第11話

「ねえねえ、四ノ宮くん」

「んあ?」

 バス停を出て、俺はどれくらいの間眠っていたのだろう。

 目を覚ますと前部座席が斜めに傾いていた。

 その原因は俺の頭が丁度いい高さの物体に寄りかかっていたせいだ。瞼をこすって盛大に欠伸をした後で優しい匂いのするそちらを見た。

「なんだ、磯ヶ谷か」

「女子クラスメイトに寄り掛かって、爆睡していた男子の台詞とは思えないけど。とりあえずおはよ」

 相変わらず冷たい目をしていた彼女はまっすぐにこちらを見ていて目が合った。表情はいつも通りだけれど、服装は普段の制服姿と違っていた。白いレースの半袖ワンピースに黒いリボンがアクセントで付いていて、両手でつば広の白い帽子を押さえている。普通にお洒落な彼女は、これからデートに行くみたいな恰好をしていた。

 もしかすると、デートなのかもしれない。

 白いパーカーにジーンズというお粗末な服装で来たことが申し訳なく思えたけれど、磯ヶ谷だから大丈夫だろう。

「おはよ……」

 返事をしてみたものの、こんなときはどんな台詞を言うべきだったのだろうか。

 恋愛系の小説はあまり読まないから想像で言ってみることにした。

「よく見たら磯ヶ谷って美人なんだな」

 彼女はどう受け取ったのか、また無表情になった。

「あ、うん、ありがとう。四ノ宮くんにしては気を遣ってくれたみたいだし、失礼な部分は聞かなかったことにするね」

「おう、助かる。何か、食べ物ある?」

 磯ヶ谷は小さなリュックからおにぎりを一つ取り出して渡してくれた。

 今日の空は青と白の割合が七対三でほんの少し雲の流れが速い。

 バスは森の中を走っているらしくアスファルトの上に見えた木漏れ日が美しかった。メモを取ることが出来るなら描写しておきたかったのだけれど、車内で細かい作業をすると酔うので諦めることにした。

「眠たそうだけどちゃんと寝た?」

「寝た寝た、三時間」

「だと思った。理由は昨日と同じ?」

「そんなことないぜ、こう見えて昨日はしっかり眠らなきゃいけないと思って努力したんだからな。康平から電話がなければ眠れたさ」

 電話をしていて気が付いたら朝になっていたけれど、たとえ康平と話していなくとも俺は本を読んで起きていただろう。そうだとしても、また適当に言い訳をしてやり過ごす。それが出来なくなったら精神的に限界を迎えたということだ。

「早瀬くんから電話? もしかして二人して悩んでる?」

「康平はそんなことで悩んだりしないよ、あいつは心が広いから」

「心の広さが関係あるのか分からないけど、四ノ宮くんが言うならそうなのかもね」

 康平が本当に悩んでいたとして、それは誰にも知られたくないはず。そのために明るく振舞う演技をしているわけで、息抜きの相手が足を引っ張ってしまったら気の毒だろう。磯ヶ谷は納得したのか、それほど気になっていなかったのかバスが目的地に到着するまでの間、別の話をしていた。今日の行き先や食べ物、観光スポットとか写真映えする風景、そういう如何にも女子らしい話だった。

 康平のことを考えていて頭には入って来なかったけれど、多分問題ない。

「良いと思う」

「あのね、四ノ宮くん」

「良いと思うぞ」

「だからね、四ノ宮くん」

「良いんじゃないか……え?」

 磯ヶ谷は、作業的な返事に呆れたのか黙ってしまった。

 話が長いと俺はよく「良い」という言葉しか言えなくなってしまう。そういう病気なのかもしれないけれど、治療方法を見つけるつもりはない。

 だから俺は開き直ることにした。

「本当に楽しみだよな……」

 いや、今回も俺が悪いけど。

「全然聞いてなかったんだよね、四ノ宮くん?」

「ど、どうかな」

「正直に言わないと怒るよ」

「…………悪かった」

 磯ヶ谷は心底呆れた表情になっていたが、彼女の場合呆れを通り越して怒っているときの顔なのかもしれない。内心で冷や汗をかいた。

 彼女は言った。

「私は良いけど、この四ノ宮くんをリフレッシュさせよう作戦は四ノ宮くんのためにやってるんだからね? 今は他の事考えちゃ駄目だよ」

 磯ヶ谷はきっと、表情さえ明るければ小学校教師に向いていると思った。人に説教をするときの説明がとても分かり易いし、聞く側も基本的に納得がいく。

 教師という世話焼きな仕事に向いているんじゃないか。

 ただまあ、人には人のやり方というものがあって、少なくとも俺が生きて来た十六年間にもやり方はあった。自分自身の悩み事を解消しようという時は、気分転換に小説を書いてそれでも駄目なら、誰かが救ってくれるのを待つというやり方だ。明日になれば誰かが優しく理解してくれるかもしれない、そう願って、いつまでも無くならない苦しさや辛さにじっと耐えるのだ。

 案外こんな風に磯ヶ谷や、他の誰かに気付いて欲しかったのかもしれない。

 「磯ヶ谷でも力になれない」と言ってしまったのは、力になってくれる人物なのかどうかを言葉が悪いけれど、品定めしていたのだろう。

 心の中で、きっと。

 同情はいらないと口で言いつつ、本心は求めていた。

――味方という存在を。

 妹も、そうなのだろうか。

「そういえば磯ヶ谷、さっき俺を起こしたとき何か言おうとしてなかった?」

「あ、うん。もうすぐ着くよって言おうとしたけど、四ノ宮くん気持ち良さそうに寝てたから」

「起きちゃったけどな、気を遣ってくれてありがとう」

 磯ヶ谷は本当に良い奴だ。

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