第8話 とある日の人助け
塾からの帰り道。母親が運転する車の助手席に乗っていた俺は、なんとなく窓から外の景色を眺めていた。その時、暗くなった路地に老人が倒れているのを目撃する。
「母さん、止まって!!」
「え!? な、なに!?」
「車を止めて! お願い!」
「わ、分かったわ」
突然、車を止めてと無茶なお願いをする俺に驚く母親。申し訳ないと思いつつも、路肩に停車した瞬間に車のドアを開けて、歩道へ飛び出した。
「悟!? あなた、どこに行くの?」
「ごめん、母さん! 道でお爺さんが倒れているのを見つけたんだ!! 命が危ないかもしれないから、急いで確認してくるね!」
車で通った道を、自分の足で走って戻る。お爺さんが倒れていた路地まで、すぐに到着した。そこに老人が倒れているのを発見する。見間違いじゃ無かった。
白髪で髭を生やした、80代ぐらいの小さなお爺さん。チェック柄のポロシャツと黒のスラックス。身なりは普通っぽい。誰かに襲われた、とかじゃなさそうだ。
「大丈夫ですか!?」
「あ、あぁ……何も問題ない。気にしないでくれ」
俺が声をかけると、返事しながら倒れていた地面から起き上がろうとする。そんなお爺さんの背中を、俺は手を添えて支える。
とりあえず、意識はあるようなので少しだけ安心する。だけど、まだ心配だった。
「顔が真っ青ですよ」
「少し休めば、大丈夫じゃよ」
お爺さんは大丈夫だと答えるけど、ゼーハーと苦しそうな呼吸を繰り返していて、顔も真っ青だった。
「救急車を呼びましょうか?」
「いや、いらん。救急車なんて必要ない。そんな大事じゃないからな」
今すぐ119番に電話をかけたほうが良いと思う。だけど本人が必要ないと言っているので、しばらく様子を見ることにした。危なそうなら、すぐに電話できるように心構えだけしておいた。俺はまだ携帯を持っていないから、母さんが来てくれるのを待つ必要があるけど。
「さとるー?」
「ここだよ、母さん!」
「もう! 勝手に1人で走っていっちゃ、ダメでしょ!」
「ごめんなさい」
ちょうどのタイミングで、母さんが来てくれた。母さんが俺を注意するのは当然のことだと思う。ちゃんと説明してから、お爺さんの様子を見に来るべきだったな。
「いやいや! 申し訳ない、ワシのせいなんじゃ。だから、怒らんでやってくれ」
「いえ、そんなことは無いです。僕が、もう少し落ち着いて行動したら良かった」
「そっか。人を助けるため、だったのね。なら、あんなに慌てても仕方ないかしら。お母さんの注意が間違っていたわ」
「いやいや、ワシが」
「でも、僕が」
「いいえ、私が」
3人共、自分が悪いと謝ってしまう。きりがないので、無理やり話題を変える。
「ところで! お爺さん、家族の人は?」
「婆さんも死んでしまって、ホームヘルパーの子も今日は休みなんじゃ」
「そうなんですか」
連絡して、お爺さんを助けに来てくれるような人は居ないのか。ホームヘルパーに連絡しても、休みらしいから悪いよな。
「母さん、この人を自宅まで送ってあげよう」
「うーん、……そうね」
俺の提案に、しばらく悩んでから承知してくれた母親。
「いいや、大丈夫じゃよ。自分の足で帰れるから」
「ダメです。見た所、かなり辛そうですよ。また倒れてしまわないか、心配です」
「この子が心配しているようなので、安心できるようにお爺さんの自宅まで送らせてもらえませんか?」
渋るお爺さんに、母さんも一緒になってお願いしてくれる。
「……申し訳ない。君たちを頼っても、よろしいか?」
「「えぇ、もちろんです」」
ということで、お爺さんを車に乗せて自宅まで送ることになった。
母さんは俺が車を飛び出した後、近くにある駐車場を急いで探して車を停めてきたようだ。そこまでの手間を掛けさせてしまい、申し訳なく思った。
お爺さんを自宅に帰した後、もう一度しっかり謝らないと。
「そこの道を右じゃ」
「はい」
3人で車に乗って、後部座席に座っているお爺さんのナビゲーションと、母さんの運転で目的地に向かっている。車で移動している間に、お爺さんの顔色も良くなって安心していた。
そして今の俺は、何も出来ることはない。黙って助手席に座っている。
「もう、そろそろ。ワシの自宅は、この辺りじゃ」
「はい」
車が住宅街に入っていく。俺の住んでいる家からも、結構近い場所のようだった。そろそろ、お爺さんの自宅があるという場所に到着する。
一体、どんな家なのだろうか。一軒家が立ち並んでいるので、お爺さんも一軒家に住んでいると思うが。
「ここじゃ」
「え!?」
お爺さんのナビゲーションが終了して、無事に目的地に到着した。ただ、母さんが声を上げた。俺も、同じ気持ちだ。
「本当に、ここですか?」
「あぁ。そうじゃ」
車から降りてお爺さんの自宅を確認してみる。そこには、大きな門があった。
左右に伸びる立派な白い塀。そして門の向こう側には、とてつもなく大きな屋敷が見えた。お爺さんは、かなりお金持ちのようだった。
「ここまで送ってくれて、ありがとう。何か、君たちにお礼を……」
「いえ! 私たちは、ご自宅に送っただけなので。お礼を貰うようなことは何も」
お爺さんは助けてくれたお礼をすると言ってくれたが、母さんがやんわりと断る。俺も、母さんと同じ気持ちだった。見返りを求めて助けたわけじゃない。
お爺さんを助けたのは、母さんが運転する車だった。母さんがお礼を拒否しているから、俺もお礼なんて受け取らないでおこう。
「いや、しかし何か……」
「辺りも暗くなってきたので、遅くならないように私たちも急いで家に帰りますね。さぁ悟、行きましょ」
「うん。それじゃあ、お爺さん。今日は、ゆっくりと休んで下さい」
お爺さんの返事を待たずに、俺と母さんは急いで車に乗り込んだ。そしてすぐに、車が走り出す。そのまま俺たちは、何もなかったかのように自宅へ帰った。
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