第21話

翌日の朝は相変わらず暑かった。だらだらと汗をかいて自転車を漕ぎ、自分が溶けていないのを不思議に思い始めた頃に学校へ着いた。下駄箱で上履きに履き替えて、いつも通り階段を上る。あの嫌な感じはもうないけど、教室に入るのだけは何だか億劫だった。

 欠席した翌日に登校すると一瞬視線がこちらに集まる感じが苦手なのだ。

 けれど、クラスメイトのうち一人を除いては誰も俺が登校してきたことに違和感なんてものを覚えていなかった。影が薄くて、そして後ろの席で助かったなあ。

 席に着いてすぐに俺はそのクラスメイトからお節介を受ける。

「体調は良くなったみたいだね」

 なんと、ただの皮肉だった。

「最高、超最高だけど、磯ヶ谷の調子は良さそう?」

「良い方かどうかと聞かれたら悪いかなあ。だって暑いんだもん」

 その割に普段通りの退屈そうな顔をしていた磯ヶ谷は、ぼんやりと思い出した風の話し方で「そういえばね」と言った。

「昨日四ノ宮くんに電話したのは、早瀬くんに頼まれたからなの」

「康平が?」

「うん、本当は言っちゃ駄目なんだけど」

 じゃあ言うなよとツッコみたくなったので脳内描写で指摘してやったのだけれど、磯ヶ谷は考えていることが見えているように「言った方が良いと思ってね」と話し始めた。

 俺は珍しく顔に出ていたのかもしれない。

「早瀬くんは自分が四ノ宮くんのことを心配しているの隠したかったみたいだよ」

「何で?」

「それは分からないけど、恥ずかしいからかなあ」

 康平にも乙女なところあるいは不器用な思いやりと言うべきか、そう一面があったことに俺は驚いていた。何故なら彼には行動力があり、心配なら自分で聞いて来るものだと思っていたからだ。

「それでね、四ノ宮くん」

「何がそれでなんだよ?」

「それでね」

「……うん」

「早瀬くんはすごく四ノ宮くんを心配してたから、今日何か一言伝えた方がいいんじゃないかって思うんだよね。ごめんよりか、ありがとうって意味でね」

 少しだけ困ったような表情の彼女を見ながら、それが出来たら学校を休んだりしていないと俺は困った。そんな俺を見ていて何か思ったのか彼女は言った。

「話しかけ辛いって顔してるけど、何かあった?」

「いや、まあ、実はそうなんだ。この間さ、友達の命日だったって話したじゃん? その日康平がすごく疲れたような顔してて、だから何というか話しかけるのも申し訳ないなって思っちゃってさ」

 康平を真っ向から否定するようなことを俺は申し訳なくて言えなかった。

 言えなかったことが情けなくて、彼の顔を見るとそのときの感情が起こされるのだ。

 磯ヶ谷は小さく唸りながら首を傾げて、それから閃いたとばかりに目を大きく開いた。彼女にしては珍しい表情だった。

「そういうことだったんだよ、四ノ宮くん!」

「は、はい?」

「私、早瀬くんが心配するのは理解出来たんだけどね、落ち込んでるのは何でだろうってずっと考えてたんだけど今分かった」

「そりゃあ、友達の命日だったからなんじゃないのか?」

「ううん、違うよ。四ノ宮くんが彼のことを避けていたのが原因なんじゃないかな! 私だって四ノ宮くんに避けられてたら、何か悪い事しちゃったかなって落ち込むし、きっとそうだよ」

 確かに、そういうつもりはなくとも結果的に康平のことを避けているような形になっていたのかもしれない。

 ますます申し訳ない思いになってしまった。

「俺が悪かったのか、機会を見て謝るよ」

「だからさあ四ノ宮くん、そういうところが駄目なんじゃないかな?」

「そういうところって?」

「女々しいところだよ、男なら申し訳ないって思うよりありがとうって感謝を伝えるべき。あ、四ノ宮くん噂をすればだね」

 噂なんてしていなかったし、噂をするのは康平の役目だろ。

 そう思いつつ、振り返ると登校してきたばかりの康平と目が合った。彼は一目散にこちらへ向って来て磯ヶ谷に言った。

「磯ヶ谷さん、昨日はありがとう。俺はやっぱり自分の口から話すことにするわ」

 それから康平は俺の方を向いた。

「四ノ宮、俺ちゃんと謝らないといけないし、話さないといけないって思ってよ。放課後少しだけ残って話せるか?」

「あ、いや、えっと別に謝んなくても……」

 話さなきゃいけないって何のことだろうか。

 分からなかったので正直断りたかったのだけれど、磯ヶ谷がそれを許さなかった。

「早瀬くん、四ノ宮くんはちょっと臆病なところがあってね、一人じゃ話辛いかもしれないから一緒に参加してもいいかな?」

 お前は保育士に向いている。臆病で遊びのグループに入ることが出来ない園児をサポートするのが得意そうだけれど、だからと言って俺のお守をするな。

 小学校教師で、詐欺師で、保育士で、もう滅茶苦茶だった。

「だったら、磯ヶ谷もいた方がいいなあ」

 康平はこっちを見てにやにやするんじゃない。

 というか俺を園児扱いしないで欲しいと激しく思った。

 流れるように決まった放課後のスケジュール、その段取りの速さに呆気をとられているとチャイムが鳴った。朝のホームルームが始まる合図だったか、担任の教師が教室に入って来て出欠を取り始めた。

 磯ヶ谷が冷たい表情でこちらにウインクしてこう言った。

「良かったね」

 俺は明らかに不貞腐れた演技をして無視を決め込んだ。少しの間、落ち込んでしまえとやってみたが全然効果はなかった。

 磯ヶ谷の精神は強靭過ぎる。

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