Ⅱ 見者の時代

第1節


   1 見者の意味するもの


 「見者の手紙」と言われるものが二つある。一八七一年五月一三日付のイザンバール宛の手紙と、一八七一年五月一五日付のポール・ドメニー宛の手紙だ。ポール・ドメニーはイザンバールの友人で詩人でもあった。イザンバール宛の手紙には、「今、僕は放蕩の限りをつくしています。理由ですか? 詩人でありたいからです。そして、見者になろうと努めています。さっぱりわけが判らないでしょう、僕だって先生に説明など殆どできそうにありません。の放埓によって未知に到達するということです」とある。(傍点原文、以下同じ)ドメニ―宛の手紙では「僕は言おう、見者であらねばならぬ、見者にならねばならぬと。《詩人》は、の、長期にわたる、広大無辺でしかも理に即した放埓により、見者となる。愛、苦しみ、狂気のあらゆる形態。彼は一切の毒をみずから探り、自己の中に汲みつくし、その精華だけを保持する。すべての信仰、すべての超人的の助けを必要とする言語を絶した拷問、それによって詩人は、衆に抜きんでた大病人、大罪人、偉大な呪われ人―そして至高の《学者》となるのだ! 未知に到達したのだから! 」とある。これが「見者」という言葉が出てくる最初であり、最後だ。しかし、ランボーにとって極めて大切な言葉であることは確かだ。

 「見者」には二つの大きな意味がある。一つは詩における客観性の追求だ。逆に言えば主観性からの脱却である。イザンバール宛の手紙のなかで、「実際のところ先生はご自分の原理の中に、主観的な詩しか見ていません。(略)おまけに、先生の主観的な詩は、常におそろしく味気のないものでしょうし、いつかは、―これは僕だけでなく、他の者も同じことを望んでいるのですが、―先生の原理の中に、客観的な詩を見つけるつもりです」とある。なぜこのようなことが問題になってきたかというと、文学史的に考えると判りやすい。当時はロマン主義の詩が行き詰まり、ロマン派の詩に対する「異議申し立て」(ドミニック‐ランセによる)をする詩人たちが力を得ていた時代だ。高踏派がその代表だ。個人の内面に対象をおくロマン主義の詩はどうしても主観的で個人的な内容のものになりやすい。高踏派のリーダーのルコント‐ド‐リールはその『古代詩集』の序文で「個人的なテーマと、あまりにくりかえされたその変奏とは、もはや注意を引くことができはしない(略)心の苦しみだの、それに劣らず苦い快楽だのを公衆に告白することのうちには、無意味な虚栄や冒涜がある」と書いた。そして彼自身は空間的、時間的に離れた古代や異国に詩の題材を求め、没個性、没主観の詩をつくろうとした。さらに彼は『美』に客観性をもたらそうとし、当時の実証主義理論に影響され、詩に科学の厳密さを導入しようとした。高踏派にはこれといって共通する主張はなかったのだが、ロマン主義の過剰な心情吐露にはうんざりしているという点では共通していた。高踏派の詩人を評価し、その中に加えて欲しいという願いを抱くランボーがその影響を受けるのは当然だろう。詩の主観性からの脱却は「これは僕だけでなく、他の者も同じことを望んでいる」問題だった。そしてそのためにランボーが採った方法が、「あらゆる感官の放埓」だった。自我意識を形成するあらゆる感官の「錯乱」によって、自我の圏外に自己を置こうとするような試みではなかったかと思われる。彼はドメニ―宛の手紙で「詩人たらんと志す人間の第一に学ぶべきは、自己の認識である、それも完全な。彼は自己の魂を求め、点検し試みにあわせ、魂を知る。知ったらすぐ、魂を耕さなければならない」と書いている。この過程が「あらゆる感官の放埓」にあたるようだ。「『我』とは一箇の他者である」という言葉を二つの「見者の手紙」で繰り返しているが、結局言いたいところは自己の相対化であり、それによる自我意識の殻からの脱却だったと思われる。

 「見者」が持つもう一つの意味は「未知」という言葉に関係する。「見者」は「未知に到達する」存在なのだ。ここで私はプロメテウスを思い起こす。岩に縛り付けられたプロメテウスは未来を予知する彼の能力によって神々と対抗するのだ。彼の言葉は予知であり、いずれは現実となるものだ。しかもそれは彼にしか判らない。神々も黙って聞くほかはないのだ。実際ランボーはドメニ―宛の手紙のなかで「詩人はまことに火を盗みだす者なのだ。彼は人類を、さらに動物までをも肩に担っている」と書いている。「火を盗みだす者」とはプロメテウスに他ならない。イザンバールもランボーは、プロメテウスに「詩人の魂」を発見したと書いていた。

 さて、「未知」という言葉にプロメテウスが関わっているとするとどうなるのか。詩人の言葉は仮初の虚言ではなく、いずれ実現されるという重みをもつことになるのだ。アラン‐ボレルは書いている。「創造者たる詩人(略)は、言葉によって物に働きかける能力、つまり名付けることで創造する能力を備えている。そしてまさにこの意味においてランボーは(略)自らを『神と同等の者』とみなし、神のライバルたるプロメテウスとみなした」(『アビシニアのランボー』「生きる」)行動の人であるランボー、現実の変革に熱い関心を持っていたランボーは、「見者」は「未知に到達する」というところに変革の契機を含ませたのだ。詩人は「未知」を言葉にすることで世界を創造し、変革するのだ。こうして詩を書くことも行為となった。ランボーの変革は労働者の方を向いている。ドメニ―宛の手紙にそれが出ている。「見者」が「未知に到達し、そして、夢中になって終いに自分の見たものを理解する力を失おうとも、その時、彼はそれらを見たことは、見たのだ! (略)彼はくたばるがよい。他の恐るべき労働者たちが代りにくるだろう。前者が倒れた地平から、彼等は仕事を始めるのだ! 」「見者」の事業は労働者によって受継がれる。ここに「見者」が創造する世界の性質が端的に示されている。さらにもう一点付け加えれば、「見者の手紙」が書かれた時点はパリ・コミューンの潰滅が二週間後に迫っていた時点だった。イザンバール宛の手紙には「あちらでは、僕がこの手紙を書いている今もなお、労働者が続々と死んでいるのです! 」とある。コミューンの敗北はすでに明らかだった。コミューンの敗北は社会変革のための具体的行動が消失することを意味する。こうした時点でランボーが「見者」を出してきたことに注目する。ランボーにおいて、コミューンの代替としての意味合いを感じるのだ。「未知に到達する」「見者」となることで、現実変革の行動を継続しようとしたのではあるまいか。ドメニ―宛の手紙の末尾には「一週間後には、多分パリに行っているかもしれません」と書いている。ランボーは終末の近いパリ・コミューンになお参加する気持ちを持っていたのだ。「見者の手紙」にパリ・コミューンに関係する記述が二箇所あることに、「見者」と現実変革との相関を思わないわけにはいかない。「見者」とは、普仏戦争とパリ・コミューンという動乱の時期に詩人としての覚醒を迎えたランボーが見出した、或いは創出した変革の道だった。


  

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