第14話

最愛の父と母へ


 二人がこれを読んでいる頃、私はもう生きていないでしょう。

 だからこれは最後の執筆になります。

 まず初めに、二人には感謝から伝えたいと思います。私を長い間育ててくれてありがとうございました。私の書いたつまらない手紙を読んでくれてありがとうございます。

 母へ。

 毎朝、家の扉に張り付けられた「人殺し」と書いてある紙を分からない様に捨ててくれてありがとう。夜な夜な誰かが張り付けて行くのを見てしまいました、ごめんなさい。

 父へ。

 部屋に閉じこもる私に毎日、行ってきますとただいまを言ってくれてありがとう。そして返事を出来ずごめんなさい。

 いってらっしゃい。

 おかえり。

 それから二人が名付けてくれたような活発な女の子になれず、すみません。

 もう私は自分が生きているのか死んでいるのかさえ、まともに判断がつきません。

 ただあるのは日々積もっていく暗澹とした自責のみ。

 死んだ彼女の言葉が私を苦しめてきましたがそれももうお終いです。だからどうか、父と母も私のことなど気にせず幸せに生きて下さい。

 さて、私の最後の手記がこうなってしまった経緯についてです。

 自分自身を肯定したいという意思はありません。全て私が悪いのです。

 それでは。

 昔々と言っても二年前、苑田花梨そのだかりんという少女がいました。

 いるのではなく、いたのです。ですから彼女はもうこの世界にはいないということです。

 結論から申し上げますと死んでしまったのです、自殺でした。

 ここまでは周知の事実だったかと思います。

 けれど彼女は自分で命を絶ったことを認めませんでした、私はあくまで殺されたのだと遺書にて証言しています。

 誰が殺したのか、それは父と母が誰よりも知る実の娘。

 名前は残しません、自分の名前を見ると胸が痛くなってしまうからです。

 お許し下さい。

 彼女の通う中学校は田舎町のはずれにある小さな学校です。そこで私は彼女と出会い、親友になりました。いいえ、親友になったと勘違いしていたようです。

 学校が終わって一度だけ花梨ちゃんの家に遊びに行ったことがあります。家の場所はそのとき憶えました。大きな家でしたが、私達以外に人はいないようでした。

 彼女の部屋は二階にあって、向かう途中に通ったリビングがあまりに衝撃的だったことを憶えています。脱いだものはソファの上に脱ぎっぱなしで、ゴミだってゴミ箱の中に入りきっていませんでした。

「お母さんは片づけをしてくれないの?」

 私がそう聞くと、花梨ちゃんは寂しそうな顔をして「お母さんは朝に帰って来てすぐに何処かへ行ってしまうの」と言いました。

「じゃあ、お父さんは?」

「会社の偉い人だから二、三日帰って来ない」

 家庭環境が荒んでいるのだと気付きましたが、花梨ちゃんは良い子なので変わらず友達でいようと思いました。

 彼女の部屋は同じ家とは思えないくらい片付いていて、私の部屋などよりずっと広いお姫様みたいな空間でした。

 そこで好きな男の子の話を二人でしました。

 私は本をたくさん読む人が良いと言い、花梨ちゃんは磯ヶ谷さんみたいによく笑う人と友達になりたいと言いました。好きな男の子の話をしていたのですが、話題がいつの間にか変わってしまうことは自由奔放な彼女なのでよくあることです。

 彼女はとても楽しそうに笑っていました、今でもあの笑顔を忘れられません。

 そんな風に笑う彼女を見たのはあれが最後でした。

 二年生になると私達は別々のクラスになりました。ある日の下校中、歩いていると後ろで私を見つけた花梨ちゃんがこちらに走ってきたのです。

 そのとき彼女は何かに躓いて勢いよく転んでしまい、制服の肘の部分に穴が開いてしまいました。

「大丈夫!?」

 肘から血が出ていましたが、彼女はそんなことを気にしてすらいない様子で破けた服のことを見ていました。私は彼女の怪我の方が心配です、一旦学校に戻って消毒をしてもらってから一緒に帰りました。

 それから二週間が経ち、隣のクラスで不登校になった生徒がいるという情報を知りました。不登校になった生徒は花梨ちゃんでした。

 どういうわけか、破けた制服のまま登校していた彼女は同級生に悪口を言われてしまったそうです。

 自由奔放な彼女は私に見せる本当の姿で、普段は無口で表情の寂しい、言葉は悪いですが幸の薄そうな女の子でした。

 新しいものを買えばいいのに、そう思いました。私はその日のうちに彼女の家まで行って思った通りのことを伝えました。すると彼女は、

「お父さんも、お母さんも、お小遣いをくれないから買えないんだ」

 学校に必要なものをお小遣いで揃えるという言葉に私は耳を疑いました。

 明らかに考え方が変でした。

「大丈夫、私に任せてよ」

 一瞬唖然としてしまいましたが、翌日から私は一生懸命に彼女を助けてあげなければならないと良い策を探しました。

 私の制服をあげたとして、それは一時的なその場凌ぎにしかなりません。だから私は彼女の母親に直接会うことにしました。

 いつもより数時間早く起きて、彼女の母親が帰って来るという五時頃を狙って家を尋ねました。玄関ドアを数回ノックして、彼女が開けてくれました。

「おはよう、お母さんいる?」

「いるけど」

 彼女に案内してもらい私はリビングで眠る彼女の母親と初めて会いました。

 彼女の母親は酷く酒に酔っているのか、私を花梨ちゃんと勘違いしていました。

「私は磯ヶ谷と言います。花梨ちゃんのお母さん、彼女に新しい制服を買ってあげてください」

 彼女の母親は煙たそうにこちらを見て、けれど無視を決め込み、虚ろな目でテレビを見始めました。こういう人間は強気で行かなければ相手にしてくれないことを知っていたのでテレビを消して、もう一度話しかけました。

「誰、アンタ?」

「花梨ちゃんの友達です」

「帰んな」

 それからは何を言っても、こちらを見向きさえしませんでした。

 煙草を吸って、酒を飲んで、七時頃になると彼女の母親は玄関で待っていた男の人と何処かへ行ってしまいました。

 絶対に父親ではありません。

 彼女の父親は別居しているのだと確信しました。

 最低で、下衆な人間だ。

 私が花梨ちゃんを守ってあげなければならないと決意した瞬間でした。

 それから毎朝、私は彼女とその母親に会いに行きました。

 一か月ほどして、私は母親を説得することを諦めて花梨ちゃんだけでも学校に来てもらおうと毎日彼女の部屋へ訪れました。

 その頃の彼女はずっと自分の部屋の中に閉じこもって、私が来ても顔すら見せてくれませんでした。

 それでも諦めずに毎日、毎日。

 晴れの日も、雨の日も。

 おはようと言うと彼女は扉の向こう側で一度だけ返事をしてくれます。

 それ以外は何も言ってくれませんが、それだけは必ず言ってくれました。

 返事は来なくても私は毎日、昨日の出来事を話すことにしていました。そして最後には決まって「明日は一緒に学校へ行こう」と笑って言うのでした。

 私は自分の友達が困っていることを放っておけるような人ではありません。

 寧ろ、助けてあげたいと思う自分勝手な正義感を持つ人間です。

 そんなある日。

「おはよう…………」

 そんなある日を堺に彼女は返事をしなくなりました。

 一日、二日、三日、四日が経って様子がおかしいと思った私は今までずっと開けられなかった扉に手を伸ばしました。

 次に私が見た光景を二度と思い出したくありません。

 言葉にしたくありません。

 だから、省かせてください。ごめんなさい。

 ただ、私は二度と彼女の姿を見ることも声を聞くこともありませんでした。

 数日後、残された部屋から遺書が発見され彼女の両親に私は呼び出されました。

 突き付けられた花梨ちゃんの本心は、私の心をぐしゃりと潰しました。

 行数にしてたった三行の文章に全てが詰まっていました。


――毎日、私の部屋に磯ヶ谷さんが学校へ来るよう脅しに来る。

――お母さんは磯ヶ谷さんのことを嫌いだから、毎日怒っている。もう来ないで。

――学校に行けないのは彼女のせい、彼女のせいだ。私が私を殺すのも彼女のせい。


 私の独りよがりな正義が花梨ちゃんを殺してしまったのです。

「最低だな、お前」

 彼女の母親が言って、彼女の父親は黙っていました。

 私は最低です、どんな顔をするのが正しいのか分かりませんでした。

 泣けばよかったのでしょうか。

 怒ってしまえばよかったのでしょうか。

 飄々として気にしなければよかったのでしょうか。

 分かりません、ですが、次に私が作った表情はもっと分かりません。

「ごめんなさい」


私は口角を上げて、にんまりと笑顔になりました。


 最低です。

 私は死ぬべき人間だ。私の謝罪は瞬く間に噂となって広がりました。

 もう居場所はどこにもない。

 私のお母さんも、お父さんも、私を生んでしまったことを後悔しているはずです。

 ごめんなさい、本当にごめんなさい。

 どうして笑顔を浮かべてしまったのか、あれから毎日考えてしまいます。

 その答えは出ません。

 いつか分かるのかもしれませんが、その度にあの光景を思い出し、彼女の本心を思い出し、苦しい思いをすることに私は耐えられない。

 二度と考えたくない。

 今は生きている心地がしません、死んでいるのかもしれない。

 ありがとう、さようなら。

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