第22話
放課後の教室、皆が部活なり帰宅した後の静まり返った空間だ。昔の俺はこの空間で一人本を読んでいた。
そのときから思っていたのだけれど、ここで秘密の話合いなんてものをしたらそれはそれで楽しそうだ。けれど、実際はもっと重い空気が流れていた。
想像なんてものは夢を見過ぎているなあ。
教室の窓際の席で三人は一つの机を挟むようにして座った。窓際の向かい合う位置に康平が座って俺の隣に磯ヶ谷が座ったのだけれど、三者面談のようで複雑な気分だった。
康平の閉ざされていた口が開いたのを見て、俺は視線を彼の首より下の方へ向けた。
「四ノ宮、穂乃果の命日で俺が元気なかったから気を遣ってくれてたんだよな。本当にすまんかった!」
康平が言い終えてから俺は視線を上げた。彼のこちらを見る目は相手の返事を知っているような自信に満ちた目だった。康平は良い奴だ。
けれど、時々彼の溢れる自信のせいで選択を強制されている気分になることがある。
彼は更に言葉を紡いだ。
「穂乃果が亡くなって一年になる、気を遣わせちまって悪いとは思うけどよ……四ノ宮にも分かるだろ?」
康平は、自分の寂しさを頷いて同情して欲しいんだ。
教室に風が吹き入ってカーテンが揺れるのを横目に磯ヶ谷を見た。彼女はそれに気が付いて一度頷いてくれたのだけれど、それはきっと俺への期待の目。
二人の目が俺に何かを訴えかけているのが分かって、それがどうしようもなく不快だった。誰かから見られるのが苦手だった。朝登校して教室へ入ったときに視線が集まるのと同じ、黙って自分の席に着くのを強制されている気分になる。
二人の視線が返事をしろと行動を強制してくるのだ。考えている間もない。
頬を撫でる風が不安を煽る悪魔の囁きのように感じられた。
言わなきゃ、本当のこと。でも、今言ってしまったらそれは俺の意思じゃないことを知っていた。それでも焦燥感は俺の唇を、舌を、喉を動かした。
――やめろよ、もう。
かすれたその声は反響しなかったが、心の中で反芻し続けた後に自分のものだったと気が付いた。
自分の音で、自分の言葉で、他人に言わされた。
康平が悪いし、磯ヶ谷だって悪い。
そんなに驚いたような顔をしないでくれ、俺は人間だ。コップを逆さにすると水がこぼれ落ちるみたいに、分かり切ったことになるとは限らないだろうが。
今更かよ。他人の感情で動かされるのは嫌気が差す。
「穂乃果が死んで一年になる、ああ、そうだ。けど、何年経っても康平はそれを引きずり続けるに決まってる」
「四ノ宮……?」
緊張で体の芯が震えているのが分かった。
それでも、脳内描写はもうやめた。
声は抑えて、抑えて小さく続ける。
「康平にとって穂乃果は代わりがきく存在だったんだ」
「そんなわけねえだろ? なあ、どうしたんだよ?」
「つまらない嘘つくなよ」
嘘だ、嘘だ、嘘だ。大嘘だ。お前はいつも演技をして俺を欺こうとするよな、本当は穂乃果の代わりを探してるくせに。
それが悪いことで間違っていることだから、今だって笑顔の演技をしてるんだ。
だったらそれを全部壊してしまおう。
「康平が恋人をとっかえひっかえしてるのは、穂乃果のいなくなった寂しさを紛らわすためだろ。代わりを探してるんだ、それくらい俺にだって分かるよ」
馬鹿馬鹿しいなあ、全く。
穂乃果の言った通り思い出に縛られるのは、馬鹿馬鹿しい。
縛られて偽物の自分を演じる、そんな日常に何の価値があるのだろう。
狭くて、暗くて、冷たくて、この醜い残酷な世界を壊さないように大切にしてきたのは何のためだったんだ。
生きているのか、死んでいるのか分からなくなってしまうこの世界には、きっと幸せなんてものは存在しない。友達関係を同情という泥沼のようなもので繋ぎとめること、自分の価値観を他人に押し付けることでしか人は満たされないのかもしれない。
「康平……」
そうなのだとしたら、俺が一生懸命に考えて来た幸せも醜い偽物だ。
明日の楽しみがあること、それは価値の無い日常から目を背けるため。
結婚をすること、醜い日常から逃れ他人の幸せというエゴを押し付け合う。
良き友を作ること、同じ価値観で泥沼に浸かっていたいだけ。
妹の、誰かの幸せを願うこと、自己満足のためかあるいは目障りなものに蓋をした。
「本当は穂乃果のこと好きじゃなかったんだろ」
途端、彼は椅子を立ち上がり俺の胸倉に掴みかかる。
――康平の睨みつける目が静寂を生んだ。
椅子の倒れる音が盛大に鳴ったのを見て不快感は頂点に達してしまった。
だから俺は前のめりのまま、学ランが皴でよれるのも気にせず康平を睨みつけた。
強い嫌悪をもって。
「掴みかかるだけか、お前は最低だな。お前のやっていることは他人にも、穂乃果に対しても情けない行為だよ。気付けよ、それくらい」
「お、お前がっ!」
――穂乃果を語るな。
「俺がどれだけあいつのことを想っていたかなんて知らねえだろうが!」
知らないのは康平の方だ。
穂乃果がどういう想いで自分の死を受け入れたのか知らないくせに。
康平が縛られていたら彼女は幸せになれない。
「幼馴染だったんだぞ、十何年も一緒にいた相手を失った気持ちが分かるのか!?」
――語るな、語るな、語るな、騙るな、騙るな、騙るな。
文字が頭の中を駆け巡って吐き気がした。
「何考えてるのか分からない、いつもそんな顔しやがって何とか言えっ!」
康平が悪い。
こうなったのも、全部自分が悪いというのに穂乃果や俺のせいにしようとしている。
最低で、哀れで、何も掛けてやる言葉が見当たらなかった。
康平の表情が歪んで胸倉を掴む手が離れていくのと同時に、友情の糸がぷつんと切れた音がした。そのまま彼は、教室を脇目もふらず出て行った。
席に座って漠然と倒れた椅子を眺めていると震える声が俺を呼んだ。
「四ノ宮くん……」
磯ヶ谷は怯えているのだと思った。彼女は悪くない、巻き込んでしまった罪悪感から微笑みを作ってそちらを見る。だけどそうじゃなかった。
彼女は笑っていたんだ。それも、にんまりと。
「今日は一緒に帰ろう……ね?」
彼女は何を見ていたんだ、楽しいものでも見ていたのか。
俺があれだけ胸を痛めて全てを投げ出したのに。
「何だよ……お前」
腹が立った。
「意味わかんねえ」
胃がチクチクと痛んだ。
「気持ち悪いんだよ」
それから、気色が悪いと思った。
「二度と」
罪悪感は何処かへ消えた。
「関わるな、俺に」
けれど、彼女はまだ笑っていた。
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