天易真兮氏の哲学講義

しゔや りふかふ

哲学講義 実在ではなく実存、空を絶する龍肯

「なぜ、存在ではなく、非存在なのか」


 そんな問い掛けよりも、天易真兮(あまやすまことや)氏の風体にぶっ飛ぶ。


 弱冠二十五歳、上から順番に見遣れば、被っている帽子は、いわゆる魔女の帽子、黒いサテン地のウイザード・ハットであるが、その尖がった山は折れて斃れ、尖端を広い鍔の上に接地させていた。


 髪は長くて尻を蔽う。


 片眼鏡(モノクル)を掛けられる丈の鼻梁があり、鼻先は尖っていた。


 頬や顎は頬髯と顎鬚とで見えない。口髭も唇を蔽った。いずれの髯も鬚も髭も、臍下丹田にまで達する。


 上着は水色のパステル・カラーに染められた繻子の生地から仕立てた、十九世紀の欧州のミリタリーコートふうの服であった。わかり易く言えば、『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』のレコード・ジャケットで、ポール・マッカートニーが着ていたような丈長の儀装の軍服である。ただし、真兮氏の服は金の紐飾りや房飾りが不断(ふんだん)に盛られていた。


 上着の下のシャツは、深く濃く暗鬱な緋色のベルベットで、同色の絹糸でペイズリー柄が織り込まれている。


 ベルトは深いタン色の太い皮革製で、ジーンズは十六オンスの生地があちこち破れているスキニー・タイプのもので、マッチ棒のような脚を余計細長く見せていた。ちょっと、カリカチュア的である。


 靴は蛇皮のロング・ブーツだが、かなり草臥れていて、撓んでずり下がり、何となくルーズ・ソックスみたいな型になっていた。


 海宝石のキャラバッシュ・パイプを愛用しているが、構内では吸えない。


 扨(さ)て、冒頭の奇態な発言も、そんな奇妙奇天烈な風姿にかき消されるかと思えば、意外にそうでもなく、学生たちは騒めいた。


 そう、その言葉が言われた場は、眞神眞義塾の究極原理究明解析講座の、真究竟真実義に関する天易真兮氏の講義のさなかである。

 彼は講師を依頼されているのであった。 


「驚くなかれよ。扨て、諸君らはライプニッツの有名な言葉をご存知に違いない」 

 莞爾と笑い、

「なぜ、非存在ではなく、存在なのか。すなわち、なぜ、無ではなく、何かが存在するのかを問うた。ライプニッツはさように設問した」


 片眼鏡の位置を片手で調整し、

「しかしながら、非存在と存在の定義が明晰判明でない以上、それを入れ替えても、差異はないことになる。

 また、そうであるならば、むしろ、あるのは、非存在の方であって、さよう仮定するならば、小生たちは今ここに在るものが「非存在であって、なぜ、存在ではなかったのか」と問うことができることになる」


 騒めきは已まない。


「諸君らのうちに、なぜ、定義が明晰判明ではないと小生が言うのか、と疑念を持つ者がいれば、小生はこう言おう、よく顧み給え、と。

 どのようなものでもよいから、一つの事象、又は一つの概念を取り上げて、甚深に分解し、徹底して味わい、噛み分けて見給え。

 すなわち、畢竟のところ、それが何であるかの説明を、不退転に徹底して試み給え。これ以上は説明できない極限に、終の涯に、いかほどもなく、直ちに、突き当たってしまうであろう。

 果てにぶつかれば、畢竟、「それだから、それだ。そうだから、そうだ」としか言えなくなるであろう。

 すべて究めれば、辣韭の皮を剥くように、最後には何も残らなくなる。

 つまり、究極に於いて、小生たちは、明晰ではない何かを、無条件に前提・基礎としながら、その礎石上に思考という構築を、論理という定款・設計に遵って組み上げ、建築している。

 その根拠を、深く深く奥の奥の奥の最後の究極の根本まで遡って解析すると、そこに残るのは、ただ、納得丈だ。納得などという、ただ、ただ、心的な、情緒的な現象が在る丈である。それしかない。

 ほとんど、唐突、と言っていい。

 小生らが観照する限りに於いては、いわれも、ゆえんもまったく見当たらない。

 ただ、あるのみで、何もない。

 零すらもない。無などさらさらない。空を絶する。

 ただ、現実が在る丈。

 見廻して見給え、そうではないかね。諸君らも、よく知る現実だ。

 そういうことなのだ。古来、色即是空と云うゆえんである。

 一切は皆、〝空〟である」


 静まり返った。


 真兮はさらに言葉を紡ぐ。


「こうなってしまうと、ここに至るまでの一切の考概は、何であったのか、何ごとか、という問いになる。しかも、その問いも虚しいことになる。もう、放擲的な『とてもかくても候』なことでしかない。

 どこにも到達できない、着地しない、宙ぶらりんって奴さ。放置しかない、現状渡しである。

 未遂不收って奴さあね。

 何にもならない、何でもない、ってどころぅぢゃぁない。

 すべての論議は一歩も進めない。進めなくて悪い理由も存在できない。現状のまんまだ。

 ただの現実だ」


 ポケットから、ホーナー社製のハーモニカ、単音十穴の『Blues Harp』を出し、二小節ほど、吹いた。


「ってことだ。

 絶空ってことは、何ものでもないでもない。逆に言えば、全網羅・全肯定だ。すべてを網羅するならば、すべてを網羅しないことも網羅するからだ。それ丈じゃない。すべてを網羅しないこと丈を網羅する。則ち、単にすべてを網羅しない。

 又、或る一つ丈をも網羅する。或る一つ丈を網羅すること丈を網羅する。単に、或る一つ丈しか網羅しない。

 出なければ、全網羅ぢゃぁないって訳さね。

 この構造は、全肯定も然りである。同じ構造を持つ」


 全員が耳を傾けていた。


 水を打ったような静けさ。


「すべてを肯定する、際限のない、見境のない、あらゆるかたちのない、自由な、あまりにも自由なる肯定。現実そのもの。

 偉大なる、大いなる、神がごとき、龍のような肯定。龍肯だ」

 しばし、感極まったように瞑目し、甚深な瞑想に入る。


 瞼を上げて、閑寂を打ち消すかのように、語り始めた。

「まあ、要するに、手の打ちようがない、未遂不收!ってこと丈でしかないんだが。

 しかしながら、諸君、設問が解に達しなくとも、絶望することなかれ。そもそも、小生らは、このように問うて、何をしようとしているのか」


 少しの騒めき。


「さあ、それを考慮して見給え。

 そもそも、問いとは、何か。いや、それこそ辣韭だ。我々は問うて、何をしようとしているのか。まず、それを考えて見給え。

 さあ、甚深微妙に思考されよ。思考の範疇内で。則ち、架空の、空架のテーマパークの中で。

 まず、「なぜ」と問うことは、選択肢があったことを前提としている。なぜ、○○かと問うことは、なぜ、○○ではなく、○○(である)か、と問うていることだからだ。 

 しかし、実際、選択肢はあったのだろうか」


 学生たちは再び騒めいた。


「諸君らは言うだろう。「そんなバカな、じぶんは右の道を選んだが、あの時、左の道に逝くこともできた」と。

 だが、それは、そう見えていた丈かもしれない。バカバカしいと思うだろうが、飽くまでも仮定の話だ。

 最初から運命が一つしかない、とすれば、実際に左に言っていないんだから、その時に右に逝けたかどうかはわからないのだ。

 それを実証し、確認するためには、その時点に戻って、左に逝かなければならない。だが、それはもはやできない。

 今から、その場所に戻って、左に逝っても、それはただ単に左に逝く運命だったことしか証明しない」


 再び静寂。


「もしも、選択という行為自体が存在し得ないのであれば、理由や原因は、いや、論理の定款、差異ということ自体、概念、思考そのものはまったく空疎な、絶空な、無意味なことになる」


 水差しからコップに水を注ぎ、水を飲む。喉が渇いた、水が飲みたい、という行為を示したのだ。


「なぜ、非存在ではなく、存在なのかというライプニッツの問いには答えようがない。

 そういう問いはたくさんある。

 なぜ、変化はあるのか。なぜ、進化はあるのか。なぜ、無機物は有機物になったのか。なぜ、化学変化するのか。なぜ、四種の塩基と糖、リン酸は寄り集まって核酸をなしたのか。なぜ、DNA(デオキシリボ核酸)と、RNA(リボ核酸)の二つの核酸は細胞を構築したのか。

 だが、運命が一つであれば、それら疑念は意味を成さない」


 微笑しながら、真兮は学生らを見廻す。


「ちなみに、小生ら人類の大思想体系も、DNAやRNAの活動でしかない。即物的なものだ。何者でもない。未遂不収、絶空、全網羅、龍肯、ただ、現実が在る丈だ。

 扨て、諸君、実は、この議論は、実にあたりまえな結論を導き出す」

 演壇の上の資料をしまい始めた。

「すべては、我々に感覚と情緒とを起こさせる。感覚と情緒とでしかない。逆に言えば、実在ではなくても、実存なのだ。

 すべて脳裡に髣髴したものやも知れずとも仮の真。

 だから、自分の日々実践に役立つように捉え、実践的に創意工夫する。今の生活とまったく同じように。

 一例を言えば、世を空と想えば、執著を減じて心に平安を齎す……、という人も世にはいる」


 学生たちは、あ然としていた。真兮は欣然としている。


「まあ、そういう人は特異かもしれない。普通でよい、諸君。

 さあ、今日はここまで。

 それにしても、思い出すのは、古代インド人の知恵だ。彼らは、すべては知覚・感覚などの作用による連鎖・因縁の触れ絡み離れる化学反応の刹那に泛ぶ現象であると見切っていた。

 一切を色・受・想・行・識であると看破していた。

 善哉。実に、そのとおりである。

 科学的にも考えて見給え、色彩は存在せず、光の波長がある丈ではないか。色彩は光線の波長が網膜を刺激して、感覚を引き起こす作用による一定の効果でしかない」

 

 

 

  補遺釋註

 

    色   感覚の起因。

    受   色によって起こる感受作用。

    想   受によって起こされる表象作用。

    行   表象を構成する作用。遷移する素。

    識   様々な行を差異として分別し、形状などを認識する作用。

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