第17話
――時々、どうしたら今が楽しくなるのか悩むことがある。
人間の生き方は凡そ二つに分けられる。
何も考えずに今を楽しもうとする人と、そうでない人だ。前者の場合はあの時こうしておけば良かったと後悔しがちで、後者の場合は後悔したくないがために悩み肝心の今という瞬間を失いがちだ。
当人はその事実に遅かれ早かれ気付くことになる。
気付いた瞬間からそれは自分の犯した自身への過失となるのだ。
ただまあ、過失と言っても必ず悪い結果を生むとは限らない。磯ヶ谷のように失敗から学び、立ち直ることが出来たのならば人は再び未来への歩みを始められる。
知る限りの現状では、再び歩き出さなければならない人物が二人いる。
――俺と康平だった。
康平は前者だろう。彼は今、穂乃果に想いを伝えられなかったという後悔と未練に縛られ続けている。そして他の誰かを穂乃果の形に当て嵌めようとしていたのだから。
逃げて、逃げて、逃げて。けれど、忘れることなんか出来るはずがなかった。
忘れることが出来なくとも、いつかは事実を受け止めなければならない。俺が親友として出来ることは現実を受け止めようとする彼の背中を支えてあげることだけだ。
磯ヶ谷がしてくれたように。だけど、最後は彼自身の意思で動かなければならない。
俺自身が思うところ、人は生きるために何か目標を立てるべきだろう。
明日の楽しみを探すためとか。
大切な人を悲しませないためでも何でもいい。そういう目標があって、人は初めて生きていることを実感できるのだと思う。
小説を読んでもらって、面白いと言ってもらえたときのような感覚を生きていると呼ぶのかもしれない。自分の行いを認めてもらえて、つい笑顔になってしまうあの感覚だ。
好きなことについて話していると人は笑顔になるのだろうか。
ちなみに、俺の当分の目標は幸せの意味を探すことだ。
少しだけ気を引き締めて呼吸をする。
今を見逃さないように。
幸せとは、大切な一瞬を見逃さないことだ。放課後、雨が降り出しそうな仄暗い空を横目にメモを取る。
一時間後に雨が降るらしいとクラスメイトがやや慌てながら教室を出て行った。それを見ていた康平も机の上に置いていたリュックを背負ってこちらへ歩いてきた。
「今日は生憎の天気だな」
雨が降ると悲しいことが起こる。そう信じていたのは過去の体験に囚われていたせいだ。
暗い未来ばかりを信じ、明るい未来を否定していた俺にとってその目標は、二度と帰って来ない今という瞬間と向き合うことを意味している。
失ったものをどれだけ追い続けても無駄だ。
無駄、無意味だとしても、愛した誰かとの悲しい記憶は忘れ難い。忘れて、前に進まなければならないこの世界は酷く冷たい。残酷なまま。
けれど、その事実を受け止められずに生きて行くことはもっと残酷だ。たとえ自分自身の世界が止まったとしても、時間の流れは寄り添ってくれない。そうして最期は一人取り残されてしまうだろう。
だから、雨が降ろうとも――康平に真実を打ち明ける決意は曇らない。
打ち明けて、俺が言わなきゃいけない。
他の誰かに穂乃果の形を当て嵌めようとするのは間違っているって。
穂乃果のことはもう忘れて前に進まなければいけないって。
親友の俺が伝えないと康平はずっとこのままだ。
どれだけ表情を明るくしようと、どれだけ口では前向きな言葉を発しようと、そんなものは虚像でしかないんだ。
夜、眠れない康平を助けてあげられるのは俺だけだった。
握り込んだ拳が汗ばんでいたけれど、彼が話しかけて来るのを見て学ランの裾で拭きとった。
「降ってくる前に済ませようぜ、四ノ宮」
彼が無機質に笑って、教室を出て行った。彼の笑顔が妙にぎこちなかったのは今日が穂乃果の命日だったからだろう。彼の後に続く俺の足取りは普段よりも重かった。
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