第4節


   2 ドラエーとの対話


 二度目の出奔から戻ったランボーは翌年二月末までシャルルヴィルに「踏みとどまる」。学校に行かないランボーには時間があり、彼は「平俗、悪意、陰鬱」のなかで過ごす憂さをドラエーとの交友で晴らそうとした。その頃教師たちは国民軍兵士として動員され、授業も行われなくなっており、ドラエーも暇だった。かくして二人は「散歩と閑談」に多くの時間を費やすことになる。ドラエーが書き留めたランボーとの対話は当時のランボーの思想を伝える貴重な資料だ。そのなかから注目されるものをいくつかあげたい。

 ランボーが「レアリスムの精神の故に」「観察の文学」を愛読していたという記述がある。ランボーは上着のポケットから、フローベールの「ボヴァリー夫人」やディケンズの「困難な時世」の翻訳などを取り出すのだ。そして彼のリアリズム論を展開する。「悲観主義ではないよ、と彼はきっぱり言うのだった。悲観主義者は衰弱した精神の持主だからというのである。追求された現実こそが、真の楽観主義であり、それこそが健全で神聖なものの部類に属するのだ。よく見ること、すべてを近くによって仔細に観察すること、そして恐れることなく、正確に、現代社会生活と、それが人類に及ぼすさまざまな歪曲の実態、すなわちそれによってもたらされるさまざまな悪徳や弊害を、描きつくすこと。…偏見、愚昧、失策、要するに『悪』というものの正体をしっかりと見すえて、そのことによってその崩壊の時期を早めること。このような厳しい研鑽の後にはじめて、信仰と希望と慈悲というものも得られるのではなかろうか? 」これは少年らしからぬ成熟したリアリズム論だ。現実と文学の緊張した関係についての認識がランボーにはあったことが分かる。このことに関連して、イザンバールが国民軍に入隊を志願する自分とランボーの「熱狂」に文学が「介入」していたことを述べた箇所がある。彼等は入隊を志願する前の六月と七月に、シャルルヴィルのイザンバールの自宅でアイスキュロスの「縛られたプロメテウス」を読んでいた。火を盗みだして人類に与えために、天帝ゼウスの怒りにふれ、岩に鎖で繋がれたプロメテウスはゼウスや神々を相手にして屈しない。そのプロメテウスの冒頭の呼びかけの言葉が、「既成事実や、ビスマルクのいわゆる『征服セラレタル者ハ不幸ナルカナ』や、仕かけられたすべての攻撃や、そして臆病風とそれに支えられた卑怯な振舞い、こういったものすべてに対する私たちの反抗心を涵養していた」という。ランボーはそこに「詩人の魂」を発見したとイザンバールは書いている。プロメテウスの存在がランボーが描く詩人像に大きな影響を与えていたのは確かだが、それは後で述べよう。イザンバールの言う通りであれば、ランボーは文学が人間の行為に影響を与え得るということを自ら体験していたことになる。彼の思想の中で文学は現実と結び付いていたのだ。

 ランボーとドラエーは「愛の森」と呼ばれる公園やその周囲をよく散策したのだが、ある日その近くにあった果樹園がそっくりなくなっているのを目にする。軍の駐屯司令官が敵の接近に伴い、要塞の周りから防備の邪魔になるすべてのものの撤去を命じた結果だった。森の裾にあたる楡や菩提樹も伐り倒されていた。「残念だな!…」とランボーは言うが、やがて「破壊が必要なこともあり得るさ…」と口ごもるようにして呟く。それから急に勢いづいて、嘲るような、しかしきっぱりとした口調で「ほかに伐り倒さなければならない老木が何本もある。(略)」「この社会自体がそうなんだ。そこに斧や鶴嘴を入れて、地ならしのローラーをころがすべきだ。《谷はすべて埋められ、丘はすべて削り取られるだろう。曲がりくねった道は真っ直ぐになり、でこぼこしたところは平らになる。》財産は破壊しつくされ、個人的な傲慢は打倒されるだろう。ひとりの人間が、《おれは人より権力があり金持だ》などと言うことは、もはや許されなくなるだろう。いやな羨望の念とか馬鹿げた讃美などは、御用済みということになるだろう…」「平和な協調、平等、そして万人のための万人の労働とによって。」ドラエーが質問する。「そのときは、もう必要なものしか生産しなくなるんだろう? 」「そうなったら、何もかもが凡庸になってしまうんじゃないだろうか。豪華なもの、芸術、美しいもの、偉大なもの、みんななくなってしまうんじゃないのかな」ランボーは路傍の小さな一輪の花を摘み取って答える。「見ろよ。これよりも精妙に作られた、美術品ゃ贅沢品を、どこで手に入れることができるだろうか? 今の社会制度がことごとく消滅したとしても、いつでも自然が、無限の変化に富んだ無数の宝石を、ぼくたちに提供してくれるだろう。第一、粗野な金銭欲と馬鹿げた虚栄心に、どんな『偉大さ』と『美しさ』があるって言うんだい? 君は現代の社会を動かしているこれらの原動力が消えてなくなるのが、そんなに苦痛なのかい? 」ここにはルソーの思想によりながらの当時のブルジョア社会に対する批判がある。ランボーの目が社会に対して批判的に向けられていたことが分かる。彼がジャーナリストを目指していたこと自体が現実社会に対して批判的に対峙していこうとする姿勢を示すものであり、それは当然のことなのではあるが。

 ルソーに関して言えば、ランボーとドラエーは当時ルソーの『告白」を読んでいた。ランボーはルソーが「非常に好きだった」とドラエーは書いている。そして、「ランボーは何とルソーによく似ていたことだろうか! 」とドラエーは言う。彼がそのことをある日ランボーに告げると、「彼は感動したときのいつもの癖で、顔を赤らめ、優しそうな微笑をちょっと浮かべたが、何も言わななかった」。ルソーはフランス革命を思想的に準備した人物の一人だ。私は自己の思想的系譜を自覚していたランボーをこの挿話から思い浮かべる。

 パリ・コミューンはランボーの生涯に大きな影響を与えたできごとだ。パリ・コミューンの成立に至るまでの経過を簡単に説明しよう。プロシアに対する徹底抗戦の意志をもたない国防政府は一八七一年一月二八日、プロシアと休戦協定を締結する。そして憲法制定のための国民議会選挙が行われ、王党派が多数を占めた。議会はティエールに行動権を委ねるとともに、次々とパリ民衆の共和主義的、愛国的願望を打ち砕く決定を行った。さらに二月二六日の仮講和条約の締結と三月一日のプロイセン軍のパリ入城は民衆に深い屈辱感を与えた。こうした状況のなかで、国民軍は三月十日、中央委員会を結成して、共和国を死守するという宣言を発した。三月一八日、パリの武装解除を狙った政府軍が地区の民衆に阻止されたのをきっかけに、各地区で次々と蜂起が起こり、その日の夕刻にはパリの権力は中央委員会の掌中に帰した。三月二六日にはコミューン議会の選挙が行われ、三月二八日、市庁舎においてコミューン樹立が宣言された。局地的で短命であったとはいえ、パリ・コミューンは歴史上始めて労働者が中心になって組織された政府であり、労働者の運命を真剣に改善しようとした政府だった。

 ドラエーによれば、パリ・コミューンの成立を知ったランボーは「びっくりするほど陽気な眼つきをして現れ(略)『やったぞ! 』と」言った。「私たちの判断では、一八三〇年(七月革命ー引用者注、以下同じ)、一八四八年(二月革命)と同じぐらいの完全な勝利が得られたのだった。」ランボーは革命に寄せる夢を語る。「ロベスピエール以後に起こったことは問題ではない、(略)わが国は一七八九年(フランス革命)の翌日に戻るのだ。過去は霧消し、圧制はもろもろの偏見とともに、崩壊するのだ。」「これからは人間精神が、どんな拘束を受けることもなく、とどまるところを知らずに、自らの野望に向かって前進してゆくときなのだ」「社会革命は、知的教養の手段を万人に平等なものとなし、同時に技術の力をすべての人に分け与える。そのときからは、いかなる発明の才も不毛に終わることはなく、科学の活躍はめざましいものとなるだろう。生産を保障する物質的労働が占める比率は著しく減少し、貧困が揚棄されるために粗野な肉欲も影をひそめて、人間の生きる目的は専ら知性の獲得ということに絞られるであろう。」ここには科学と人間の知的進歩に対する期待と信頼が見られるが、これはランボーの生涯に一貫するものだった。彼は一八七一年二月に第三回目の出奔をするが、その折にはパリ滞在中に「共産主義政体の一試案」(未発見)を書いたという。パリ・コミューンの成立後にはフーリエなどの社会主義文献を乱読している。彼なりに未来の理想社会を探究していたのだろう。四月中頃には第四回目の出奔をし、パリ・コミューンに参加したようだ。ドラエーによれば、コミューン軍兵士たちは、この「徒歩でやってきた一文なしの弟」を熱狂して迎え、彼のために義援金を募集したという。ランボーは「兄弟たち」に飲食物をふるまってお返しをしたらしい。政府軍がパリを占領する直前にランボーは攻囲網を潜り抜け、無事故郷へ帰った。パリ・コミューンはその後、「血の週間」を経て、七万人とも言われる人々が殺され、潰滅した。コミューンの崩壊を知ったランボーは公園のベンチに「神よ、糞食らえ」と書いてまわったという。ランボーには追求すべき社会的な理想があった。それは労働者の解放と結び付くものだったことを確認しておきたい。


   

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