ろくでなし
監理局の職員が慌ただしく往来する鉄鋼の廊下を、紗夜は脇目も振らず懸命に走っていた。
対面から向かってくる大人達と幾度と無くぶつかりそうになりながらも、小柄で可憐な少女は自分の役割を果たすため、ひたすらに駆ける。今もこの監理局のどこかに残り、紗夜が戻って来るのを待っているであろう一人の少年の許へ助けを求めんとして。
僅かに息を切らして、それでも動かす足は止めない少女の記憶は、ほんの五分前に遡る――
紗夜の発した言葉に、李夏と射葉は示し合わせたかのように全く同じタイミングで瞠目した。
全く意識の外に置かれていた選択肢を提示された事に驚いている訳では無いだろう。
その瞬間に二人の心中を駆け巡ったのは、驚愕であると同時に、幾つもの複雑な色が入り混じった感情であった筈なのだから。
「……鷹音くんを、ですか……?」
最初に沈黙を破ったのは、李夏だった。
彼女は言葉を紡ごうとして、けれど二の句が継げないで口を閉ざすと言う動作を何度か繰り返した後、震える声音でこう口にした。
「そっ、それこそ無理な話でしょう。今の鷹音くんがかつて機士だった頃の自分を酷く嫌悪している事は、雪村さんだって知っている筈です。私達がどれだけ説得しようとも、この二年間、鷹音くんが戦場に戻ってきた事は一度も無かったのですから」
それに、と李夏は続ける。
「もし仮に鷹音くんが要請を受諾して出撃したとしても、彼には長いブランクがあります。万全の態勢で現場へ向かっても獣種型一匹を相手取る事すら難しい筈。こう言っては何ですが、鷹音くんが戦力になるとは、私には到底思えません。彼にホロウを使ってもらったところで、現状が大きく変わる事はありえないでしょう」
端麗な貌に仄かな陰を浮かべて俯く李夏の言葉に、紗夜は思わず黙り込む。
彼女の言っている事は正しい。
筱川鷹音が機士に対して抱いている忌避感のようなものは、彼を見ていれば微かに感じ取れる。
その内情までは訊ねなかったが、鷹音の過去に何かしら重大な出来事があったのだと言う事実くらいは聞かずとも察せられる。
だから、紗夜は当初、李夏達にこの案を提示するのは少しばかり気が引けた。
李夏か射葉のどちらかが反論してくるのは分かっていたし、そもそも鷹音自身がこの提案を受け入れる保証などどこにも無かったからだ。
それでも紗夜は告げた。
鷹音であれば、街に侵入して罪無き人々を襲っている神屍を屠る事が出来ると。
「……確かに、そうかも知れません。いえ、その通りだと思います」
ぎゅっと拳を握り締め、紗夜は更なる言葉を連ねる。
「でも、このまま何もせずに時間が経つのを待って、救おうと思えば救えた筈の人を簡単に見捨ててしまうくらいなら、私は、すぐそこにある希望に手を伸ばすべきだと思います! もしもその希望が物凄く小さな光であったとしても、それを掴まなかったら私達人間は一生、神屍の脅威に怯えたまま過ごす事になる……私はそんなの、絶対に嫌です‼」
紗夜の清澄な声音が、暗がりの満ちるフロアにこだました。
忙しなくコンピュータを操作していた局員すらその手を止めて、たった一人の小柄な少女に視線を集めている。
室内に要る全ての人間から注目されながらも、彼女は自分の意思を伝えた。
「今この状況で何もしなければ、被害に遭ってる住民や支機官の人達は次々に死んでしまいます。そんな光景を、ただ指を咥えて見ている事しか出来ないなんて、それならいっそ私達が死んだ方がマシです。……お願いします、華嶋さん。筱川さんのホロウの使用及び出撃の許可を!」
本当であれば、紗夜自身が住民達の助けになりたかった。
だが先ほど李夏が言った通り、自分はまだろくに神屍と戦った経験も無い駆け出しの機士だ。
どれだけ勇気を奮って戦場へ出たとしても、結局それは蛮勇に過ぎず、成す術無く敗残してしまうだろう。
だが鷹音は違う。
彼は長年に渡って一線で神屍を討ってきた経験がある。
例えブランクがあろうが彼なら現状を打破する切っ掛けとなってくれる。短い付き合いながらに紗夜が鷹音に対して向けている信頼は、確かにそう判じているのだ。
それでも尚、決断を出しあぐねている様子の李夏に対して更に説得の言葉を続けようとした瞬間、横合いから男の声が割り込んで来た。
「……こりゃスゲェ。なかなかどうして立派な嬢ちゃんじゃねぇの」
射葉である。
彼は全身から淀む事の無い緊張感を漂わせたまま、けれどその顔に驚きと感心の色を浮かべて紗夜を見つめていた。
同僚である壮年の男が口許に微かな笑みを称える様子を、李夏は眉根を寄せて怪訝そうな目で見つめる。剃り残した顎のひげを指先で撫でながら、射葉は続けた。
「なるほどなぁ。あの人付き合いが嫌いな小僧が何で嬢ちゃんを突き放さねぇのか、ずっと疑問に思ってたんだが……こーゆー事か。合点がいったぜ」
「あの、射葉さん。一体なにを……」
射葉の言っている事が理解出来ず、李夏は小さな声で訊ねかけた。
そんな彼女の問いに、けれど男は答える事無く李夏の整った顔にずいと詰め寄った。
「嬢ちゃんの言う通りだぜ、李夏ちゃん。今すぐアイツの無期限休暇登録を解除して、ホロウを使えるよう手続きをしとくんだ。システムデバイスへのアクセス権限の更新とブラッド・ギアの使用申請は俺の方でやっとくから、李夏ちゃんは支機官の連中のサポートを並行して続けてくれ。タスクが済み次第、俺も合流する」
「え……い、いえっ、ちょっと待って下さい!」
流れるように指示を出すやいなや間を置かずにフロアを出ていこうとした射葉に対し、李夏は慌てて制止を掛けた。
「射葉さんは、鷹音くんが戦場へ出る事に賛成なんですか⁉」
「おう、俺もあの小僧なら何かやらかしてくれるって思うんでな」
「無理ですよ! 鷹音くんは二年間も前線から離れていたんです、まともに神屍と戦える筈がありません!」
「そんなの分からねぇだろ。昔は好き勝手に神サマ連中を殺して来た戦闘馬鹿だったんだ。もしも戦いの空気や感覚を忘れていなけりゃ、そこいらの機士よりよっぽど上手く働いてくれるんじゃねぇか?」
「それは、そうかも知れませんが……」
数瞬だけ逡巡するような沈黙を挟んだ後、その首がやはり横に振られる。
「いえ、どうしても私は賛同出来ません。もし仮に射葉さんの仰る通り、鷹音くんがかつての戦闘勘を忘れていなかったとしても、それ以前に彼が出撃要請を受諾するかどうか分からないじゃありませんか」
「そこはまぁ、適材適所で行こうや。確かに俺や李夏ちゃんがどんだけ説得しても、鷹音の小僧は聞く素振りすら見せなかったが、今この時に限っちゃ奴の心を焚き付けるに相応しい人間が一人いるだろ」
「? それって……」
首を傾げる李夏にニヤリと笑みを向けた射葉は、そして視線を眼前に立つ小柄な少女へと移す。
彼の言わんとする事を理解した紗夜は、信じられないとばかりに目を見張った。
「え、えっ? 私がですか⁉」
先ほどまでの凛とした佇まいはどこへやら。
狼狽したように人差し指で自身を示す少女に対して、射葉の言葉が掛けられる。
「おうよ。アイツを呼び戻せんのは嬢ちゃんしかいねぇ。……頼む。いつまでも燻ったままウジウジしてるあの小僧に、一発喝を入れて来てくれや」
※
「……そう、言われてもなぁ」
エレベーターに乗って上層のロビーに戻ってきた紗夜は、フロア内を慌ただしく行き交う人の群れを視線で追いかけながら、そのように呟いた。
頼むと言われたところで自分に何が出来るのか。筱川鷹音を出撃させると言う提案をしたのは確かに自分だが、まさかこんな重大な役割を背負わされるとは思ってもみなかった。
付き合いの長い李夏や射葉の言葉でさえ聞かなかった鷹音に、まだあって一日も経っていない自分が持つ影響力など、あって無きようなものだろう。
(でも取り敢えずは、筱川さんを探し出さなくちゃ。このまま何もしなかったら沢山の人が死んじゃうんだもの……モタモタしてたら駄目だよね……!)
内心で再び決意を固めた紗夜は、目の前を縦横無尽に往来する人混みの中へと、己の身を投じた。
建物内に隈無く鳴り続けるサイレンと辺りを騒然と走り回る監理局員の喧騒から、大体の状況は把握している。
黒鋼壁が崩壊した事例など、鷹音が現役の機士として働いていた頃でさえ一度として無かった。加えて出撃可能な機士が一人もいないという。
まず間違い無く、最悪の事態と判じて当然である。
――鷹音は今、地下十七階のワンフロアにて一人椅子に座り、携帯端末に入ってくる情報へ流れるように目を通していた。
システム保管室にあるターミナルと一部の機能を同期させているお陰で、デバイスに送信されてくる情報が丸ごと鷹音の端末にも転送されている。
わざわざ監理局を訪れなくとも早急にデータが確認できるようにするべく、三年前に知己と協力して自作のアプリを組んだのは、今となっては懐かしい思い出である。
画面を上から下へと流れる、現場の人間によって送られてくる状況報告の群れを、けれど鷹音は無感情な瞳でもって見つめている。そこに、死の危険に瀕している枢機市第二経済特区の住民や支機官への憂慮などは、全くとして見受けられない。
「……、」
端末を切り、懐にしまう。
そのまま立ち上がり、フロアを跡にしようと歩みを進めたタイミングで、ふと声を掛けられた。
「二年間会わない内に随分と薄情な方になったのですね。いえ、昔から貴方は他人への配慮が苦手なようでしたが、まさか状況を認識していながら堂々とお仲間を見捨てるなんて……最強の名が聞いて呆れますよ」
「……何だ、誰かと思えば
短く切り揃えられた黒髪に赤縁の眼鏡が印象的な、システム管理課副主任の市乃瀬
「……服が伸びてしまうよ。乱暴は止めてくれ」
「筱川鷹音。貴方、暫く見ない間によくもそこまで腑抜ける事が出来ましたね。未曽有の危機に懸命に立ち向かっている方々がいるのに、それを無視するとは、何とも大層なご身分ではないですか」
「何が言いたいのさ。言っておくけど、俺には何をどうする気も無いし、そもそもどうしようも出来ない訳だけど。ついさっき機士を正式に引退する旨を伝えてきたばかりだしさ」
「届けは受理されたのですか」
「『熟考の後、改めて連絡を致します』とだけ言われた。あとは良い返事が来るのをひたすらに待つしかない」
「では届けが申請されるまでに少し時間がありますね。つまり今の貴方はまだ機士であるという事です。戦う資格を持つ者が戦闘から逃げるなど、あって良いのですか?」
「どれだけ言明されようが俺の意思は変わらない。俺が出たところで足手まといにしかならない筈だ。痛い思いをするだけなら最初から事の成り行きを眺めていた方がずっと賢明だよ」
無感情にそう告げる鷹音に、ホロウの整備職も兼任する市乃瀬遥の細く研ぎ澄まされた視線が突き刺さる。
「……本当に落ちぶれてしまったのですね、貴方は」
「何とでも言えばいい。単に俺は、俺一人に現状を打破出来るだけの力が無い事を、誰よりも知っているだけだよ」
筱川鷹音は揺るがない。
そのまま旧知の女性から視線を外して手を振り、フロアを出るべく再び歩き出す。
だが、すぐさま立ち止まらざるを得なかった。エレベーターホールへと続く道の先に、今日出会ったばかりの小柄な少女の姿が飛び込んできたからだ。
まさか鷹音を探すために監理局内を走り回っていたのか、白く輝く肌には珠の汗が浮かび、小さな唇からは絶えず荒い息を吐いていた。
「しっ、しのかわ、さんっ……すこ、し……お話があっ、あるんだけど、いいかな……げっほえっほ!」
「話をする前に落ち着こうか」
「い、いえ、だいじょうぶ、です……。あのっ、筱川さんの事だから今起きてる騒ぎの原因が何なのか、とっくに分かってると思うんだけど……すごく不味い状況になってるの!」
「みたいだね」
「それで、自由に動ける機士がいなくて、だから筱川さんがホロウを使って街に入ってきた神屍を倒してくれたら万事解決、みたいな感じになってて……」
「
少女の言葉を遮り、傍の壁に背中を預けて鷹音は続ける。
「俺にはもう神屍と戦うだけの力が無いんだ。どんなに強力な武装を持ったってまともに扱える自信が無い。蛮勇と自惚れが祟って、強制システムアウトをさせられる……そんな結末が見え透いている。俺みたいな浅薄な希望に頼るよりも、局外にいる機士を一刻も早く来させるように尽力すべきではないかな」
「そ、それが無理だからこうして筱川さんに頼んでるんだよ……‼」
「自覚しなって。今の君が言っている事は、その無理に無茶と無謀を積み重ねた末の、どうしようもない不条理そのものだ。そんな道理が罷り通るくらいなら、そもそも世界は堕ちた神に蹂躙される事無く平和な運命を辿っていたと思う訳だけど」
「それ、はっ……」
紗夜は思わず拳を握り込んだ。
鷹音の意思は頑なである。紗夜がどれだけ言葉を立て並べたところで、彼の心は揺るがない。
「しっ、筱川さんは何とも思わないの? 今ここで何もしなかったら、沢山の人が死んじゃうんだよ⁉ 今も支機官の人達が必死に住民の皆さんを助けようとしてて、ここにいる皆も何とか手は打てないかって悩んでる! 色んな人が現状を覆したいって言って苦しんでるんだよ! だったら筱川さんも、少しはもがいて苦しんでよ‼」
少女の口から放たれた鋭い叱責の言葉は、確かに鷹音の許へと届く。
けれど元一級の機士である少年は紗夜の台詞に応じる事無く、冷たい視線だけを投げかける。
「だからその
「ッ……‼」
決して己に近付けさせようとしない圧倒的な隔絶。どんなに熱く切実に感情をぶつけようと、鷹音から帰ってくるのは、そんな冷徹ささえ感じる孤独の要求だった。
強い意志も激しい情動も、それら全てをつまらないものと切り捨てる今の鷹音の前では、紗夜は何をどうしようと無力だった。
彼女の言葉は、目の前の少年には届かない。
「……、」
握り込んだ拳をふるふると震わせながら、紗夜の顔が微かに俯けられる。
何かを言葉にしようとして、けれど結局何も吐き出されないままに口は閉ざされ……そんな動作を幾度か繰り返した少女は、おもむろに歩み出すと、鷹音の傍まで近寄り、立ち止まった。
顔は俯けられたままなので、至近に立つ鷹音には彼女の表情が伺えない。――と、
「……筱川さんの……」
紗夜の顔が勢いよく上がる。そして流れるように右手が振り上げられ、
「このっ、ろくでなしぃ――――ッッッ‼」
直後。
パアァンッ! と乾いた音がフロア内に反響した。怒りの剣幕で叫んだ紗夜が、一切の容赦無く、その右の掌で以て鷹音の頬を打ち叩いたのだ。
これには、先程から成り行きを傍から見ていた市乃瀬遥も、平手打ちを受けた当人である鷹音も、思わず言葉を失った。
誰も言葉を発さない完全な沈黙が場を支配する。
やがて鷹音は、叩かれた左頬にそっと指先を触れながら、ゆっくり紗夜の方へと向き直り……直後に瞠目した。
紗夜がその円らなふたつの目に、涙を浮かべていたのだ。
「……もういい。筱川さんには失望した」
流涙するのを必死に堪えようとして、けれど抑えられないで頬に雫の光を湛えて。
キッと眉を吊り上げて鷹音を睨み付ける少女は、声を上擦らせつつも叫んだ。
「筱川さんなら助けてくれると思った! 筱川さんなら、どんなに希望が無くても諦めないで立ち向かってくれると思った! ……私が憧れて、いつかそんな人になりたいって願って、そうして目標にしようと決めた人は、こんな人じゃなかったッ‼」
このフロアどころか監理局内全体に響くほどの声量で言葉を放った紗夜は、再び顔を俯けると、そのまま鷹音に背を向けて走り去って行ってしまった。
素早い足音が続き、やがてゴウン、と言う重厚な駆動音が鷹音の耳に届く。
廊下を真っ直ぐに駆けていった紗夜がエレベーターに乗って階層を移ったのだと分かった。
後に残ったのは虚しい静謐だけ。
呆然と立ち尽くす鷹音に、少しばかり気まずそうな視線を向ける市乃瀬遥は、静かに口を開いた。
「女の子を泣かせてしまうなど、最低ですね、筱川鷹音」
「いや……まぁ、うん。こればかりはどう弁明したところで無意味だろうね」
未だ微かに残る頬の痛みを感じながら、筱川鷹音は言う。
「でもこれで可能性は一つ消えた。あの子はどうも、俺に希望を抱き過ぎている訳だけど。あれだけ頑なに拒んでしまえば、これ以上、俺みたいな浅薄な望みに頼る事も無くなる」
「……安易に手近な救いへ手を伸ばてしまったが故に凄惨な結末を迎えた者は数知れない。謂わば貴方は、彼女がそうならないための戒めですか」
「そんな大層なものでもないけどさ。何がどうあれ、俺が戦いに出る事は有り得ないんだから」
そう言うなり、遥に背を向けて歩き出す鷹音。
「どこへ行くのですか」
「家に帰る……と言いたいところだけど、生憎と最後まで紗夜の面倒を見なければならない。まぁ、非戦闘員は非戦闘員らしく安全な場所で怯えているさ」
「待ちなさい!」
鋭く呼び止められ、鷹音の足が自然と止まる。
だが変わらずこちらを振り向かないままの彼に機構管理課副主任の女性はつかつかと歩み寄ると、ポケットから一枚のカードを取り出し無言で鷹音へと差し出した。
提示された〝それ〟を傍目で見やった鷹音は、思わずと言った風に顔を顰めた。
「……何を考えている。それを俺に見せて、何の意味がある?」
遥が取り出したのは、全ての機士が例外無く所持している、光彩量子励起システム・ホロウへのアクセス権限を唯一備えたカードキーだった。
姓名や生年月日が記載されているそれを真っ直ぐに掲げながら、遥は眉を潜め険しい表情を浮かべて言った。
「華嶋李夏と射葉章蔵から連絡を受けました。筱川鷹音、貴方の無期限休暇登録を解除し、ホロウへのアクセス権限を本来の状態に戻せ、と」
「なっ……!」
「監理局は既に、貴方を正式な戦闘員として呼び戻す決定を下しました。専用ギアの
「ちょ、ちょっと待て!」
鷹音は張り詰めた声音で言う。
「俺は辞職願を出した筈だ。それなのにどうして監理局はそんな決定をした? 戦闘意思のない者や既に辞職の申請をした者を機士として出撃させる事は禁止されている……誰でも知っている決まりごとな訳だけど。それとも、今が緊急事態だからと言う特例事項でも当て嵌めるつもりか?」
「勿論それも理由の一つなのでしょうが、もっと単純なのではありませんか?」
「単純な事?」
僅かに言い淀んだ鷹音に、遥は目を逸らす事無く、真摯に答えを告げた。
「監理局は貴方の意思を認めなかった。つまり、これからも当局の機士として神屍討伐の任に就き、人類復興の為に力を使え、と言う事なのでしょう」
「ッ……ふ、ふざけるな!」
声高に怒鳴り、遥の腕ごと差し出されたままのカードキーを払いのける。
床を滑ってゆくアクリル製の板はやがてフロアの端にまで至り、壁にぶつかったところで動きを止めた。
「貴方達はどこまで身勝手なんだ! 個人の意思を完全に無視して、自分達の希望ばかりを押し付けてくる。俺の事だけじゃない、彩乃さんの時だってそうだった! 神屍に襲われて意識を失ったあの人を、監理局は個人責任だと言ってろくに病院の手配もしなかった! 最終的に全ての対処を行ったのも朝唯だったじゃないか!」
叫ぶ。
喚く。
溜めに溜めた不満や鬱憤を、一度に吐き出す。
「だから俺は二年前、ここを去ったんだ。人類の為に力を尽くしてる者に一切の敬意を払わない貴方達に心の底から嫌気が差して。……昔も今も、何も変わっていない! 人々が危険に晒されていると言う状況を、自分達の繰り返してきた悪辣な体制の免罪符にはするな! 散々俺達を弄んで使い潰して、いざ苦境に立たされれば掌を返して頭を下げて……全てが自分にとって都合が良いように事を運べると思うな!」
その言葉は恐らく、聞く者が聞けば人類を無碍にした最低な発言だと思われるかも知れないだろう。だがそれは間違い無く鷹音の本音であり、偽らざる真実であった。
三年前、信頼する相棒の湊波彩乃が正体不明の神屍に襲われ、以来ずっと心神喪失状態に陥っている。そこから一年間は惰性的に神屍の討伐任務を受けていたが、それも長くは続かず、やがて完全に監理局への足が途絶えた。
それが二年前の事である。
筱川鷹音が機士としての任を放棄した理由は、常に傍にいた彩乃を失った事による喪失感や彼女を救えなかった自分に対する嫌悪感が大部分を占めているが、確かに少なからず、監理局側の後ろ暗い面も影響していたように思う。
当時の彼は未だ精神が成熟していなかった事もあり、監理局に体制や与えられる任務に何の疑問も抱く事無く従順に役目を果たしていた。
――が、今になって実感する。
監理局は機士や支機官を自分達の駒としか思っていないのだと。
勿論、監理局に配属された者全員がそうではないと分かっている。
自分の事をずっと心配してくれていた華嶋李夏や、ガサツだが何かと面倒見の良い射葉章蔵、そしてきっと、目の前に立つこの女性も同様に……。
その思いは、鷹音も強く感じていた。
しかし。
(……いや、)
これは全て言い訳なのだろう。
機士の役目から離れた原因には確かに監理局の体制も関与していた。
だが今、こうして再びかつての立場に戻る事を拒んでいるのは、また別の理由があるからだ。
(俺は結局……戦場に立つのが怖いだけだ)
今日の中で何人もの人間に話してきた〝適当な答え〟が、的を射ていた事に今更ながら気付く。
当然だ。
二年も前線から離れていれば感覚などとうに失われている。
かつて誰よりも多く神々を撃滅した戦闘者として死地を駆けていた彼と言えど、今では凡人も同然だろう。いくらホロウを使用したとしても、望む事の出来る可能性など限られている。
「……すまないけれど、やっぱり俺は――」
改めて自分の意志を伝えようとしたところで、不意に、鷹音のポケットに入っている携帯端末が振動し始めた。言葉が途切れ、僅かな硬直を強いられた鷹音に対して、市乃瀬遥は電話に応じても良いと視線で告げた。
端末を取り出し、画面を見る。
驚いた事に、電話の主は射葉章蔵であった。
以前は頻繁に目にしていたこの電話番号も、今では見なくなって久しい。
ほぼ二年ぶりに掛かって来た射葉からの電話に、鷹音は訝し気な視線を送る。
まさか彼も市乃瀬遥と同じく自分を説得するつもりだろうか。
恐らく射葉は騒乱の渦中に立っている筈だ。電話をする暇があるなら他の機士の到着を急がせればよいものを、と思いつつ、呼び出しに応じる。
だが、鷹音が耳元に電話を持ってくるよりも早く、射葉の嗄れた声が飛び込んできた。
『オイ鷹音! てめぇ今すぐ二十九階まで降りてこいッ‼』
「……二十九階? 何で俺がオペレーションフロアなんかに」
『細けぇ事はコッチ来てから説明してやんよ! とにかく急いで来い! ちょっとマジで予想外の事が起きちまったんだよ‼』
予想外? と鷹音が鸚鵡返しに聞くと、支機官の統括管理主任である男は重々しい口調で言葉を吐いた。
『お前が連れて来たあの嬢ちゃんが、勝手にホロウ使って監理局を飛び出しちまったんだよッ‼』
――波乱は更に続く。そんな予感があった。
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