量産型の限界
日本の御伽噺に散見される鬼の姿を象った人種型の神屍。
頭部に生えた二つの瘤は角としての威容を成し。
おおよそ適当な瓦礫を得物として振り回す内に角が砕けて変貌を遂げた岩石の棍棒を、その屈強な右手に握っている。
全身に鎧の如き筋肉を纏う巨躯の大きさは目算で三メートルをゆうに超え、人種型の中でも特に巨大な個体であるとされている。まず間違いなく新人の機士には手に負えないレベルの異形であり、会敵した場合は即時撤退すべきとの厳令すら下されていた。
その手に握る棍棒により、周囲全てを例外なく蹂躙するその様は
曰く、『
※
飽くなき破壊があった。
直剣を握る右手を自らの後方に下げ、標的に対して半身を向ける構えを取っていた鷹音は、瞬間的に意識の全神経を一度視覚に集束させた。引き延ばされる景色。だがそれでも決して遅くはない速度で接近する岩石の塊を見据え、スイングの方向を正確に認識する。
直後、視覚に回していた意識の大半を今度は肉体を稼働させる神経に移行させ、肉薄する棍棒を迎撃すべく直剣を鋭く打ち込んだ。
ガギイイィィィンッ!!!! と。
凄まじい衝撃と火花が撒き散らされ、鬼の棍棒と少年の得物が全く同じタイミングで弾かれた。
衝撃の波が周囲に伝播する。
戦闘に巻き込まれないよう後方で控えていた紗夜の許にまで爆風が吹き、その艶やかな黒髪を乱雑に撫で去った。
恐らく渾身の力ではなかったのだろう。棍棒を弾かれ僅かに仰け反った
先程よりも濃密な圧を纏った攻撃が、未だノックバックの衝撃から立て直せていない鷹音に向けて放たれる。
――リカバリーが速い。
少年は思わず顔を顰め、軽い舌打ちを鳴らした。
猛鬼種C型は、その巨大で武骨な威容に反して人種型の中でも比較的俊敏な動きと判断能力を見せる個体である。破壊の権化とさえ呼ばれていながら、本能のままに獲物を狩る獣種型等とは違い、確固とした知性を以て相手を追い詰める一面を持つ。
(……いや、これも謂わば本能の成せる業か。無意識の中で肉体に染み付いた戦闘感が、鋭敏化された本能によって常に最善の攻撃をアウトプットさせている……!!)
かつての記憶からこの鬼の異形と戦った際の情報を掘り起こしながら、鷹音は歯噛みする。その時点で鬼の棍棒は既に彼の至近にまで迫っていた。
故に、迎撃は諦める。
喰らえば人間の脆い肉体など容易く粉砕してしまう程の猛攻を、上半身を振り回す事によって紙一重の距離で回避する。
少年の長い前髪が数本宙を舞った。
轟ッ、と突風を伴って過ぎた破壊の殴打に、思わず皮膚の表面が粟立つような感覚があった。
だがそれに構わず鷹音は瞬時に身体を起こし、手首を返して直剣の柄を握り直す。そうして一拍よりも短い時間の中で
「――ッ」
が。
直後に返ってきたのは鋼を斬り付けたかの如き硬質な感触だった。餓狼種の肉体を驚くほど滑らかに両断した一斬が嘘であったかのように、ほんの数ミリ刃が沈み込むだけで血の一滴すら流す事叶わずにピタリと止まった。
流石の鷹音も瞠目する。だがここで不用意に立ち止まるのは愚行だ。剣を握る腕にそれ以上力を込める事無く、あっさりと刃を引き戻して大きく後ろへ飛び退く。刹那の後、直前まで少年のいた場所を再び棍棒の猛威が薙ぎ払った。
一ヵ所に立ち止まる事無く常に移動を続けながら、鷹音はふと、周囲に散乱する黒鋼壁の残骸に視線を注いだ。
……かつての全盛期、筱川鷹音は得物一本で真っ向から神屍と相対する戦法を多く取っていたものの、全ての戦闘に於いてそのスタイルを貫いていたわけではない。
周囲に立ち並ぶ建造物を駆使した三次元的な立体戦闘。
倒木や瓦礫、時には神屍の遺骸すら飛び道具の如く利用して相手を翻弄する搦め手の戦術。
自らの腕のみに頼る事無く、そうした臨機応変かつ柔軟な思考による戦闘スタイルの幅が、彼を最強の機士たらしめていたのだ。
――だが、と。
絶えず
神屍の肉体は闇雲に攻撃したところで容易くは斬り裂けない。
それぞれの個体が持つ筋肉の繊維に逆らわず、平行に刃を叩き込まなければ無様に弾かれるだけだ。
先刻、鷹音が鬼の神屍に対して繰り出した一振りはそう言った基本と常識を当然のように踏まえた斬撃だった筈だ。にも関わらず刃は肉を断つ事無く、辛うじて薄皮一枚を裂く程度でしかなかった。
原因は単純明快だ。
しかしその原因が消化されない以上、いくら高次元の戦術や搦め手の戦法で以てあの鬼と対峙しても、決して斃す事は出来ない。
そう判じた鷹音は僅かに身体から力を抜くと、次の瞬間、唐突に疾駆の速度を上げて神屍へと肉薄した。低い体勢を維持したまま、一切のフェイントを入れる事無く一直線に標的へと接近する。
当然、鷹音の姿を捉えたままの
これまで多くの神屍を……もしかすれば機士さえも蹂躙してきたかも知れない岩石の槌が、やがて鷹音に狙いを定めて轟音と共に振り下ろされる。
直後。
これまでで最も強力な打撃が、周囲一帯を激震させた。
地面が砕けて隆起する。焼夷弾でも落ちたかの如き衝撃が莫大な風圧を生み出し、それは不可視の壁となって波状的に広がった。激しく舞い上がった流砂の煙幕は何ら被害を伴わないものの、数十メートルの距離を空けて退いていた紗夜の許にさえ瞬時に届き、彼女の視界を瞬く間に奪った。
「うわぁっ⁉」
身体へと直撃した爆風に足が攫われかけるが、何とか踏ん張って耐える。目に土煙が入らないよう条件反射的に顔を腕で覆いながらも、彼女は神屍の佇む位置から視線を外さなかった。
少女の見据える先で、刃の煌めきがあった。
地面から掬うように斬り上げられた刃は
突如として視界を奪われた衝撃か、斬撃を受けた事による痛みか――。
何にせよ片目を潰された鬼の神屍は苦悶の唸り声を轟かせ、直後に周囲へ見境なく棍棒を振り回し始めた。
それによって一帯に立ち込めていた土煙が晴れる。紗夜の視界に、神屍の闇雲な反撃を身体捌きのみで危うく回避し、至近の位置から大きく飛び退く鷹音の姿が映った。
後方宙返りの要領で神屍から距離を取りつつ、鷹音が右手の直剣を素早く鞘に納めた。そのまま紗夜の立つ位置まで下がると、半ば無理矢理に彼女の腕を掴み、直近の建物を目指して駆け出す。
「えっ、筱川さん⁉」
「一旦退くぞ!!」
言いながら、鷹音は腰のベルトに装備していた拳大ほどの金属缶――閃光手榴弾を掴み、標的の姿を見ぬままに自らの後方へと放り投げた。片目を斬り裂かれた衝撃から立ち直り、鷹音達の無防備な背を追おうとしていた異形の鬼は、大きな弧を描いて自らの眼前に振ってきた鈍色の物体を素直に目で追いかける。
ピンを抜いてからちょうど三秒後、質量を持って放たれた莫大な閃光は
轟く咆哮。
空気が震えるほどの大音量に紗夜は思わず身を竦ませる。
その間にも鷹音は彼女の腕を引きながら、元はオフィスビルだったと思われる建物の中へと一時撤退した。
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