第6節
ヴェルレーヌ夫妻に束の間の平和が訪れた。市役所を罷免されて以来無職だったヴェルレーヌは新しい就職先も決った。彼はその保険会社に毎朝出かけるようになった。夕食には家に帰るようになり、晩は夫婦そろって外出した。その頃、ヴェルレーヌはルイ‐フォランという若者と親しく付き合っていた。フォランは後に漫画家として有名になったという。フォランと一緒に食前(アペリ)酒(チフ)を飲んでも度を越すことはなかった。ある日、ヴェルレーヌは妻にこう洩らした。「僕は褐色の牝の仔猫と一緒に居ると良い人間になる。あれは優しいからね。でも、ブロンドの牝の仔猫と一緒だと悪くなる。こっちは獰猛だからね。」「褐色の牝の仔猫」はフォランであり、「ブロンドの牝の仔猫」はランボーを意味した。
しかし平穏な暮らしは長く続かない。ヴェルレーヌはカフェからこっそりランボーに手紙を書いていた。もう少し我慢してほしい、君を遠ざけたのは不本意だった、というような手紙だ。ヴェルレーヌはランボーもマチルドも失いたくないのだ。プチフィスが書いているように、「二つの玩具を示されて選択を迫られているのに、両方とも欲しがって二者択一の場合もあるという道理を弁えようとしない子供に似ていた。」ランボーからはマチルドの「気まぐれ」の犠牲にされたことへの不満を連ねた手紙がきた。何か仕事を探してはどうかと書いてやると、ランボーは、「爪が目から離れている以上に、仕事なんか僕の念頭から遠くなっている。この俺なんて糞くらえ! 」この後、「糞くらえ! 」を七回繰り返し、「僕が進んで糞でも食らうのを見れば、僕を食わせてやるのが高くつきすぎるなんて思わなくなるでしょう」(*)と書いてよこした。五月になると、ヴェルレーヌはランボーをパリに招く手紙を出す。その文面には彼等二人の同性愛の関係を示唆する表現がある。しかしこのようなこともランボーにとっては「見者」を目指す「あらゆる感官の放埓」の一つに過ぎなかったようだ。ヴェルレーヌと別れた後のランボーには同性愛の事例は見られない。ヴェルレーヌにはいくつかあるようだが。
ヴェルレーヌとランボーの「放蕩」関係において、主導権は常にランボーにあったと思われる。ピエール‐プチフィスは前掲書の中で、二人が出会い話を交す中でヴェルレーヌがランボーに感化される様子を描いている。「見者」を目指し、「醜悪に、犬儒的に、残忍に、怪物的になる」ために放蕩の限りを尽す「苦行」に耐える決意をしたとランボーは語る。そのような試練の中でこそ「詩人」は鍛えられ、純化するのだ。「
ランボーは五月の初めにパリに帰ってきた。早速ヴェルレーヌの変調が始まる。夜十一時頃、酔っ払って帰宅した彼は乳飲み子のジョルジュを母親の家に連れて行くと言い出す。マチルドとモーテ夫人が説得するが聞かず、女中を子供に同行させるという条件だけを受入れ、彼の子供を連れて行った。さらに五月九日、酔って帰宅したヴェルレーヌはささいなことで妻と口論、顔を殴り、「私を殺してくれた方がましだわ」とマチルドが言うと、マッチを擦って妻の毛に火をつけようとした。また別の夜、両手首と腿に短刀による傷を負って帰宅。本人はフェンシングをしていて怪我をしたと説明したが、全治二週間以上もかかる傷。実はこれはランボーの「実験」によるものだった。シャルル‐クロの話によると、ランボーはカフェ「
この頃、ランボーはリュ‐ムッシュー‐ル‐プランスの屋根裏部屋で詩作に精を出していた。六月に出したドラエー宛の手紙で、「近頃、僕が仕事をするのは夜だ。真夜中から朝の五時まで。(略)午前三時、蝋燭の光が蒼ざめる。鳥という鳥が一斉に樹間で囀る。おしまいだ。仕事なんか手につかぬ。あさぼらけの得も言われぬ時に魅せられて、僕はただもう樹々や空に眺め入る他なかった」と書いている。この頃彼が書いていたのは「後期韻文詩」として纏められている詩編であって、彼はその制作において「言葉の錬金術」を実践したと言われる。ランボーはドメニ―宛の「見者の手紙」において、詩の言葉について次のように述べていた。詩人は「自分の拵え出したものを嗅がせ、触らせ、聞かせなければならないだろう。彼があちら側から持ち帰るものに形があるなら形を与える。定形のないものなら無定形を与える言葉を見出さなければならない。(略)かかる言葉は魂のための魂に属し、香、音、色、すべてを約言し、思想を鉤でひっかけて引き寄せる思想とでもいえようか。」ランボーは言葉によって嗅いだり、触ったり、見たり聞いたりできるモノを現出させようとしていたのではあるまいか。言葉によってモノを作り出すこと、それが彼の「言葉の錬金術」だったと思われる。『地獄の季節』の中の「錯乱Ⅱ」に〈言葉の錬金術〉という項目があり、そこには「おれは母音の色を発明した―A は黒、Eは白、Iは赤、Oは青、Uは緑。―おれはそれぞれの子音の形態と運動とを規定した。そして、本能的な律動によって、いずれの日にかは、あらゆる感覚に近接し得る一つの
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