との距離を詰める。

 咄嗟の判断で再び逃走を開始しようとして……、

 そこで、数秒前まで脳裏に浮かんでいた一つの予感を思い起こした。

 

 地面を蹴り出しかけた右脚を何とか制動させ、その場に踏み留まる。

 こちらが動きを止めれば、その瞬間、黒獅子の速度は一段と速度を増した。


『鷹音くん⁉ 返事をして下さい! 後続の機士が到着するまで、迂闊に単独行動は避けて――』


 その瞬間だった。

 少年と神屍の距離がおおよそ五〇メートルにまで縮んだタイミングで――ブヅリと、僅かなノイズと共に無線が遮断された。


(やっぱりか!)


 地面を抉り飛ばすように漆黒の鋭爪が振るわれる。

それを紙一重の距離で躱しながら、鷹音は納得と同時に驚愕の意を示した。


(……黒鋼壁の穴周辺の映像収集機器だけが偶然に故障するなんて事はありえないと思っていた。だがもしも神屍が、特定箇所の機器の故障に関与していたのだとしたら……そして、、全ての辻褄が合う!)


 そう。

 思ったとしても、断じてありえないと切り捨ててしまう類の話だ。


(加えて……奴が黒鋼壁を突き破って壁内に侵入した時も、何故か繋いだままだった筈の無線が完全に途絶していた。映像収集機器の故障も含めて、機士や支機官の活動に関わる全ての代物は、そう簡単に不具合を起こす筈がないのにも関わらず!)


 自らを殺すべく次々に放たれる鉤爪による腕撃は、もはや地ならしの如きだった。周囲に散乱する、決して小さくはない瓦礫の数々が瞬く間に砕かれ、極小の石礫へと姿を変えてゆく。

 そんな暴威の中で、鷹音は後退、前進、その場での体重移動による回避を繰り返して、常に間一髪の安全を掴み取り続けていた。


(恐らくこの神屍は、何らかの能力によって電波を妨害する……もしくは特定電磁波を上書きするジャミングを発生させる事が出来る! だから奴の周囲に存在する映像収集機器や俺の無線は、悉く無害化されてしまったのか‼)


 歪な光を宿す十の黒剣が、雪崩の如く降り注いだ。衝撃や轟音を伴って灰色の粉塵が舞い上がる。その煙幕を突き破って大きく飛び退いた鷹音は、そのまま近くにあった三階建てのオフィスビルの屋上へと着地した。

 当然、間を置かずして漆黒の巨躯が追ってくる。凄まじい殺気と速度を伴って放たれた黒剣が鷹音の許へと殺到し、着弾する。その寸前に跳躍した事で躱した少年の眼下で、既に半壊状態だったビルが完全に崩壊した。


(……それが分かったとして、だ)


 鷹音が地面に着地し、それとほぼタイミングを同じくして、『溘焉の担い手ラーヴァテイン』が再びその巨躯で以て標的を押し潰さんとして飛び掛かってきた。

 濃密な影に圧し掛かられる寸前で大きく後方へ飛び退くが、それを追って十の黒剣が全て別の軌道を描いて迫り来る。殺気を纏って降り注ぐ幾つもの凶器を、刀で軌道を逸らし、細かな体重移動で回避し、そうして悉くを躱し切る。

 ――しかし。

 禍々しくも悍ましい凶器が迫り来る度、少年の精神は確実に摺り減らされ、加えて全身に走る鈍い痛みや疲弊の蓄積が動きの精度を低下させている。

 あれだけ啖呵を切っておきながら……と、鷹音は自らの情けない様に自嘲の笑みを浮かべるが、少なくとも彼以外の機士が奴を相手取っていれば、既に十回は戦闘不能にさせられてまだお釣りが来ているだろう。

溘焉の担い手ラーヴァテイン』が跳躍する。

 獅子の背に並ぶ黒剣が不意に集束したかと思えば、まるで一本の巨大な槍の如く、豪風を伴って凄まじい速度で突き出された。

 込められた威力は、恐らく先ほどまでの『剣戟』の比ではない。その事は一目見ただけで分かった。

 故に刀によるは不可能。瞬き一つの時間さえあれば、容易く鷹音の胴を貫いてしまうだろう。

 だから跳ぶ事はしなかった。

 その場から動かないままに、全力で体勢を低くする。地面に激突する勢いで地に伏せた鷹音の頭上を、数センチの距離を空けて漆黒の剛槍が突き抜けた。

 鷹音からほんの三メートル離れた後方の地面が槍の直撃を受け、豪快に爆ぜる。流石にそれを躱す余裕は無く、少年の身軽な体躯は瓦礫や爆風と共に易々と吹き飛ばされた。


「ッ……くそ!」


 地面を転がりながら強引に体勢を立て直し、即座に立ち上がる。

 ダメージは軽度だ。だが鷹音の自覚する精神摩耗の程度が、ゴリゴリと更に深まった。

 攻めの一手が得られない。与えられたダメージはたった一撃のみ。しかしそれさえも、奴の体力を削る程ではない。

 先程から相手の攻撃に翻弄され、紙一重の生存を何とか捥ぎ取っているだけだ。

 このままでは何処までもジリ貧。

 いずれ精神的消耗が限界を迎え、隙が生まれ、神屍の餌食となる。

 そうなるのだけは勘弁だと刀を構え直した鷹音の目に――ふと、ある物が映った。


「ッ」


 それは対峙する黒獅子の後方数十メートルの位置に立つ、金属製の柱。

 見間違いかと思い、目を顰めて改めて〝それ〟を見やった。

 結果。

 そこで鷹音は、珍しく舌打ちを鳴らした。

 唐突に視界へ入った〝それ〟に対しての、苛立ちと言うよりかは不運を呪ってのものだった。


(……よりにもよってこんな時にか! 東京エリアの外周数キロ圏内にある〝あれ〟の位置は全て記憶していた筈だが、戦闘に気を取られて意識から抜け落ちていたか……!)


 鷹音が恨むような視線と舌打ちを投げ付けた先にある、一つの明らかなる人工物。

 円筒型を成し、表面に複雑な配線模様を刻む、高さ三メートル程の黒銀の物体オブジェクト

 その正体は『中継柱』――ホロウの基盤機構である光彩量子励起システムを増強・補完するための装置だった。あれが存在する半径五キロ以内に限り機士はホロウの恩恵を受ける事が出来る。謂わばホロウに次ぐ第二の最重要機構だ。

 万が一あれが破壊されるような事態になれば、その瞬間に機士はシステムとの接続を絶たれ、力と装備の全てを失う。

 だからこそ、機士は戦闘域内に中継柱があるような状況を避けなければならず、また熟練の機士は大抵、出撃先のエリア内に点在する中継柱の位置全てを覚えているものだ。

 自らの不覚を呪いつつ、とにかく今はこの場所から離脱する事を最優先に考えなければ――と。

 そこで、


(……あ?)


 ふと、一つの考えが脳裏に浮かんだ。

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