第25話
想像力が豊かであることを俺は褒められたことがある。とは言え、想像力が豊かであることを誇りに思ったことは今までに一度もない。寧ろ、想像力などなければ良かったのにと思うことさえある。人と目が合えば何を考えているのだろうと想像し、嫌に気持ちになり、集団から注目されれば自分への不満を話しているのではないかと不安になる。
極めつけは今日の出来事だ。クラスメイトが橋の下を覗いていただけで自殺するんじゃないかと焦って泣き喚く始末じゃないか。涙はすぐに止まったが羞恥心がいまだに悲鳴を上げている。
俺と磯ヶ谷は堤防の上を歩いていた。帰り道が彼女と方向が同じなのでそれは仕方がないとして、問題は交差点から一言も会話していないということ。
あのあと橋の下を覗き込んでいた理由を聞くと、友達を探していたのだと言った。
多分それは穂乃果のことだ。深くは追及しなかった。
穂乃果はもう、この世界からいなくなってしまっただろうから。
相変わらず四ノ宮は困ったような顔をしているけれど、こちらが困った顔をしたいくらいだった。退屈そうな、困ってそうな、悲しそうな、よく分からない表情だ。
耐えきれず、それでも視線は月に向けながら俺は口を開いた。
「あのさ、磯ヶ谷」
「なに四ノ宮くん?」
「その桜色のスニーカー」
それは穂乃果が履いていたものと似ていた。偶然とは決して思えなかった。
「これはね、昨日まで友達に貸してたやつ。それでね、四ノ宮くん」
今日の空はとても良く澄んでいる。暗闇の中を煌めく星々が彩り、銀の月が冴え渡る幻想的な夜だ。
何が起きてもおかしくない、そんな気がしていた。
磯ヶ谷は立ち止まり、数歩進んだ先で俺は振り返る。
彼女は悲しい顔をしていた。
「変な話だけど偶然とは思えないから聞くね」
「ああ」
「私の友達に穂乃果ちゃんって子がいるんだけどね、二日前話していた四ノ宮くんの亡くなった友達も同じ名前だった」
「…………」
「今日その子から電話があってね、借りてた靴返すからいつもの交差点で会おうって」
「磯ヶ谷はさ」
何と答えてあげれば良いのだろうか。
「どうしてその子に靴をあげたんだ?」
「それは、片足だけ履いていなかったから……」
「本当にそれだけ?」
息を呑んだ。
「穂乃果ちゃんは前に言ったの。もしも、私が幽霊だったとしたら信じられるって」
「磯ヶ谷は?」
「信じられないよ……ううん、信じたくなかったのかな。そう言ったら、変な事聞いてごめんねって。私、怖かったんだよ。穂乃果ちゃんが元気なかったの初めて見たし、嘘ついてるようにも見えなかったから。だから私、元気出して欲しくて」
靴をあげたんだと彼女は言った。
俺は何を言ってあげれば良いのだろう、どんな言葉が彼女を救ってあげられるのか。
そればかりが思考を埋め尽くしていた。
「四ノ宮くん、私の知ってる穂乃果ちゃんは生きてるよね……?」
彼女の表情を見ているのに耐えられなくなった俺は言葉に詰まり、ついには何も答えず背を向けて歩き始めようとした。
けれど、彼女が背後から俺を抱きしめて何度も「答えて」と叫んだ。
悲しみに襲われるのを急ぐだけだと知ってか知らず。
「だって、だってね四ノ宮くん。昨日まで一緒にお話ししてたんだよ? 子供の頃は何をして遊んだとか、将来の夢とか、四ノ宮くんの小説の話もした……それなのにさあ」
それなのに。
どうして急にいなくなるんだよ、穂乃果。
お別れくらいちゃんと言ってやれよ。
逃げんなよ。
笑顔が素敵な、俺に自慢したくなるような。
「親友になれると思ってたのに……」
磯ヶ谷だって何となく分かってたんだ。
背中を通じて彼女の震えが伝わってくる。
感情的になって泣いているのだ。
なあ、穂乃果。
磯ヶ谷はあとどれくらい大切な人を失えば報われる。
これからも失った誰かのことを決して忘れない優しい彼女は、どうすれば救われる。
「生きてるよ」
いるのなら答えてくれよ。
「穂乃果は生きてる。電話が掛かってきた日は、この堤防で会えるんだ」
「ほんとうに……?」
「本当だよ、今日も会ったんだ」
冷たくなった穂乃果に会った。ベンチの置かれているあの場所で。
磯ヶ谷と仲直りしないと一生後悔するぞって言われた。
まだ、それが出来てなかったんだ。
終わったら出て来てくれるかもしれない。
「穂乃果は言ってたよ、磯ヶ谷は笑顔が素敵な女の子だって。俺に自慢したくなるような親友だって話していた」
「私のことを?」
「だから俺も思ったんだ。そんな良い奴と喧嘩したままとか、一生後悔するって」
伝えよう、ありったけを。
磯ヶ谷なら受け止めてくれる。
お前はいつだってそう。
俺とは違って他人のために涙を流す良い奴なんだ。
「磯ヶ谷」
一歩歩み寄って目を見て言いたかったけれど、抱きしめられてるんだから難易度的には許してくれるだろう。穂乃果もきっと、笑ってくれるさ。
「俺のこと心配してくれてありがとう」
「…………」
磯ヶ谷と出会って笑うことが多くなった。
小説を読んでもらえることは嬉しかったけれど、多分それだけじゃない。
感想を話す時間、意見を言い合う時間、一緒に過ごす時間。
そのどれもが楽しみだったんだ。
輝く時間の全てを鮮明に思い出せる。
お互いにそう思っていたのならこれほど嬉しいことはない。
小説のノートを拾ってくれたのが磯ヶ谷で良かった。
でも、それは偶然なんかじゃない。
落とし物を届けてあげようと思ってくれたから。
俺が小説を読んでもらいたいと思ったから。
全部自分の意思で、選択で、毎日は作られていた。
自分にとっての幸せ、それは皆の中に必ずあるもので、そこに向かって俺たちの意思は動いているのだと思う。
つまり皆、幸せになろうとしている。なれるかどうかは分からないけど、なろうと思わなければなれない。
――幸せとは、なりたいと望まなければなれないものなんだ。
それが俺の答え。
いつか小説にして、また磯ヶ谷に読んでもらおう。
康平にも無理矢理読ませよう。
だけどそのためには。
「そのなんというか」
「…………」
「仲直りをしよう」
「…………」
「仲直りをするぞ」
「…………」
「仲直りをします」
「…………四ノ宮くん」
暫く黙っていた彼女がようやく声を発した。
まだ悲しみが心の中に潜んでいるのか、声は震えている。
「仲直りをしたら私たちはどうなるのかな」
「それは友達に戻るんだろ」
そりゃそうだ、変なことを言うなあ磯ヶ谷は。
「…………」
「なに?」
「…………」
「うっ!」
黙り込む磯ヶ谷の抱きしめて来る力が急に強まって、それから弱まったと思うと彼女は声を上げて笑い出した。
こんな姿を見るのは初めてだった。
「やっぱり何でもないよ」
「やっぱりは禁止なんじゃないの?」
「四ノ宮くんだけだよ」
言って磯ヶ谷は腕を離し、俺の前まで歩み出た。
彼女は光のある瞳でこちらを見て話した。
「さっきここで何を探していたのかな四ノ宮くん?」
「あ、えっと」
何と答えよう。
適当な言い訳を探していると彼女が先に言った。
「もしかして穂乃果ちゃん?」
「…………」
「図星なんだね、うん、大丈夫だよ」
「大丈夫って何がだよ」
すると彼女はこちらに手を差し伸べて言った。
「一緒に探そうよ、四ノ宮くん」
「私たちの大切な親友を」
「二人で……ね?」
――磯ヶ谷の弾けるような笑顔は穂乃果のが、うつったに違いない。
穂乃果もきっと、何処かで俺たちを見て笑っている。
そんな気がした。
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