プロの塵殺
場に緊張が伝播する感覚があった。
突如として戦場へと闖入した鷹音に、周囲の神屍が警戒するように低く唸る。
「……あの、筱川さ――」
「大丈夫。そこで休んでいればいいよ」
直剣を握り直して立ち上がろうとした少女はけれど、短くそう告げられて膝を落とした。
言外に、ここは一人で充分だと言う意を察して紗夜は訝るような視線を目の前の少年へと差し向ける。
――餓狼種A型は獣の姿を象る異形の中で最もヒエラルキーの低い位置に座す神屍だが、だからと言って新人機士の訓練に宛がわれるような弱き存在ではない。
鍛え抜かれた俊敏性と統制の取れた軍団の前では、例え上位の神屍であろうと成す術なく狩られてしまうほどである。
群れを形成する獣種型が多く居るが、餓狼種A型は個体そのものの力が他の神屍に遠く及ばない所為か、群れとしての機動に長けた一面を持つ。それは彼等が高度な知能を有していると言う訳ではなく、進化の過程で本能に刻み込まれた
それほどの統制力を持つ軍団に甘い覚悟で特攻しようものなら、新人であれベテランであれ、数瞬後には極大の後悔と激痛を受ける羽目になる。だからこそ、餓狼種A型の群れに遭遇した機士の殆どは、決して一人で立ち向かう事をせず、常に数人の部隊を組んで討伐に臨むものだ。
――にも関わらず、
紗夜の眼前で、緩やかに直剣を提げていた鷹音が強い踏み込みで地を蹴り、漆黒の群へと単身で突っ込んだ。
異形共は既に紗夜から意識を外し、鷹音をこそ最警戒の標的として認識している。唐突な挙動に遅れる事なく少年の姿を捉え続け、応じるように飛び掛かろうとした。
だがその寸前で。
質素な戦闘服に身を包む彼はあろうことか右手に携えていた機械直剣を、今まさに跳躍すべく身を沈めた一体の餓狼種目掛けて思い切り投げ付けた。
水平に飛来した剣は狙い違わず神屍の眉間部分に突き刺さり、獣の如き甲高い悲鳴が響き渡る。
僅かによろめいたその隙に鷹音は素早く肉薄し、突き刺さった直剣の柄を握って獲物の頭部を縦に両断した。
「四体目」
小さな呟きが紗夜の耳に届いた。
その間にも鷹音は身を翻して直近の個体へと迫る。
威嚇するように吠えながら顎を開いた個体の懐に低く潜り、死角から刃を突き上げる。心臓の部分を即座に貫き、加えて手首を捻って刃を捩る事で肉や内臓を抉り、より確実な致命傷を与えて絶命へと至らしめた。
鮮血を浴びる前に巨躯の下から飛び退いた直後、鷹音が足を止めたほんの一瞬を狙い澄ましたかの如く、今度は別方向から二体の餓狼種が飛び掛かる。
一方は地を駆けるように、一方は中空から降り掛かるようにそれぞれ標的を喰らわんとして襲来する。
それに対し、鷹音が取った対処とはシンプルで――尚且つ、えげつないものだった
赤黒い血を飛び散らせながら素っ飛んできた異形の頭部を、地を這うように駆けていた神屍は僅かも驚く事なく回避した。疾駆する勢いは減衰させないままに跳躍し、
――当然、その先にはもう一体の神屍の姿が在った。
跳躍の後に頭上から来襲していた個体と鷹音の小細工を避けるべく上へ跳んだ個体とがぶつかり合い、束の間、二体の餓狼種が一点に重なり合った。
その瞬間を、鷹音は見逃さない。
緩やかに提げていた直剣を手首の返しだけで構え直し、即座に地を蹴る。一定の範囲内に踏み込んだ直後、空中で縺れ合う二体に向けて一直線に跳躍すると、たった一度の斬撃でそれぞれ首と心臓を易々と斬り裂いた。
ドシュッ‼ と言う肉を断つ音が響き、悲鳴は上がらないまま鮮血だけが噴水のように飛散して命の末路を物語った。
「七体目」
粛々と呟きながら地へと降り立つ。僅かな距離を空けて後陣で控えていた残りの数体が、今度は波状的に標的を狙わんとして一様に疾駆の構えを取っているのを見止めて、鷹音は腰のベルトに取り付けていた拳大ほどの金属管を取り出す。
そのタブの部分に取り付けられたピンへと指を掛けながら、鷹音は離れた位置に立つ少女へと声を飛ばした。
「紗夜! 目を塞げ!」
言われ、鷹音の動きを唖然として眺めていた紗夜は反射的に両手で顔を覆った。
彼女の動作を視認する事なく鷹音は金属管のピンを外し、群れる幾体の餓狼種の中心へと放った。投げられた金属製の物体を異形共は吸い寄せられるように目で追う。それが何であるかを知らない彼等は当然の如く、直後に放出された高密度の光を余す事無く直視した。
――閃光手榴弾。質量を持って放たれた白光は周囲に広がる神屍の網膜へ尽く焼き付き、連中の視力を例外なく奪う。
各所から悲鳴が上がった。視界を潰されてのた打ち回る餓狼種の群れを冷めた目付きで一瞥した鷹音は、それまでの素早い動きとは対照的に、ゆるりと穏やかな足取りで漆黒の異形へと歩み寄る。
けれど、数瞬の後に振るわれた刃は僅かの容赦も無く異形の命の簒奪を始めた。
(……すごい、筱川さん。あんな簡単に神屍を……)
目の前で繰り広げられる殺戮に紗夜は言葉を失った。
自身があれだけ苦戦した相手を、鷹音はまるで児戯の如く立て続けに屠ってゆく。使用しているギアは紗夜と同一の『量産型』である筈なのに、異形の肉を断つその斬撃は恐ろしく滑らかだ。
霞むほどの速度で刃を振るい、時には周囲に転がる瓦礫や倒木、その手に握る直剣や絶命した餓狼種の遺骸すら飛び道具の材料として扱ったり、そうして展開される攻撃パターンは変幻自在。一切の淀みが無い一連の動きはさながら練習し尽くされたダンスを思わせ、紗夜は無意識に呆けて固まっていた。
結局。
彼女が一体すら討つ事叶わなかった餓狼種の群れを筱川鷹音と言う少年が全て斃すまでに、五分と掛からなかった。
刃に付着した異形の血を払い除けてから、鷹音は腰の鞘に直剣を納めた。
周囲には四肢や首を斬り飛ばされ、また心臓の部位を穿たれた餓狼種の遺骸が無数に転がっている。反して鷹音の顔や戦闘服には全くとして返り血は付いておらず、少年もまた涼し気な表情を保ったままであった。
疲労を感じさせない足取りで戻ってきた彼に対し、紗夜は何故だか掛ける言葉を見つけられなかった。
地べたに座り込んだまま、一抹の気まずさを感じて少年の顔から視線を逸らす。その様子を見止めて、鷹音は呆れたように溜息を一つ吐き出した。
「……本当なら、君は規定違反で相応の処罰を受けなければならない訳だけど」
「ッ、」
「でも心配はいらないよ。俺が戦場に出る代わりに君の科罰を撤廃するようにと華嶋さんを通じて上層部に申告しておいた。上の人間も、どうやら俺の名前が出ては自分達の意見を押し通す事も出来ないみたいだからさ」
その言葉に、紗夜は顔を持ち上げて鷹音を見上げる。
今日初めて面識を得たばかりの少年は、彼女に困ったような笑みを向けると、その小さな頭へポンと手のひらを置いた。
「とんだお転婆娘だな、君は。華嶋さんや射葉さんも心配していたよ。早く無線のスイッチを入れて無事を伝えてあげるといい」
言われ、紗夜はハッとして耳に嵌めてあるイヤホン型の端末に触れる。
衝動的に回線を切断してしまった時の事を思い出して苦い気持ちになりながら、中心のボタンを軽く押す。すると僅かなノイズが耳の奥に走り、すぐ後に涼やかで明瞭な女性の声が聞こえてきた。
『雪村さん、聞こえますか! ちゃんと無事ですか⁉』
「わわっ」
不意に飛び込んできた声に思わず吃驚した紗夜は、少しの間を置いてからゆっくりと応じる。
「は、はい。問題なく聞こえます。それと、私はちゃんと無事です」
『良かった! 鷹音くんは間に会ったんですね……雪村さんのビーコン反応が餓狼種の群れに囲まれているのを見た時はどうしようかと思いましたよ……!』
「あのっ……心配かけてすみませんでした。それと勝手な行動もしてしまって……」
『ホントだぜ、まったくよぉ』
射葉のものと思われる嗄れた声が割り込んできた。
『鷹音の小僧が間に合わなかったらどうするつもりだったんだよ。見てるしか出来ねぇこっちの身にもなってくれよ、嬢ちゃん?』
「は、はい、すみませんでした……」
「まぁ取り敢えず無事だったんだからいいじゃないか。それに彼女のお陰で大事にならずに済んだ人達もいた筈だしね」
あっけらかんとした様子で鷹音は言う。
その物言いに何処か白々しさを感じた紗夜が小さく眉根を寄せていると、様々な感情を含んだ射葉の声が返ってきた。
『そう言うけどな、紗夜ちゃんがお前んトコへ説得しに行った段階でお前が首を縦に振ってりゃ、俺や李夏ちゃんがここまで胃を痛めるような事態にはならなかったんだよ。そこんトコどう思ってんのかね?』
「……ちゃんとこうして重い腰を上げて尻拭いに来たのだから、蒸し返す必要もないだろう」
『まぁ紗夜ちゃんからの無線が切れた瞬間に飛び出していったもんな。気付けば隣から姿消しててビビったわ』
『これほどの短時間で現場に辿り着くとは、さすが鷹音くん。まだまだ衰えていませんでしたね』
そんな会話を聞いて、ふと気付く。
鷹音との無線を紗夜が一方的に切断したのは、今から一〇分ほど前の事だ。その時点から鷹音がホロウを使用して監理局を飛び出したのだとすれば、ここまでの距離をおおよそ五分程度で踏破した事になる。
監理局からこの第二経済特区までは概算で二〇キロ。当然、紗夜と同じで街中をB級忍者よろしく軽快に駆け抜けてきたのだろうが、紗夜がどれほど急いでも十五分を要した事を踏まえれば、鷹音の速度がどれほど常軌を逸しているのか容易に想像出来る。
当代最強の機士――今日一日、局内で時おり耳にした言葉が脳裏にチラつく。紗夜が僅かに羨望を込めた眼差しを向ける先で、当の少年は腰に提げた機械直剣を見下ろしながら何故か険しい表情を浮かべていた。
「いいや。生憎、昔と比べて身体が重くて仕方がない訳だけど。これが単なる武装の違いから来るものなのか、それとも
言いながら、鷹音は身体の調子を確かめるように肩や手首を何度か回している。並み居る敵を尽く斃す姿を間近から見ていた紗夜にしてみれば、彼の動きは言葉を失う程に洗練されており、間違いなく一線級のものであった。
だが当人にとっては決定的な衰えを感じているのだろう。眉根を顰める少年に、無線越しに射葉が軽い口調で応じた。
『まぁ街に侵入してるのは大半が餓狼種だしな、本調子でなくても構わねぇだろ。鷹音がこうして戦場に出てくれた以上、目下最優先の事項は黒鋼壁の修繕だ。崩壊地点をラスタのマップに
「……当たり前のように任務を与えられているけど、俺は別に機士として戻る事を決めた訳ではないんだからね? そこのところ履き違えないでくれよ、射葉さん」
『あーはいはい分かってるっての。つっても今は未曽有の事態なんだからキリキリ働きやがれ。支機官の連中が神屍に襲われる危険性はまだ消えた訳じゃねぇんだからよ』
「人使いが荒いのは昔から変わらないな……華嶋さん、後続の機士はあとどれくらいで到着する?」
オペレーターの女性に訊ねれば、即座に答えは返ってきた。
『早くても、おおよそ一〇分と言ったところでしょうか。鷹音くんが出撃した数分後に、数名の機士が同様に第二特区へと向かい始めました』
「未だ街には二〇体弱の餓狼種が侵入している筈だけど、そちらの対処は?」
『主に黒鋼壁付近を徘徊しており隣接特区へ侵入する可能性が低い事と、住民の避難が大方完了している事を鑑みて、残党の掃討は第二タスクへ回して問題ありません。射葉さんの言う通り、優先すべきは黒鋼壁の修繕及びそれに伴う支機官の護衛です』
「了解」
短く応じた鷹音は手首に装着したウェアラブル端末――『ラスタ』を起動し、手慣れた様子でホロブラウザを操作し始める。やがてこの第二特区全域が表示された矩形のマップが展開され、そこに黒の明滅点が浮かび上がるのが傍らの紗夜にも視認出来た。
「取り敢えず崩壊現場へ向かうことにするよ。……紗夜、君はどうする?」
「えっ?」
無線への応答から唐突に話を振られ、少女は驚く。問いを投げた鷹音はラスタのダイヤルを回してウインドウを納めながら落ち着いた声音で続けた。
「このまま監理局へ帰還するでも、俺に付いてくるでもどちらでも構わない。君の事だ、君自身で判断を下せ」
問われ、少女は僅かに押し黙った。
自身の現状を顧みる。肉体の疲労はまだ無視出来ぬほどに蓄積しているものの、動けないほどではない。だが先の戦闘を思い出し、最弱の神屍である餓狼種に全く歯が立たなかった事を思い出し、僅かに歯噛みする。
今の状況に於いて自分が成せる事は無いのかも知れない。
それでもこのまま鷹音の力に頼って自分は安全な場所に戻るという選択肢だけは、選び取りたくなかった。
自分に何が出来るか分からなくとも構わない。あの病院で数多くの負傷者を目の当たりにした時、自分に出来る事は何か、何を成せば正解なのか、その答えが分からず困惑した。だが悩んだ挙句にその時々の状況で最善の行動をするだけだという結論を見出した筈だ。
もう迷わないと誓った。
その決意が、彼女を餓狼種の群れへと立ち向かわせたのだ。
紗夜は顔を上げた。正面に立つ一人の少年が揺らぎの無い瞳で以て自分を見据えている。その奥にはどんな感情が揺蕩っているのだろう。
けれど彼の眼を見ていると、不思議と心が鎮まる気がした。
深い息をゆっくりと吐き出し、応じる言葉を自分の中から見つける。
「――筱川さんに付いて行きます。私は無力かもしれないけど……でももしかしたら、今の私にも出来る事はあるかもしれないから!」
「よし、なら行こうか」
紗夜の言葉に鷹音はあっさりとした物言いで応じた。
彼は別段、紗夜に監理局への帰還を強いるつもりは無かった。変わらずこの場に留まり続ける選択をしたとして、それを否定するつもりも。
筱川鷹音の脳裏にかつての記憶がフラッシュバックする。それは機士となったばかりの新人戦闘員が、神屍の恐怖や味わった痛みに怖れを抱き、再起不能なほどに精神を追い詰められていた姿だった。
いくら機士が並の人間よりも心神が強靭とは言え、結局は誰しもそれまで普遍の暮らしを送ってきた一般人である。
それがいきなり戦場に出て神屍と対峙して、まともでいられる方が異常と言うものだ。
少なくとも己の意思で異形の前へと立ちはだかり、怖れに身を
強い人間だ、と思った。
だから決意を伴って答えを出した彼女に、少年は当然のようにその意思を受諾したのだ。
――けれど、と。
紗夜に関して不安はない。
現時点で問題があるとすれば、それは自分自身の事だ。
その考えに至った鷹音はくるりと踵を返し、無線を通じて李夏に問い掛ける。
「華嶋さん、そこに市乃瀬さんはいる?」
『季遥ちゃんですか? いえ、一〇分ほど前……鷹音くんが監理局を飛び出していった後、急ぎ足でシステム保管庫へと戻っていきましたけど……』
「なら心配する必要はないもかも知れないけど、一応華嶋さんから伝えておいて貰ってもいいかな」
何をですか? と訊ねた彼女に、少年は神妙な面持ちで言葉を返した。
「俺が昔使っていたブラッド・ギアの
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