第3節

 母親からは「あの困った子に十フラン前貸ししてやっていただけないでしょうか?それから、すぐ帰ってくるように、追い払ってください」という返事がきた。それは出来ることではなく、イザンバールは滞在していた友人のドヴェリエールとともにランボーを連れてシャルルヴィルに戻った。ランボーの母親は息子をめったやたらと打ち据え、イザンバールをも激しく叱責し、驟雨の中、門前払いした。                  

 ところがそれから十日ほど経った十月七日頃、ランボーは二回目の出奔をする。ランボーの母親からイザンバールに探索の依頼がなされる。「もう、結構! …勘弁してもらいたい! 」と思ったイザンバールだが、とにかく会って話を聞く。「ありがたいことに! 」ランボーの出奔についてイザンバールは何も関わりがないことを母親は認めてくれた。ランボーが向かったというフュメがドゥエに戻る自分の旅程の途中にあることから、イザンバールはランボーの探索を承知する。イザンバールの読み通り、フュメからヴィルーへ、ランボーは学校友達の家に泊まりながら移動していた。ヴィルーの友人は「ランボーなら確かに来ましたよ! でもシャルルロワに向けて出発しちゃいました。あそこの新聞の持主である、デ・セザール氏に頼んで、編集者に採用してもらうつもりらしいですよ…」と言う。イザンバールはシャルルロワに行き、デ・セザール氏に会う。彼の説明によれば、ランボーは最初は非常に良い印象を彼に与えたので、家族と一緒の夕食に招待したのだが、デザートの時になって、「政治家たちについての自分の知識をひけらかそうと思ったのであろう、左右両派、ーとりわけ左派ーの政治家を、下劣呼ばわりする品定め」を始めた。「あの卑しいXのやつ、あのYの変節漢め、あの蚊のようなZの奴め」という口汚ない悪罵だ。「それでまあ、協力の申し出を辞退させてもらうことにしたんですよ。」すると、ランボーは行く先を言わずに去ったという。イザンバールは探索を諦め、自分の当初の計画に従ってブリュッセルの友人ポール・デュランの家を訪ねる。するとそこにはランボーが先回りしていてイザンバールの来訪を予告していた。ランボーは二晩泊まったが、ベルギー見物がしたいと行って、イザンバールの到着を待たずに出て行ったという。デュランはランボーをさっぱりした身なりに着替えさせ、旅費を与えていた。

 五、六日友人宅で過ごしたイザンバールがドゥエに戻ると、家には何とランボーがいた。「ぼくです。また来ました」と言って入ってきたという。ランボーはデュランのお陰で「縁を折り曲げた流行のカラーをつけ、絹の金褐色のネクタイを締めて、まぶしい程のいでたち」であり、「ダンディそのもの」だった。イザンバールはランボーに、追い出したくはないが、引き止める権利もない、警察に知らせる以外に手はない、と話す。ランボーは先生の考えに従うと答え、イザンバールは警察に通告した。ただし連絡を受けた母親が決定を下してそれを知らせてくるまで引取りを待ってほしいと頼んだ。こうしてイザンバールとの二度目の同居生活が始まった。それは一度目と同じく三週間続いた。今回のランボーの暮らしぶりは優雅なものだった。彼は詩を清書して過ごした。彼は大判の罫紙を要求し、日に何度も「紙がなくなりました」と言ってきた。イザンバールは紙を買うための金を何スーかずつランボーに手渡した。イザンバールの叔母が「裏にもお書きなさいよ」と言うと、「印刷用の原稿は、裏になんか書かないものですよ」と答えたという。母親から手紙が届いた。「警察に強制送還を費用なしに依頼せよ」というイザンバールの予想通りの内容だった。他の手段を取ることは断固として禁止していた。息子を手元に取戻す安上がりなやり方だった。イザンバールは警察に行って相談する。警視は「何とかやってみましょう」と言ってくれた。イザンバールはランボーを警察に送る道中、彼の将来のこと、守らなければならない栄誉や品位についての自分の懸念を話し、ランボーはそれを理解し胸を締めつけられているようだった。が、「おそらく私は勘違いしたのだろう」。警視は乱暴な扱いはしないとイザンバールに約束した。イザンバールとランボーは「力をこめて握手した」。それが二人が会う最後となった。

 まもなくしてランボーから手紙が届いた。「のびのびとした自由を切望し」「『何とも情けないね』と言われるようなことを、山ほどもやらかしたくて仕方がない」自分は、家に帰って「息の根がとまりそうです」。「今日にでも飛び出しちぇえばよかったかもしれません」が、「ぼくは踏みとどまりました! 踏みとどまっているのです! 」。「そんな約束をしたわけじゃありませんが、先生の愛情にお応えするために、そうするのです。先生はそう言われました。その愛情に値する人間になりましょう。」さらに「先生に対して抱いている感謝の念は、先日と同様、まったく言い表すすべを知りません。いつかはそれをちゃんと表してみせます! 」とある。末尾には「この《心なし》のランボー」と署名している。(*)イザンバールの家の玄関の扉にランボーは一編の詩を書きつけていた。それは二度にわたって彼を暖かく迎えてくれた家そのものにあてた感謝の詩だったという。


 ランボーのジャーナリストへの志向はシャルルヴィルに帰ってからも続く。ジャコビーという写真家がシャルルヴィルで『アルデンヌの進歩』という新聞を発刊した。この男は生え抜きの共和主義者で、ルイ・ボナパルトのクーデタの後は追放されていた人物だった。帝政の崩壊後、圧伏されていた共和派の人々の復活が全国で見られた時期である。亡命していたヴィクトル・ユゴーもこの時期パリに帰ってきている。ランボーはジャコビーのもとに詩を送り、ビスマルクを風刺した「散文の小傑作」を送り、さらに「彼特有の文体で綴ったいくつかの作品」(ドラエー)を送り続けた。友人ドラエーも美文調の手紙を一通送った。しかしジャコビーはそれらを受理しながら一編も載せなかった。理由は彼等の文章が偽名で書かれていたからだった。そのことを知ったランボーとドラエーはジャコビーに会いに行こうと相談する。それが一八七〇年の十二月三十日だった。ところが翌日、プロシア軍の砲撃がメジエールとシャルルヴィルに加えられた。特にメジエールは六千三百発もの砲弾を撃ち込まれ壊滅状態になった。ドラエーの家も全壊した。ドラエーを訪ねてメジエールに入ったランボーは「荘厳なところは何もない。石油のなかをのたうち回る亀だったよ」とその惨状を表現した。この砲撃でメジエールとシャルルヴィルはプロシアに降伏する。『アルデンヌの進歩』が印刷されていた家もあとかたもなくなり、ランボーのジャーナリストを目指す試みは三度挫折した。ドラエーはランボーの四度目の試みも書いているが、それは省略しよう。


   

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